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2014年8月

長崎原爆は戦後国際情勢にらんだ人体実験

(2014.08.20)  先日、NHKスペシャル

 「知られざる衝撃波~長崎原爆・マッハステムの脅威~」

という番組を見た(内容のあらすじは、最下段の「注記」参照)。

 08_20_0 この番組を見てもわかるが、負けたとはいえ国民の生命財産を守るのか、それとも対米対策を優先するのかという場合、対米重視を一貫してとってきた日本政府の悲しいまでの姿が浮かび上がっていた。

 番組のあらすじからもわかるが、

 長崎原爆(広島型ウラン爆弾とは異なる新型でより強力なプルトニウム爆弾)の投下は、戦後の国際情勢をにらんだアメリカが、日本人をモルモット代わりに仕立てて行なったどさくさの人体実験

だったことが明確にわかる。対日戦争を早く終わらせる目的の投下などではない。事前に周到に準備された、そして戦争終結を早めるという「まやかしの大義」の下に実施された狡猾で非道な蛮行だった。

 ● 殺傷力倍増のメカニズム

 番組中には、脅威のマッハステムのメカニズムの原理がよくわからなかったが、見終わって少し考えた。

 そのメモが上の解説図(図のダブルクリックで拡大)。

 爆発した上空からの直接の衝撃波と地上で反射した衝撃波が地上で重なるため、水平方向にその破壊威力が働き、かつ倍増(赤矢印)。それが爆心地から同心円状に地上に広がっていく様子がわかる。

 衝撃波の破壊力が倍加し、しかも地上で水平にその力が働くということは、人的な殺傷力の増大にはきわめて重要。なぜなら、垂直に立つ建物の窓ガラスを水平方向に粉々に破壊し、なかにいる大勢の非戦闘員をいっきょに効率よく殺傷、または圧死させることがてきるからである。上からの衝撃力だけでは、こうはならない。ある意味、放射線障害よりも恐ろしいといえるだろう。

 これが、二重衝撃波としてのマッハステムの恐ろしさである。

 そして、このようなメカニズムによる地上での被害がさらにより広くなるように、原爆投下を地上500メートルに決められたのだ。広島の場合、原爆そのものの破壊力が長崎より少し小さかったことと、空中爆発が地上900メートルと地上から離れていたことから、このマッハステムの被害は大幅に抑えられたのだ。

  アメリカは、こうしたことを綿密に計算に入れ、日本政府が無条件降伏をする直前という絶好の機会をとらえ、広島に次いで新たなプルトニウム爆弾を長崎に投下した。人体実験をしゃにむに急いだ。その時のアメリカ軍上層部や政治家の心境は、実験成功まで日本はもう少し持ちこたえ、ギブアップするのを先延ばししてくれるよう神に祈っていたことだろう。

 これが歴史の非情な真実であることを、番組は教えてくれた。

  ● 注記 番組あらすじ

 NHKの番組ネット広報によると、放送内容は以下の通り。

 「69年前、長崎に投下された原子爆弾。大量破壊をもたらしたのは、爆心地から遠ざかるほど爆風が威力を増す現象「マッハステム」だった。知られざる衝撃波の脅威に迫る。

  被爆直後の死者のおよそ半数は、爆風が原因と見られているが、詳しいことはわかっていない。2013年3月、爆風による破壊を解明する手がかりが見つかった(番組によると、その資料の出所は竜巻研究で知られる日系アメリカ人で投下直後に現地調査に参加した藤田哲也博士。大型封筒に入った資料には投下直後の30枚以上の被害状況写真と、それをもとに作成された被害分布地図が含まれていた)。

  爆心地から遠ざかるほど爆風が威力を増す「マッハステム」という現象を捉えた一枚の地図。取材を進めるとアメリカがマッハステムの破壊力を事前に計算し、意図的に利用したことが明らかになった。長崎を襲った衝撃波マッハステムの脅威に迫る。」

 番組では、藤田資料をもとに、さまざまな再現実験(熊本大)や再現数値シミュレーションが、多数の死傷者が出た城山国民学校の場合について紹介されていた。

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安倍官邸にあやつられるメディア

(2014.08.19)  先日の日曜日夜、たまには民放の報道番組も見てみたいと、BS-TBSの

 週刊 報道部 「検証 メディアの戦争責任」

というのを拝見した。

 ● 国民を戦争に導いた新聞の責任

 「そして、メディアは日本を戦争に導いた」という調子のものだったが、

 過去の新聞は具体的にどう戦争への道にかかわったか、

 その事実から、その現代への教訓とは何か

について、キャスターも交えて、たとえば各紙の社説タイトルまで映し出して具体的に論じていたのが面白かった。出演者は、メディアに詳しい作家の半藤一利(84歳)さんと保科正康(74歳)さん。

 出演者がよかったせいか、なかなか鋭い、あるいは新聞社には耳の痛い指摘がこれでもか、これでもかといわんばかりに出ていた。さらに放送では、過去の新聞批判だけでなく、最近のテレビ報道の問題点や批判まで、当のキャスターに向かって、遠慮する様子もなく率直に語られていた。

 メディアが自縄自縛におちいり、自らも制御できないほどに戦争をあおり立て、国民を戦争に駆り立てる先兵的な役割を担ってしまったのは、まぎれもない事実である。この意味で当時のメディア、つまり新聞には当然戦争責任がある。

 ● メディアコントロールに巧みな政権

 問題は、それがにがい教訓として、今、活かされているかという番組後半の部分だった。

 その結論をまとめると、

 安倍政権は、こうした過去のメディアの振る舞いや、あるいはもともと持っている特ダネ争いや部数拡大に走りがちな習性を十分活用し、メディア操縦に動き出しているのに、また手玉にとられている

というものだった( さらに具体的には「注記」を参照 )。メディア側はもっと過去の失敗に学び、今に生かしてほしいと半藤氏は嘆いていた。

 ● 今、進む情報統制

 一方、この失敗に学び、現代に生かすという点について、保科氏が番組のなかで示した図は面白かった。「国民」と書かれた文字を囲んだ四角形の各辺に

 上= 言論の自由の抑圧(新聞紙法)

    情報の一元化(大本営発表)

 左= 弾圧立法 ( 国家総動員法/治安維持法)

 下= 教育(教育勅語/軍人勅諭)

 右= 暴力(特高)

