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浜松城の天守閣が見えない

Imgp3468_1 (2014.03.22)  20年の金沢暮らしから、定年後、浜松市に転職・転居したブログ子だが、移り住んだ直後、かの有名な

 石垣の天守台の上に天守閣もある浜松城

がどこにも見当たらないないことに、戸惑った記憶がある。りっぱな庭園もあるはずなのにこれまた見当たらないのにはびっくりした(左側写真にはかすかに天守閣の先端部分が一部見えるのだが、木々や建物(元城小学校)の陰になり、ほとんどそれとわからない。コンコルドホテル前付近の道路から撮影)。

 ● 家康の没後400年

  Imgp3258_1ok_5 浜松城を出世城として全国に喧伝しているのに、そして、出世の街を売り込む行政は

 浜松城は街のシンボル、中核

と位置づけているのに、その城はすぐには見当たらない。

 ブログ子は、市中心部の浜松市役所の真ん前を週一回通る。だが、市役所近くにあるはずの天守閣がどこにあるのかわからず、今もあちこち探すほどにわかりにくい。というか市役所庁舎とこんもりした樹木の間に隠れているなど、ややこしいところにある。

 金沢城には天守閣はないのだが、広大で、りっぱな石垣が見事に残っていて、金沢は城下町であったことが一目でわかる。同じ平城なのに、これとは浜松城はあまりに好対照である。

 ● 長期構想で「百年の大計」

  さすがに、これではまずい、というのであろう。

 先日、市役所が音頭をとって市民フォーラム、

 浜松城公園の未来を語る 長期整備構想

というのが、浜松市内で開かれた。来年2015年は、徳川家康公没後400年(四百回忌)にあたる(徳川家康死去=1616年)。これを機会に、

 城の姿がよく見え、城周辺の回遊性を高めよう

という市民フォーラムが開かれた。

 いまのままでは、浜松城公園の正面玄関(エントランス)はどこかもはっきりしない。市民はそれぞれ勝手なところから、城にアクセスしているのだ。

 ● 小和田氏の講演

 Imgp3263_1_2  このフォーラムで講演した小和田哲男氏(戦国史、静岡大名誉教授。写真)によると、今の規模とは違って、家康当初の浜松城は巨大城郭だった。

 むかしの「二の丸」跡に今の市役所が建っている。「二の丸」と「三の丸」の間に今の国道152号線が南北に走っている。正面にあたる大手門など、この国道のずいぶん南(連尺交差点)あたり。

 この講演を聞いて、気づいた。わかりやすい言い方をすれば、

 現在の市役所がせっかくの浜松城の石垣や天守閣を隠してしまっている

ということなのだ。

 長期構想は100年先を見据えているという。とすれば基本方針で公園を「浜松の核」に位置づける以上、かつての二の丸に建つ市庁舎自身の移転もいずれ具体的な論議の俎上にのぼらざるを得ないであろう。

 出世の街、浜松が具体的に見えるまちづくりであってほしい。家康自身もきっとそう願っていることだろう。(写真は、市民フォーラムでの小和田氏講演「浜松城と出世のまち」= 3月13日)

 Imgp3469_12ok_2  

   ( 2014年3月に完成した再興天守門= 右端。明治の初め、この門は解体された。左の天守閣は、江戸初期にはなくなっていたが、戦後の1958年に小ぶりながら再興されたもの )

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