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2014年2月

今、みえてきたもの まだみえないもの   - 「3・11」から3年

Imgp3030_12  (2014.02.26)  福島原発事故からまもなく3年になるが、先日、沼津市で

 ふくしま共同診療所からの報告

という学習会が開かれ、ブログ子も浜松市から参加した。「すべての原発いますぐなくそう ! 全国会議NAZEN」静岡県東部の会(山口武代表)が開いた。講師は、共同診療所の杉井吉彦医師(左下)。

 ● 疑わしきは安全側に

 福島県内で今何が起きているのか

という点について、医師の立場から具体的に現状の問題点を洗い出していた。

 結論を先に言えば、

 「疑わしきは安全側に立つ」という医療体制を一刻も早く整えないと、東電を原因企業とする放射能による福島県版〝水俣病の悲劇〟が今後10、20年後に現実化する

というものだった。

 Imgp3026 医学的に因果関係が具体的に確認されるまで、1960年代の水俣病は放置されていたが、その間に被害は急速に拡大した。この過ちを、行政や医師は今また繰り返してはならない

というのが、ブログ子の学習会を聞いた感想だった。

 ● 甲状腺がんの検診結果

 今月初め、福島県は、25万人以上の県内18歳以下(事故当時)を対象とした甲状腺に対する健康管理調査の結果をまとめた。

 それによると、甲状腺がんの疑い42人と甲状腺がんと判明した33人合わせて計75人であることがわかり、公表した。

 これがどの程度、今回の原発事故で大気中にまきちらされた放射性ヨウ素(半減期8日)を吸い込んだことによる影響なのかどうかが、医学的な焦点である。

 甲状腺の罹患率というのは事故前には世界的にもよくわかっておらず、推定で、

 10万人に1人、あるいは100万人に1人

とずいぶんアバウトな数字。また、発生率には地域差があることもわかっている。

 しかし、仮に発生率の高い10万人に1人としても、今回の調査ではせいぜい数人のはずなのに、1桁も高い発生となっている。異常である。

 百歩譲って、仮に、さらに高い発生の1万人に1人程度としても、今回の結果は、疑いも含めれば、その割合よりも数倍も高いことになる。

 県の検討委員会では、今後精査は必要だがとしながらも、調査結果は

 「原発事故に伴う被ばくの影響とは考えにくい」

としている。検討委の分析医師の発言だが、どこからこんな結論が出てくるのか、まったく不明というべきではないか。

 問題なし、というあらかじめ答えを用意しておいて、それに〝アワスメント〟するための発言であろう。医師の倫理にもとる発言である。

 このことが、今、あらわに見えてきたものの一つである。

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  考えにくいという見解が正しいかどうかだが、チェルノブイリ事故では事故の4、5年後から急速に甲状腺がんの子どもたちが増えていることから、福島でも来年あたりから、どうなるか注目されるところだ(写真上= チェルノブイリ事故の甲状腺流行曲線)

 つまり、影響がないなら、当然だが、流行曲線の急増傾向は見られないはずだ。むしろ、発生数は毎年ほぼ一定に今後推移するであろう。

 その様子のパネルを示す( 講演した杉井医師の資料から。写真ダブルクリックで拡大 )。

 ● 重大な異変を示す「A2判定」

 今度は、まだ見えてこない問題点について。

 Imgp3077_1 以前にも書いたが、甲状腺検査の判定条件、いわゆるA1(異常なし)、A2(小さな異常はあるものの、ただちには問題はない。2年後にもう一度検診)という

 判定のA2問題

である。共同診療所の独自の調査結果が右写真(甲状腺超音波検査結果 = 福島診療所建設委員会発行「SunRise」2013年10月11号))。

  それによると、無数微小のう胞(蜂の巣状のう胞)が

 検査対象者の17%、のう胞(水ぶくれ)のある検査者の36%

に検出された。通常はこのような異常検出はきわめてまれであり、甲状腺全体が何らかに侵されている可能性を示唆しているという。

 問題がないとされているA2判定には、いまだみえざる危険なシグナルが含まれている

と考えるべきではないか。2年間も検診を放置していいわけがない。

 ● 海洋汚染が国際問題に

 もうひとつ、杉井医師の心配は、今はまだ見えてこないが、

 汚染水問題で、今後海洋汚染が国際問題になるだろう

と予測していた。ブログ子もそう思う。

 科学誌「ネイチャー」も最近、この問題を重視し、日本に当事者能力を疑問視する見解を示し、国際協力が不可欠との論説をかかげ、警告している。IAEAなどの国際原子力機関も同様の見方をしており、共同調査を日本政府(原子力規制委員会)に積極的に働きかけている。

