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卑弥呼の正体 = 北部九州の巫女王説 

(2014.06.14)  先日、この欄で近くの図書館に出かけた話をしたが、もう一つ、面白い月刊誌を見つけた。「歴史読本」2014年7月号で、

 謎の女王、卑弥呼の正体 徹底検証 ! 9人の卑弥呼説

というのを特集していた。卑弥呼とは、だれに比定されるのか、というのがテーマであり、この分野の9人の専門家にそれぞれの学説を述べてもらっていた。

 ブログ子は、京都で学生時代を過ごしたせいか、1970年代、日曜日などには歴史ファン仲間とよく奈良へ古代史の旅をした。それ以来、卑弥呼の墓は、なんとなくこのとき訪れた前方後円墳の箸墓古墳(奈良県桜井市)であると信じていた。その後、大規模な宮殿跡の巻向遺跡が近くから出土したから、九州説ファンには気の毒だが、これで卑弥呼邪馬台国は畿内説にほぼ決まりだと早合点していた。

 ● 説得力のある推論

 Photo_2 9人の学説では出雲族説、外国人説など面白かったが、思わずうなってしまったのが、

 卑弥呼の出身地は北部九州の遺跡からしか追えない

として、

 平原(ひらばる)1号墳(かつて伊都国があった福岡県糸島市)

に埋葬されている巫女王こそ、卑弥呼の正体であるとの「北部九州巫女王説」。高島忠平氏の論考である(写真= 同月刊誌から)。

  この墳墓からは2つの耳飾(イヤリング)が出土しており、当時の墓制からみて埋葬者が女性であることはほぼ間違いないという(この点では箸墓の場合より、説得的である。また大量の破鏡も墓室から見つかっている)。

 さて、なぜ追えないのか、という理由である。

 その理由が説得的であった。こうだ。

  魏志倭人伝によると、そもそも卑弥呼なる女性は「三十国で共立された女王」であり、鬼道にたけていたと書かれている。

 だから、弥生時代末期という当時にあっては「こうした巫女王成立過程と成長過程が読み取れるのは北部九州以外にはない。巫女王成立の歴史的過程が読み取れないところには、卑弥呼のような巫女王は浮上できない」というのだ。

 その上で、卑弥呼は三十国のどこかの国の出身だと合理的に推理している。

 つまり、著者の高橋氏は「ほかより抜きん出て四十面といった破鏡で封じ込められた強大な巫力・呪力を持つ人物ということになると、(平原1号墳の被葬者が)卑弥呼であってもよい」と、考古学的な状況証拠をもとに歴史学的に推論、断定はさけながらも結論付けている(写真下= 同特集より。写真のダブルクリックで拡大)。 

 ● 平原1号墳墓の築造年代に疑問点

 Imgp4127_2 ただ、この論考では触れられていないが、副葬品などから総合的に割り出した平原1号墳墓築造年代が2世紀後半と、卑弥呼の活躍した年代(3世紀前半)より、やや早いのが気にはある。考古学的な誤差の範囲内かどうか、この点を除けば、この学説、なかなか説得力がある。

 1号墳があと少なくとも50年下って築造されたことが明確になれば、卑弥呼時代と重なり、整合性としては申し分がない。これがブログ子が論考を読んだ感想である。この点を高島氏はどう説明するか、聞いてみたい気がする。

 この学説は、卑弥呼は北部九州で生まれ、育ち、その後に畿内で共立治世を行なったとする点で、邪馬台国九州説と畿内説の〝折衷案〟であるともいえそうだ。

 ● 唐突感のある箸墓古墳= 卑弥呼説

 歴史上の出来事というものは、前後の脈略もなしにある日突然立ち現れてくるものではない。歴史的な必然性という順序を踏んで進むものであるという視点から考察したこの学説の今後に期待したい。

 その点で、箸墓墳墓=卑弥呼説には唐突感があり、弱点があるといえるであろう。

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