と書かれていた(括弧内はブログ子の補い)。これらが、当時の国民を戦争に駆り立てたという図である。

  今で言えば、言論の自由の抑圧は、NHK会長人事への安倍官邸の関与であり、最近の朝日新聞「慰安婦問題」記事取り消しへの過剰な反応だろう。

 情報の一元化は、官邸のメディア戦略である。

 過度の競争が起こらないよう新聞業界を現在保護している再販売価格維持制度(再販制度)もいすれは撤廃に追い込まれるであろう。紙の割り当てに関する戦前の新聞紙法の運命を思い出させる。

 左側の弾圧立法というのは、今で言えば、特定秘密保護法であり、国家総動員法に比較できるものとしては集団的自衛権容認の閣議決定。

 下の「教育」というのは行政主導の教育委員会改革。

 さらに言えば、自らの国家像を提示し、ことさらに愛国心の尊重を振りかざす

 『美しい国へ』(安倍普三著、2006年、文春文庫)

  『新しい国へ - 美しい国へ完全版』(安倍晋三、2013年、文藝春秋)

である。

 ● 過去のにがい教訓生かしているか

 右の「暴力」については、これからであろう。これが整えば、戦前の体制と同じものが整ったことになる。

 番組では、こうした状況に対し、メディアはほとんど対応し切れていない、過去に学んでいないと出演の二人は批判していた。 

 この番組は

 安倍官邸にあやつられるメディア

という官邸と新聞の現状の関係を、戦前の状況をほうふつさせる形で整理させてくれた。

  ● コオロギは鳴き続けたり

 この番組を拝見して、半藤さんも、保科さんも、今報道界が学ぶべき人物として反骨のジャーナリストだった

 桐生悠々

を挙げていた(もう一人は言論人の徳富蘇峰=蘆花の兄)。悠々はブログ子が長く暮らした金沢市の高岡町出身。ブログ子はこの高岡町で仕事をしていたこともあり、番組を見終わって、

 『抵抗の新聞人 桐生悠々』(井出孫六、岩波新書)

を今一度読み返してみたいと思った。発禁処分に抵抗しながら新聞「他山の石」を死の直前まで発行し続けた。その悠々の句に

 コオロギは鳴き続けたり嵐の夜

というのがある。1946年9月5日号(発禁処分)を最後に彼が息を引き取ったのは、同年9月10日、真珠湾攻撃のわずか3カ月前のことであった。

 ● 注記 安倍官邸と新聞

0751a_2  安倍官邸のメディア戦略については、近著

 『安倍官邸と新聞 二極化する報道の危機』(徳山喜雄、集英社新書)

に詳しい。右派と左派に二極化した新聞業界の対立構造を、安倍官邸はたくみに利用、情報の統制を図っている様子など参考になる。 

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浜松市は、なぜ健康寿命日本一なのか

(2014.08.11)  浜松市が毎月発行している広報誌に「広報 はままつ」というのがある。その8月号(2014年)の「市長コラム」欄に

 Imgp4860_1 大反響、浜松市は健康寿命日本一!

というのが、掲載されている( 写真 = ダブルクリックで拡大可)。浜松は、なぜ健康寿命が日本一なのか、ということを首長の立場から分析したのがおもしろい。

 元データは、厚生労働省が20の政令指定都市について、市民平均で何歳まで人の手を借りないで自立して日常生活ができるか、ということを調べた結果。

 すると、浜松市は、男性は73.0歳、女性は75.9歳。これは、政令市で男性最下位の大阪市(68.2歳)、女性最下位の堺市(71.9歳)に比べて、男女いずれも約4歳も長い。

 人口の多い大都市の市民平均でこれだけの差があるというのは、明らかに統計的には有意な差であり、違いにはきちんとした原因があるはずだ。

 その原因だが、市長のコラムの分析で面白いのは、

 浜松はストレスを感じることの少ない、住みやすい街だということと、(横の連携など)医療体制がしっかりしていること

としている点。市長は、特に「これだ」と特定できませんが、と断りながらも、日本一の一番の要因として「浜松は何となく住みやすい、ストレスを感じることの少ない街なのではないでしようか」と医療体制の充実とともに、行政力のしからしむるところと結論付けている。

 ところで、医療体制うんぬんは別にして、あちこち全国で暮らしてきたブログ子の日本一の原因分析について、やや客観的なデータをもとに私見を述べてみたい。

 市長の言う「ストレスを感じることの少ない、住みやすい街」の原因とは具体的に何か、ということである。

 もともと、静岡県は県別の健康寿命が男女とも、全国で1、2位を争う健康寿命県だが、結論を先に述べると、浜松市には浜名湖とそれとつながる汽水の佐鳴湖が存在する点である。

 Imgp4859 20の政令市うち、広々とした開放感のある海のないのは、京都市とさいたま市だけである。あとはみな海をかかえている。このことは人々の暮らしで生じるストレスの解消には都合がいい。

 ところが、湖というもう一つの開放、あるいは解放空間が大都市近郊にあるのは、政令市では浜松市だけである。しかも、大きな浜名湖と、比較的に小さい佐鳴湖とは、新・新川でつながっていて、いずれも憩いの場になっている。

 事実、福井県出身ブログ子は、京都、大阪、金沢、静岡、浜松と転居暮らしをしてきたが、湖には恵まれなかった。そこで定年後は、小さい湖のほとりの高台に暮らしたいと浜松市佐鳴台に引越ししてきたぐらいだ。引っ越してきて1年、病院通いなどで長年付き合ってきたうつ病から完全に解放されたという実感がある。

 大都市なのに、性質の違う、また季節感のある大小の湖をかかえ、その上、遠州灘という明るい海まで近くにある。これこそ、健康寿命日本一の原因でなくて、何であろう。

 とすれば、健康寿命日本一を継続し、誇りとするには、行政手腕もさることながら、ラムサール運動なども含めて、湖沼を大切にする、誇りにする県民運動を盛り上げるのが、

 健康浜松日本一

のポイントであり、王道であると思う。

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戦後の政府は国民の生命財産守ってきたか

(2014.08.10)   集団的自衛権の閣議決定とからんで、政府は

 国民の生命財産を守る

という言葉を決定の理由としてお経の文句のように、くり返してきた。戦後の政権では、安全保障や外交が深く関係した場合、

 わが国民の生命財産か、米政府の利益か

となったケースでは、たいていはアメリカの国益を優先してきた。敗戦国日本の戦後史とは、そんな政府の悲しいまでの性が至るところであらわになった時代でもある。

 先日の「原爆の日」の夜、NHKで放送された

 広島が解き明かす「ビギニの埋もれた真実」

というスペシャル番組も、このことをはっきりと示してくれたドキュメンタリーだったと思う。

 ● 「死の灰」は100隻以上

 ブログ子は現在、静岡県に暮らしているので、同じ県内の焼津市で起きた

 第五福竜丸ビギニ「死の灰」事件(1954年3月)

