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司馬はなぜ「ノモンハン」を書かなかったか

 (2014.08.01)  戦後の日本人は何をめざしてきたのか、ということをテーマにした

 「戦後史証言プロジェクト 司馬遼太郎」(NHK)

を見た(7月26日夜放送)。本人の死後、本人と深くかかわった何人かの人物に証言してもらったり、回想してもらったりする企画である。理系出身のブログ子としては、同じシリーズの最初、

 湯川秀樹編

は、大学院時代、湯川さんの住まいのあった京都・下鴨神社近くに暮らしたせいもあり、興味深く拝見した。

 ● 22歳の自分への手紙

 一方、第四回目の司馬さんの場合、ファンということもあり、司馬さんの生涯をかけた小説家としてのテーマ

 日本人とは何ぞや

というのに、どういう証言が、あるいは最終的な結論が出てくるのかと期待した。司馬さんは、自分の小説について、よく知られているように、

 敗戦直後、22歳の戦車隊員だった自分への手紙のつもりで書いている

と語っている。

 なのに、

 そして、大学ではモンゴル語を学び、戦後には10年以上にもわたって、対ソ連戦車戦で大敗北を期し、極秘扱いにしたノモンハン事件(1939年)について関係資料の収集、あるいは事件にかかわった当時のエリート参謀へのインタビュー、さらには現地モンゴルにまで取材に訪れているのに、

 なぜ、小説化をしなかったのか、

 ブログ子は以前から不思議に思っていた。

 司馬さんにとって、自分の22歳につながっていったこの事件を小説化しないうちは死ねないはずなのだ。だから、この証言プロジェクトで何か、そのへんの事情について関係者の証言が得られるだろうと期待した。

 ● 小説化すれば気が狂う

 モンゴルに同行取材したこともある作家の半藤一利さんの証言によると、司馬さんは

 小説にするとすれば、気が狂ってしまう。それでも書けというのは、私に死ねということに等しい

という趣旨のことをもらしていたらしい。それほど、当時の陸軍省参謀本部作戦課や関東軍参謀部作戦課のエリート参謀(服部卓四郎、辻政信、瀬島龍三など)たちは、それ行けどんどんと不拡大方針の間でハチャメチャな思想と行動を行なったらしい。

 それでも、なんとか小説化したいと、ノモンハン事件にかかわり、生き残った連隊長、須見新一郎氏に自作の『坂の上の雲』を持参して、インタビューしたりした。つまり、好感した須見氏を主人公に小説化を目指していたらしい。

 ところが、後日、司馬さんと瀬島氏とが親しげに対談している記事を読んだ須見氏は、司馬さんを批判する内容の手紙を司馬さんに届けた。

 司馬さんは、これに衝撃を受けたらしい。このことも原因となってノモンハン事件のテーマには、主人公にするべき人物はいないと結論づけるに至ったのだろう。

 以上はプロジェクト番組での半藤さんの証言だが、半藤さんは、司馬さんの死後、司馬さんに代わって、

 ノンフィクション『ノモンハンの夏』(半藤一利、2001年)

を書いたとブログ子は思う。この作品は、事件をモスクワやベルリンの動きと連動させながら、軍内部の意思疎通の欠如、そこから生じる作戦の不統一さを暴き出している。

 だが、こうした事実をあばいただけではとても小説にはならないと観念した司馬さん。日本人とは何ぞや、という自ら発した問いかけに直接こたえることなく、72歳でこの世を去った。

 ● 書かないことで軍部を痛烈に批判

 明るい主人公もなく、また大敗を国民に極秘にしなければならないほどの事件など、あまりに暗すぎて、司馬さんの生理や小説家としてのスタイルには合わなかったのだろう。

 この無念さを、一言で言えば、ヒットラーのユダヤ人虐殺の場合同様、ユダヤ人哲学者、ハンナ・アーレントの言うところの、

 巨悪とは思考停止の凡庸さにある

ということであろう。思考停止の人間ばかりが登場する歴史事件を小説化することなど、とうていできない。気が狂うというわけだ。

 これが、22歳の自分への「書かれなかった」手紙の真相だろう。ある意味、小説家としてこれは何にもまして激越な手紙だともいえる。

 ● 補 遺 竜馬のモデル

 このプロジェクトを見ていて、面白いことを知った。あの『竜馬がゆく』の竜馬には、モデルがあったというのだ。それは、この小説を執筆連載中に日本に商社員として滞在していたハンガリー人、スティバン・トロク。

 ハンガリー動乱(1959年)でアメリカに亡命したが、動乱当時は革命家志望のブダペスト大法学部学生だった。当時竜馬の人物像づくりに苦労していた司馬さんは、東京滞在中のこの人物を取材した。いずれハンガリー大統領になるというこの明るい性格の青年の人柄にほれ込み、土佐を脱藩、幕末を駆け抜けた竜馬に重ねたらしい。

 知らなかったが、この事実は『街道をゆく』第25巻(1989年)で司馬さんが自ら回想している。 

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