 最後に、主催者の山口代表が、すべての原発をいますぐ廃炉にし、再稼働も阻止を訴え、今年も3月11日の反原発福島行動に行き、これらをアピールしようと呼びかけた。

  (写真下=  NAZEN東部の会の山口武代表(中央)あいさつ、大手町会館(沼津市)。右端= 杉井医師。2月23日)

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 ● 重要な補遺 よく言われる「100万分の1の確率」の意味

 Imgp3475_1ok 甲状腺がんの話で、よく使われる

 100万分の1の確率

がどういう意味なのか。つまり、どのようにしてこの推定値が出てきたのか、きちんと把握して使わないと、誤解や判断の誤りを犯す。

 このことを東大病院放射線科の中川恵一准教授が

 「週刊新潮」2014年4月10日号の連載記事「がんの練習帳」で

 福島で甲状腺がん急増の「デマ報道」

で明解に解説してみせている。つまり、このアバウトな確率について

 「現在分かっているのは、症状が出たため病院に来て小児甲状腺がんと診断された患者数だけで(推計された数字)で、無症状の(、したがって病院に来ていない)子供を(すべて)検査してどのくらいの率で甲状腺がんが発見されるのかについての正確なデータは(世界的に探しても)ありません。」

ということなのだ。

 放射線のほとんどない通常の状況で、すべての子供を全数検査して罹患確率を弾きだせば、当然のことながら、発見の確率は「100万分の1」より大幅に高まり、10万分の1、あるいは1万分の1の罹患確率になる可能性もあるというわけだ。

 福島の健康調査は、そのうむを言わさず子供たちをすべて調査した。そうしたら、27万人のうち33人がはっきりと甲状腺がんだった。

 だからといって、ただちに、ストレートに、100万分の1の確率から考えると、福島の調査結果は多すぎる。だから、これは放射線の影響が出ているのだ。とは断定できないことになる。

 この点は、確かに注意する必要がある。疫学的な調査方法において、確率計算の分子の部分が病院に来た子供をカウント対象にしたものなのか、それとも来る来ないにかかわらず全数調査した場合の患者数を分子にするのとでは当然ながら結果の確率は大きく異なる。単純な比較ができない。バイアスがかかっていることを見逃してはなるまい。

 この点を中川准教授は強調している。重要な指摘であると思う。

 巷間なんとなくいわれている100万分の1というのは、すくなくともこれくらいの確率はあるが、来院しない多くの患者もいることを考えると実際はもっと大きな確率だろうということをきちんと理解することがこの問題を理解する上で、一つのポイントである。

 しかし、だからといって、中川准教授が言うように

 デマ報道

とまでいえるかどうかは疑問。なぜなら、放射線の影響がない場合、つまりもともとの本当の推定値がどのくらいなのか、世界的な、そして地域差を考慮に入れた、たとえば平均確率値が分かっていないからだ。

 このもともとの確率が仮に1万分の1くらいだとすると、福島の調査結果は、確かに放射線の影響が出ているとまではいえない。しかし、この仮の1万分の1の確率が正しいのかどうかが、世界的に見ても正しいとは疫学調査で確かめられていない。ここに問題がある。

Imgp3474_2  

 この問題はとくに今後重要になると思うので、関心のあるブログ読者のために全文をあえてきちんと紹介しておきたい。写真をダブルクリックすると拡大できる。

 ● 補遺2  国連科学委「がん増加確認されず」

 国連の科学委員会も最近、福島原発事故とがんとの疫学的な因果関係について検討結果をまとめている。たとえば、

  Imgp3466_1_201404021_2 朝日新聞2014年4月2日付朝刊に

 原発事故後の福島県民分析

 がん増加、確認されず

である。ただし、記事を読む限り、

 不足する現段階のデータでは、確認されず

という条件がついていることを忘れてはなるまい。影響がなかったと結論付けているわけではないのだ。

 記事によると、

 「(.累積で)80ミリシーベルト近く被曝した子が大勢いれば、甲状腺がんの増加が統計的にもわかる可能性があるとした」

と書いている。がんの医学的なリスクが高まるとされているのは100ミリシーベルト以上だからだろう。実際には、原発から20-30キロ圏内の1歳児の事故後1年間の甲状腺被曝量は平均で47-83ミリシーベルトと推計。しかし、高線量被曝データが不足しているため、甲状腺がんが増加しているのかどうか、統計的に裏付ける結論が出せないとしている。