については、関心が高い。最近のこのブログでも新藤兼人監督のドキュメンタリー映画を紹介したりもした。

 そのときも書いたのだが、実は当時「死の灰」をかぶったのは、当然だがこの船だけではなかった。高知県の漁船も沢山、死の灰をかぶっている。高知県の元高校教諭の長年にわたる追跡調査ですくなくとも100隻以上が被害にあっていることがわかる。

 しかし、当時の政府は福竜丸以外に被曝船は存在しないとして、強引に幕引きを図った。その後も被曝したことを示す記録は存在しないと、言い続けてきた(「注記」参照)。

 ところが最近の米公文書公開で、多数の漁船員が被曝していた様子を記録した秘密文書が見つかった。

 これにより、当時の政府が国民には知らせなかったが、アメリカにはひそかに調査報告を提出していたことが暴露された。

 番組ではその事情を具体的に伝えていた。

 ● 広島から埋もれた真実の全体像を

 番組では、ビギニ事件当時の被曝状況を具体的に検証しようと活動を始めた広島大学名誉教授の星正治さんの調査活動を追跡していた。被ばく者の歯や血液にその当時の状況が記録されている。このことを、星さんたちはこれまでの広島原爆の研究からわかっていたからだ。

 今から60年も前の出来事について、その全体像が調査研究の成果として浮かび上がるのはまだ先の話である。が、埋もれた真実の全体像を明るみに出すことは、当時の多くの被ばく者はすでにかなりの高齢者となっており、

 国民の生命財産を守るには、今何が必要か

ということを知る基礎となり、第一歩となるだろう。

 調査研究をできるだけ急ぐとともに、今後の成果に注目したい。

  ● 注記 被曝文書あった 2014年9月20日記

 第五福竜丸を含めた当時の被曝乗組員や魚の放射能検査の結果を示す文書が、厚生労働省の倉庫から発見されたと同省が発表し、2014年9月19日に公表した。この文書には、第五福竜丸の検査結果だけでなく、国や自治体が調べた556隻の結果もまとめられている(重複を差し引いた実際の船数は473隻)。当時の魚の廃棄基準をこえる放射線が検出されたのは、このうち12隻(実数10隻)。この文書によって、第五福竜丸のケースが飛びぬけて、あるいは桁違いに高濃度被曝だったことがわかった。

 この報道の記事は以下の通り(いずれもダブルクリックで拡大できる)。

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「十三人の刺客」はなぜ興行的には失敗したか  「七人の侍」は成功したのに

(2014.08.10)  先日の木曜日、暑い中の正午過ぎ、近くの湖で仲間と取り組んでいるシジミ再生プロジェクトのボランティアから自宅に戻った。すると熱中症ではないかというほどにめまいがした。疲れと夏バテなのかもしれない。

 年を取ると、一日フル働きというのはもう無理。半日仕事が限度と悟った。そこで、横になってテレビをみていたら、BSプレミアムで

 映画「十三人の刺客」(工藤栄一監督、東映、1963年)

というのをやっていた。残酷な明石藩主の暗殺がテーマ。参勤交代の途中、国許に帰るところを、とある宿場町で13人の刺客が襲う。

 ● なぜ興行的に失敗したか

 前半がすぎた途中から見たのだが、面白かった。なにしろ、出演俳優がすごい。片岡千恵蔵、嵐寛寿郎、里見浩太朗と一人でも主役が張れる大物が三人も出ていた。

 もうひとつ、すごいと思ったのは、ラストの暗殺死闘の場面でなんと30分ぐらい続いていた。しかも、型どおりの殺陣ではない。刀を振り回してのまったくのリアリズムに徹していた。しかも、宿場町全体がワナだらけになっていて藩主側の50人以上の武士を刺客13人が追いつめるという活劇。

 こんなおもしろい映画があったのか、おそらく公開当時も話題を呼んだだろうと思った。が、なんとこの映画、内容はともかく、興行的には失敗だったらしい。

 なぜだろう。

 こんな面白いラストの集団死闘戦をクライマックスにもってきているのだから、人気が出ないはずはない。あの黒澤明監督の「七人の侍」(東宝、1954年)にだって負けない大ヒットになってもおかしくない。そんな感想を持ったくらいだ。

 黒澤の映画の場合、野武士たちの横暴に苦しむ百姓たちが7人の侍を雇い、彼らの助力により雨の中のラストシーンで、野武士たちを討ち果たすという痛快活劇である。こちらも、ラストの戦いは長い。しかも、7人の侍の主役は三船敏郎だったが、それとても大物俳優というのではなかった。

 ともに、下から目線であり、戦後民主主義に目覚めた大衆が飛びつかないはずはない。

 なのに、この違いは何だ

と考えてしまった。そこで気づいた。

 ● テレビの登場だけではない

 映像メディアの主役が、「七人の侍」の時にはまだ映画だったのに対し、「十三人の刺客」の時には、テレビ(白黒)の時代に交代しつつあったという時代背景があるように思った。

 映画館入場者数が「七人の侍」の時代には年間約8億人。その後11億人を超えたが、しかし「十三人の刺客」の時には約4億人と半減してしまった(ピーク時の3分の1)。その後の1960年代もその数は大きく減少し続けた(現在は、せいぜい年間2億人)。

  先ほどの違いは、ピークに向かって上げ潮のときにつくられた「七人の侍」に対し、急激な引き潮のときの「十三人の刺客」だったことから生じたのであろう。 

 一言で言えば、その違いの直接の原因は映画産業の斜陽化の中で起きた。

 しかし、それだけでは、刺客映画の興行失敗の説明には十分ではない。なぜなら、映像メディアの主役座の受け皿となっていったテレビがまだまだ成熟していないからだ。

 「十三人の刺客」の年には、テレビではまだ本格的なドラマは制作されていない。ただ、アニメとして、「鉄腕アトム」「鉄人28号」といったものが登場、子供たちに人気が集まってはいた。大人のテレビドラマが本格化するのは高度経済成長の1960年代後半からだ(1960年、池田勇人首相が10年で「所得倍増計画」を発表)。

