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2014年3月

超常現象はニセ科学か

Imgp3375_1 (2014.03.26)  NHK総合テレビで

 超常現象

というのを特集していた。常識では考えられない現象、たとえば幽霊とか、前世を語る子どもたちとか、五感以外で情報が人から人に伝わるテレパシーなどである。宇宙人の乗ったUFO現象なども含まれるかもしれない。

 しかし、これら超常現象の研究は、これはもう立派な科学である。常識を疑うという意味でもそうである。ニセ科学とは全然違う。

 ニセ科学とは、現代の科学が不合理として明確に否定したことを主張する行為。したがって、プロの科学者はこれにはかかわらない。

● 超常現象はニセ科学ではない

 これに対し、超常現象というのは、現代の科学では、合理的に説明できない現象で、現状では否定も肯定もできない現象をさす。

 したがって、科学者は当然、合理的な説明を求めて、あるいは未知の新発見につながるのではないかと現象解明に真剣に挑戦する。また、その価値はある。

 ● テレパシーは脳内の量子現象?

 先日のテレビ番組では、

 テレパシーというのは、脳の中で起きている量子現象ではないかという研究が紹介されていた。量子理論からつくられる乱数発生器が、人ごみのなかでは乱数にはならない揺らぎを示すという不思議な現象が出ているからだ。

 こういう微妙な問題にNHKが果敢に取り組んでいることを、理系出身のブログ子はうれしく思う。

 自然現象には、まだまだ人知では計り知れないことが多い。このことを謙虚に受け入れることが大事だろう。

 ただ、番組をみながら、ふと

 地震予知はニセ科学なのか、それとも超常現象なのか

と思いめぐらせはしたが、なかなか結論が出なかったことを正直に告白しておきたい。

 (写真は、NHK番組画面から= 3月22日夜)

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司馬『胡蝶の夢』は小説版「親父の小言」

(2014.03.23)  司馬遼太郎さんの小説

 『箱根の坂』(全3巻)

が面白かったせいか、ついついその後の江戸時代の身分制度をつぶさに描いたこれまた司馬さんの

 『胡蝶の夢』(全5巻、新潮社、写真)

を読み始めている。

  このブログは「科学と社会」がテーマ。江戸の身分制社会のなかで、漢方医/漢学と蘭方医/蘭学がどのように社会や幕府から扱われたか、そして幕末、その双方にどんな顛末が待っていたかがたくみに小説化されている。

 Imgp3371_1 身分制度とはほど遠い佐渡の幼い伊之助という人物が、祖父に連れられて身分制度の厳しい江戸に志を懐いて出てくるところから話が始まる。時代はペリー黒船来航(1853年)のころの幕末の話。司馬さんの小説に共通するテーマ

 日本人とは何ぞや

というのにはピッタリの作品だと思う。

 江戸の身分制度は日本人に謙虚さ、うやうやしさを植えつけたという良さもあった。しかし、一方で、その副作用で異常なまでの卑屈さも植えつけた。もの言えば唇寒しうんぬんという

 顔の見えない日本人

という主張しない、あるいは黙りこくって批判しない不気味な国民性も醸成した。

 ● 江戸版の発見

 そんな折、先日、NHK「視点・論点」で往来物研究家で法政大学の小泉吉永氏が、みずから昨年発見した81条からなる

 江戸版「親父の小言」(嘉永5=1852年刊、作者不明)

について、私見を述べておられた。昭和時代に書かれたと信じられていたのが、江戸幕末には広まっていたことが明らかになった( 補遺 )

 箇条書きになっている全文は、下の「注記」に紹介するブログを見てほしいが、小泉氏によると、要するに「対人関係」が大半。

 確かに、「大酒を飲むな」「身の出世を願え」というのもあるが、「人に腹を立たせるな」とか「人に馬鹿にされていろ」とか「義理を欠くな」「人を羨むな」「何事も我慢しろ」という人間関係の処世術を説いたものが多い。

 81条のまとめとも言うべき、最後には歌らしきものまでついている。

 上様や大名方は生きた神様 滅多にするとバチが怖いぞ

 滅多にすると、というのは、理非に事を行なうとの意味だろう。

 そして、気づいた。

 司馬さんの『胡蝶の夢』というのは、この処世術本の小説版なのだと。もしかりに、江戸に出てきた伊之助がこの無料配布冊子を手に入れていれば、ずいぶんと助かったことだろう。

 ● 注記 大空社から「江戸版」刊行

 江戸版「親父の小言」については、大空社から昨年出版されている(定価500円)。解説は、小泉吉永氏。ネットでも、

 「fuakiの日記」=

 http://d.hatena.ne.jp/fuaki/20130824/1377328362 

に全文と丁寧な解説が書かれていて、参考になる。現物の写真も掲載されているなど懇切なブログである。

  ● 補遺 昭和版「親父の小言」 2014年4月23日付記

 福島被災地ツアーでいわき市に出かけたら、

 Imgp3773 いわき市小名浜港の観光物産センター「ら・ら・ミュウ」で、写真のような

 清酒「親父の小言」(鈴木酒造店長井蔵、山形県長井市)

を見つけた。小言は「大めしは食うな」から始まり、40条ある。その由緒書きには、

 親父の小言は、昭和初期に浪江町「大聖寺」の住職暁仙和尚が家族に残した人生訓。昭和30年代に浪江町の(株)マツバヤが額装販売したところ、中略、多くの人の琴線に響き全国に広まりました。中略、親父の小言は浪江町が発祥の地

