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2014年5月

心にごちそうを  『コモン センス』

(2014.05.31)  キャッチコピー「心にごちそうを。」というのがよかったのだろう、びっくりするほどの賑わいだった

 「世界の書籍展」(アクトシティ浜松イベントホール)

に先日でかけた(  写真上 )。会場内の写真の撮影はできなかったのだが、メモを取ったりして、十分に楽しめた。

 ● 圧巻の『レ・ミゼラブル』

 Imgp4099_1 ビクトル・ユーゴの名言

 天空よりも壮大なる光景

 それは実に人の魂の内奥である

が書かれている

 『レ・ミゼラブル』(1890年)。

 百科事典かと思われるような堂々たる5巻本で、印刷では日本紙も使われたという。

 フランス革命後の19世紀、一切れのパンを盗んだがために投獄された主人公、ジャン・バルジャンの過酷で波乱に満ちた人生を描いたものだ。これほどまでもの大長編になったのには、天空よりも壮大なる光景を描きたかったユーゴの執念があったからだろう。

 ブログ子の目当ては、

 トマス・ペインの『COMMON SENSE(コモン センス』(1776年、初版本)

を実際に見てみたいというものだった。フィラデルフィア発行( 写真下= 同書籍展のポスターから(部分)。写真のダブルクリックで拡大 )

 イギリスの植民地だった当時のアメリカが独立することの正当性をわかりやすく訴えたものであり、アメリカ独立宣言(1776年7月4日)の土台となった政治思想書。

 独立するかどうかの判断は、植民地の民衆の固有の権利であり、その総意は本国イギリスの法制とは関係ないことを、直截な表現でわかりやすくに訴えている。

● アメリカ繁栄の土台築く

 4章からなる、わずか数十ページの小冊子であったのには、驚いた。大きさも現在の新書版を少し大きくしたくらい。装丁らしい装丁ではないのも印象的だった。

 Imgp4103_1_1 同じガラスケースの隣りに展示されていた

 『プラトン全集』(全1巻本、1534年)

の浩瀚で、勝手に本を開けられないよう「止め鍵」のようなものまで付いていた見事な本(表紙は木版に皮革装丁)とは、同じ思想書といっても雲泥の差である。

  どちらのほうが、後世に影響を与えたか。

 一概には言えないが、ブログ子には、現在のアメリカの科学・技術の姿をみるにつけ、ペインの偉大な書に軍配を上げたいと強く感じた。

  ● 補遺

 余談だが、書籍展では、1860年代の南北戦争のアトランタを舞台にした

 『GONE WITH the WIND(風とともに去りぬ)』(M.ミッチェル、1936年、初版本)

も出品されていた。生々しい奴隷描写が大きな波紋を呼んだ。1939年には映画化され、世界的なヒットとなった。

 ミッチェルは地元紙アトランタ・ジャーナルの記者だったが、この作品を書くきっかけとなったのは、足の骨折で一時寝たきりになったこと。読書好きの彼女は毎日のように小説を読んでいた。しかし、ある日、ふと夫にすすめられて、自分でも小説を書いてみようと決意したという。

 記者らしく、まず、結論や見出しを決め、短い原稿を書く。それを少しずつ積み上げて長編に仕上げたというエピソードが残っている。彼女にとっては、最初で最後の思いがけない不朽の大作となった。

 当初は、どの出版社も、奴隷描写があまりにリアルに書き込まれていることもあって、本を出すことに二の足を踏んだり、はっきりと拒んだようだ。だが、彼女はあきらめなかった。

 どうしても書きたいものがありさえすれば、こうした方法で生涯に少なくとも一作は、反響を呼ぶかどうかは別として、作品を残すことができることを見事に証明したともいえよう。

 そんなことを考えながら、会場の初版本に見入ったことを正直に書いておこう。

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最後の団塊世代、闘ってこそ人生

(2014.05.31) ブログ子よりも2歳年下というから、

 最後の団塊世代

だろう。65歳定年まであと1年半という

 動労千葉前副委員長で、これまた「前」の動労総連合前委員長の君塚正治さん

の労組活動40年を聞くこじんまりした交流会に参加した。会合は浜松市内で開かれたが、動労総連合というのは、今から27年前の旧国鉄の分割・民営化に今も強く反対するなど、闘う労組として知られる動労千葉、動労水戸など全国4組織を束ねている。

 ● 君塚正治さん、労組活動40年を語る

 今の動労(国鉄動力車労働組合)といい、今の国労(国鉄労働組合)といい、もともとは旧国鉄の労働組合なのだが、1970年代末、動労千葉は、路線対立から動労から分離独立した。

 君塚さんが国鉄に入社したころの1970年代は、生産性向上をめぐる労使対決の労働運動がおおいに盛り上がった。

 それが、一転、1980年代になると巨額の累積債務(赤字)をめぐって

 国鉄の分割・民営化論議

が国民的な関心事になる。5年以内に分割・民営化すべきとの土光臨調答申(1983年)、国鉄や電電公社の民営化が焦点の衆参同日選挙(1986年)で圧勝した自民党は、この国民の支持を背景に分割民営化を断行、今のJRが誕生(1987年4月)。

 JR時代に入るや、労組協調が定着、若者の労組離れが急速に進んで現在にいたる。

 君塚さんは、労使協調という名の下、経営側による強引な合理化が、今のJR北海道のずさんな保線管理や余裕のない危険なダイヤ運行を生んできたと話してくれた。徹底した合理化や外注化の弊害である。

 そんな話をそばで聞いて、ブログ子は、

 そもそも闘わない労組とは何なのか、労使協調の実態とは何か。労働者の生活向上のために闘ってこそ労組なのではないのか

と、労組自身のあり方を鋭く批判しているように感じた。

 ● あなたは何と闘ってきたの

 かつて君塚さんは、団塊世代のメッセージ「いつでも夢を」シリーズに写真付きで新聞に大きく取り上げられたことがある(朝日新聞2006年1月4日付)。

 人生、熱く語りたいね

と語っている。

 交流会での熱き語らいを聞いて、定年前の君塚さんは

 闘ってこそ人生だ

と問いかけているように思えた。そして、それはまた、

 「同じ団塊世代として、あなたは何と闘ってきたのか」

とブログ子に鋭く問いかけているようにも感じた。

 同じ世代として自らこの30年を振り返り、忸怩たる思いの交流会だった。

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 ( 似顔絵は、20年前の金沢時代のブログ子= 画家、故宮田耕二氏(元日本美術会会員) ) 

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ん ? 浜松県って

Imgp4027_120140517 (2014.05.26)  このところ幕末の小説ばかり読んでいたのだが、ふと明治維新で行なわれた

 廃藩置県(明治4年7月)

というのは、具体的にわが県、静岡県ではどのように行なわれたか、というのが気になった。それまでの藩を廃止し、新たに政府が官選県知事を送り込む県が設置された。そういうことは概念的には高校の日本史授業以来、知っていた。

 が、具体的に、どのように移行したのか。そんなことが知りたくて、ブログ子の暮らす近くにある浜松市博物館の

 地図・絵図 近世から現代への変遷

というのに出かけた。その会場で企画者が自ら解説する

 ギャラリートーク( 写真上 =5月17日同博物館)