 とすれば、映画衰退を早めた原因は何か。それはテーマだったと思う。侍とか刺客とか、暗殺という古い、そして暗いテーマより、大人の世界でも明るいテーマが求められ始めたのだ。

 実際、刺客映画公開の年、1963年には、映画では「いつでも夢を」(吉永小百合+橋幸夫、野村孝監督、日活青春映画)が大ヒットしている。これは戦後間もないころから根強い人気の映画「青い山脈」の1960年代版といえるだろう。

 しかも、この映画は明るい夢と希望をかなえる高度経済成長の前夜を象徴する映画だった

 その意味で、吉永小百合の「キューポラのある街」(浦山桐郎監督、日活青春映画、1962年)は、在日朝鮮人問題を扱ってはいるものの、暗い路線から明るい路線の分水嶺となった記念碑的で決定的な作品だったといえるだろう。

 そして、翌々1964年は東京オリンピックであり、テレビブームが急速に進んだ。

 先ほどの違いを生んだ原因は、経済成長とともに、過去ではなく、未来をみつめた明るい映画を見たいという映画ファン側の欲求の変化に時代劇製作者がついていけなかったこともあるのではないか。

 ● 明るい未来を求めた観客

 以上、まとめると、「七人の侍」の興行的な成功と「十三人の刺客」の失敗という違いを生んだ原因は、

 映像メディアの技術的な変化と、観客の欲求というソフト面の変化

という2つの要因に当時の時代劇制作者が十分対応できなかったこと

だと思う。

 昼下がりのめまいのあと、そんな風に劇場映画を、テレビでぼんやりと寝そべりながら考えてみた。

 それにしても、BSプレミアムも〝夏バテ〟なのか、このところ、やたら旧作映画の放映が多いのが気になる。

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ティンバーゲンの4つの「なぜ」

(2014.08.09)  先日、このブログで

 ファーブルは何を語ったか(8月3日付)

というコラムを書いたら、なんと生物の行動に詳しい方から、コメントをいただいたのには恐縮した。

 ブログでは、イギリスの進化論のC.ダーウィンと、フランスの昆虫記で知られるA.ファーブルを対立的に書いたのだが、その人によると、その後の研究の方向は、この二人の考え方を統合するようなものになっているという。

 ● 行動の直接的、進化的な要因

 具体的には、ファーブルに影響を受け、ノーベル医学・生理学賞(1973年)受賞の業績を上げたN.ティンバーゲン(イギリス人)は、1950年代にアメリカで行なった講義をまとめた名著『本能の研究』で、次のように書いている。

 つまり、動物行動の科学的研究(エソロジー)においては、同時に成り立たなければならない

 4つの「なぜ」という問いにこたえること

が重要である、と。その4つとは、

 行動の直接的な要因

   ①  (行動の仕組み) ある動機(解発刺激)がきっかけとなってある行動が引き起こされるその生理的、心理的、社会的なメカニズムとは具体的にどのようなものか

   ②  (行動の発達) その行動は、個体の一生において、どのように習得され、発達するか

 行動の進化的な要因

   ③  (行動の価値)  その行動は、環境との関係において、どのように適応的か、つまり行動の進化的な機能は何か

   ④  (行動の進化)  その行動は、系統的進化の過程において、どのように祖先型の行動から出現したか

である。

 直接的要因がファーブルの関心事であり、進化的要因がダーウィンの関心事であることがわかる。この両方に同時に、そして整合性をもってこたえるのが、動物行動学の研究目的だというわけだ。

 ダーウィンとファーブルの考えを、あれかそれともこれかというような二項対立的に捉えるのは、その後の学問の発達を考えると、適切ではないとのご指摘に、そのとおりであるとブログ子は大いに納得した。

 ①においては、その生物種の脳の構造と機能とが密接にかかわる問いかけである。どういうことが動機となって、解発刺激がもとになって構造を持つ脳はどういう機能を働かせるのか。その具体的な仕組みの解明がその生物の行動を理解する第一のかぎとなる。

 ● 昆虫と人間とは対極的な進化戦略

 外側からの観察と実験だけでなく、昆虫の脳の構造と機能にまで立ち入った研究では日本はなかなかすぐれた研究があることも、件のコメントの方は教えてくれた。

 たとえば、水波誠さん(東大教授、脳神経生物学)の

 『昆虫 驚異の微小脳』(中公新書、2006年)

である。これを読むと、旧口動物の進化の頂点に立つ昆虫の微小脳と、新口動物の進化の頂点に立つ人間の巨大脳の違いや共通点がおおむね理解できる。

 つまり、カンブリア紀に共通の祖先から分かれたであろう昆虫と人間は互いに対極的な進化戦略を採用することによって、今日の繁栄を築いてきたということが大筋でわかる。

 ● 小さな昆虫と、大きな人間の未来

 本人が気づいていたかどうかは別として、ダーウィンとファーブルはその観察と実験を土台にこの問題に迫ったことになる。すくなくとも、仮説としてその土台は築いた。

 だから、ここからいえることは、微小脳の昆虫と巨大脳の人間とは、どちらが進化的に優れているかという議論はナンセンスということになる。単に選択の問題に過ぎない。

 巨大な大脳を持ったから、人間は、あるいはホモサピエンスは、今日、地球上で最も繁栄できるようになったというのは、人間が陥りがちな虚妄だろう。

 仮にそうではないとしても、この思い込みが正しいかどうかは、これから、たとえば1億年後、どちらがこの地上で繁栄しているかで決まるだろう。

 ちなみに、それぞれの個体種数で言えば、約100万種の昆虫に対し、哺乳類のそれはせいぜい5万種で圧倒的に昆虫が繁栄している。

 こんなことにも思いを馳せることができたことで、今回のコメント者に深く感謝したい。

 そして、ふと思った。

 もし、ファーブルがあと60年長生きしていれば、ティンバーゲンらとともにノーベル医学・生理学賞を、本能の研究で受賞していたかもしれないと。

 ● 注記 ドイツ人、K.ローレンツ

 ティンバーゲンとともにノーベル医学・生理学賞を受賞したK..ローレンツは、鳥類の刷り込みといった本能の研究などで知られる動物行動学者。彼はダーウィンの進化論にも影響を受けたと自著で回想している。