とある。

 

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人間が挑んではいけない夢はない

(2014.03.23)  BS1放送で

 三浦雄一郎 終わりなき冒険

 80歳、3度目のエベレスト登頂の記録

を見た。直前に、心臓の不整脈手術をうけるなどさまざまな困難の中、登頂までの80歳の、山との、そして自分との〝死闘〟の様子が記録されていた。

 このビジネス的なイベントにはさまざまな批判もあるが、

 人間が挑んではいけない夢はない

ということを如実に証明して見せたことは確かだろう。この言葉は、イギリスの登山家、ジョージ・マロリーの言葉。なぜ山に登るのかというNYT記者の質問に、

 そこに山があるからだ(Because it’s there)

と言ってのけたあの男である。

 40歳前のその男が、1924年5月、エベレスト登攀中に行方不明になって90年後の快挙だが、マロリーも、夢を懐くのは勝手だが、まさか80歳の冒険家が実際に登頂に成功するとは思わなかったであろう。

 三浦氏によると、成功の原因は、水分補給に十分気を使ったことと、老人らしく

 「できるだけ無理をせず半日仕事に徹したこと」

だった。 

 ● G.マロリーの遺体

 マロリーの遺体は1999年、ミイラとなって雪の中から発見された。問題は行方不明となったのは頂上への登攀中の出来事だったのか、それとも登頂成功後の下山中のことだったかだ。遺体からは登頂成功を証拠立てるものはなかったらしい。

 エベレスト登攀街道には、今も100体以上の登山家の遺体があるいは雪に埋もれて、あるいはむき出しのミイラになって墓標のように打ち捨てられているという。

 この話を聞いて、ブログ子は、

 いかにも鳥葬の国、ネパールらしい

と思った。

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浜松城の天守閣が見えない

Imgp3468_1 (2014.03.22)  20年の金沢暮らしから、定年後、浜松市に転職・転居したブログ子だが、移り住んだ直後、かの有名な

 石垣の天守台の上に天守閣もある浜松城

がどこにも見当たらないないことに、戸惑った記憶がある。りっぱな庭園もあるはずなのにこれまた見当たらないのにはびっくりした(左側写真にはかすかに天守閣の先端部分が一部見えるのだが、木々や建物(元城小学校)の陰になり、ほとんどそれとわからない。コンコルドホテル前付近の道路から撮影)。

 ● 家康の没後400年

  Imgp3258_1ok_5 浜松城を出世城として全国に喧伝しているのに、そして、出世の街を売り込む行政は

 浜松城は街のシンボル、中核

と位置づけているのに、その城はすぐには見当たらない。

 ブログ子は、市中心部の浜松市役所の真ん前を週一回通る。だが、市役所近くにあるはずの天守閣がどこにあるのかわからず、今もあちこち探すほどにわかりにくい。というか市役所庁舎とこんもりした樹木の間に隠れているなど、ややこしいところにある。

 金沢城には天守閣はないのだが、広大で、りっぱな石垣が見事に残っていて、金沢は城下町であったことが一目でわかる。同じ平城なのに、これとは浜松城はあまりに好対照である。

 ● 長期構想で「百年の大計」

  さすがに、これではまずい、というのであろう。

 先日、市役所が音頭をとって市民フォーラム、

 浜松城公園の未来を語る 長期整備構想

というのが、浜松市内で開かれた。来年2015年は、徳川家康公没後400年(四百回忌)にあたる(徳川家康死去=1616年)。これを機会に、

 城の姿がよく見え、城周辺の回遊性を高めよう

という市民フォーラムが開かれた。

 いまのままでは、浜松城公園の正面玄関(エントランス)はどこかもはっきりしない。市民はそれぞれ勝手なところから、城にアクセスしているのだ。

 ● 小和田氏の講演

 Imgp3263_1_2  このフォーラムで講演した小和田哲男氏(戦国史、静岡大名誉教授。写真)によると、今の規模とは違って、家康当初の浜松城は巨大城郭だった。

 むかしの「二の丸」跡に今の市役所が建っている。「二の丸」と「三の丸」の間に今の国道152号線が南北に走っている。正面にあたる大手門など、この国道のずいぶん南(連尺交差点)あたり。

 この講演を聞いて、気づいた。わかりやすい言い方をすれば、

 現在の市役所がせっかくの浜松城の石垣や天守閣を隠してしまっている

ということなのだ。

 長期構想は100年先を見据えているという。とすれば基本方針で公園を「浜松の核」に位置づける以上、かつての二の丸に建つ市庁舎自身の移転もいずれ具体的な論議の俎上にのぼらざるを得ないであろう。

 出世の街、浜松が具体的に見えるまちづくりであってほしい。家康自身もきっとそう願っていることだろう。(写真は、市民フォーラムでの小和田氏講演「浜松城と出世のまち」= 3月13日)

 Imgp3469_12ok_2  

   ( 2014年3月に完成した再興天守門= 右端。明治の初め、この門は解体された。左の天守閣は、江戸初期にはなくなっていたが、戦後の1958年に小ぶりながら再興されたもの )

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身内の「STAP」調査委では真相に限界

(2014.03.21)  発見論文の公表後なのに、肝心の発見したはずの細胞の存在が著者のうち三人も所属する理化学研究所自身が証明できていない、いわゆるSTAP細胞問題について、先日、このブログで取り上げた。

