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映画「第五福竜丸」は何を訴えたのか 

(2014.07.11) 映画監督だった新藤兼人さんがなくなって2年がたつが、先日、新藤さんが資金難のどん底の中で執念の制作となった

 ドキュメンタリー映画「第五福竜丸」(1959年)

を見た。幻のドキュメンタリーと言われたのが、事件から60年の今年、DVD化でなんとかよみがえった。

 南太平洋でビギニ水爆実験に遭遇、死の灰をかぶった乗組員23人。そのなかで最初になくなった無線長、久保山愛吉さんの死亡までの日々をほぼ忠実に追ったもので、愛吉役を宇野重吉、その妻役を乙羽信子が演じている。

 ● 「内部被曝」の恐ろしさを描く

 Imgp4395_2 観終わって、

 この映画は何を訴えようとしたのか

ということが気になった。

 結論を先に言えば、

 広島、長崎の原爆症という、放射線を直接あびる恐ろしさを描いたというよりも、「死の灰」という環境にまきちらされた放射能物質による「体内からの被曝」の恐ろしさを、久保山さんの死を通じて、まざまざと描き出し、告発したもの

といえるだろう。直接に「ピカドン」にあわなくても、降ってくる放射性物質が体内に取り込まれることで「放射能症」を引き起こす。この映画はその恐怖をつぶさに、そして具体的に映像化した。

 原爆、水爆の爆発瞬間の恐ろしさというよりも、その後にじわじわとやってくる体内に残留した放射能を持った物質の恐ろしさを描いたのだ。久保山さんの場合、それは6か月にわたる闘いだった。

 こうしたことが、ある程度知られるようになったのは、ずっと後の井伏鱒二の異色の小説、

 『黒い雨』(1966年、新潮社)

である。しかしそれが深刻な現実となって目の前にあらわれたのは、放射能症の後遺症に苦しむ多くの住民を生んだチェルノブイリ事故(1986年)、あるいは日本では、直接被曝ではあるが2人の作業員が事故3カ月後に多臓器不全で死亡した東海村JCO臨界事故(1999年)ぐらいからである。

 ● 死因は死の灰かぶった「放射能症」

 2009年に発見された久保山さんのカルテによると、

 死因は「放射能症」

である。死の灰をかぶったことによる肝臓機能障害など多臓器不全が直接の原因。東大医学部付属病院で直後に行なわれた解剖の結果、肉眼で見ても、骨髄や肝臓、脾臓などほとんどの内臓がはっきりと通常とは異なる変化を示していた。

 このことから、アメリカ側の言うような単純な血清肝炎(売血輸血に伴うウイルス感染)とは片づけられない。このことは、当時の生き残り乗組員、大石又七さんの手記『死の灰を背負って』(1991年、新潮社)でも、治療にあたった日本側医師団から直接聞いた話としてかなり具体的に証言されている。

 ● 新藤監督の先見性に驚く

 新藤監督は、この映画を制作する前、すでに

 「原爆の子」(1952年)

という映画も撮っている。その意味では、内部被曝の恐ろしさを描いた「第五福竜丸」への思い入れは並々ならぬものがあったであろう。

 福島原発事故後の今でこそ、放射線と同時に、環境にまきちらされた放射能物質による内部被曝の恐ろしさは一般に認識されている。が、事件のおきた60年前にはそうした認識はほぼ皆無であったろう。新藤監督の社会派らしい鋭い感覚が、独立プロの真骨頂を見せ付けるかのようにこの映画をつくらせたのであろう。

 ● 原発事故「3・11」後への教訓

 100歳でなくなる直前まで、新藤監督は、このほか「午後の遺言状」(1995年)、「一枚のハガキ」(2011)など、戦争をにくむ映画を撮りつづけた。

 今回の幻のドキュメンタリーとも言われた映画を見て、ブログ子は、

 新藤監督の先見性

に驚くばかりである。

 この先見性は、「3・11」という原発事故後の日本に多くのことを語ってくれていると思う。

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