   ● 補遺 ゾウの時間、ネズミの時間

  これも、ある知人から教えていただいたのだが、ファーブルの話で、

 昆虫には、未来も過去も存在しないのではないか。あるのは今、現在だけではないのか

と書いたことに対して、

 いや、ほかの動物にも時間はあるとのコメントをもらった。

 その証拠として、本川達雄さんの『ゾウの時間ネズミの時間』(中公新書、1994年)を紹介してくれた。それで思い出したが、確かにこの本には

 哺乳類の心臓の鼓動を時間の指標にした場合

 時間は、その動物の体重の4分の1乗に比例する

ということが書かれている。この式によると、体重が16倍も重い哺乳類は、心拍数では2倍ゆっくり鼓動することになる。逆に小さな哺乳類の心拍はこきざみに震えるように激しく動くというわけだ。確かにそうだろう。

 しかし、だから哺乳類には人間同様に、時間感覚がある、とまではいえない。なぜなら、これは生物のサイズにかかわる話。

 問題なのは、脳の情報処理において、未来や過去という時間のファクターはあるか、ということだ。昆虫の脳には時間の観念があるかという疑問である。

 人間には時間感覚はある。だから、ほかの哺乳動物にも人間同様かどうかは別にして、ともかく時間感覚はあるはずだ。ほかの哺乳類はもちろん、昆虫にだって未来や過去の感覚はあるのは当然だ。そんなことをストレートにいえるか、という問題だ。

 このコメントを知らせてくれた知人には悪いが、それは見当違いの指摘だ。

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丸山眞男とは何者だったのか

 (2014.08.06)  先日、ブログ子の暮らす団地内のごく親しい仲間との飲み会で、何の拍子か、

 丸山眞男とは何者だったのか

という話になった。みんなひと年とっているので、高名なこの政治学者を全然知らないという人はいなかった。

 が、その評価となると、これが、リベラルナな政治学者、東大教授だとほめそやす人もいれば、いい加減な知識人という人もいたりして評価がまちまち。というべきか、真反対に分かれた。

 ● リベラリスト ?  それともいいかげん派 ?

 団塊世代のブログ子は、東大闘争を知っているだけに「いいかげん派」である。 1967、8年の東大紛争のときの丸山氏の優柔不断というか、言葉巧みな転向ぶりが脳裏にこびりついている。

 似非(エセ)政治学者とまでは言わないが、当時、所詮学者とはこんなものかと、自分のことはさておいて、さっさと生意気にも切り捨ててしまったのを思い出した。

 しかし、本当にそうなのか、もう一度、丸山眞男について吟味してみてはどうか。当時東京在住で、東大紛争の様子をつぶさにみてきた飲み会の友人が諭してくれた。

 諭してくれただけではなく、最近、Eテレで放送された番組

 日本人は何を目指してきたのかということをテーマにした戦後史証言プロジェクト

の録画DVDまで貸してくれた。

 ●まやかしの「永久革命」論

 見てみたが、案の定、東大闘争における丸山氏の態度について、丸山氏の周辺にいた教授陣の内部からも批判する人が登場していた。

 番組の内容は、要するに、丸山氏は一貫して戦後のものも含め民主主義とは何かということを考え続けてきたというものだった。その答えの結論部分を要約すると、

 民主主義「永久革命」論

だった。もう少し敷衍すれば、たとえ戦後のそれはスカスカの民主主義であったとしても、またたとえ虚妄であったとしても、それは対話を通じて人間同士が横につないで永遠に改善していくプロセスであると考えればよいという主張である。

 だから民主主義には完成形などというものはない。また、だから上意下達でもないし、下からの下意上達というものでもない。民主主義は常に現在進行形というわけである。

 一見もっとものような気がする。しかし、これは民主主義とは何かという点から目をそらさせる

 ずるい「まやかし」

だと思う。なぜなら、これだと運動が挫折しても明日があるとして当面の失望はまぬがれる理屈になるからだ。もっと言えば運動の結果がどのような結果に終わろうとも、この考え方では次があるということになり、民主主義とは何かということにこたえたことにならない。元気の出るお話ではあるが、問題の先送りである。これでは精神的なマッサージ器とはなっても、政治理論ではない。

 丸山氏としては、かたい制度の下の民主主義にあっても、時々の政治状況にあわせて、理念や運動を柔軟に対応させていけばいいではないかといいたいのだろう。しかし、そんな融通無碍な無原則運動というのは、民主主義とは何かということを真正面から取り組まなければならない政治学のまっとうな理論でであってはなるまい。

  厳しい言い方だが、民主主義「永久革命」論は、皮肉にも民主主義「永久現状肯定」論に惰してしまっている。民主主義を否定する強権政治がまかり通っていてもなんら問題はない。明日があるからだ。これではご都合主義の逃げの〝理論〟ということになる。

 そもそも、プロセスの何が原因で失敗したのか、何が原因で成功したのかということについて、如何ようにも説明可能というのでは、科学的な理論ではない。

  ● 政治思想史研究では鋭さ

 これが、DVDを拝見した後も変わらぬブログ子の丸山「いいかげん派」の根拠である。

 ただ一つ、DVDを見て驚いたのは、社会運動家としての丸山氏は「いい加減」かもしれなかったが、政治思想史研究という政治学者の仕事の点では鋭かったと感じ入ったことである。これについては、ブログ子は無知だったし、また不明でもあったと反省した。

 具体的に言えば、江戸時代以来の君臣関係など儒教的な思想がその後の日本人の自由な政治思想形成をさまたげてきたという指摘。この点は実証的でもあり、鋭いと思った(『日本政治思想史研究』(1983年、東大出版会))。この著作で丸山氏は政治思想史研究に科学的で新しい方法論を打ち出したといえるだろう。

 もっといえば、この反儒教主義に着眼した点は『日本の思想』(岩波新書)でも貫かれており、日本の政治思想の根底というべきか、歴史の古層を掘り起こしたものとして高く評価したい。