 理研が開いた記者会見で発表された〝中間報告〟も肝心な部分が「調査中」として先送りしていたのが、もどかしく気になった。

 Imgp3365_1 その原因をこの2、3日考えていたのだが、はたと気づいた。

 問題点を調査していた「研究論文の疑義に関する調査委員会」の委員長が、なんと

 理研の上席研究員

だった。これでは、身内に配慮して肝心なことは「調査中」とせざるを得ない。

 普通は、というか、研究不正を調査する委員会の委員長はしがらみを絶って独立性を高めるために外部から招くのが常道である。のに、どういうわけか、身内にした。

 これでは、上席研究員とはいえ、論文の主要著者で上司でもある副センター長に対しても厳正に対処せよというのは酷である。不正とわかっても「調査中」とせざるを得ない。

 一言で言えば、

 理研の研究不正をチェックする体制は体をなしていない

ということになる。少なくとも常道を逸している。

 こうなると研究に対する倫理観が欠けていたのは、「未熟な研究員」だけではなく、理事会をはじめ組織全体だったことになる。大変な事態であり、うっかりしていたではすまない。

 ● 学術審議会も外部起用求める

 そういう思いからだろう、3月20日付各紙(写真は3月20日付中日新聞朝刊)に

 学術審議会が、身内委員長の起用は調査の中立性の観点から望ましくないとした会長談話をまとめ、外部起用を理研に求めたこと

を伝えている。

 当然といえばあまりに当然であり、透明性の確保からも、複数の外部委員の氏名も公表すべきであろう。

 ● 数か月以内に最終報告書を

 同時に会長見解では、記者会見ではあいまいだった調査スケジュールの明示も求めている。理研は1年以上の時間をかけたい意向のようだ。が、今回の事態は日本の科学界に与える影響の大きさを考えると、常識的には、数か月以内に最終報告書を公表すべきであるとブログ子は思う。

 たとえば、2002年に発覚した史上最大の論文ねつ造事件、いわゆる「シェーン」ベル研事件では調査委設置から130頁にのぼる詳細な最終報告書(と解雇処分)公表まで、約4か月だった。

 今後の理研理事会の対応、調査委のあり方やスピード感を注視したい。

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百姓ノ持タル国  早雲と蓮如

Imgp3364_1 (2014.03.19)  北陸出身のブログ子は、つい最近まで、

 百姓ノ持タル国

というのは、唯一、室町時代後半の1480年代の加賀一向一揆のことだと思っていた。それくらい、米の生産者としての農民、百姓は、当時の北陸の守護、富樫政親を自害させるまでに経済力をつけたり、互いに団結したりして勢力を持ち始めていた。この百姓ノ持タル国は約100年間続いた。

 応仁の乱後は将軍や幕府の力と権威が相対的に弱まった。一方の農業生産は技術の向上で大いに高まり、守護なにするものぞという意識が芽生えてきた。

 ● 丹羽文雄『蓮如』

 この意識を教化という形で浸透させていったのが蓮如。一揆では、蓮如の吉崎布教など、百姓同士の横のつながりが、精神的にも軍事的にもそれまでとは格段に強化された。これが室町後期に発火点に達した。蓮如が一揆を直接あおったかどうかはともかく、蓮如の教化が結果において、一揆を成功に導いたにちがいない。

 「蓮如さん」という呼び方でもわかるが、蓮如信仰の篤いことで知られる金沢で暮らしていたころ、自らも真宗住職家の生まれだった作家、丹羽文雄さんのライフワーク

 『蓮如』(全8巻、中央公論社)

を読んだ。理系のブログ子だが、今ではちょっとした愛読書になっている。

 ● 司馬『箱根の坂』

 定年後、静岡県で暮らすようになって、もう一つ、同じ時代に、そんな百姓ノ持タル国があることを、司馬遼太郎さんの北条早雲の生涯を小説化した

 『箱根の坂』(全3巻、講談社)

で知った。静岡県東部の伊豆半島である。

 当時、加賀一向一揆にならって、早雲が自ら先頭に立って国人・地侍を鼓舞。京都の将軍の地方での分身的存在の堀越公方(御所は今の伊豆の国市韮山)だった足利茶々丸を滅ぼした。一向一揆からわずか5年後のことである。伊豆を百姓ノ持タル国として、年貢の取り立てを大幅に減らした。幕府の干渉から独立した、いわゆる領国制のはしりを始めたのである。

 さしたる家門の出ではない早雲は、言ってみれば、家督争いや跡継ぎ問題に終始せず、初めて民衆のための政治に目を向けた武将といってもいいかもしれない。

 言い換えれば、早雲は

 主人持ちの守護から独立した領国大名へ、戦国時代のさきがけ

となった。この小説を読むと、早雲は、守護制の下では、自分の行動は謀反だが、支配者に造反するにはそれなりの正当な理由、義があり、許されるという

 造反有理

の思想の持ち主だったことがわかる。早雲が、義を重んじた孟子の革命思想に共感していたのも、これで理解できる。

 社会の実質を担っている民衆や百姓の心を蓮如や早雲はしっかりと捉えていた。そしてその行動を通して、彼らから信頼を勝ち取っていた。

 ● 時代の風とらえた不遇と下積みと無私と

 それでは、なぜ、とらえることができたのだろうか。

 二つの小説を読んで気づいた。

 ともに、人生の前半が大変な貧乏と下積み、不遇の時代だったという共通性がある。だから、下から目線で庶民の願いが何であるかを自らの肌で知った。だから、歴史の土台を動かすものは何か、そこから今吹いている時代の風向きはどの方向かを読むことができたのであろう。

