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思考は言語で行われているか

(2014.06.25)  ブログ子は、文学や哲学であろうと、自然科学や数学であろうと、疑いもなく、

 思考はその人が習得した言語を駆使して、行なわれている

とこれまで、信じてきた。思考という知的作業が言語とは無関係とはとても信じられず、疑ったことはない。

 ● 心理言語学では否定

 ところが、先日の放送大学BS「認知心理学 心理言語学」番組(6月23日、高野陽太郎東大大学院教授)では、心理学者のほとんどは、

 思考は非言語的な操作である

と考えているという。思考は言語操作で行なわれているのではないというのだ。この思考には言語依存性はないということをさまざまな心理学的な実験結果から実証してみせていた。

 なるほど、依存性がなければ、古代ギリシャで発見された数学のピタゴラスの定理も、現代の日本人でも正しいと認識できるのはうなずける。アフリカのスワヒリ語の人たちにも、この定理の正しさは理解できるだろう。

 しかし、思考が言語操作で行なわれていないとすると、何が思考を支えているのだろうという疑問が、ブログ子には、どうしても解けない。

 ギリシャ語でなくても、どの言語で考えても、ピタゴラスの定理が正しいという結論に達するのは、思考に非言語依存性があるからではなくて、依存しているが人間の話す言語システムには、どの言語にも共通するより基本的な

 普遍的言語システム

が脳内にあるからだと考えればいい。そのシステムには各言語によって決められる未決定のパラメーター部分を持つ。そのパラメーターは、各言語ごとに後天的に習得、脳内にセッティグされる。この普遍言語システムが思考を支えている。このことが、見かけ上

 思考の言語依存性

を否定しているようにみえるだけだと考えれば、納得できる。

 第一、各民族の文化の違いが思考パターンの違いを生んでいるという思考の言語文化依存性が現実にあるではないか。このことはパラメーター説によって自然に理解される。

 ● 思考の非言語的操作とは何か

 仮に思考には言語依存性がないとするならば、思考の文化依存性をどう説明するのか、放送大学の講義では説明されなかったのは残念。

 この地球上の人類の歴史では数百、数千、いや何万の言語が生まれては消えていったはずだ。しかし、どの言語にも、その言語に意味を持たせるために必ず文法がある。文法を持たない言語は存在しない。これは思考の言語依存性を示す証拠ではないか。

 ただ、サルやイルカ、あるいはセミにも言語があるかどうか。おそらくあるだろう。あるとしたら、それは人類の普遍言語システムと同じか、異なるのかかどうか。

 それはわからない。

 ましてや、知的生命としての宇宙人、たとえば、大脳が三つもあり、その間で情報のやり取りが可能な高度な知的宇宙人と、大脳1個しかない人類が同じ普遍言語システムを持っているのかどうか。

 どんな高度な文明を持った宇宙人でもピタゴラスの定理は正しいと結論するだろうから、一見、地球人と同じ普遍言語システムを持っていると思いがちだ。しかし、地球人のシステムを抱合する、つまり矛盾しないより高度な普遍言語システムを持って思考しているとしても何らおかしくない。

 ただ、そうは言っても、どんな宇宙生物も、その思考の限界は、その普遍言語システムで決まるだろう。そして、そのソフトとしての言語システムは、普遍とはいえ、ハードの脳の構造で決まる。そして必ずハードの限界からくる思考の限界がある。つまり、いかなる生物にも、進化段階に応じて、知りえることには必ず限界がある。

 そんなことまで考えてしまった、あるいは考えさせてくれた講義であった。

 そして、ふと思った。このブログのここまでの思考も、日本語文章を綴ることでつむぎ出されたものである。日本語という言語なしには、思考の塊であるこのブログは成立しない。

 だから、思考は非言語的操作であるということは、どうしても納得できない。再び最初に戻ってしまうが、そもそも非言語的な操作とは具体的に何だろうか。

 ● 補遺 生まれたばかりの赤ちゃんの場合

 ただ、少し気になるのは、生まれたばかりの赤ちゃんは、まだ、どの言語もまったく習得していない。

 だからといって、赤ちゃんは思考していないとは言えない。機械と同じであるとはいえないからだ。

 これに対しては、赤ちゃんは、生まれたときすでに脳に刻まれている初期プログラムとも言うべき普遍言語システムの中で思考しているのかもしれない。これが正しいとすると、赤ちゃんはどの言語国の生まれであっても、みな同じ思考パターンを示すはずである。これは事実であり、正しのであろうか。

 どうも、ここまでくると思考が鈍ってきた。

 以下の写真は、ブログ子の暮らす団地の写真。

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