 この点を考えると、なぜ丸山氏が、人の上にうんぬんで知られる福沢諭吉を高く評価していたのかという理由がよくわかる。

 以上まとめると、思想史という基礎研究では鋭かったが、政治思想の社会への応用という点ではまやかしがあった。

 このまやかしと思想史研究との整合性をとるために、民主主義「永久革命」論をとなえ、つじつまを合わせようとした。が、失敗した。

 これが丸山眞男の限界であり、また彼が何者だったかという点におけるブログ子の結論である。

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中田英寿「W杯観戦記」を読む

(2014.08.06)  先日、7月21日付きのこの欄で、

 日本はスペイン型パスサッカーを

というある大手新聞のコラムを紹介した。これを読んだあるサッカーファンから、ブログ子が書いたわけてもないのだが、珍しくお褒めの言葉をいただいた。

 ただ、そのコラムを書いたのは直接、サッカーをしている人ではなく、マスコミ人だったので、今ひとつ説得力に欠けるとのご批評を受けた。つまり、プロサッカー選手自身は今回のW杯をどう見たのか、このへんのコメントがないのが、おかしいと指摘された。

 その通りだと反省した。外野の話ばかりでは、岡目八目の効果があるとはいえ、結論に説得力がないとも言えよう。

 ところが、元日本体表で、8年前のドイツ大会で今回と同じように1勝もできずに1次リーグ敗退を味わった中田英寿氏のW杯観戦記を、つい最近読んだ。月刊誌「文藝春秋」8月号で、

 ブラジルで痛感したニッポンの限界 

  -  なぜ1勝もできなかったのか

という記事である。

 結論として、中田氏は、

 今回のW杯は日本にとって学ぶことの少ない大会になってしまった

と書いている。自らの体験に重ねての論考だけに、説得力があった。

 力の限り走って、繋いで、ゴールに向かうパスサッカーという「日本のサッカー」を貫くべきだ

としている。それが、勝つためのベストの選択だとも、観戦記で言い切っている。

 「その場しのぎのサッカーをくり返しても、そこからは何も学ぶことができない」

と監督批判ともとれる厳しい意見も飛び出した。

 そもそもこんなことも書いている。

 「この4年間積み重ねてきたのは、高い技術とスピードを活かしたパスサッカーだった」とした上で、初戦のコートジボワール戦について

 「しかし、(この)自分たちの長所を犠牲にしてまで守りを重視すべきだったのか」

と疑問を呈している。

 これは先ほどの

 スペイン型パスサッカーを

というのと同じ考え方。それは単に観客から見た「小が大を倒す醍醐味」なんかではない。元日本代表のスター選手の実感であり、それしか勝つ選択肢はないといいたそうな書き方だった。

 どうやら、今回の1勝もできなかった主な原因は、

 日本のサッカーはパスサッカーだ

という点を、本番で十分に徹し切れなかった結果だったといえそうだ。 

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風力発電、普及さまたげる3つの誤解

Image900_1 (2014.08.04)  原発事故から3年半、太陽光など再生エネルギーの利用が盛んになってきてはいる。が、どうもそのなかの風力発電には、国の誘導策にもかかわらず、今ひとつ日本では人気がない。

 この10年、日本は世界の動向にひとり、大きく遅れだしている。

 何が原因か。そこには風力発電に対する根強い3つの誤解がある。そんな記事が7月26日付き朝日新聞の「be」別刷に載っていたので、補足して紹介したい。

 ● 風力はお天気任せか

 第一の誤解。「風力発電はお天気任せの不安定な電源」。

 これについては、数百キロのエリアに点在する数百基の風車を電力連係線で結んで、供給変動をならしさえすれば、天候による変動を小幅に抑えることができて安定電源になる。風力発電設置の少ない初期段階は別として、その後は集合化を図れば、あるいは日本でも始まろうとしているので、この指摘は今となっては誤解であり、あたらないというわけだ。

 また、需要予測システムを導入すれば、さらに効率的には送電、あるいは配電でき、停電などということはまず起きないという。

 こうすることで、ヨーロッパのように基幹的な「ベースロード電源」にすらなり得る。

 第二の誤解。

 「風力発電は、ほかの電源に比べて発電コストが高い」。

 いまや再処理、廃炉費用など後処理費用のかかる原発よりも、メガソーラーといった大規模施設なら風力の発電コストは安い。平均して1kWhあたり10円前後と、少なくともほかの電源に比べても同程度である。

 太陽光発電の発電コスト30.1-45.8円よりは、断然安い。

 ● 現状は総需要電力の0.4%程度

 第三の誤解。「狭い日本では陸上ではもう立地の場所は少ない」。

 これについては、風力発電の関係業界で組織する日本風力発電協会のこの6月にまとめた報告書データによると、

 現在(2013年末)の風力発電総(累積)導入量は2.7GW(ギガワット)。

  1GWは10億ワット。

 これに対し、2050年の総導入目標量は、現在の約30倍の75GW。

 このうちの約半分が陸上立地が可能というから、資源量としては、まだまだ導入余地があることになる。

  世界風力エネルギー会議の統計によると、世界全体では、

 現在、この10年を累積した総導入量は320GW。

 このうち90GWと中国が総導入量で第一位。第二位はアメリカ(60GW)、三位ドイツ(40GW)。これが御三家で、日本はなんと18位に過ぎない。

 これでは日本の風力発電の現状が総電力需要量の0.4%程度にすぎないというのも、無理はない。

 ● 勢い増す中国の導入量

 これに対し、中国が一気に導入に力を入れるなど、この10年、世界全体では年平均の成長率で約20%というものすごい勢い。いわゆる幾何級数的なカーブを描いて風力発電の総導入量が増えてきた。

 これに対し、日本の総導入量の成長率は0%。つまり、これは毎年、一定導入量しか総導入量が増加しないことを意味する。いわば等差級数的なゆるやかな直線カーブでしか増大しなかった。このカーブは、世界の趨勢から言えば、ほぼ横ばい状態といっていい。

 この原因は、日本の上のような3つの誤解によるものだと記事は分析している。

 ● 出遅れ日本、35年後に今の30倍目標

 記事では計算されていないが、2050年での総電力需要量の「20%以上」をまかなおうという上記の風力発電協会の目標(35年後に現在の30倍の総導入量達成)には、

 平均年率にして、今後日本は10%以上の成長率

が必要になる。これは現在の世界の平均成長率の約半分である。

 ● 先頭に立つ意気込みを

 ひるがえって考えると、以上のような日本の現状は、脱原発の受け皿として再生エネルギーに力を入れてきたこの10年の成果としては、いかにもさびしい。原発事故で日本は世界の再生エネルギー利用の先頭に立とうという意気込みはどこにいってしまったのか、いぶかしくもある。