 読みが大きく間違っていなかったのは、両者ともに、宗教者的な無私の人だったからだと、ブログ子は思う。

 我欲は時代の風を読み誤らせる元凶である。ジャーナリストとしてこのことを、これらの小説から学んだ。

  ● 補遺

 戦国時代の終わりとともに、早雲の望んだ領国制は実現したが、早雲の目指したもう一つの目標、つまり

 百姓の持たる国

づくりが、本当の意味で始まるのは、約400年後の明治維新からだろう。

 明治政府は、家柄や門地にかかわらず実力主義で人材登用をすることを、気分としてではなく本気で考え始めていた。そうしないと西欧文明に踏み潰されるという恐怖感があったからである。

 こうした人材登用を、明治という時代の明るさとともに司馬さんは

 『坂の上の雲』(全6巻、文藝春秋社)

に描いた。

 早雲が晩年の住居、伊豆の韮山から三島大社、そして険路難路の箱根の峠、つまり箱根の坂を上りきってから、さらに坂の上に浮かぶ雲にたどり着くまでに日本は約400年の歳月を要したことになる。

 早雲の先を読む力の恐るべき壮大さを思わざるを得ない。

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相互チェックなき「共同研究」の危うさ露呈

(2014.03.15) 共同研究者が14人も名を連ねる、いわゆるSTAP細胞論文がねつ造あるいはデータ改ざん疑惑などで大揺れにゆれている。

 Imgp3285_1 小保方晴子筆頭著者を含め3人の共同研究者が所属する理化学研究所の調査委員会は、指摘されている疑問点について、記者会見を開いて内部調査の中間報告を行なった。

 細胞が存在するのかどうかの核心部分にねつ造あるいは改ざんがあるとの指摘のほか、盗用や剽窃など多くの研究倫理に反する疑問点が浮かび上がっている。このことから、野依良治理研理事長もほかの理事とともに出席。共同研究の過程において重大な過誤があったとして謝罪した( 写真上)。論文の取り下げも検討しているという。

  ブログ子の結論を先にまとめると、

 相互チェックがなく、理研はあるべき共同研究の体をなしていないことを露呈した。このことは、研究者個人に意図的な不正があったかどうかということ以上に深刻な事態である。

 極論すれば、理研の共同研究体制は研究の自由を保障し、支える組織であるはずだが、その体をなしていない。言い換えれば組織として重大な欠陥がある。このことを、この論文は明確、そして具体的な形であらわにしてみせた。

 ● 過失ではなく意図的な不正

 世界的な科学論文誌「ネイチャー」に掲載されて1か月半。中間報告は

 ねつ造や改ざんが疑われた4枚の画像のうち、2枚には「不適切な点はあるが不正はなかった」

 残り2枚の画像については「さらに調査が必要」

 2つの記述についても「さらに調査が必要」

というもの。「重大な過誤」の具体的な内容については、いわば結論を先延ばしした形の報告となった。

 会見した研究担当理事によると、論文作成にあたってSTAP細胞の生成を裏付ける生データ(あるいはそれを証拠立てる研究ノート)が当然あるはずなのに理研内にはないらしい。論文公表後も、詳細な作成手順を追加公開したのにもかかわらず、共同研究著者のだれも自らは生成の再現に成功していない。

 現時点でわかったこれだけの事実と、以下の「補遺」欄の会見一問一答だけからも、これらが単なる過失などで起こったとはとうてい考えられない。不正の意図なくしては起こりえない。理事長の言うような「極めてずさん」「重大な過誤」ですまされない意図的で悪質な研究不正ではないか。

 ● 理事長「連携に不備」 

 注目されるのは、会見した総合研究センター長が

 「論文の体をなしていない」

と手厳しく批判し、掲載取り下げの方向で検討していることを示唆したこと。

 もう一つは、ノーベル化学賞受賞者の理事長自身が

 Imgp3335_1 「研究チーム間の連携に不備があった」

と指摘したことである。どんな不備か、具体的な言及はなかったのが残念。

 ブログ子に言わせれば、連携に不備という穏やかな表現になっているが、不備どころではないと思う。連携の不備ではなく、はっきり言えば

 理研所属で同じ屋根の下の共同研究者が3人も名前を連ねているのに、誰一人、そしてただの一度も、STAP細胞が生成されて存在するという論文の核心部分を実際に確認していなかった

という研究者としての基本ができていなかったこと。一人ひとりの基本が三人とも見事にできておらず、騒動に発展した。これは自然科学研究者として

 万死に値する

といえる。

 しかも、確認していないのに、ちゃっかりと論文には自分の名前だけは連ねた。

  ● 名ばかり共同研究の横行

 論文の重要な部分の実験を担当した元理研研究員で現在山梨大教授も、実証の前提となるデータをそのまま信用して実験を組み立てたという。つまり、相互チェックすることなく研究結果を出している。ところが、論文公表後にはその確かなはずの前提データがあやふやになり、論文取り下げを共同著者に呼びかけざるを得ない事態にまで追い込まれている。

 共同研究が一方通行の流れ作業

になっていたのだ。ベルトコンベア研究者は左側から流れてくるデータになんの疑問も持たず、自分の担当パーツの結果を加えて、右側の研究員に手渡しする。

 Imgp3276_1_2 車の組み立て工場のように、確立された研究や技術なら、あるいはそれも効率的でいいかもしれない。が、未踏の領域ではまったく通用しないシステムといえる。

