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人はなぜ誤解するのか

(2014.06.05)  このブログを読んでくれる読者はありがたい。以前、この欄で

Imgp4110_1  思考の錯覚

あるいは

 記憶の錯覚

というのを書いたが、ある読者から、その感想とともに、関連で

 『誤解学』(新潮選書、西成活裕)

という新刊書が出ていると知らせてくれた。そんな学問があるわけがないと思ったが、著者は東大先端研教授であることを知った。それにしても、新しい学問であろう。

 読んでみたが、記号論理学のような話が延々と出てきて、内容を誤解するまでにも至らないほど、難しかった。ただ、宇宙工学の専門家らしい緻密さには感心した。

 誤解を生まないよう、科学・技術論文の作成ではさまざまな工夫をする。そのことを熟知している人が書いた誤解学だけに、ある程度説得力があった。文系のようなあやふやな論ではない。その意味で、この分野は、いずれ歴とした実証性のある「学」になるかもしれない。

 そうなれば、誤解を与えない話し方、書き方ルールというものも、科学的な根拠をもつ技術として、教育のなかに位置づけられ、普及していくだろう。

 ● はしょりすぎが原因

 以下、私見である。

 誤解とは、ある人の行動や言説について、論理的にはいくつかの解釈ができるはずなのに、ある特定の解釈や帰結のみに偏って理解することである。

 その場合、なぜ人は誤解をするのであろうか。

 西成さんは、いろいろむずかしいことを言っているのだが、誤解を恐れず簡単に言ってしまえば

 省略をしすぎることで起きる

ということになろう。いわゆるはしょりすぎである。

 そのとき、受け手側の思い込み、先入観あるいは偏見、さらには手前勝手な発想や付け加え、憶測、そして、記憶の錯覚、思考の錯覚なども重なって、誤解を生むというわけである。

 真意をつかむことのむずかしさが伝わってくる。また、真意は唯一つとは限らないことも誤解を生む原因だろう。

 ● 誤解はなくならず、必要悪

 それでは、世の中から誤解をなくすることはできるか。

 送り手と受け手の情報の非対称性があるかぎり、なくならない

とブログ子はこの本を読んで感じた。

 だから、西成さんは、

 (一時的に)悟る、つまり、真意を伝えることをあきらめることが肝心

と説いていたのが面白かった。つまり、簡単に言えば、冷静になるよう冷却期間を持てということだろう。

 西成さんは最後に、

 誤解は必要悪

とも語っていた。誤解は、人と人との間に情報のひずみをもたらし、それが社会の活力源になるからだというのがその理由。

 かつてブログ子は、ある大学で

 マスコミュニケーション論

を数年、講義していた。この経験から言うと、誤解学は、世論形成にも大きな影響を与える力があるように感じた。誤解を与える「ワンフレーズ政治」のあやうさである。

 はしょりすぎ政治の危険性だけでなく、テレビ放送、あるいは140文字以内のツイッターなどのSNSなどのあやうさの背景も知ったように思う。

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