はその変遷を具体的に知る上で、大いに助かった。

 ● 明治9年に静岡県と合併

 驚いたのは、明治維新以後しばらくの間(廃藩置県の明治4年から9年の5年間)、県内には浜松県というのが、中部の静岡県(と東部の足柄県)と並存していたということ。それまでの浜松藩、相良藩、横須賀藩、掛川藩など遠州一円をまとめ、廃藩置県で浜松県になったらしい。

 考えてみれば、当然といえば、当然の成り行きなのだが、馴染みがなく、驚いた。

 その後、人口約41万5000の浜松県は東部の静岡県と合併した。以後は、分離の動きもあったものの、県としては今日までこの状態が引き継がれてきた。大井川を挟んで今も浜松市と静岡市が文化的に異質だといわれるのも、むべなるかなと、金沢から5年前に転居してきたブログ子も納得した。

 ● 明治44年に市に

 Imgp4032 その後、明治22年の市町村制により、

 浜松町

が誕生(町役場は今の中区紺屋町に設置)。そして、少しずつ大きくなって、明治44年の市制施行で、

 浜松市

が誕生した(市役所は今の中区紺屋町)。その後も編入や合併が続いて、戦後の昭和28年ごろの地図は、写真下のような状態(= 最新浜松地方新地図。これは中日新聞社が発行)。

 ● 昭和大合併から平成大合併へ

 さらに、昭和30年代の大合併の時代を経て、中核市に(1996年)。

 その後、平成の大合併で、付近の11市町村を取り込んで人口約80万超の現在の浜松市が完成する。2007年には政令指定都市となる。

 ブログ子が引越ししてきたのは、この政令指定都市施行直後であったことを、あらためて知った次第。

 近くに博物館があると、いろいろ地元の過去についてわかってきて、便利なことをあらためて認識した。

 ( 昭和28年の下の地図では、ブログ子の暮らす佐鳴湖周辺はまだ浜松市には編入されていない。大合併の始まった昭和32年の入野村の編入で浜松市になった。上記の最新浜松地方新地図の部分拡大)

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STAP現象 「細胞の意思」について

(2014.05.25)  ちょっと目立たないのだが、毎日新聞には「発信箱」というコラム欄がある。1面コラムとちがって目立たないだけに、その分、筆者は思い切った持論や主張ができるという利点がある。

 ● 毎日新聞コラム「発信箱」から

 先日、この欄(5月16日付朝刊中面)を見ていたら

 STAP効果

というのが出ていた。ライターは科学に強く論説も書く青野由利編集委員。

 一連の小保方論文騒動には、「科学と社会」の間の溝を埋める格好の機会となったという「効果」があったと評価。その上で、だから、とかく再現実験に及び腰の理研は逃げることなく、STAP「現象」の存否に真剣に取り組んでほしいと〝激励〟していた。

 その通りであると思う。

 ● STAP現象は存在する

 ところで、STAP現象、つまり、体細胞が筋肉やリンパ球などから逆戻りして、ある刺激によって多能性細胞ができる現象については、小保方論文をもってその存在を信じろというのはもはや無理。だが、科学的に探求すれば、かならず存在するであろうとブログ子は確信している。

 Imgp2262_1 こうした確信は、ブログ子だけでなく、発生生物学者なら、たいてい科学的な仮説として信じていると思う。今回の小保方さんの後ろ盾で、論文共著者の笹井芳樹理研副センター長も「有力な仮説」と評価している( 注記 )

 ただ、マスコミ人ならいざしらず、客観主義を旨とする欧米流のプロとしてなかなか、

 「細胞は生き続けたいと思っている」

などとは堂々とは言い出しにくいだけだと思う。そんな主観的なことを言えば、学会から笑われてしまうからだ。研究者失格の烙印を押されかねない。

 ところが、たとえば、大阪市立大教授だった発生生物学者、団まりなさんの

 『細胞の意思 自発性の源を見つめる』(NHKブックス、2008年、写真)

には、一章を設けて、細胞は生き続けたいと思っていると考えなければ、とうてい考えられない現象を、自らの研究結果をもとに具体的に挙げている。この章の中で、団さんは

 すべては「細胞の意思」を認めることから

と力説している。この主観の含む考えを、本心はともかく、表向きまったく否定する生物学界会の研究姿勢の頑迷さを、具体的な現象を挙げて批判している。この本の帯には

 思い、悩み、決断する細胞たち

とまで書いている。

 ブログ子は、STAP:現象は「細胞は生き続けたいと思っている」ことの現れであろうと思う。人間同様、細胞にも自律性も自発性もある。ストレスがかかったとき、さあ、どうするかと細胞は自ら脱出方策考えているのである。

 ● 日本から「ハイブリッド科学」を

 05_20_0_1 そんな思いは、専門研究者を別にすれば、理系出身のブログ子ぐらいかと思っていたら、なんと思想家で知られる中沢新一氏が「週刊現代」2014年5月10日17日合併号の

 アースダイバー STAP細胞論( 写真左)

で、論じている(写真のダブルクリックで拡大)。

 「人間側では、細胞にストレスを加えるなど、変化のための環境を整えてやるだけで、あとは生命に内在するある種の「知性」が、自分を初期化していく行動にでるようになる。人間の知性と自然知性の合体が、そういう状態をつくりだすことができる、というのがSTAP細胞の発想である。」

と書いている。

 「この発想のハイブリッド科学たるゆえんである。そしてまちがいなく未来には、このようなハイブリッド科学が主流になる、と私(中沢氏)は考えている。」

と断言している。その断言の根拠として、人工と自然が協力しあう日本人好みの思考法ときわめて相性がいいこと指摘し、明治神宮の森づくりなど具体例を挙げて論じている。

 ● 現象の可能性、葬るな

 ブログ子は、現在、浜松市の佐鳴湖で、ほとんど絶滅してしまったシジミの再生に取り組んでいる。が、水環境に少しだけ人手をかけて、あとは自然の再生能力に任せるのがもっとも有効な方法であることを身にしみて感じている。

 中沢氏の論考には、文系からの指摘ではあるが、十分に傾聴に値する。

 理研の再現追試には、新しい生物学の考え方を導入する重大な役目がある。予断は禁物であり、おざなりな検証で、せっかくのSTAP現象を自らの手で葬ってはならない。

  ● 注記 夢の細胞

 このほか、共著者だった若山照彦山梨大教授も、論文取り下げに同意はしたものの、事件3か月後に週刊誌記者の取材に応じ、

 「生物学的にSTAPのような細胞の存在する可能性はある」

と語っている(「週刊文春」2014年6月19日号、独占告白)。さらには

 夢の細胞

とまで語り、その存在に強い関心を示している。

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なるほど ! あるんだネ「思考の錯覚」

(2014.05.25)  先日、冤罪を生みかねない「記憶の錯覚」というのを、このブログで書いたら、高校の先生から、恐ろしい話であるとのお褒めの感想をメールでいただいた。