 また、記事によると、このブログで杉井さんたちが問題にしている「しこり」などについては、

 「大多数は原発事故の被曝とは関係ない」

と報告書は判断している。 

 このほか記事によると、報告書は、

 福島県内全体については、事故後1年間の全身累積被ばく線量は原発周辺を含めた福島県全体で平均1-10ミリシーベルト(成人)。放射線を取り込みやすい子供の場合は、この約2倍と推計している。

 報告書は、今後出てくる新たな知見を踏まえて数年後に再検討され、今回の結論の見直しもされるという。共同診療所の地道な活動と成果も生かしたいものだ  

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東海の原発震災は忘れたころやってくる

(2014.02.21)  ブログ子の勘では、

 想定される東海の原発震災は忘れたころにやってくる

というものだ。まもなく、東北大震災から丸3年になる。東北の場合とは大きく異なり、大津波と大揺れがほぼ同時に襲う

 浜岡原発震災

は、富士山の噴火も加わって、静岡県をおそらく破滅に追い込むだろう。

Imgp2986_1_1  こうしたことの現実味を背景に、最近では、自治体レベルでも、浜岡原発から事故時の避難計画が義務付けられている30キロ圏内の周辺自治体全部が中部電力と、浜岡原発に対する安全協定を結ぼうという動きが活発化している。

 ● 地盤は締まった洪積世(更新性)の礫層

 そこで、浜松市中区佐鳴台にあるわが家の地盤がどの程度、地震や液状化現象に強いのか、近くの図書館に調べに出かけた。

 静岡県第三次地震被害想定結果によると、

 佐鳴台中学などのある地区は

 洪積層(= 洪積世。新生代第四紀更新世。約1万年まえから約100万年前くらいまでの地層)の中位段丘堆積物礫層か、高位段丘堆積物礫層であり、「締まった地盤でほとんど問題はない。良好な基礎地盤」

だという。砂礫層ではないので、液状化の心配はないらしい。

  これより新しい沖積層(= 沖積世。完新世)では、海岸の埋め立て地などもあり、地盤は軟弱か、砂層で液状化現象を起こしやすい。

 ● 震度は6弱、連動では6強か

 震度は、想定東海地震が単独で起きた場合(地震の大きさM8.0程度)

 震度6弱(立っていられず、這ってしか移動できない)

 また、最近の南海トラフ3連動巨大地震(M9.0程度)の被害想定では

 中区の最大震度は7(耐震性の低い木造家屋はほとんど倒壊)

 地盤の比較的にかたいわが家でも、

 震度6強を覚悟

しなければなるまい。固定されていない家具はほとんど、重力とは無関係に真横に飛び交うか、倒れる。

 大揺れは、プレート型だった東北大震災の例からの予想でも、2、3分は続くだろう。

 高台の佐鳴台では津波は心配ない。

 ● 問題は浜岡原子炉核暴走(スクランブル失敗)と富士山噴火

 西風の強い冬に原発震災と富士山噴火が同時発生した場合、東部中部の交通状況は壊滅だろう。歴史地震の事例では、横浜市や都内にも重大な影響が出ている。

 東北の原発震災を受けて国の中央防災会議は、去年、地震被害想定結果を公表した。静岡県は、これをもとに2013年6月と12月の二回に分けて、第四次被害想定を公表した。レベル1(東海地震単独、M8クラス)とレベル2(南海トラフ巨大連動地震、M9クラス)に分け検討した結果である。

 浜松市レベルでも、県の第4次地震被害想定の1次報告、2次報告をもとにした第四次の概要のパンフ配布、新たな対策も盛り込んだ県報告よりわかりやすく具体的な周知パンフの配布が必要ではないか。