 車の場合でもリコールを起こさないよう、メーカーは品質管理技術(QCT)には驚くほどの神経を使っている。

 ● 必要な論文の品質管理技術(QCT)

 この10年、今回の騒動と似たような出来事は世界的に話題になっただけでも、米ベル研究所で2002年に発覚したヤン・ヘンドリック・シェーン研究員事件(高温超伝導物質分野、「ネイチャー」「サイエンス」誌投稿)や、2006年の韓国ソウル大教授事件(ヒトクローン胚からのES細胞作成分野、「サイエンス」投稿)が知られている。

 今回同様、いずれの事件も事前の専門家による査読段階で複数のレフリーから、何回か疑惑があるとの警告が発せられていたことを見逃してはなるまい。

 また、いずれも共同研究にかかわる出来事であったことは偶然ではない。起こるべくして起こったのだ。

  流行の共同研究には責任の所在があいまいになりがちで、そのあいまいさが相互チェックをおろそかにする原因になるなど、危うい落とし穴、あるいは弱点がある。共同研究者同士がお互いに寄りかかる構造のなかで、引き返しのきかない「大丈夫だろう」「だろう」で研究が進みやすい。 

   そう考えると、今回のSTAP細胞論文〝事件〟は、全貌解明にはほど遠い中間報告の段階ではあるものの、少なくとも

 共同研究においては、データや成果を相互にチェックしあうなど厳格な品質管理技術(QCT)の確立が必要である

ことを警告したといえる。

 研究機関自ら、チェック機能強化に積極的に取り組むよい機会ではないか。

 ● 歴史の検証にたえる報告書を

 Imgp3292_12 ほかの研究機関も、先取権争いのあまり論文の品質管理やチェックを投稿先のレフリーにお任せするという安易な雰囲気が強すぎる。今回の出来事を他山の石とし肝に銘じた改革を望みたい。

 そのためにも、今回の出来事ではきちんとした最終報告が待たれる。世界に向けた歴史の検証にたえる報告書を早く仕上げる責任が理研にはある。

 ● 投稿から掲載までの検証も

 この論文は、投稿から掲載まで異例とも言える5年にもわたる紆余曲折があり、「ネイチャー」誌の150年にのぼる歴史にその名を残こすことは間違いない。異様なこの展開も含めた詳細な調査報道は、商業科学雑誌や査読制度のあり方やその改善策なども含め、世界の科学界に多大の貢献をするだろう。

 ( 写真はいずれもNHK総合テレビ画面より = 3月14日夜のニュース )

  ● 記者会見の一問一答 

 WEB版毎日新聞の

 http://mainichi.jp/feature/news/20140314mog00m040006000c.html

に記者会見の詳報が掲載されている。

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デモの中から街を見る             -再稼動反対の3・9浜松集会

Imgp3157_1 (2014.03.10)  原発事故から3年ということで、全国行動集会が各地で開かれている。浜松市でも、さまざまな団体が協力してJR浜松駅広場で日曜日の午後行なわれた。日本一危険といわれている浜岡原発(御前崎市)再稼動に強く反対する集会である。

 発言者のなかには、原発さえやめてくれれば、事業者の中部電力をむしろ応援しますとユーモラスに訴える遠隔地からの参加者もいた。

 集会後は繁華街を通る抗議デモも行なわれ、ブログ子も参加した。デモといえば労働者が主体であり、真っ赤な旗を押し立てての行動のように思いがちだ。が、子どもやお母さんたち、ブログ子のようなシニア世代がほとんどだった。若者がほとんど参加していないのが、団塊世代にとってはさびしい気持ちだった。

 デモ行動中にも、参加のお母さんたちが、若者たちに参加を呼びかけたりもしていた。しかし、まちなかでアイスクリームを食べながらデモを見ているだけで、反応は鈍かった。

 対照的に、「負の遺産を未来に残さない」と背中に墨で書いたシニア世代もいた。真剣なまなざしで中部電力浜松営業所までの長い道のりを声を上げて市民に訴えていた。

 Imgp3184_1 デモの旗には

 浜岡原発を今、廃炉に。

 明るい未来 さようなら原発。

 とり返しがつくうちに決断しよう。原発廃棄。

 左の写真のように、手づくりのカラフルな表示で

 浜岡原発NO! 金曜行動

を静かに呼びかけてもいた。

 地元大企業の職場からの参加者の背中には

 浜岡原発再稼動を絶対許すな

と書かれている。自然エネルギーへの転換を訴える旗も快晴の空に掲げられていた。

 Imgp3190_1 そうした訴えに耳を貸さないかのように、中部電力浜松営業所の玄関や窓はデモが通り過ぎるまで閉じられたまま。これが今の電力業界の意志を表しているようだ( 写真右 )。

 南海トラフ巨大地震では浜岡原発は強い揺れと津波に同時に襲われるだろう。そのとき、東北震災のように、緊急原子炉停止(スクラム)が成功するとは限らない。おそらく失敗するだろう。

 失敗し原子炉内で核暴走となれば、静岡県は避難騒ぎどころではなく、破滅だ。たとえ避難が始まっても、30キロ圏の避難区域人口約100万人の移動は、秩序だった「段階的な避難」とはおよそかけ離れ、大混乱となることは必至だろう。