 Imgp4046_1_3  記憶の錯覚ほどではないが、このブログのテーマ、常識を一度は疑ってみようというテーマに関して面白かったのは、

 思考の錯覚

というBSの最近の放送大学講義「錯覚の科学 思考の錯覚と認知バイアス」。

 思考の錯覚というのは、簡単に言えば、人間の思考パターンには論理的ではない、いわばクセがあるというもの。論理の関係性に思い込みがあると言い換えてもいいかもしれない。

 ● 確証バイアス

 その一つに、人の思考には、確証バイアスといって

 自分の信念を裏付けたり、支持したりする情報に注目しがちであるというクセ

がある。逆に

 Imgp4050_1 信念を否定したりする、あるいは反証となる事実については、無視したり、否定するクセ

があるという。確かに、その通りである。人間、反証思考には弱いのだ。

 写真のような

 「ポジティブフィードバック 予期の確証」

というのもある。信念を裏付けることが事実(リアリティ)として起きると、人はますますその信念を正しいと確信するという正のフィードバックが思考パターンとなる。

 たとえば、ブログ子は、

 晴れ男

と強く信じている。これなども、よく考えてみると、科学的な合理性はほとんどない。偶然に過ぎない。それはわかっているのだが、何故だか、肝心のときになると、必ず晴れてくれるという経験ばかりしていたので、ちょっと不思議な気がしていた。

 その謎解きを講義ではしていた。

 それが、下の写真(= 同放送番組テレビ画面から。5月23日放送)

  そのポイントは、都合の悪いこと、予期しないこと、起こらなかったことには注意が向かない

というわけなのだ。

  ブログ子がいないときでも、当然だが、晴れることはある。しかし、ブログ子自身はそこにいないこともあって、そんなときのことは無視してしまう。ここに確率論的なバイアスがかかり、思考結果にゆがみがでるというわけだ。

  ● 錯覚をなくす四分割表

 Imgp4057_1 そういう思考の錯覚に陥らないためには、写真にも出ているが

 フレームワークという四分割表

で、そういう事態に注意を向けると錯覚からまぬがれる。

 とてもシンプルな授業でよかったと思う。

  ( 写真はいずれも、放送大学番組テレビ番組から )

Imgp4058_1

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知略あれど胆力なし 慶喜論

Imgp4061_1 (2014.05.26)  先日のこの欄で、篤姫について書いたとき、彼女の目には、徳川慶喜は英傑などではなく、まじかに言葉をまじえて見た印象や一連の行動から、徳川家に対して「二心(ふたごころ)」のあるあやしげな男と写っていたと書いた。

 そんなことを徳川将軍家定の御台所、正室に思われた当の慶喜自身は果たしてどんな思いで、幕末の動乱期を駆け抜けたのか。一方聞いて沙汰するな、は彼女の信条でもあったから、その伝にならい、

 司馬遼太郎『最後の将軍 - 徳川慶喜-』(文藝春秋、1967)

を読んでみた( 写真 )。

 ● なぜ最後の将軍となったか

 読んで、司馬さん自身、明治100年ということで意を決して長年温めてきた構想を書き足し、書き足し書いてはみたものの、最後まで、この男の正体の核心をつかむことができなかったのではないか、という印象をもった。

 それほど慶喜は奇異な将軍だったといえそうだ。

 司馬さんの小説を読んで、ブログ子なりに慶喜像をイメージすると

 知略あれど胆力なし

ということが「最後の将軍」の正体ではないかと感じた。英傑に求められる先を恐れず最後までやってのける強い精神力がこの幕末インテリにはなかった。あるいは大きく欠けていた。

 大政奉還で政権をいとも簡単に投げ出したのも、そのせいだろう。大政奉還の前にも、肝心のところでの投げ出しを何度も行なっている。また奉還後でも大阪城から1万の将兵を置き去りにして自分ひとりだけが江戸城に軍艦で逃げ帰っている。

 胆力なき智謀の人。

 これが最後の将軍の正体だろう。

 もっとはっきり言えば、手先の器用な人ではあったが、強い精神力と器量が求められる英傑などではない。それとはほど遠い存在だったと思う。

 にもかかわらず、後世に、できれば、千歳、青史に列するを得ん、という壮大な自己愛だけは強かった。そのために歌舞伎役者ばりの役者であったりもした。篤姫や勝海舟においては、身を切るよりもつらい自己犠牲の上に、それを得たのとは大きく異なる。

 このことが篤姫をして晩年まで慶喜を「二心の人」と思わせた原因ではないか。これが、この本を読んだ結論的な感想である。

 蛇足だが、念のために付け加えれば、慶喜には、人間らしい野心や二心などなかった。

 ● 異常なまでの写真好きの正体

 ブログ子は、静岡県に暮らすようになって、4年前2010年12月、静岡市美術館(静岡市、葵タワー)で開かれた

 「家康と慶喜」展

を浜松から見に行ったことがある。そのとき、「最後の将軍」というコーナーを見て回って、慶喜自身を撮影した「古写真」や描かせた肖像があまりに多いのに驚いた。

 その時の印象を一言で言えば

 幕府瓦解までは写真に撮られるのが異常に好きな男であり、瓦解後は写真を自ら撮るのが異常に好きな男

というものだった。今にして思えば、後世に自分を偉人として残したいという慶喜の心のうちが透けて見える光景だったと気づいた。

 英傑などではなく、むしろ稀代の俗物だった

といえば、言いすぎであろうか。 

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強要されたわけでもないのに、人はなぜ無実の「自白」をすることがあるのか 記憶の錯覚

(2014.05.23)  先日、最高検察庁は、全国すべての裁判所において、重大犯罪を裁く裁判員裁判を対象に、取り調べ段階での録音・録画の部分的な可視化を正式に導入することを決めた。

 部分的というのは、自白調書作成段階のことを指すのだが、これまで不祥事相次いでいた検察改革の一環として試行してきた。警察捜査も同様に正式採用となる見通し。

 これに対し、日本弁護士連合会は全面可視化でなければ、足利事件など相次ぐ冤罪はなくならないとしている。可視化のあり方については、現在、国の法制審議会の部会論議が大詰めを迎えている。

 Imgp3977_1 この問題には、可視化は何のために行なうのかという目的によって、二つの側面がある。一つは、裁判員裁判における自白調書の任意性を迅速に、かつわかりやすくするためというのがある。もう一つは、近年相次いた再審無罪事件では強引な取調べによる自白の強要という背景がある。可視化はそうした強要に歯止めをかける強力な手法というわけだ。

 ● 放送大学「記憶の錯覚」から

 ところが、先日、BS放送大学の錯覚の科学という番組のなかの「記憶の錯覚」(2014年5月16日放送)を見ていたら、可視化だけでは、冤罪を防止することはなかなか難しいということに気づいた。

 つまり、

 別に強要されたわけでもないのに、面接者(取調官)とのやりとりをくり返すうちに、人は知らず知らずのうちにやってもいない無実の「自白」をしてしまうことがある

という記憶の錯覚について、解説していたのだ。

 ● 記憶の植え込み効果

 どういうことか。こうだ。

 具体的に経験していないのに、それを想起し、何回か面接者と応対しているうちに、最初は当然ながら、まったく経験したことを語ることができない。しかし、なんと、それが、次第に本気で経験していないことを詳細に語るようになる