  県の第4次想定にもとづく浜松市の想定状況については、「広報はままつ」(2013年11月号)に、古い第3次想定の修正として4ページ分の折りこみが配布されてはいる。しかし、当面はいいとしても、これではどの程度市民に周知されているか、心もとない。今後、適当な区切りの時期に、きちんとした統合版がほしいところである。

 さらに東部では、富士川断層群の扱い、あるいは富士山大噴火も想定した最新の被害想定づくりや対策も、個別地域の問題として急がれる。つまり、東北大震災後を受けた富士山噴火の可能性の検討と具体的な対策である。

(下の写真は、上の地質図の色分けの解説と、その評価  出典=静岡県第三次被害想定図から)

 Imgp2987_1 

 Imgp2988_1

 

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「カルメン故郷に帰る」はなぜカラーか 

(2014.02.17)  戦後につくられた映画なのだが、ずいぶん古いというか、懐かしい映画だと、

 監督が何をテーマにし、そのテーマの下にその映画や映像で何を表現したかったのか、言いたいのか

ということがよくわからないことがままある。

 ● 日本独立の年に公開

 Carmen_dancing_2 公開された当時は、テーマ設定や言いたいことなど、そんなことは当たり前で言うまでもないという場合でも、時がたつとそんなことがおきる。

 先日、ブログ子も参加している小さなシネマカフェで、戦後間もない1951年に公開された

 「カルメン故郷に帰る」(高峰秀子主演。木下恵介監督)

が上映された。木下監督は、ブログ子の暮らす浜松市出身。東京で活躍する人気ストリッパー、カルメン(高峰秀子)が故郷の浅間山ふもとの北軽井沢あたりに、いわば「錦を飾る」大騒ぎの物語。

 監督は充実の39歳、しかも戦後初の作品づくりであり、あまつさえ日本で初めての本格カラー作品である。力が入らないわけはない。事実、カラーという挑戦的な作品ということもあって、興行的に大ヒットした。

 なのに、そのテーマが今ひとつ、はっきりしない。見終わっても、何を言いたいのか、釈然としなかった。上映後の語らいの場でも明確な説明が得られなかった。

 ● 戦後のどぎつさ、軽薄さを表現

 夜、晩酌をしながら、ほろ酔い気分で考えていて、気づいた。

 この映画は、憲法も出来上がり、戦後日本が独立を果たした年に公開された

という事実である。公開前年には朝鮮戦争が勃発したものの、日本は特需にわきはじめたという時代背景を抜きにしてはこの映画のテーマはわからない。

 この映画には、人権とか、文化や芸術、教育と暴力という目新しい新憲法言葉が日常的に人々の口にのぼる。よく理解できないまま、大きく世相が変化するなかでの自由さ、明るさ、そして軽薄さをあたたかくはあるが、しかし鋭く風刺した。

 いくら戦争に負けたからといって、こんなんで日本はいいの ?  と反語的な意味を込めて、この映画の制作に取り組んだのであろう。

  戦後日本の軽薄なまでの世相の急速な変化

 それこそが、監督のこの映画に込めたテーマだったのではないか。

 今では、自由さ、明るさ、軽薄さなどというのは、軽薄短小で、もはやおなじみであり、とても映画のテーマになどになりようがない。

 が、独立前後では、これが最先端のテーマだったのだ。これからの日本に残すべきものが戦前のものにもまだまだあったはずだ、それはどこへ行ったのかという監督の嘆きや戸惑いがこの映画をつくらせた。その嘆きを監督はカラーという戦前にはなかったものでどぎつく、強烈に表現したかったのだろう。

 それだけでなく、配役にしても、「婦系図」など戦中のかたいイメージの高峰秀子を、戦前では考えられないストリッパーのカルメン役に抜擢するなど、180度転換させてみせる演出で、いかに世相が変わったかということを強烈に表現した。

 これが当たった。事実、調べてみると、この映画の公開の年、

 「ストリッパー・ベスト10」

というのが戦後初めて選定され、発表されている。第一位はジプシー・ローズだった。

 当時の世相の様変わりを、説明ではなく、強烈な印象の伴うカラー映像と思い切った配役の登用で見事に表現してみせたのだ。木下監督自身、まじめな高峰がストリッパー役をするというのだから、ヒット間違いなしと確信を持ったのは間違いない。