 そうならないために、とりかえしのつく今こそ、大事なときであるとデモから街を眺めながら感じた。  

 デモが通り過ぎた後、警察官も引き上げた中電浜岡営業所は何事もなかったかのように静まり返っていた。

 ( 写真下=集会光景。写真はいずれも、ダブルクリックで拡大できる )

 Imgp3177_1_2  

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能楽を楽しむ

(2014.03.05)  1か月ほど前のこのブログで

 世阿弥の『風姿花伝』

について、書いたら、金沢在住の読者から、先日、いろいろなご教示をいただいて、恐縮した。金沢は定年まで働いていた第二の故郷だから、余計にうれしかった。

 金沢には、立派な県立の能楽堂が兼六園に隣接して建てられている。なにしろ、加賀宝生の盛んなところだから、当然といえば当然。ブログ子などの芸能オンチでも、少しは能楽師と話をする機会が何度かあった。

 さらに、10年ほど前には、能衣装などの美術品を収集展示し、公開する

 金沢能楽美術館

がこれまた兼六園近くにオープンした。豪華な能衣装をきちんと毎年虫干ししたり、ときには修理のため京都西陣に依頼する。こうした維持には大変な費用がかかるらしい。

 しかし、ブログ子は一度も能や狂言、つまり能楽の決まりごとなどについては、きちんと学んだことはなかった。

 そんな事情もあり、先日定年後に暮らしている浜松市内で

 能・狂言のとっておきの楽しみ方

というイベントに参加した。写真(= アクトシティ浜松 大ホール、3月3日午後)でもわかるが、驚くほどの盛況だった。

 Imgp3120_1 能の解説は、観世流の能楽師、青木道喜(みちよし)氏、狂言のほうは、野村万作氏に師事した高野和憲(かずのり)氏。いずれも指導的な立場にあるベテラン。

 狂言は解説だけでなく、

 魚説法(うおぜっぽう)

を実際に演じて、決まりごとをわきまえながら拝見した。演じている中身がよくわかり、会場からも何度となく笑いが広がっていた。

 能、狂言の楽しみ方を少し知った貴重な機会だった。

 ● 補遺 解説パンフレット

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そしてソチの環境も暮らしも崩壊した

(2014.03.04) BS世界のドキュメンタリー「今、ロシアは」を見た。

 開催まであと1年を切ったソチ五輪のドタバタ現地の様子を報告したものである。官僚が要求する巨額のわいろによる建設費の高騰、計画性のない道路建設による度をこした交通渋滞、無計画によるすさまじい環境破壊、国民の生活や財産権を無視した強引な土地収用などがレポートされていた。

 これらの結果、五輪後はそのツケで、次々と問題が顕在化してくるだろうというものだった。

 ドキュメンタリーの結論を言えば、プーチン大統領の思惑とは逆に

 ソチは暖かな高級リゾート地に生まれ変わるどころか、いずれだれも住まない〝五輪墓地〟になるだろう

というものだった。

 五輪開催は、市名の由来「美しい草原」のソチが、環境も暮らしも崩壊された無残な荒廃地になるのかどうか。他国のことながら、注視していきたい。

 ロシアが依然として野蛮で、強権的な共産主義の国のままであるのかどうか。気の毒だが、ソチはその試金石となるだろう。 

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現代の「罪と罰」  映画ハンナ・アーレント

(2014.03.04)  ユダヤ人虐殺にかかわったナチス戦犯の

 アイヒマンの戦争中の行動の何が問題なのか

をテーマにした実話的な映画、「ハンナ・アーレント」を観た( ドイツ、フランス、ルクセンブルク、2012年。写真= 同映画のパンフレットより )。

 自らもドイツ系ユダヤ人として強制収容所に入れられた経験を持つアーレント。彼女は、実際のアイヒマン裁判を1960年代に自ら希望して直接傍聴している。

 Imgp3112_1_2 そして実存主義の哲学者として冷静な思考と傍聴の結果について、同胞の感情を逆なですることになるのを承知で公表した。寄稿先は亡命先のアメリカでは有名な「ニューヨーカー」だったから、予想通り、ユダヤ人からの非難などの反響はすさまじかった。

 地獄に落ちろ、ナチスのクソ女

とまで脅迫的な酷評をされたらしい。

 ● 映画の二つの現代的意義

 結論を先に言うと、この映画の現代的な意義を、ドストエフスキーのラスコーリニコフ流になぞらえれば、

 現代の「罪と罰」

について、描いているということである。

 一つは、官僚の「罪と罰」であり、もう一つは新聞論説委員の「罪と罰」である。

 虐殺について、上からの命令に従っただけだとアイヒマンは裁判で証言する。ユダヤ人に憎悪があるわけではなく、法律に決められた組織に従っただけだというのだ。

 つまり、何一つ、自発的に行なったことはない。命令に従っただけ。

 私に何の罪もない。罰などとんでもないというわけだ。

 ここからアーレントは、

 アイヒマンはきわめて凡庸な役人だった

と結論付ける。役人としての義務感だけであり、良心というものは考えられなかったというわけだ。利己心からの悪ではない。

 それどころか、裁判では、ナチスに協力するユダヤ人幹部もおり、迫害者のモラルとともに、被迫害者のモラルもあったはずだと同胞にも批判の矛先を向けたのだから、騒ぎは大きくなったらしい。

 この映画を見ながら、日本でもエイズ問題では、1990年代ほとんど官僚の責任が裁判で問われることはなかったことを思い出した。また、水俣病でもそうだった。問われたのは民間人、民間企業だけだった。

