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親父の「電卓」 

Imgp3545_4  (2014.04.15)  生涯現場で働くブルーカラーだった塗装工の親父がブログ子に譲ってくれたものに

 電卓(オムロン8、立石電気= 写真上)

というのがある。1975年ごろに発売されて、値段は1万円くらいだったという。当時の大卒初任給が9万円台だったから、相当な高級品である。

 しかし、8桁の精度ではあるが、掛け算など四則演算しかできない。それで親父の仕事には十分間に合った。だから、親父には電卓のボタンにある「√(ルート)」には、どんな機能があるのか知らなかった。今の中学生ならどんな落ちこぼれでも、その意味は知っているだろう。

 実は、この集積回路(IC)を組み込んだ電卓オムロン8、発売から40年近くたった今でも、ブログ子は重宝している。

 小型化を可能にするこの集積論理回路(ICチップ)と、プログラム可能なマイクロプロセッサー(通称、その形からゲジゲジ)の組み合わせから、今で言うPC(小型汎用計算機=PC)が登場する。人のやりたいことを機械(ゲジゲジ)に伝えるプログラミング言語もいろいろなものが開発されはじめていた。フォートランとか、PL1などはブログ子にとっては懐かしいプログラミング言語である。

 このように1970年代は、人がボタンを押し、1対1で直接指示する電卓から、人が言語を使ってやるべき仕事をゲジゲジのわかるプログラミングにし、プロセッサーでそれを一括して処理させるPCへと向かう変革の時代だった。

 Imgp3547_2 ブログ子も1970年代、大学院で研究していたとき、理系ということもあり、この面での先端を走っていたアメリカから

 プログラム可能な卓上計算機

 テキサスインストルメント(TI)Programmable 58C

をわざわざ「輸入」して購入した思い出がある。操作のマニュアルはすべて英文。今も十分使用可能であり、大切に保存している( 写真中 )。さまざまな機能がボタンについているのがわかる。当時のお金で10万円以上したと記憶している。

 ● 今年は電卓50年

 計算機は、そろばん、計算尺をへて、手回しの機械式(タイガー計算機)から、モーター駆動の電動式へと発展してきた。それがすべての操作を電子式にした卓上電子計算機が、日本で初めて発売されたのは

 コンペット(シャープ= 早川電気、1964年。写真下= 注記)

 値段は、なんと当時の車の値段ぐらいしたそうだ。この年には、シャープ以外にもカシオなども電卓を発売しており、日本でいっせいに電卓開発競争が始まったらしい。

 1964年は、

 アメリカのIBM社が汎用大型計算機IBM360

を世界発売を始めた年でもある。鑽孔した紙カード(デック)でプログラムを入力するバッジ処理だった。ブログ子も、大学共同利用電子計算機センターまで、デックを大工道具のような要領で担いで出かけた。1970年前半によく利用したが、アメリカの底力を見せ付けられたことを覚えている。

 1964imgp3533_1 ● BSフジ「ガリレオX」

 先日、民放BS「ガリレオX」で

 50年目の電卓

というのを見た。シャープ、カシオなど、電卓の開発競争にしのぎを削った当時技術者だったシニアが何人か登場していた。

 ブログ子よりも少し先輩に当たる人たちだったが、その開発にかける熱情が今でも伝わってきた番組だった。

 ● 注記

 コンペットの写真は、2014年4月13日放送の

 BSフジ「ガリレオX  50年目の電卓」

番組画面から。

 ● 補遺 

 計算機、電卓やPCの発達史については、

 東京理科大学神楽坂キャンパス近代科学資料館

にその実物陳列があり、常時公開されている。

 新宿区神楽坂1-3(電話 03-5228-8224)

JR山手線「飯田橋」

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