 ● 木下映画の一貫性

 木下監督は、カルメン映画の3年後、同じ高峰を主役にすえて、有名な

 「二十四の瞳」(1954年、原作= 壺井栄)

を公開することになる。戦争の悲惨さを静かに告発した反戦映画である。瀬戸内海の小さな小島にも、そしてそこの小さな子どもたちの多くにも消え去ることのない傷跡を残すというメッセージである。

 この映画の公開の年には、米ソ冷戦が加速するなか、水爆ビギニ事件が発生していることを忘れてはなるまい。この映画は決して抽象的な反戦ではなく、目の前に迫っている反戦の映画だった。

 同時に、戦前にもいいものがあったことを静かに映像で見せている。

 ● 時代背景を知る

 そして、1960年安保の年、これまた高峰を主役にした反戦映画

 「笛吹川」(原作 = 深沢七郎)

を木下監督は公開している。

 武田信玄など戦国時代をとりあげてはいるものの、戦争で悲惨な目に合うのは農民などの庶民であることを静かに告発している。この映画のラストシーンでは、足の悪いおばあさん高峰の叫びは、明らかに戦争というものの過酷さを訴えており、国民に今こそしっかりしなければならないということを思い知らさせる痛ましいほどの、そして切実さのこもった名演技であったと思う。

 高峰秀子の戦後の反戦思考は、こうした木下映画から培われていったのだろう。

 懐かしい映画を見る場合、公開時の時代背景を知っておくことの重要さを思い知らされた上映会だったと思う。

 (写真 = 自由百科事典「ウィキペディア」の<カルメン故郷に帰る>の項から。著作権フリーのパブリックドメイン写真)

  ● 「青い山脈」との関係について

 「カルメン故郷に帰る」の制作では、その2年前に公開された

 「青い山脈」(原節子主演、今井正監督、東宝映画。1949)

を十分に木下監督は意識したであろう。若者たちが自転車で草原を走り回るシーンは新しい時代の到来を見事に表現している。青い山脈の主題歌のなかの「古い上着よさようなら」の歌詞もあまりに強烈であり、有名だ。

 だから、木下監督はカルメン映画の制作では、明るさを表現したいという点ではそれなりの意欲を持っていたではあろう。しかし、同じ明るさでも、青い山脈とは異なる視点から戦後日本を切ってみせようとしたのだと思う。

 Imgp3111_1_2 こう考えると、「カルメン故郷に帰る」の主役について、若い高峰秀子を、それもストリッパー役として起用したのは、偶然ではなく、計算されたものである。そこには原節子を十分に意識した監督の並々ならぬ気迫と気概を感じさせる。

 それに十分応えた高峰秀子の俳優魂も、並みではない。女優として、大きく開眼することになった、いわば記念碑的な出演だったように思う。

 ● 補遺 

  この映画については、右のようなポスターが残っている。

  出典= 『不滅のスター 高峰秀子のすべて』(出版協同社、1990年)

 

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小保方「STAP」 = 次世代のiPS細胞

(2014.02.08)  今話題になっている新しい万能細胞「STAP」(小保方晴子博士)。これについて、先行するiPS細胞の山中伸弥京大教授が、静岡朝日テレビの番組「報道ステーション」のインタビューに応じていた。

 教授の結論をわかりやすくまとめると、大きな可能性があるという点で、

 STAP = 次世代のiPS細胞

だとブログ子は感じた。競合関係というのはあたらないのだそうだ。それは誤解であるらしい。

 インタビューによると、iPSの研究進捗状況は、臨床応用直前まできており、教授の野球のたとえで言えば、世界で通用するかどうかの関門である大リーガー入りの段階。ガン化のリスクを最小限におさえる技術開発など、論文発表から8年間でここまでたどり着いた。

 一方、論文発表したばかりのSTAPのほうは、大きな可能性を秘めた素質ある大器ではある。が、まだ小学生。10年後の成果が楽しみな段階らしい。

 山中教授の言わんとするところを忖度すると、STAPも

 いずれ大リーガー入り

をするだろうといったところだ。

  STAPか、iPSか

という二者択一的な議論は、いくら大器とはいえまだ小学生と、大リーガー入りのマー君とを比較しているようなもの。そんなことは意味がないだけでなく、かえって有害という。

 同じ万能細胞とはいえ、お互いに補完的な関係がありそうで、おおいに協力して研究したいとのことだった。

 STAPの小保方博士も、先日の発見の記者会見で

 「数10年後、100年後の社会に貢献できるように大きく育てたい」

と語っていた。そうあってほしいと二人の話で強く感じた。

 日本の医学研究の力強さを久々に感じたインタビューであり、記者会見だったと思う。

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ダーウィン進化論の動機は奴隷制反対 ?