 そして、今、原発事故を起こした東電も政府要人も誰一人刑事責任を問われることがない異常事態になりつつある。大きすぎて、責任が問えないというわけだ。

 日本だけではなく、あのリーマンショック(2008年9月)を引き起こしたウオール街の強欲金融資本家たちもまた、いまだに誰一人裁判でその責任を問われたものはいない。ただ、法律に認められることにしたがって行動しただけであるというのが、彼らの議会証言なのである。

 映画では、アーレントは、

 とてつもない悪というのは、極端に凡庸な悪から生じる

と断じている。利己心のない悪の恐ろしさを描いた映画といえば、この映画の核心を当たらずといえども遠からずで射ているだろう。

 ● 論説委員にこの覚悟と勇気はあるか

 この映画のもう一つの現代的な意義は、

 新聞社の論説委員にアーレントのこの覚悟と勇気はあるか

という点にある。思考停止することなく、考えることで人は強くなるというアーレントの信念。

 哲学者としては当然の考え方だが、社会の常識にとらわれずに気づかない巨悪に迫る。ペンでそんな社会悪に立ち向かうことが仕事であるはずの論説委員もまたこの信念をどれくらい持っているだろう。

 映画を見ながら考えたが、3人もいれば、多いほうだろうという忸怩たる感慨をいだいたことを正直に書いておこう。

 書くことで、あるいは書かないことで、人は堕落するとは思いたくない。

 ● 注記 

 イスラエルでのこの裁判の結果、A・アイヒマンは結局、死刑になっている。ユダヤ人虐殺の最高責任者、H・ヒムラーはヒットラーの死後、逃走したが、逮捕された。しかし、逮捕後自殺。副総統だった、ルドルフ・ヘスは戦後のニュールンベルグ裁判で終身禁固刑。1987年、40年以上の獄中生活の後、病死。

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急がば回れ 開幕戦完封負けのジュビロ

Imgp3097_1 2014.03.02)  初めてJ2に降格したジュビロ磐田の2014年開幕戦、しかもホームゲームを1対0で、コンサドーレ札幌に〝完封負け〟した。

 テレビ観戦だが、明らかに地力がついていない。基礎体力がない。

 このブログ(昨年11月24日付)にも書いたが、この10年で徐々に失ってきたものを1年で取り戻し、来季J1復帰を果たそうというのは、この試合を見ただけでも無理なのがわかる。

 ジュビロファンの欲目で見ても、今回の試合は、いいところなしなのである。

 Imgp3096_1 そのことを象徴するのが、期待のFD前田選手のまさかのPK失敗。相手に完全に動きを読まれていた。地力不足で、ここぞというときの決定力がついていない。

  サッカーに詳しくないブログ子だから、これ以上は言わないが、

 ジュビロは変わった

という印象はなかった。山崎、金園両選手の途中投入にもかかわらず、生彩がなかった。

 急がば回れで、地力をつけること、若手をもっと育てること、くり返すようだが、これに尽きるのではないか。

 雨の中のゲームだった。ジュビロのチーム状況は依然として雨の中だと思う。

  ● 補遺

 翌日の3月3日付静岡新聞スポーツ面の観戦記事は、決定機は再三あったが

 「出直しを誓う磐田が課題を突きつけられた試合だった」と厳しい評価を下している。

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 ( いずれの映像も静岡「SBS」テレビ画面から。3月2日午後、ヤマハスタジアム )

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J.モノー『偶然と必然』を読む  読書ノート

(2014.03.02)   最近は、大学生時代に読んだが、当時あまりよく理解できなかった気になる本を読み返している。定年でひまができたので、こんなことができるようになった。

 Imgp2457_2 書庫ならぬ倉庫から、少し古ぼけた

 『偶然と必然』(J.モノー)

  『人間機械論』(N.ウィーナー)

  『現代物理学の思想』(W.ハイゼンベルク)

 『二つの文化と科学革命』(C.P.スノー)

を取り出し、書き込みや線が引かれたところを中心に、この数日をかけて読み返してみた。

 いずれも、みすず書房の本で、買った時にはかなり高い本だった気がする。いずれも本文中には写真が一枚もない。活字ばかりの本なのによく買ったものだと、まず感心した。

 当時はまだ若く、勉学することに憧れ、情熱を持っていたからだろう。岩波新書のようなお手軽本ではないこんな硬い本を読んでいたのだ。

 ● ライフワークを書く

 そう考えると、最近読む本は、カラフルな雑本のようなもの、目先のハウツウものが多いことに気づいた。理系の本でも、問題の根底を問いかけるような読むべき本を読まなくなったことが如実にわかった。面白い本だけを読んでいるのだ。

 定年で自由の身になったのに、果たしてそれでいいのかという忸怩たる思いがする。文系で言えば、

 613scmyw7ol__sl500_aa300__2 漱石文学全集全11巻や源氏物語全10巻をじっくり時間をかけて読み、味わうのが、余裕のある定年後の本当の読書ではないのかという反省である。