 太陽光だけでなく、誘導のための買い取り価格の引き上げ検討など風力資源の活用を加速させたい。

 ( 写真は、浜岡原発の立地する遠州灘での風力発電の様子 )

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『昆虫記』のファーブルは何を語ったか

Imgp4499 (2014.08.01)   晩年、30年をかけて書き上げた「昆虫記」(全10巻)で知られるフランスのA.ファーブル。「昆虫学的回想録」と名づけられたこの著作について、先月、NHKのEテレ「100分 de 名著」の番組が毎週1回、計4回にわたって紹介した。

 1910年完成というから、今からおよそ100年前に完成したこの本の解説にあたったのは、フランス文学者で昆虫好きでも知られる奥本大三郎さんだった。

 ● 息子へのレクイエムとして

 この本は、早世した、そして自分の志を一番受け継いでくれると信じていた次男の息子、ジュールのレクイエムとして、息子に語りかけるよう、わかりやすく書かれているという。決して学術論文調ではないのは、そのためだ。

 そこで、『種の起源』(1859年)で知られるイギリスのC.ダーウィンとほぼ同時代に南フランスで生涯を送ったファーブルは、

 この本で何を伝えたかったのか

そのことについて、ここにまとめておきたい。

 ● 種の多様性高める進化論

 第一。

 浩瀚なこの本の最終的な結論は、

 「(個体の)死は終わりではない。より高貴な生への入り口である」

ということだろう。より高貴な生への入り口とは

 生命は、食べる食べられるという循環を通じて、種の多様性を創り出していること

をさす。個体の死は種の多様性という新たな「生」につながっている。個体の死は終わりではない。

 この事実を、具体的な昆虫の生活史を生きたまま観察することでファーブルは息子に伝えたかった。

 種の多様性をになっているという意味では、どの種も平等であり、また種のなかの個体についても、無駄な生、あるいは無駄な死というものはない。

 これが、60年にわたり昆虫を観察しつづけてきたファーブルの到達した結論なのである。

 思うに、生態系が健全性を保っているということは、この「種の多様性」をより高めていることをさすといえるだろう。

 その意味では、個体の生や死に無駄なものはない。

 この結論から考えると、

 種の進化論というのは、

 ダーウィンの言うような、環境にどれだけうまく適応できるかという

 下等から高等な個体を生み出す自然選択あるいは弱肉強食のプロセス

などではない。そうではなく、

 種の多様性を高める平等な過程

のことであるということになろう。優勝劣敗思想とは無縁の平等思想の進化論に到達したのである。

 ● 本能とは何か

 第二。

 ファーブルは、昆虫の世界において、

 本能とは何か

という点を具体的に明らかにし、それを伝えたかった。

 狩りバチの獲物を生け捕るときの麻酔術など、もともと具わっている本能の精妙さ、見事さは驚くべきものであることを明らかにした。

 この本能の見事さ、精妙さからすると、神の存在を必要としないダーウィン進化論では、昆虫の生態はとうてい説明できない。本能というものは、小さな遺伝的な変異が偶然積み重なってできあがったというようなものではない。まさに神の御技としか考えられないというわけだ。

 ● 後戻りできない本能の愚かさ

 一方、本能の愚かさというのも、ファーブルは実験と観察から見事に示している。例としては、カベヌリハナバチの巣づくりを取り上げている。

 昆虫は、なぜか、状況の変化に応じて作業を中断、手順をやり直すという

 後戻り

ができない。本能のほかに知能が備わっている人間からみるとほんのちょっとのことなのに、

 後戻り作業

ができない。

 Imgp4498 これは、ブログ子が思うに、昆虫の脳の構造と機能の関係性のためだと思う。つまり、昆虫には、脳構造の制約から物事に前後関係や因果関係を知る手がかりとなる

 時間概念を認識する脳機能がない

からではないか。

 だから、おそらく、昆虫には、未来も過去も存在しない。あるのは現在だけなのだろう。わかりやすく言えば、昆虫にとってこの宇宙は時間のない世界なのだ。

 この意味では、ダーウィン進化論もファーブルの考え方も、自ら状況を判断し、次の行動を選択するという意味の

 主体性のある進化論、主体性の生物学

を否定していることになる。そんなことができるのは知能を備えている人間だけだというわけだ。これまたわかりやすく言えば、

 知能とは、時間感覚が認識できる能力

ということになる。

 動物については、大きく分けて、今から数億年前の古生代、

 昆虫類などの節足動物を含む旧口動物と、哺乳類など脊椎動物を含む新口動物

にわかれた。

 だから、主体性の進化論があるとすれば、それは少なくとも新口動物にかぎられるということになる。

 生命誕生時の細胞にも、旧口動物の昆虫にも、新口動物の人間にも、自発性という意味の「意志」はともにある。物質やエネルギーには外界に反応するだけで「心」というものがないのとは、ここが根本的に異なる。

 しかし、その心が宿っている生き物に自ら判断し次の行動を選択できるような主体性があるかどうかは、また別なのだ。心が宿っているためには、自動的な自発性ではなく、時間的な因果関係を理解した判断プロセスが必要なのだ。つまり、知能が不可欠なのだ。