Imgp2815_1 (2014.02.05)  既存のダーウィン進化論の執筆動機は何だったか、という問題意識は科学史研究者でもそれほど明確ではなく、なんとなく

 生物好きの知的な好奇心

であったというのが大方の、そして暗黙の認識だろう。ブログ子もそうだった。科学者、ダーウィンだから、それは当然だと誰もが納得する。

 既存のダーウィン像については、たとえば、2008年夏、生誕200年を記念して日本の大阪市立自然史博物館などで開かれた

 ダーウィン展( 写真上はそのときの展示品などを紹介したパンフレット)

などがある。このパンフレットには、5年間にわたるビーグル号航海直後の28歳前後のとき思いついた進化論の系統樹のメモも公開されている( 補遺 )。この展覧会は、アメリカ自然史博物館が企画した世界巡回展の一つ。

 Imgp2817_1_2 浩瀚な著作としては、

 『ダーウィン 世界を変えたナチュラリストの生涯』(工作舎、1999)

  この上下2巻の著者は、ダーウィンと同じイギリス人のA・デズモンドとJ・ムーア。ほぼこの伝記がダーウィン像を世界的に確立させたといっていいかもしれない。

 ところが、この著者二人は、この10年後、まったく新しいダーウィン像を提示していた。つまり、

 『ダーウィンが信じた道』(NHK出版、2009)

である。信じた道とは、ダーウィンの生きた19世紀の当時、根強い支持のあった奴隷制に断固反対したことであり、

 ダーウィンの奴隷制を憎むこの気持ちが進化論執筆の本当の動機

だったというのである。

 Imgp2816_1 原題は直訳すれば「ダーウィンの神聖な動機」。すべての生物の起源は一つという先の進化系統樹は神聖な動機の意味をわかりやすく図にしたものであるというのだ。ダーウィンの主著『種の起源』(最下段の写真)にただ一枚掲載されている図であることを考えると、執筆動機を考える上では、その重要性を見逃すことはできない。

 こう考えてくると、『種の起源』が、実証性や予測性を備えているべき科学理論として説得力に欠けるのも、また、さまざまな事実、事例をまとめあげた帰納的な仮説としても説得力に欠けているのも、理解できる。

 ● 進化論に隠されたメッセージ

 本のタイトルに種の起源とつけているのに、種の起源については何も論じてはいない。ただ、種は変化するとの前提の下に、小さな遺伝的に無秩序な変異が積み重なっていくうちに、その中から時々刻々環境に適応したものだけが選抜され生き残り、子孫を残しながら種全体が変化するとしているだけである。

 このように、『種の起源』は急いでまとめたにしても、よほど奇妙な科学本なのだ。その原因は、先の著者も言うように

 進化論には何か隠されたメッセージ

があるのかもしれない。

 有体に言えば、メッセージを直截に表現することをさけ、種の起源というあいまいなタイトルの科学理論の形にしたというわけだ。種の起源というタイトルなのに中身では何もそのことに触れていないのは、そのせいなのだろう。

 もっと言えば、ここでも、科学理論として眼前の事実に徹するよりも、自分の奴隷制反対という信念のほうに重きをおいた。当時のマルサスの社会学的な人口論に影響を受けたとされたり、地質学のライエルのとなえた斉一説に大きな影響を受けたとされているダーウィン。船に乗り込む前はそうでもなかったかもしれないが、5年間の航海後は結果的に奴隷制反対の科学的な根拠を求めることになったビーグル号航海だった。