ということをさまざまな実証実験で示していた。

 記憶の植え込み、インプランテーション効果というらしい。意訳すれば、

 偽りの記憶効果

という恐ろしい現象である。誘導とは違い、本当に被験者は体験したと信じてしまうのだ。

 ● 目撃者の誤情報効果

 また、放送に登場した認知科学者は、目撃者が見ていないものを思い出すという

 誤情報効果

も紹介されていた。目撃者への質問内容が、目撃者の記憶をゆがめてしまうのだ(写真=同放送大学番組テレビ画面から)。

  目撃者の証言には、証拠採用に当たっては、よほど注意が必要なことをうかがわせる。

 これらは、たとえ取り調べ段階の全面可視化を実現したとしても冤罪がなくならない可能性を強く示唆している。

 取り調べの可視化はどこへ向かうのか

ということが今後注目される。しかし、どの方向に向かうにしても、こうなると、取調べ段階の自白調書作成では、最新の認知科学の知見を取り入れた慎重な質問の仕方など工夫が冤罪防止に不可欠と捜査関係者は銘ずるべきだろう。

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もう一人の勝海舟  読書ノート

Imgp3972 (2014.05.23)  作家、子母澤寛の『勝海舟』(全6巻)を読んだ感想を先日、この欄で書いたが、その関連で、幕末という同時代を江戸城大奥に生きた御台所の生涯を描いた

 『天璋院篤姫』(宮尾登美子、上下2巻、講談社、1984)

を読んだ。

 読んだ感想を一言で言えば、

 女の生き方として「清く、正しく、美しく」という言い方があるが、

 清く、正しく、武家の生まれらしく

生きた運命の女性だった

というもの。短く、幕末を駆け抜けた、もう一人の勝海舟とも言えるだろう。

 「表」の勝、大奥の天璋院という構図であり、動乱のなか、開国派の勝、攘夷派の天璋院という違いはあるものの、ともに徳川家の存続に最後まで腐心した。

 天璋院の場合、ある意味、

 千歳、青史に列するを得ん

の覚悟の志を遂げ得た美しい人生だったともいえる。ただ、それが、愛されるという女の幸せに結びついたかどうかということになれば、それはまた別の話だろう。

 そのへんの天璋院の心のゆらめきを宮尾さんは、この長編で見事に掘り下げて描いていたと思う。女でなければ描き得ない小説だと感じた。

 ただ、一つだけ、作品に注文を付けるとするならば、上下2巻ではいかにも短すぎたということ。当然描写すべきところを、駆け足の解説風に端折っているところが、散見されていたのは残念。たとえば、薩摩藩の分家時代から、ずっと付き添った付き女中「しの」。大奥でも下女中として働いていたが、小説家として想像力豊かに描いてみてほしかった。

 なぜなら、宮尾さんは「書き終えて」で、日本の男社会の中では、歴史に女の実績をほとんど記していない。女が如何に無視されてきたかと、しみじみと語っているからだ。そのことを読者に気づかせ、代弁するように、しのの胸中をも書き込んでいけば、そして、そのために全4、5巻の大長編になっていたら、と惜しまれる。

  その意味で、ラストシーンも、天璋院がしのを思いやる、あるいは回想するものにすれば、失礼な話だが、作品の完成度はより高まったであろう。

  ● お輿入れと慶喜継嗣問題がリンク

 それはともかく、この小説を読んで驚いたのは、薩摩藩主、島津斉彬が強力におし進めた篤姫の将軍(家定)お輿入れが、一橋慶喜の将軍継嗣問題(家定の次を慶喜にするかどうかという)とダイレクトに結びついていた点。

 斉彬は篤姫に、将軍家定の御台所になったら、一橋家の慶喜を次期将軍にするよう進言せよと重大使命を嫁ぐ前夜に指示している。しかも、斉彬は、時の朝廷と図って、新幕府政権樹立に向けてクーデター計画を練っていたという設定。その先兵として篤姫を江戸城大奥に送り込んだというのだ。

 ブログ子は、篤姫お輿入れと慶喜継嗣問題とは本来無関係だったと信じていた(芳即正氏の1994年論考で、今では定説らしい)。それによると、輿入れの狙いは、薩摩藩の家格低下に歯止めをかけることと、薩摩藩が禁じられている琉球密貿易を行なっている実態を封印あるいは表沙汰にならないようもみ消し不問にすることだったとされている。

 そもそも薩摩藩にお輿入れを申し込んだのは、大奥からの要請であり、しかも、それは家定将軍以前からしばしばあったという。だから、そもそも無関係となるという按配だ。

 小説はこうした分析が出る10年も前の作品だから、仕方がないのかもしれないが、朝廷を巻き込んだ琉球+薩摩藩による幕府への軍事クーデター計画が伏線となって展開している。

● 嫁いだ家が女の死に場所

 斉彬の時代にお輿入れの目的が大きく変質したのかもしれないが、ちょっとミステリー風になっているのが、面白かった。このことに嫁いでから気づいた篤姫はその後、自らも徳川家転覆に加担してきたことにおおいに苦しむことになる。

 この苦しみの結果が、天璋院が嫁姑(皇女和宮)の不和の中で

 嫁いだ家が、即ち女の死に場所

といい続け、幕府瓦解後もついに薩摩には戻らなかった理由であると小説は描いている。

 戻らなかったのは事実であるが、その理由の真実は、

 今もなお藪の中

なのではないか。案外、大恩あるとはいえ、自分をあざむいた斉彬藩主の、というか、男の身勝手さに女として言いようのない怒りを持ったからかもしれない。

 また、斉彬が推した慶喜の子供たちを、天璋院が生涯、そして未来永劫嫌った歴史的な事実があるが、それは斉彬への恨み、もっと言えば男どもへの女の意地の表れだったように思う。

 いずれにしろ、暗殺や毒殺など幕末の動乱には、さまざまな思惑が交差し、とても一筋縄ではいかない。このことを宮尾さんは、社会から隔絶された大奥という視点から描いて見せた。つまり、歴史の真実は、表の視点、それも男の視点だけではわからないということを描いてくれた。

 作品を読んで、その通りだと感じた。

 最後に、慶喜に二心があったとする宮尾作品に対して、慶喜側はどうだったのか。もう少し突っ込むと、こうなると、言われるように、慶喜はそんなにも稀代の英傑だったといえるのだろうか、という疑問だ。そんな感慨が残った。

 司馬遼太郎『最後の将軍  -徳川慶喜』(文藝春秋、1967)

が読みたくなった。

 ● 補遺 

 研究書には、NHK大河ドラマ放送前年に発行された

 寺尾美保『天璋院篤姫』(高城書房、2007)

がある。女の鋭い視点が光る論考である。

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「選択療養」は患者の利益につながるか

Imgp4041_120140518 (2014.05.20)  政府の規制改革会議が国民皆保険制度という国民の重大関心事に真っ向から立ち向かい

 選択療養制度

導入の是非について、導入の方向で来月にも答申をまとめようとしている。

 今年3月末、改革会議は

 選択療養制度(仮称)の創設について(論点整理)

