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「カルメン故郷に帰る」はなぜカラーか 

(2014.02.17)  戦後につくられた映画なのだが、ずいぶん古いというか、懐かしい映画だと、

 監督が何をテーマにし、そのテーマの下にその映画や映像で何を表現したかったのか、言いたいのか

ということがよくわからないことがままある。

 ● 日本独立の年に公開

 Carmen_dancing_2 公開された当時は、テーマ設定や言いたいことなど、そんなことは当たり前で言うまでもないという場合でも、時がたつとそんなことがおきる。

 先日、ブログ子も参加している小さなシネマカフェで、戦後間もない1951年に公開された

 「カルメン故郷に帰る」(高峰秀子主演。木下恵介監督)

が上映された。木下監督は、ブログ子の暮らす浜松市出身。東京で活躍する人気ストリッパー、カルメン(高峰秀子)が故郷の浅間山ふもとの北軽井沢あたりに、いわば「錦を飾る」大騒ぎの物語。

 監督は充実の39歳、しかも戦後初の作品づくりであり、あまつさえ日本で初めての本格カラー作品である。力が入らないわけはない。事実、カラーという挑戦的な作品ということもあって、興行的に大ヒットした。

 なのに、そのテーマが今ひとつ、はっきりしない。見終わっても、何を言いたいのか、釈然としなかった。上映後の語らいの場でも明確な説明が得られなかった。

 ● 戦後のどぎつさ、軽薄さを表現

 夜、晩酌をしながら、ほろ酔い気分で考えていて、気づいた。

 この映画は、憲法も出来上がり、戦後日本が独立を果たした年に公開された

という事実である。公開前年には朝鮮戦争が勃発したものの、日本は特需にわきはじめたという時代背景を抜きにしてはこの映画のテーマはわからない。

 この映画には、人権とか、文化や芸術、教育と暴力という目新しい新憲法言葉が日常的に人々の口にのぼる。よく理解できないまま、大きく世相が変化するなかでの自由さ、明るさ、そして軽薄さをあたたかくはあるが、しかし鋭く風刺した。

 いくら戦争に負けたからといって、こんなんで日本はいいの ?  と反語的な意味を込めて、この映画の制作に取り組んだのであろう。

  戦後日本の軽薄なまでの世相の急速な変化

 それこそが、監督のこの映画に込めたテーマだったのではないか。

 今では、自由さ、明るさ、軽薄さなどというのは、軽薄短小で、もはやおなじみであり、とても映画のテーマになどになりようがない。

 が、独立前後では、これが最先端のテーマだったのだ。これからの日本に残すべきものが戦前のものにもまだまだあったはずだ、それはどこへ行ったのかという監督の嘆きや戸惑いがこの映画をつくらせた。その嘆きを監督はカラーという戦前にはなかったものでどぎつく、強烈に表現したかったのだろう。

 それだけでなく、配役にしても、「婦系図」など戦中のかたいイメージの高峰秀子を、戦前では考えられないストリッパーのカルメン役に抜擢するなど、180度転換させてみせる演出で、いかに世相が変わったかということを強烈に表現した。

 これが当たった。事実、調べてみると、この映画の公開の年、

 「ストリッパー・ベスト10」

というのが戦後初めて選定され、発表されている。第一位はジプシー・ローズだった。

 当時の世相の様変わりを、説明ではなく、強烈な印象の伴うカラー映像と思い切った配役の登用で見事に表現してみせたのだ。木下監督自身、まじめな高峰がストリッパー役をするというのだから、ヒット間違いなしと確信を持ったのは間違いない。

 ● 木下映画の一貫性

 木下監督は、カルメン映画の3年後、同じ高峰を主役にすえて、有名な

 「二十四の瞳」(1954年、原作= 壺井栄)

を公開することになる。戦争の悲惨さを静かに告発した反戦映画である。瀬戸内海の小さな小島にも、そしてそこの小さな子どもたちの多くにも消え去ることのない傷跡を残すというメッセージである。

 この映画の公開の年には、米ソ冷戦が加速するなか、水爆ビギニ事件が発生していることを忘れてはなるまい。この映画は決して抽象的な反戦ではなく、目の前に迫っている反戦の映画だった。

 同時に、戦前にもいいものがあったことを静かに映像で見せている。

 ● 時代背景を知る

 そして、1960年安保の年、これまた高峰を主役にした反戦映画

 「笛吹川」(原作 = 深沢七郎)

を木下監督は公開している。

 武田信玄など戦国時代をとりあげてはいるものの、戦争で悲惨な目に合うのは農民などの庶民であることを静かに告発している。この映画のラストシーンでは、足の悪いおばあさん高峰の叫びは、明らかに戦争というものの過酷さを訴えており、国民に今こそしっかりしなければならないということを思い知らさせる痛ましいほどの、そして切実さのこもった名演技であったと思う。

 高峰秀子の戦後の反戦思考は、こうした木下映画から培われていったのだろう。

 懐かしい映画を見る場合、公開時の時代背景を知っておくことの重要さを思い知らされた上映会だったと思う。

 (写真 = 自由百科事典「ウィキペディア」の<カルメン故郷に帰る>の項から。著作権フリーのパブリックドメイン写真)

  ● 「青い山脈」との関係について

 「カルメン故郷に帰る」の制作では、その2年前に公開された

 「青い山脈」(原節子主演、今井正監督、東宝映画。1949)

を十分に木下監督は意識したであろう。若者たちが自転車で草原を走り回るシーンは新しい時代の到来を見事に表現している。青い山脈の主題歌のなかの「古い上着よさようなら」の歌詞もあまりに強烈であり、有名だ。

 だから、木下監督はカルメン映画の制作では、明るさを表現したいという点ではそれなりの意欲を持っていたではあろう。しかし、同じ明るさでも、青い山脈とは異なる視点から戦後日本を切ってみせようとしたのだと思う。

 Imgp3111_1_2 こう考えると、「カルメン故郷に帰る」の主役について、若い高峰秀子を、それもストリッパー役として起用したのは、偶然ではなく、計算されたものである。そこには原節子を十分に意識した監督の並々ならぬ気迫と気概を感じさせる。

 それに十分応えた高峰秀子の俳優魂も、並みではない。女優として、大きく開眼することになった、いわば記念碑的な出演だったように思う。

 ● 補遺 

  この映画については、右のようなポスターが残っている。

  出典= 『不滅のスター 高峰秀子のすべて』(出版協同社、1990年)

 

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