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「十三人の刺客」はなぜ興行的には失敗したか  「七人の侍」は成功したのに

(2014.08.10)  先日の木曜日、暑い中の正午過ぎ、近くの湖で仲間と取り組んでいるシジミ再生プロジェクトのボランティアから自宅に戻った。すると熱中症ではないかというほどにめまいがした。疲れと夏バテなのかもしれない。

 年を取ると、一日フル働きというのはもう無理。半日仕事が限度と悟った。そこで、横になってテレビをみていたら、BSプレミアムで

 映画「十三人の刺客」(工藤栄一監督、東映、1963年)

というのをやっていた。残酷な明石藩主の暗殺がテーマ。参勤交代の途中、国許に帰るところを、とある宿場町で13人の刺客が襲う。

 ● なぜ興行的に失敗したか

 前半がすぎた途中から見たのだが、面白かった。なにしろ、出演俳優がすごい。片岡千恵蔵、嵐寛寿郎、里見浩太朗と一人でも主役が張れる大物が三人も出ていた。

 もうひとつ、すごいと思ったのは、ラストの暗殺死闘の場面でなんと30分ぐらい続いていた。しかも、型どおりの殺陣ではない。刀を振り回してのまったくのリアリズムに徹していた。しかも、宿場町全体がワナだらけになっていて藩主側の50人以上の武士を刺客13人が追いつめるという活劇。

 こんなおもしろい映画があったのか、おそらく公開当時も話題を呼んだだろうと思った。が、なんとこの映画、内容はともかく、興行的には失敗だったらしい。

 なぜだろう。

 こんな面白いラストの集団死闘戦をクライマックスにもってきているのだから、人気が出ないはずはない。あの黒澤明監督の「七人の侍」(東宝、1954年)にだって負けない大ヒットになってもおかしくない。そんな感想を持ったくらいだ。

 黒澤の映画の場合、野武士たちの横暴に苦しむ百姓たちが7人の侍を雇い、彼らの助力により雨の中のラストシーンで、野武士たちを討ち果たすという痛快活劇である。こちらも、ラストの戦いは長い。しかも、7人の侍の主役は三船敏郎だったが、それとても大物俳優というのではなかった。

 ともに、下から目線であり、戦後民主主義に目覚めた大衆が飛びつかないはずはない。

 なのに、この違いは何だ

と考えてしまった。そこで気づいた。

 ● テレビの登場だけではない

 映像メディアの主役が、「七人の侍」の時にはまだ映画だったのに対し、「十三人の刺客」の時には、テレビ(白黒)の時代に交代しつつあったという時代背景があるように思った。

 映画館入場者数が「七人の侍」の時代には年間約8億人。その後11億人を超えたが、しかし「十三人の刺客」の時には約4億人と半減してしまった(ピーク時の3分の1)。その後の1960年代もその数は大きく減少し続けた(現在は、せいぜい年間2億人)。

  先ほどの違いは、ピークに向かって上げ潮のときにつくられた「七人の侍」に対し、急激な引き潮のときの「十三人の刺客」だったことから生じたのであろう。 

 一言で言えば、その違いの直接の原因は映画産業の斜陽化の中で起きた。

 しかし、それだけでは、刺客映画の興行失敗の説明には十分ではない。なぜなら、映像メディアの主役座の受け皿となっていったテレビがまだまだ成熟していないからだ。

 「十三人の刺客」の年には、テレビではまだ本格的なドラマは制作されていない。ただ、アニメとして、「鉄腕アトム」「鉄人28号」といったものが登場、子供たちに人気が集まってはいた。大人のテレビドラマが本格化するのは高度経済成長の1960年代後半からだ(1960年、池田勇人首相が10年で「所得倍増計画」を発表)。

 とすれば、映画衰退を早めた原因は何か。それはテーマだったと思う。侍とか刺客とか、暗殺という古い、そして暗いテーマより、大人の世界でも明るいテーマが求められ始めたのだ。

 実際、刺客映画公開の年、1963年には、映画では「いつでも夢を」(吉永小百合+橋幸夫、野村孝監督、日活青春映画)が大ヒットしている。これは戦後間もないころから根強い人気の映画「青い山脈」の1960年代版といえるだろう。

 しかも、この映画は明るい夢と希望をかなえる高度経済成長の前夜を象徴する映画だった

 その意味で、吉永小百合の「キューポラのある街」(浦山桐郎監督、日活青春映画、1962年)は、在日朝鮮人問題を扱ってはいるものの、暗い路線から明るい路線の分水嶺となった記念碑的で決定的な作品だったといえるだろう。

 そして、翌々1964年は東京オリンピックであり、テレビブームが急速に進んだ。

 先ほどの違いを生んだ原因は、経済成長とともに、過去ではなく、未来をみつめた明るい映画を見たいという映画ファン側の欲求の変化に時代劇製作者がついていけなかったこともあるのではないか。

 ● 明るい未来を求めた観客

 以上、まとめると、「七人の侍」の興行的な成功と「十三人の刺客」の失敗という違いを生んだ原因は、

 映像メディアの技術的な変化と、観客の欲求というソフト面の変化

という2つの要因に当時の時代劇制作者が十分対応できなかったこと

だと思う。

 昼下がりのめまいのあと、そんな風に劇場映画を、テレビでぼんやりと寝そべりながら考えてみた。

 それにしても、BSプレミアムも〝夏バテ〟なのか、このところ、やたら旧作映画の放映が多いのが気になる。

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コメント

工藤栄一監督の「十三人の刺客」はなぜ興行的に失敗したのか?
時代のせいでしょうね。
最近、再評価されてますね。( ̄ー ̄)ニヤリ

投稿: 根保孝栄・石塚邦男 | 2015年6月 6日 (土) 23時49分

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