をまとめた(注記1)。

 ● 結論的なまとめ

 現在の国民皆保険制度では、公的保険外の診療を併用した場合、保険診療分についても保険が効かない(混合診療の原則禁止)。これを緩和し、患者と医師が合意すれば、併用でき、ともに保険が効くよう選択制の導入の検討が、同会議で最終段階を迎えている。

 一見、選択を拡大すれば、患者の利益になるように考えがち。しかし、それは錯覚であり、とりわけ生計に余裕のない患者には保険料負担の増大など、不利益がより重くなるだろう。

 患者の利益にならないその理由の第一。都合のいいところだけを〝つまみ食い〟できる生計に余裕のある患者のみが利益を得ること。

 その第二の理由。新制度では、国民全体の医療費を増大させ、新制度を利用しないのに余力のない患者の保険料負担だけは増大する恐れがあること。

 つまり、富める者もそうではない患者も国民等しく利益を得るという皆保険制度の土台を掘り崩す。このためであろう、保険者3団体はこの新制度に、保険制度が崩壊しかねないとして反対を表明している。  

 その理由の第三。保険承認薬として有効性と安全性を確かめる、いわゆる治験(臨床試験)がないがしろにされること。つまり、今、製薬メーカー「ノバルティス」で問題になっているように、治験済みの承認薬を使っての危険で不正な「臨床研究」が横行する。製薬メーカーの手間隙かかる治験離れを加速させる。

 そもそも社会保障制度、とりわけ国民の健康に直結する基本政策は経済的規制緩和になじまない。

 こうした点もあり、日本医師会も今月5月に入って新制度の反対を表明している(注記2)。現行制度の問題点は、承認薬の審査のスピードアップでカバーできるとの見解であり、検討に値する考え方だ。

 余裕のない患者はもちろん、医師会も、診療報酬を支払う保険者も利益にならないとすると、だれが規制緩和の美名の下、この新制度で利益を得ることになるのか、明らかであろう。

 ● 製薬業界からみた医療現場

 こうした動きを受け、混合診療の現状と将来も含め、製薬業界あるいは医薬品流通業界、医療現場に詳しい講師を迎えて、先日、医療現場のあり方を考えるこじんまりとした勉強会が開かれた(写真上= 浜松市中区、佐鳴台協働センター。左端が講師の伊藤国夫氏)。

  患者の利益を中心に医療現場を考える「コ・メディカル」、医薬分業、混合診療について、業界の実態について、突っ込んだ討論となった。それらの議論は、

 聴診器とそろばんは同時に持ってはならない

という考え方など、社会保障全体にも通じる指摘であり、ブログ子にとってとても新鮮だった。

 今後焦点となる後期高齢者の医療制度についても、続編として今後、討論学習講演会を開くことになったが、期待したい。 

 ● 注記1 政府の規制改革会議の論点整理

  詳しくは

  http://www8.cao.go.jp/kisei-kaikaku/kaigi/meeting/2013/committee2/140327/item1-1.pdf

を参照してほしい。 

 ● 注記2

 詳しくは、日本医師会の反対意見

 http://dl.med.or.jp/dl-med/etc/kokumin/2014/20140514_2.pdf 

を参照してほしい。

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愛に法則はあるか 

(2014.05.17)  表題の問いかけに、たいていの人は

 そんなものあるわけがない、男と女だもの。

とこたえるかもしれない。

  先日亡くなったが、この種の問題の第一人者、作家の渡辺淳一さんも、

 男と女の関係は理屈では説明できない。その機微を描くのが小説だ

と語っていたらしい(「週刊現代」2014年5月24日号巻頭「追悼 渡辺淳一」)。また「男と女のことは結局は体で覚えるしかない」(同巻頭にある同氏の言葉)とも。さすがは「体感小説家」の面目躍如である。

 ジャズボーカリストのマリー・ルゥさんのCD「愛の法則」をよく聴いているが、しかし理系出身のブログ子も、これまでだったら、渡辺ファンとして法則などないとこたえる。

 ところが、作家の林真理子さんの近著『美女入門金言集』(マガジンハウス)を拾い読みしていたら、あると確信を持つようになった。

 その金言、要約すると、およそこうなる。

 男と女が(二人だけで)3回目まで会って、何もおこらなかったら、その後も何もおこらない。

 林さんぐらいの歳になったら、もはや時間の無駄遣いはしたくない。ので、これを見切りをつける法則として推奨している。

 松田聖子さんならともかく、一度目でビビッというのは無理かもしれない。人間だもの、2度目もちゅうちょするかもしれない。しかし、3度も会ってなおちゅうちょするなら、いつまでもお友達のままだろう

というのが林さんの洞察。男のブログ子もこれは箴言(しんげん)だと思う。

 仏様でなくても、男と女の関係も、時間的な猶予は3度までなのだ。

 渡辺淳一さんがこれを聞いたら、どんな反応を示すだろうか。聞いてみたい気がする。

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一度は行ってみたい村 星降るテカポ

(2014.05.14)  BS放送にしろ、地上デジタル放送にしろ、最近はやたら旅行番組が多い。しかし、この歳になって、死ぬまでに一度は行ってみたい村と思わせてくれるのは、なかなかない。

 Imgp3922_1

 そんななか、先日、プレミアム放送で

 天の川輝く星降る村、テカポ

というのをやっていた。

 星空の見える村などというのは、世界のすべてがそうだ。しかし、このニュージーランド(南島)の村、クック山のふもとの光景は、やはり特別だろう。

 夜の灯火管制が行き届いていて、世界の「ダークスカイ」に認定されているらしい。流行のライトアップではなく、逆のライトダウンの村なのだ。

 この光景は、写真の通り(2014年5月8日プレミアム放送「星降る村」テレビ画面から)。3月の新月深夜、星がとくに密集する銀河中心部がのぼってくる。その天の川の美しさ、深遠さについては、もはや余計な説明はいらないだろう。

 ● 天の川の下にて冬死なむ

 こんなに雄大ではないが、ブログ子の暮らす静岡県にも伊豆半島の東伊豆町や河津町の山間、三筋山遊歩道(高原の草山)に、こんな隠れ場所があることをブログ子は知っている。

 それはともかく、

 願わくは花の下にて春死なむ そのきさらぎの望月のころ

とうたったのは歌人、西行(新古今和歌集)。

 この番組を見て、

 願わくは満天の天の川の下にて冬死なむ、そのきさらぎの新月のころ

というのがブログ子の理想となった。

 かつて天文学に人生をかけたブログ子に、何時の日か、テカポを訪れてみたいという気持ちにさせてくれた番組だった。

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  この魚眼映像(同番組)では、大マゼラン/小マゼラン雲という小さな銀河も右上にはっきり見える。これらは天の川(銀河)に付き添う二つの星雲である。下の写真は、天の川の全景(合成写真。矢印は大マゼラン星雲で、矢印の先は400年ぶりにこの星雲中に突然現れた有名な超新星、1987A)。

