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知略あれど胆力なし 慶喜論

Imgp4061_1 (2014.05.26)  先日のこの欄で、篤姫について書いたとき、彼女の目には、徳川慶喜は英傑などではなく、まじかに言葉をまじえて見た印象や一連の行動から、徳川家に対して「二心(ふたごころ)」のあるあやしげな男と写っていたと書いた。

 そんなことを徳川将軍家定の御台所、正室に思われた当の慶喜自身は果たしてどんな思いで、幕末の動乱期を駆け抜けたのか。一方聞いて沙汰するな、は彼女の信条でもあったから、その伝にならい、

 司馬遼太郎『最後の将軍 - 徳川慶喜-』(文藝春秋、1967)

を読んでみた( 写真 )。

 ● なぜ最後の将軍となったか

 読んで、司馬さん自身、明治100年ということで意を決して長年温めてきた構想を書き足し、書き足し書いてはみたものの、最後まで、この男の正体の核心をつかむことができなかったのではないか、という印象をもった。

 それほど慶喜は奇異な将軍だったといえそうだ。

 司馬さんの小説を読んで、ブログ子なりに慶喜像をイメージすると

 知略あれど胆力なし

ということが「最後の将軍」の正体ではないかと感じた。英傑に求められる先を恐れず最後までやってのける強い精神力がこの幕末インテリにはなかった。あるいは大きく欠けていた。

 大政奉還で政権をいとも簡単に投げ出したのも、そのせいだろう。大政奉還の前にも、肝心のところでの投げ出しを何度も行なっている。また奉還後でも大阪城から1万の将兵を置き去りにして自分ひとりだけが江戸城に軍艦で逃げ帰っている。

 胆力なき智謀の人。

 これが最後の将軍の正体だろう。

 もっとはっきり言えば、手先の器用な人ではあったが、強い精神力と器量が求められる英傑などではない。それとはほど遠い存在だったと思う。

 にもかかわらず、後世に、できれば、千歳、青史に列するを得ん、という壮大な自己愛だけは強かった。そのために歌舞伎役者ばりの役者であったりもした。篤姫や勝海舟においては、身を切るよりもつらい自己犠牲の上に、それを得たのとは大きく異なる。

 このことが篤姫をして晩年まで慶喜を「二心の人」と思わせた原因ではないか。これが、この本を読んだ結論的な感想である。

 蛇足だが、念のために付け加えれば、慶喜には、人間らしい野心や二心などなかった。

 ● 異常なまでの写真好きの正体

 ブログ子は、静岡県に暮らすようになって、4年前2010年12月、静岡市美術館(静岡市、葵タワー)で開かれた

 「家康と慶喜」展

を浜松から見に行ったことがある。そのとき、「最後の将軍」というコーナーを見て回って、慶喜自身を撮影した「古写真」や描かせた肖像があまりに多いのに驚いた。

 その時の印象を一言で言えば

 幕府瓦解までは写真に撮られるのが異常に好きな男であり、瓦解後は写真を自ら撮るのが異常に好きな男

というものだった。今にして思えば、後世に自分を偉人として残したいという慶喜の心のうちが透けて見える光景だったと気づいた。

 英傑などではなく、むしろ稀代の俗物だった

といえば、言いすぎであろうか。 

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