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空海の風景 日本人とは何ぞやの旅

(2014.06.11)  司馬遼太郎さんが、連載「街道をゆく」で同道した画家の安野光雅さんに

 Ok_2 自分の作品で一番気に入っているのは何か

と聞かれて、

 『空海の風景』かなあ

とこたえたという。朝日新聞2012年5月ごろの「読書欄」に出ている安野さんが語るエピソードである。

 この話は、司馬ファンのブログ子にはいつも気になっていた。それではいつか、読んでみようとは思っていたが、しかしなかなか機会がなかった。

 ● 宇宙原理の総合理論化果たす

 定年で暇ができたので、思い切ってつい最近、単行本で読んでみた( 写真 = 中央公論社、1975年。「注記」参照 )。

 このエッセー風小説を読んでみて、なるほどと納得した。司馬さんのすべての小説のテーマは

 日本人とはなんぞや

というものだが、その旅を司馬さんの自由な想像力を広げてまとめた作品であることに気づいたからだ。

 今から1200年も前、日本に真言密教を導入したのが空海なのだが、読後感を今風に一言で言えば、

 私はお墓の中にはいませんの「千の風になって」(新井満のCD)と同じ境地が空海の思想であり、それはまた今の日本人の中にも脈々として受け継がれてきた

ということだった。だからこそ、このCDが爆発的にミリオンセラーになったのであろう。その理由がわかったような気がした。

 宇宙の原理といったような抽象性の高い密教思想に共感する土壌を今もなお多くの日本人は感性としては持っている。これは1000年前の空海の思想の影響であろう。中国思想のような物事の現実性や具体性をことのほか好む儒教的な文化とは異なる土壌である。もともとの密教の輸入元だった中国では、すっかり密教的な思想は消え去っているのとは大きな違いだ。

 このことは

 日本人とはなんぞや

ということを考えるとき、重要な視点だろう。つまり、空海の影響よりももっと前、平安時代はるか以前の現世利益の秘術を修行によって得ようとした、たとえば「役の行者」につながる考え方かもしれない。それが素朴ではあるが、日本独自に土着していたからだろう。

 空海はそれを洗練された総合理論として仕上げた。それが後世に残ってきたと考えられないか。

 ● 怪物などではなかった 

 もう一つ別の感想としては、

 空海も人間だ

ということだった。ねたみも、そねみも大量に持って人生を歩んだ。決して怪物などではなかった。司馬さんが、好きな作品としてこの風景を選んだのも、ひとつにはそのことがわかったからだろう。 

  ● 注記 2014年9月2日記

 空海については、空海の思想そのものを掘り下げた

 『空海の思想について』(梅原猛、講談社学術文庫、1980年)

がある。

 Kukai_2 現世、この世界を肯定する密教思想の魅力を解説している。梅原氏は、空海の風景について辛らつな批判をしているので、一読してみる価値はある。この批判で梅原と司馬は、最後は仲直りはしたものの、以後「犬猿の仲」となったらしい。

 近著では、空海学会幹事長の竹内信夫さんの

 『空海の思想』(ちくま新書、2014年)

がある。中世の弘法大師信仰によってベールにおおわれてしまった本当の空海の姿を、空海のテキストの本格的な校訂作業を通じて明るみに出している労作。

 そこから、

 日本文明とは何だったのか

という展望を開いてくれている、あるいはあらためてわれわれに再考させてくれているらしい(2014年8月24日付中日新聞朝刊「読書欄」評者=篠原資明京都大教授)。

 これは司馬さんの

 日本人とは何ぞや

というテーマにも肉薄することでもあろう。

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