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勝海舟を支えたもの 読書ノート

Imgp3894_2  (2014.05.14)  大型連休をはさんだこの3週間、ひまをいいことに、子母澤寛の

 大長編『勝海舟』(全6巻、新潮社。写真右)

をついに読んだ。

 ついにというのは、十数年前、古本屋で買って以来、読もう、読もうと思っていたが、なかなか読む機会がなかったからだ。いろいろ書き込みをしながら、読み終わって

 つくづく暇なのもいいものだ

という読後感を持つことができた。それくらいに、江戸っ子幕臣、勝麟太郎の人間の大きさや人間臭さにふれることができ、うれしかった。

 ● くそ度胸と冷静さと

 あまりに有名であり、いまさら、この主人公の活躍について、ブログ子があれこれ言う必要はない。が、ただ、

 支えきれないほどの困難のなか、幕末という修羅場をさばききり、明治新政をなんとか軌道に乗せた麟太郎の心を支えたものは何だったのか

ということについて、書いておきたい。

 Phview2 一つは、明治維新8年前、艱難辛苦で遂行した咸臨丸(かんりんまる)渡米の艦長体験だろう。この太平洋往復航海で、土壇場の窮地に立たされれば、人間、やれば何だってできるというくそ度胸というか、自信を持った。このときの難航苦楽をともにした幕臣たちが、同じ釜の飯を食った同志としてその後の勝を支え続けたことも幸いした(写真左=「難航の咸臨丸」乗艦運用方鈴藤勇次郎筆)。

 もう一つの支えは、刻々変化する日々にあって、日記をつけていたことだろう。まさに激動の「慶応四戊辰日記」(1868年)がそれだ。深夜、一人、日々変化する情勢を分析し、整理するという冷静さを忘れなかった。

 この二つ、体験にもとづくくそ度胸と、今なすべきことは何かを整理し、その行動の優先順位をさぐる冷静な分析力こそ、勝麟太郎をして、歴史に名を残さしめた原因だったと思う。

 以下、これらのことについて、もう少し詳しく、具体的に話してみたい。

 ● 江戸開城までは長期内戦阻止 

 勝麟太郎の目、つまり行動の優先順位は、江戸開城までと後では、大きく異なっている。

 開城までの使命は、

 旗本幕臣として、徳川家を守る

 江戸っ子として、江戸を戦火から守る

 日本人として、長期内戦を阻止する

であり、このうち最優先課題は列強の狙いである日本の植民地化を招く長期内戦の阻止。

 Imgp3826_17329_1 イギリス、フランスの思惑をけん制するための秘策として、勝は江戸焦土作戦を準備する。上記の海舟日記にはそのための予算(250両、勝の私費)を計上したと書かれている。江戸が焦土になってしまえば、列強の植民地化のうまみはほとんどなくなる。このことを捉えて、列強による薩長恫喝を引き出すという寸法である。薩長も列強の後ろ盾がなければ圧倒的な軍事力を持っている幕府に最終的に勝てるはずもないことは十分承知しているはずだという見方だ。

 この和戦両様により、勝は江戸開城に持ち込んだのである。

 何の秘策もなく、手ぶらではいくらくそ度胸があっても、事はならないことを勝は知っていたのであろう。

 ● 開城後の国家戦略

 一方、開城後の勝の目は、今度は逆に国内に向けられる。すなわち、列強に対する幕藩体制の弱点の克服である。日本は一つにまとまっていない。国家の体をなしていない。これをどうするか。具体的には

 中央集権化を整えるための版籍奉還

である。版籍を新政府に返還すれば藩はなくなる。徳川対反徳川=薩長ではなく、天皇を中心に日本は一つにまとまるべきときにきているというわけである。そうなれば徳川家を旧幕臣としてなんとか守ることにも直結するという戦略である。

 この判断には、咸臨丸による渡米がある。実力主義と公論で新しい時代を築いていたアメリカ社会に早く近づけたいという勝自身の合理精神があったであろう。

 列強の介入は許さないが、列強に学ぶべきものは、何十年かかろうと日本人の手で取り入れる。世界を自分の目で見た男の冷静な情勢判断であり、漢籍にも通じていた勝の歴史認識でもあったといってもいい。

 Imgp3906_1 こうした歴史認識は一朝一夕には生まれない。暗殺されるかもしれないという現実味のある日々のなか、あすの日本を思い、足元の現実に悩み、その間をつなぐ具体的な方途を考えあぐねる。その自問自答をぶつけた日記を書き続けたればこその結論だったろう。

  くそ度胸があるといっても、出たとこ勝負の当てにはならない博打ではなかった。

 ひとことで言えば、

 勝麟太郎は「慶応四戊辰日記」を綴ることで、動乱のなか一人冷静に自分と闘っていた

といえるだろう。

 大長編を読む醍醐味を楽しんだ3週間だった-。

 ● 読み終えて

 この小説を読み終えて、ふと、女たちの幕末、

 この動乱の時期を女性たちはどう闘ったのだろうか

という思いになった。これまた古本屋で買った

 長編『天璋院篤姫』(宮尾登美子、講談社、1984年)

が読みたくなった。

 写真下= 明治維新後の勝海舟(BS-プレミアム「英雄たちの選択」2014年5月2日放送テレビ画面より。慶応四戊辰日記の当時の心境をつづった上記の直筆漢詩の写真も同番組より)

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アンモナイトって、今の何の仲間? 

Imgp3956_2 (2014.05.12)  わかっているようで、わからないのが生物の進化。とくに、絶滅してしまった生き物は生き残った人類(ほ乳類)にはなかなか想像できない。

 先日、浜松科学館(浜松市)で、人気の恒例サイエンスアドベンチャーとして

 アンモナイトのレプリカを作ろう!

という小学生向きの体験講座が開かれた( 写真上 )。ブログ子もボランティアとして小学生と一緒に、粘土に石こうで型をとる作業に参加した。

 アンモナイトといえば、古生代の三葉虫と並んで、中生代の代表的な生き物として有名。絶滅したものの、グルグル巻きの巻貝の特徴が目印だ。

 ● 巻貝の仲間と思ったが

 Imgp3959_2ブログ子は、アンモナイトとは、てっきり巻貝の仲間と思っていた。酒のつまみ、浜松では「ながらみ」の類だろう。ところがなんと、イカやタコと同じ仲間の頭足類(綱)だとは知らなかった。あのグルグル巻きの貝殻のなかに、ヤドカリよろしくイカのような、あるいはタコのようなものが入っていたのだろうというのだから、びっくり(右の手引きパンフレット)。

 アンモナイトが巻貝の仲間ではないという理由は、貝殻はグルグルらせん状に巻いてはいるが、それが立体的にならないで、あくまで平面的な巻き方をしているかららしい。かつての時計のゼンマイ型なのだ。