  上記の本は、いずれもその道の大家の到達点に立ち、得た本質的なものを、広い視野から一般に書き下ろしたものである。いわば大家のライフワークなのだ。

  とりわけ、ハイゼンベルクの本は1960年代の後半、同氏の来日講演があったことから、熱心に何度も読んだなつかしい記憶がある。

 ブログ子自身、そろそろライフワークに取り掛からなければならないという気持ち、あるいはそんなまとめの本を書きたいという気持ちにさせられた。

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人の行動は氏か、育ちか  読書ノート

Imgp2269 (2014.03.01)  簡単に言ってしまえば、25年にもわたる表題のような欧米の生物学論争を、社会学者によって克明に論じた2巻本が

 『社会生物学論争史』(ウリカ・セーゲルストローレ、みすず書房、2005年。原著= 2000年)

である。この10年近く読もうと思ってはいたのだが、なかなか手が出せなかった。が、ひまもできたので、ついに読んでみた。

 もともとの論争の出発点は、浩瀚な

 『社会生物学』(E.O.ウイルソン、原著 = 1975年)

であった。どこが論争を呼んだのかというと、行動の基盤はすべては生物学的に決っており、人間を含めてその行動の体系化は可能であるとした点である。アリ研究の世界的な大家のウィルソンのことだから、アリについてはそうかもしれない。しかし、人間は違う。人は遺伝子の操れ人形ではないというのが普通の生物学者の反応だった。

 ちょうどこのとき、高名なダーウィン原理主義者の生物学者、R.ドーキンスも

 『利己的な遺伝子』(原著 = 1976年)

を出版していたから、論争に火がついた。

 ● 社会生物学論争史

 ブログ子の結論は、人間の行動は

 氏も育ちも大事である

というものだが、研究者となると、ましてや社会学者がかんでくると、そうもいかないらしい。えんえん25年間も論争が続いたが、もともとのウィルソンが嫌気がさして、別の分野の研究に鞍替えしてしまったことで、1990年代前半、論争は下火になったらしい。

 ブログ氏に言わせれば、

 科学の効用は引き出すことはできても、価値を自然から引き出すことなどできない。価値は社会がつくりだすものだからだ。

 したがって生物学的事実からなんらかの政治的な結論を引き出すことなどできない。にもかかわらず、人間はどういう類推からか、あるいはアナロジーからか、単なる事実発言を、その事実の効用から、それを発言者の政治的な見解であるかのように、都合よく、あるいは短絡的に考えてしまう。

 単なる事実にすぎないのに、そうではあるまいと考える社会がこうしたすり替えを生んでいる。

 これが、ブログ子の読後感であった。

 ● 1990年代、サイエンス・ウォーズへ

 この本をようやく読み終えて、はたと気づいた。こうした論争は何も生物学だけに限らない。生物学者同士ではなく、物理学者と社会学者という学問間に飛び火した。

 いわゆる1990年代前半のアメリカで起きた物理学者たちと社会構成主義の社会学者たちの間に展開された

 サイエンス・ウォーズ

である。発端は

 『高次の迷信』(P.グロス/ H.レビット。原著=1994年)

である。いわば、現代「科学論」論争である。これも結局

 『知の欺瞞 ポストモダン思想における科学の濫用』(A.ソーカル/J.ブリクモン、2000年。原著 = 1998年)

によって、ややえげつないやり方ではあるが、構成主義のいかがわしさを公然と証明して見せた物理学者のほうに軍配が上がる。

 ● 輸入学問の日本の悲しさ

 その後、サイエンス・ウォーズがどうなったかは知らないが、

 『サイエンス・ウォーズ』(金森修、東京大学出版会。2000年)

という解説本が、科学論研究者によって出ている。

 残念なのは、こうした問題に対して、日本ではほとんど論争らしい論争がなかったことだ。

 これは、学問というものの大きな枠組みは、海外から輸入されるものであり、与えられるものであるという日本人のメンタリティのせいだろう。輸入学問の悲しさが今も尾を引いている。

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忘れまい焼津の水爆被ばく 冷戦のなかで

Imgp3081_2 (2014.03.01)  今から60年前、焼津港を出たマグロ漁船が南太平洋ビギニ環礁でアメリカの初めての水素爆弾の実験に巻き込まれた。被ばくは3月1日だった。いわゆる

 第五福竜丸被ばく事件(1954年3月)

である。米ソが競って、原爆開発からより強力な水素核融合爆弾の開発にしのぎを削っていた、その真っ只中で起きた事件である。

 そんなこともあり、ブログ氏は乗組員だった大石又七さんの手記

51yl6itjgkl__sl500_aa300_  『死の灰を背負って』(新潮社。写真中)

を読んだ。ちょうど、この3月1日午前、NHK総合テレビも、この手記に沿った

 「又七の海」

というのを放送していた( 写真上 )。初回放送は手記の出版された翌年、1992年。今回はそのアーカイブ版であった。

 映像を見ながら、心を痛めたのは、被ばくした第五福竜丸が、船の名前まで変えながら、まるで邪魔者のように社会から遠ざけられ、行き場のない漂流を続けていたことである。

 その一部の写真も放送されていた( 写真下= 東京湾江東区。番組画面より )。それが、東京湾の夢の島でその歴史的な使命をはっきり認識して、展示されるようになったのは、この10年くらいのことなのだ。

 映像や手記を見ながら、この事実を重く受け止めなければならないと思ったことを正直に書いておきたい。

Imgp3092_1  静岡県、つまり、焼津市でも第五福竜丸の歴史的な重要性に気づいたのは、ついこの数年のことなのである。

 あらためて放射能汚染の風評被害の恐ろしさを痛感した一日だった。

 そして、これは決して、60年前の過去の出来事などではない。3・11後の福島でも、現在進行形で起きていることなのだ。

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