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秋野不矩美術館を訪ねて

Imgp4432 (2014.07.10)  10年ぶりぐらいに、静かな山の中の秋野不矩美術館(浜松市天竜区二俣)に出かけた。日曜日の午後だったが、その静かなアプローチやそこから眺められるたたずまいにホッとした(写真上の2枚)。森に隠れるようにひっそりと建っているのがいい。いかにも女性らしい画家専用の個性的な施設である。

 館内を見て回った感想を一言で言えば、画業後半期の画風は

 やわらかいタッチで、平山郁夫さんのような描き方に似ている

というものだった。こういう言い方は、失礼な言い方かもしれないのだが、正直に言えば、シルクロードの平山郁夫さんに対し、

Imgp4434  インドの秋野不矩さん

というイメージを持った。

 たとえば、「ヴァラーハ」(1992年)。そのほか、「廃墟 II」という作品。1988年のインドへの旅行で目にした砂漠気候のカッチ地方の廃墟が描かれている( 写真右下= 同館が販売している絵葉書から)。

 「沼」(1991年)というタイトルの絵では、増水した泥沼の中で水浴びをする水牛の群れを高いところから見下ろすように描いている。全体的に薄暗い色調なのがいい。

  07_07_2_2 そういえば、チケットのデザイン図版に使われた作品(写真下= オリッサの寺院、部分、1998年)も、どことなく、平山郁夫さんの画風に似ているような気がした。

 力強いというよりも、静かな宗教的なものが伝わってくる。

 秋野不矩さんが文化勲章を受けたのが1999年、亡くなったのは2001年、91歳。

 そんな贅沢な時間を過ごした1、2時間だったと思う。

 07_07_0

  ● 補遺 不矩美術館の景観配慮について 2014年8月14日記

 この美術館のアプローチがとても心地よいものである理由とは何だろうか。そんな思いがあったが、放送大学の「環境デザイン 第14回」(仙田満東京工大教授)の講義を聴いて、ようやく理解できた。

 周りの自然環境のなかで、建物が一体感をかもし出しながら、近づくにつれてその視覚的な様相が少しずつ変化していくというストーリー

になっているからなのだ。短く言えば、心理学的な環境デザインという基本手法を取り入れている。

 もう少し、立ち入った言い方をすれば、この美術館は、緑多い天竜という自然環境に敬意を払ってつくられている。建物が自ら主張しない謙虚さをもっている。

 だから、訪れる人々にある種の心地よさを与えているというわけ。

 これとは対照的に、ブログ子が金沢市で働いていたときに出入りしていた建物は、周りの歴史的な建物を真上から睥睨するようなつくりになっていた。秋野不矩という画家の人柄がしのべるようで、ブログ子はつくづく感心した。

 こうなると、

 建築は人なり

ということになりそうだ。

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