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なぜエッシャーの絵「滝」にだまされるのか 

(2014.07.24)  先日、この欄で

 なぜ錯覚をするのか

ということを書いたら、ある若い女性から、

 エッシャーのだまし絵「滝」(オランダの画家、M.C.エッシャー1961年作、右図)

というのは、錯覚の科学ではどういうように説明されるのか、という問い合わせがブログ子に届いた。 110216taki_2

 ブログ子の場合、記憶の錯覚とか、思考の錯覚というのに興味があったから、あまり

 錯覚の芸術(トリック・アート)

については、よく考えていなかった。おもしろいなあ、というくらいだった。

 そこで、この問題について、少し考察し、次のような結論に達した。

 ● 背景という「新しい遠近法」の発見 

 三次元的な奥行きのある場面を、二次元のキャンバスにそうみえるように描きたいときは、よく知られているように

 遠近法の技法

を使う。十五世紀に活躍した万能の天才、レオナルド・ダ・ビンチなどは絵画制作でこの手法をたくみに活用していたことはよく知られている。

 消失点から放射状に広がる線を引き、それを基準に場面を構成する。そうすると、実際は二次元キャンバスなのに、人間の脳は立体的であるかのように認識する。決して平面であると正直には認識しない。つまり、過去の経験を織り込んだ脳自身の高度情報処理能力のおかげで、その場面は二次元場面なのにあたかも三次元の場面のように、脳が錯覚するというわけだ。

 これに対し、20世紀の画家、エッシャーは、消失点がなくても、遠近法同様の奥行き感を人間の脳に与える「だまし絵」があることを発見した。

 つまり、消失点に頼らない

 新しい遠近法

である。事実、「滝」のなかの水路は、どこまでも平行に描かれており、どこにも消失点はない。

  なのに奥行きがあるかのように人間の脳には感じる。その秘密は、エッシャーの「滝」でもわかるが、

 場面の奥に見える背景

である。これがあるために、消失点がないのに、これまでのリアルな経験からくる脳の高度情報処理のせいで、人間の脳は背景の手前に場面があるものと、遠近感を認識してしまうのではないか。

 つまり、背景がなければ、(消失点はないのだから)ただの二次元の模様にすぎない。また、描かれた場面に水が流れているように見えるために、奥行きを感じるように目から入った情報に脳自身が過去の経験から〝高度の〟、あるいはお節介な処理をしてしまうのではないか。

 このようにして、エッシャーの「滝」では、一見

 永遠にエネルギーが取り出される永久機関、つまり永久動力源ができるかのような錯視

が起こるのだろう。

 ● 脳をだます不可能物体、不可能図形

 エッシャーの絵「滝」は二次元だから、いわば

 不可能絵画

の具体的な事例。一般的には、不可能図形というらしい。

 これに対し、二次元のキャンバスには絵としては描かれたものの、それを実際に工作することは不可能な物体というのもある。

 たとえば、ペンローズの階段。一段一段上っていくと、いつの間にか上っているつもりなのに、結局元々の階段のステップに戻ってしまうようにみえる絵である。これだと、永遠に昇りながら、グルグル同じところを回り続けなければならなくなる。ら旋上昇階段にはならない。そんな階段は実際のリアルな三次元世界では工作できない。

 この階段を利用したのが、エッシャーの「滝」なのだろう。 

  ここまで書いてきて、ふと思いついた。お節介機能が働くのはどんな場合なのだろうかと。

 「滝」の絵もそうだが、また「ペンローズの階段」もそうだが、どうやら、人間の脳は、角っこの処理において、背景との関係でお節介な機能を働かせるらしい。これが、人に奥行きを感じさせる。そう感じた。

 このほか、自然に水が高いほうに流れていくように見えたり、何もしていないのに玉が上へ上へと重力に逆らって上っていったりするように見えるのも、背景が起因する脳の高度情報処のせいなのだろう。

 ここでも、お節介な機能は「角の処理」と関係があるように思う。

 脳のお節介機能が、人間に錯視を起こさせている。お節介という便利で効率的な認識機能には、こうした脳の思い違いをも人間に引き起こしている。

 (写真は、M.C.エッシャー「滝」(1961年) = 出典不明 ) 

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