 まとめると、脳が主体性の機能を備えるためには、少なくとも

 その生物に本能以外に、知能があること

が欠かせないことになる。このことをファーブルは、本能の愚かさの観察を通じて私たちに示したというべきかも知れない。本能と判断能力を持つ心の働きの違いを指摘し、

 なぜ生物に心が宿ったのか

という深遠な問題を突きつけたともいえよう。物質やエネルギーには心はないのに。

 ここには、物質、エネルギーのほかに、もう一つ、情報(の処理)という要素が深くかかわっているように思う。

 ● センス・オブ・ワンダーの感性を

 第三。

 最後に、ファーブルは、

 自然の不思議さに驚嘆する感性(センス・オブ・ワンダー)を持とうといいたかったのだと思う。

 生き物は神が創ったのか、それとも自然界が創り出したものか、そのいずれであっても、人間がこの感性を持っていないかぎり、自然が持つ奥深さは知りえない。

 そんなことをファーブルは、昆虫という、哺乳類とは別系統の(旧口)動物を通じて語りたかったのだろう。

 この感性を自らも持ったことが、元数学・物理教師だったファーブルが不朽の博物学者としてその名を歴史に残すことになった大きな要因だったと思う。 

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意外 ! ファンのない扇風機 

 (2014.07.31)  先日、この欄で冷蔵庫の話をしたが、買い換えるために、あちこちの家電量販店を見て回っていたら、

 羽根のない扇風機

を見つけた。たった一台だったが、最初は何に使うのだろうと思ってしまった。

 スイッチを入れてみたら、従来羽根のあったところにある輪っかの間から、なんと風が吹いてきたので、びっくりした。

 羽根がないのに涼しい風が吹く。

 これなら、小さな子どもがいる家でも、安心だ。

 Imgp471620140726 原理まではわからなかった。ところが、つい最近、朝日新聞別刷「Do科学」にその原理が図入りで紹介されていた(7月26日付「be」)。

 右写真がそれである。

 原理は簡単で、垂直な台座に上向きに羽根車が付いており、下からモーターを回し、輪っかのすきまから風が吹き出すというアイデアなのだ。

 言われてしまえば、簡単な原理なのだが、発想は素晴らしい。上に向かって風を起こし、これを水平な風向きに変えていたのだ。

 扇風機というものはこういうものという世の常識をくつがえしてしまった。

 

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司馬はなぜ「ノモンハン」を書かなかったか

 (2014.08.01)  戦後の日本人は何をめざしてきたのか、ということをテーマにした

 「戦後史証言プロジェクト 司馬遼太郎」(NHK)

を見た(7月26日夜放送)。本人の死後、本人と深くかかわった何人かの人物に証言してもらったり、回想してもらったりする企画である。理系出身のブログ子としては、同じシリーズの最初、

 湯川秀樹編

は、大学院時代、湯川さんの住まいのあった京都・下鴨神社近くに暮らしたせいもあり、興味深く拝見した。

 ● 22歳の自分への手紙

 一方、第四回目の司馬さんの場合、ファンということもあり、司馬さんの生涯をかけた小説家としてのテーマ

 日本人とは何ぞや

というのに、どういう証言が、あるいは最終的な結論が出てくるのかと期待した。司馬さんは、自分の小説について、よく知られているように、

 敗戦直後、22歳の戦車隊員だった自分への手紙のつもりで書いている

と語っている。

 なのに、

 そして、大学ではモンゴル語を学び、戦後には10年以上にもわたって、対ソ連戦車戦で大敗北を期し、極秘扱いにしたノモンハン事件(1939年)について関係資料の収集、あるいは事件にかかわった当時のエリート参謀へのインタビュー、さらには現地モンゴルにまで取材に訪れているのに、

 なぜ、小説化をしなかったのか、

 ブログ子は以前から不思議に思っていた。

 司馬さんにとって、自分の22歳につながっていったこの事件を小説化しないうちは死ねないはずなのだ。だから、この証言プロジェクトで何か、そのへんの事情について関係者の証言が得られるだろうと期待した。

 ● 小説化すれば気が狂う

 モンゴルに同行取材したこともある作家の半藤一利さんの証言によると、司馬さんは

 小説にするとすれば、気が狂ってしまう。それでも書けというのは、私に死ねということに等しい

という趣旨のことをもらしていたらしい。それほど、当時の陸軍省参謀本部作戦課や関東軍参謀部作戦課のエリート参謀(服部卓四郎、辻政信、瀬島龍三など)たちは、それ行けどんどんと不拡大方針の間でハチャメチャな思想と行動を行なったらしい。

 それでも、なんとか小説化したいと、ノモンハン事件にかかわり、生き残った連隊長、須見新一郎氏に自作の『坂の上の雲』を持参して、インタビューしたりした。つまり、好感した須見氏を主人公に小説化を目指していたらしい。

 ところが、後日、司馬さんと瀬島氏とが親しげに対談している記事を読んだ須見氏は、司馬さんを批判する内容の手紙を司馬さんに届けた。

 司馬さんは、これに衝撃を受けたらしい。このことも原因となってノモンハン事件のテーマには、主人公にするべき人物はいないと結論づけるに至ったのだろう。

 以上はプロジェクト番組での半藤さんの証言だが、半藤さんは、司馬さんの死後、司馬さんに代わって、

 ノンフィクション『ノモンハンの夏』(半藤一利、2001年)

を書いたとブログ子は思う。この作品は、事件をモスクワやベルリンの動きと連動させながら、軍内部の意思疎通の欠如、そこから生じる作戦の不統一さを暴き出している。

 だが、こうした事実をあばいただけではとても小説にはならないと観念した司馬さん。日本人とは何ぞや、という自ら発した問いかけに直接こたえることなく、72歳でこの世を去った。

 ● 書かないことで軍部を痛烈に批判

 明るい主人公もなく、また大敗を国民に極秘にしなければならないほどの事件など、あまりに暗すぎて、司馬さんの生理や小説家としてのスタイルには合わなかったのだろう。

 この無念さを、一言で言えば、ヒットラーのユダヤ人虐殺の場合同様、ユダヤ人哲学者、ハンナ・アーレントの言うところの、

 巨悪とは思考停止の凡庸さにある

ということであろう。思考停止の人間ばかりが登場する歴史事件を小説化することなど、とうていできない。気が狂うというわけだ。

 これが、22歳の自分への「書かれなかった」手紙の真相だろう。ある意味、小説家としてこれは何にもまして激越な手紙だともいえる。

 ● 補 遺 竜馬のモデル

 このプロジェクトを見ていて、面白いことを知った。あの『竜馬がゆく』の竜馬には、モデルがあったというのだ。それは、この小説を執筆連載中に日本に商社員として滞在していたハンガリー人、スティバン・トロク。

 ハンガリー動乱(1959年)でアメリカに亡命したが、動乱当時は革命家志望のブダペスト大法学部学生だった。当時竜馬の人物像づくりに苦労していた司馬さんは、東京滞在中のこの人物を取材した。いずれハンガリー大統領になるというこの明るい性格の青年の人柄にほれ込み、土佐を脱藩、幕末を駆け抜けた竜馬に重ねたらしい。

 知らなかったが、この事実は『街道をゆく』第25巻(1989年)で司馬さんが自ら回想している。 

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