 あのグルグル巻きは、身をまもるためのものではなく、なかに入っているイカやタコのための軽くできた浮力器官(いわば〝浮き袋〟?)だったという。

 あれやこれやと考えたが、そもそも絶滅してしまった生き物を、今生きている生き物の仲間のどれに相当するかという発想そのものがあまり適切ではないことに気づいた。絶滅してしまえば、たとえ今の生き物と似てはいても、かならずしもその仲間とはつながりなどないはずだからだ。

  さらにいえば、絶滅してしまった生き物は、現生の生き物からすれば、たとえ似ていても、それは見かけによらないものであると心得るのが賢明だろう。だからこそ、彼らは絶滅の道を歩んだのだから。

 アドベンチャーでは、アンモナイトの平面的なグルグル巻きのこの特徴を生かして、やわらかくした粘土にレプリカのアンモナイトを押し付けて型取りをする。そこへ水で溶かした石こうを流し込むという寸法なのだ。

 不器用なブログ子も実際にやってみたが、面白いほどうまく型取りができた。

 そのほか、温水でグニャグニャになった樹脂を粘土替りにして型に押し付けて

 カラフルなアンモナイト(レプリカ)

を作って楽しむこともできた( 左下写真 )。

 石こうのほうは、どんな形になるのか、小学生などは、石こうが固まるのが待ちきれない。あれこれ生乾きの石こうをいじりまわす。

 ● じっくり観察が科学の始まり

 Imgp3953 指導する先生もそんな参加者に、乾くまでの待ち時間を利用してアンモナイトとは何かを説明するのだから、大変である。しかも、3時間も小学生たちの関心を引き付けておくには、やはり指導する先生の経験に裏打ちされた巧みな話術が重要であることもわかった。

 先生によると、日本はアンモナイトの出土では世界有数であること、特に北海道、それも札幌市の東方に多く発見されること-などなどブログ子のとんと知らないことも子供たちに説明していた。

 待つこと1時間。以下のように石こう取りしたアンモナイトレプリカが見事に出来上がった。

  自分でせっせとつくったこともあるのだろうが、これを見て、しみじみ

 アンモナイトは巻貝の仲間じゃない

と思えるようになってきた。手作業を通じて、ものをじっくり観察する。これこそ、今も変わらない科学の始まりだろう。 

Imgp3961_1_3

 ● 補遺

 下の図からは、海でアンモナイトが栄えた時代は、陸では恐竜などのは虫類もまた繁栄していた様子がわかる。それがどういうわけか、アンモナイトも恐竜も同じ時期、今から約6500万年前に絶滅している。

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 ( 図= 放送大学「生物の進化と絶滅」。2013年12月11日放送テレビ画面より )

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われわれは新聞だ フランス最新事情

(2014.05.05)  新聞界にいたことのあるブログ子なので、こういう番組はついつい見てしまう。

 先日、BS1のドキュメンタリーWAVEで

 われわれは新聞だ

というタイトルで、危機に立つフランス新聞界の最新事情を放送していた。このタイトルの意味は、少しわかりにくいが、放送を見たら

 われわれはあくまで紙の新聞でありたい

というものだった。

 ● 欠かせない独立性

 われわれとは、倒産の危機で買収された名門紙リベラシオン記者たちのこと。名門紙のブランド力を利用して広告を打ったり、ブランド商品を売ろうという新戦略に対し、新聞に欠かせない独立性がなくなり、読者の信頼を損なうとして強く反対する記者たちの姿を追っていた。

 番組では、この名門の総合日刊紙の危機とは逆に、大いに発行部数を伸ばし、勢いに乗りつつある小規模ネット新聞メディアパルト紙の編集局にもカメラを入れていた。

 ● 上から目線 Vs 下から目線

 独立性を保つため広告を打たず、経費を抑えて市民の求める特ダネを連発、市民の意見形成を支援するスタイルである。足で記事を書くことに力を入れている。

 落日の紙メディア Vs 日の出の勢いのネット紙

の構図だが、その根底には視線として

 情報独占の上から目線 Vs 情報共有の下から目線

の戦いでもあると感じた。

 ブログ子の経験からいえば、新聞は社会の木鐸であるという「上から目線」のメディアが、情報共有のこのネットワーク時代、もはや勢いを増すことはないだろう。

 社説を含めた論説やコラムも、分析力、主張力もさることながら、評論においてこのことを忘れてはなるまい。

  民衆を導くのでもなく、権力を導くのでもないというのならば、紙メディアの新聞の存在意義とは何なのだろう。

 あえて言えば、ドストエフスキーの小説ではないが、民衆とともに〝共苦〟する、関与し提案するメディアとしての再生は考えられないか。新聞が時代に超然卓立するというのんきな時代は終わった。

 この番組を拝見し、そんな感想をしみじみと持った。

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すばらしき哉、天使がくれた時間  

(2014.05.05) せっかくの大型連休なのだから、すこし心をやすめようと、BS-TBSの

 「天使がくれた時間」(2000年、米映画)

というのを観た。ブログ子が好きなニコラス・ケイジが主演するというのでその気になったのだが、期待通りの

 大人のファンタジー

だった。原題は「A Family Man」。

  ● 現代版「It’s Wonderful Life」

  映画の内容を一言でいえば、あの

 「すばらしき哉、人生」(F.キャップラ、1946年)の現代版

といえるだろう。It's a Wonderful Lifeが原題。現代版というのは、ケイジがNYウォール街を舞台にエリート経営者を演じているからだ。

 映画のテーマは、ともに、

 もしあの時、別の選択をしていたら、その後の人生、本人が思うほどそんなにすばらしいものとなっただろうか

というものだ。

 映画では、ケイジはエリート経営者から、マイホームパパに変身するまでの話。

 現実に選択した人生こそがすばらしいという結末であり、人は皆、選択しなかった生き方を夢見たり、すばらしいように考えがちだが、実はそれは幻想にすぎない

という物語である。

  具体的には、どうすばらしいか。

 「すばらしき哉、人生」のほうは、仕事を持つ男たるもの、多くの親友を持つことが人生の幸せである

と、にぎやかに結論付けている。

 今回の映画では、

 仕事よりも、夫婦一緒に温かい家庭を持つことが、素敵な人生であること

をラストシーンで印象付けている。

 ● 「月の輝く夜に」以来

 まとめれば、

 現実の人生に不満ばかり言い募っていては、いい人生は決して開くことができない

ということだろう。

 ちょっとしたロマンティク・コメディ「月の輝く夜に」(1987年)を見て以来の、ケイジの名演技だったと思う。

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凧揚げ合戦の足元で 広がる砂丘侵食

Imgp3852  (2014.05.05) 恒例となっている

 浜松まつり、凧揚げ合戦

に大型連休中の先日、出かけた。浜松市南区の中田島砂丘が会場。ここは鳥取砂丘と九十九里浜(千葉県)と並んで日本の三大砂丘といわれている。

 砂丘のその手前、いわゆる風紋まつり広場の一角に、地元住民でつくる

 海岸侵食災害を考える会

が、中田島砂丘の砂がどんどん侵食され、少なくなっている

とその危機を訴えていた(写真右。以下、写真はダブルクリックで拡大)。

 なんと、この6年間(平成19年から25年)だけでも、天竜川河口の砂丘の様子が劇的に変化している写真を公開していた(写真左。写真の左側が北で、右が南で海。自転車道のカーブを基準に比較すると侵食の進み具合の様子がよくわかる)。

 Imgp3850 原因について、たずねると、天竜川に設けられた15のダムが砂を下流に流さず、せき止めていること(逆に言えば、ダム、たとえば佐久間ダムでは、たまる一方の砂害に悩んでいる)。もうひとつ、主に台風で、遠州灘の砂をさらっていくこと。

 このバランスが崩れて、いくら巨大なテトラポットを海中に沈めても侵食が止まらない。そのほか、遠州灘の沿岸流(離岸流や向岸流、循環流)など複雑な海流も原因らしい。

 ● 風紋写真家、加藤マサヨシ

 凧揚げで市民は上ばかり見ているが、足元の貴重な砂がいつまでもあるとは限らず、近い将来なくなるという現実があることを忘れてはなるまい。

 砂丘の美しい風紋の写真家としても知られている加藤マサヨシ氏。

 砂丘を考えるよすがとしたい。いずれも同氏の写真コレクションの一部である(海岸侵食災害を考える会提供。「補遺」参照)。

 この写真を見ていると、ブログ子は、詩人、井上靖の

 流星

を思い出す。中田島砂丘ではないが、若き日の井上靖が日本海側の内灘砂丘で詠んだ詩である。

 砂丘にはなぜか、人を感傷的にさせたり、詩人にさせたりする不思議な魔力がある。

  ● 注記

 砂浜の侵食については、最近の中日新聞社説(4月28日付)が

 やせる砂浜

というテーマで、なぎさのドライブウェーとして知られる石川県の千里浜、千葉県の九十九里浜など、白砂青松の海岸で侵食被害がほかでも深刻化している現状を紹介し、その再生について、全国の砂丘の取り組みを紹介している。

 社説によると、人工リーフ(潜堤)の設置、浜に砂を入れる養浜のほか、ほかでの浚渫の土砂を砂浜の沖合いに投入するなどさまざまな取り組みがなされている。

 しかし、波浪時には大量に浜砂が流出するという天候も深くかかわり、なかなかな決め手がないのが現状らしい。 

 ● 補遺 風紋写真=photo加藤マサヨシ

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浜松の防潮堤見学記

Imgp3873_1_1_2 (2014.05.04)  大震災後の 2年前から、静岡県と浜松市で計画されていた遠州灘の防潮堤づくりが試験施工を終えた。来月から本格工事が始まるというので、この連休の中田島砂丘の凧揚げ合戦イベントにあわせ、出来上がったばかりの試験施工部分の見学に出かけた(写真上。左側が海)。

 ● 大幅な減災を目指して

 県の浜松土木事務所が手がけるもので、堤自身の構造など、詳しいことは最後の「補遺」で見てほしいが、大雑把に言うと、浜名湖今切口から天竜川河口までの全長約18キロ。堤の高さは海抜13メートルある。防潮堤は凧揚げ会場の海側(南側)を東西に走る。

 この堤の高さは、南海トラフ巨大地震の最大想定津波高(レベル2)にほぼ対応する。従来の単独での東海地震の場合の想定最大津波(レベル1)の約2倍。これにより、たとえレベル2の地震が「次」にやってきたとしても、宅地浸水面積を約7割減災できるらしい。3分の1に減る。その残りについても、2メートルをこえる深刻な家屋浸水のような被害は、ほとんどなくなるらしい。

 ● 結論的な感想

 ひとことでいえば、3・11の悪夢の津波被害は、浜松の場合、堤の海側、陸側に松林植栽も設けて、これでなんとか避けられるはずだという計画である。

 Imgp3867_1 通常なら工事は10年仕事なのだが、ことは急がなければならないというので、早期、つまり5年後の完成を目指しているという。

 見学した日の静かな遠州灘の海の様子を眺めながら、現地施工管理者(主任)の話を聞いた素直な感想を先に述べるとするならば、

 すくなくとも次に来る地震が単独の東海地震(レベル1)クラスならば、そして危険な浜岡原発による原発震災の被害をのぞけば、たとえ堤が地震で一部が崩壊したとしても、津波は浜松市南部に3・11のような大被害はもたらさないだろう

というものだった(写真左)。

ただ、気になるのは、堤の上からの写真でもわかるように、当然のことながら、これまでのように容易には、遠州灘の景観が見えにくくなることだ。景観に配慮して植栽をさらに行なうとすれば、ますます海の様子がみえにくくなる。

 ここだけに限らない大問題だが、海の見えない遠州浜にしない一層の工夫が、景観上だけでなく津波の安全対策上からも求められると思う。 

 ● 田老地区のコンクリート防潮堤との違い 現代の「版築」

 このような感想を持ったのは、かの有名な、そして今回の大震災で無残にも崩壊した田老地区(岩手県宮古市)の巨大コンクリート防潮堤(高さ約10メートル、長さ約3キロ)との違いを知ったからだ。

 一つは、堤の形を安定したすそ野の広い台形にしたこと

がある。その上に盛り土にして、景観に配慮するとともに、スロープの部分に防潮・防風の松林(黒松)植栽をほどこすことで、津波の勢いをそぐとともに堤の強度を増さしめている。

 Imgp3872_1 田老地区のようにコンクリート丸出しにはしない工法である。景観上のこともあるが、いなし工法とでもいうか、津波の勢いを分散させる工夫がある。

 もう一つは、田老地区のようなコンクリート流し込み工法(セメント+砂+骨材)に比べ、セメントに土砂れきを混ぜた、

 層ごとに突き固め、順次積み上げることで堤自身の強度を高める、いわば

 セメント〝版築〟

ともいうべきCSG工法がとられていること。高価なセメントをできるだけ効果的に使って経済的で、効果の高い工法にするらしい。

 この版築という強度を高める伝統的な工法は、現代でも新たな工法として評価が見直されているという。今後の建設で注目したい(右上写真= 堤上から、東の方向のたこ揚げ会場を望む。右側が遠州灘)

 ● 大丈夫か浜岡原発の垂直鋼鉄防潮「壁」

 正直な感想をもう一つ。

 あの頑丈そうな田老地区のコンクリ防潮堤が見るも無残に崩壊したのをみるにつけ、そして、今回のCSG工法を見るにつけ、中部電力が莫大な費用(約1400億円)をかけ短期工法を採用した、

 浜岡原発の防潮「壁」22メートルは大丈夫か

ということだ。形が台形ではなく垂直構造物。しかも、浜松の防潮堤の高さの約倍までそびえる。だから、壁の基礎を固い地盤によほど深く打ち込み、固定しないと巨大な津波の力に耐えられそうにないようにも思えるが、どうだろうか。

 津波に対して柔構造ではなく剛構造にするという発想には、田老地区のこともあり、設計に限界がありはしないか。壁が崩壊すれば、地震で原子炉の核暴走にもつながりかねないなど、ことは重大である。

 遠州灘の防潮堤を見学して、かえって浜岡原発の防潮「壁」に不安を覚えた。

 ● 補遺 防潮堤整備計画の概要(県配布資料)

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