 つまり、5年間の航海で、20代のダーウィンの興味は

 知的好奇心から社会的関心事

に変化した(1838年、ダーウィン29歳のとき、イギリス本土をはじめ大英帝国内では売買も含めて奴隷制廃止となった。イギリスではダーウィンが生まれる前の1807年には売買禁止法は成立していたが、ようやく1838年、ダーウィン29歳のときにイギリス本土をはじめ大英帝国では売買も含めて奴隷制廃止となった。しかし、1850年代以降も根強く社会に実質として、あるいは形を変えた差別制度として残っていた。

 ● 進化論は奴隷制廃止に貢献か

 進化論の着想は航海直後の28歳で得た(その着想は秘密ノートBの系統樹)。その着想を根拠に、社会に次第に広がり始めていた奴隷制反対には科学的な理由があるという隠れたメッセージを込め50歳(1859年)のとき科学書『自然選択または、生存競争における優越種の保存による種の起源』として出版した。

 知的好奇心からではなく、19世紀半ばの当時の社会の関心事だった奴隷制反対を後押しするために『種の起源』という進化論が書かれた。それも奴隷制支持が根強く残っていたイギリスで書かれた。

 こういう仮説は、その因果関係の実証がなかなか難しいが、成り立ち得る仮説と思う。

 進化論は、黒人を人間と同じ種と認めない奴隷制の廃止に大きく貢献したという仮説。

 1807年、イギリス議会で奴隷売買禁止法が成立して207年。進化論と奴隷制の関係、果たした役割について社会科学だけでなく、科学の歴史からも検証する必要がありはしないか。

 ● 補遺 ダーウィンの秘密ノートにある進化論系統樹

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( 最下段の写真= 「世界を変えた書物」展で展示された『種の起源』初版本。名古屋市科学館。2013年9月 )

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世阿弥の『風姿花伝』を読み解く

(2014.02.03)  よく人の口にはのぼるのだが、そもそもその言葉はどういう意味だったかまではなかなか考えない。

 「おっとり刀」というのは、のんびりとやってくるという意味ではない。刀を腰に差すのも忘れて大急ぎで駆けつけてくることを表す言葉なのである。「流れに棹をさす」というのも、時流を邪魔することと誤解している人もいるようだが、その反対で、物事がますます好調に運ばれる様子を表す。

 そこまで意味が真反対にならないけれども、それでは

 初心忘るべからず

というのは、どうか。能の大成者、世阿弥の演劇論『風姿花伝』に出てくる。が、そもそもどういう意味かと問われれば、たいていの人は、物事を始めるにあたって一心に誓った清新な気持ちを最後まで忘れるなとこたえるのではないか。ブログ子も、つい最近までそう思っていた。しかしそれは初志貫徹であり、世阿弥のいう初心ではない。

 ● 初心には3つある 

 先日の「100分 de 名著」(Eテレで1月放送、講師 = 土屋恵一郎・明大教授)によると

 初心とは、最初にぶつかる芸事の壁のこと。

 修業上の壁であり、しかも、その初心には3つある。

 青年のころにぶつかる比較的に易しい「是非の初心」

 中年のころにぶつかる「時時の初心」

 老年にぶつかる最も困難な壁「老後(おいてのち)の初心」

である。

 世代ごとにあるこれらの壁を乗り越えて、自分を常に更新し、マンネリに陥らないようにするのが能修業の極意だというのだ。

 マンネリに陥らないようにするには、演出の心得として

 新しさ、つまり花が必要

というわけだ。

 ● 「秘すれば花」の意味

 その新しさの演出も、みんなに注目されるためには

 「秘すれば花」

と心得よというのだ。

 この場合の意味も、現代言われているような意味、すなわち

 慎み深さ、あるいは奥ゆかしさを大事にして演出しろ

というのではない。世阿弥が言いたかったもともとの意味は、

 注目され、立会い(試合)で勝つための必殺技、サプライズ戦略

の必要性を説いたものである。新商品開発の極意ともいえる。

 このように風姿花伝は競争に勝つための、つまり生き残りのための必勝本なのだ。

 ただ、世阿弥は、

 心得よ

とは指南しているものの、ではどうすればいいのかという個々の具体的な解決策までは、この著作では答えてくれていない。

 つまり、それは、その場、その場で各自創意工夫せよ

ということだろう。

 こうなると『風姿花伝』というのは、演劇論、芸術論というよりも、もっと広く人材教育論とか、経営戦略論といった性格のものであることがわかる。

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論文の査読者も事実より信念で判断する

Imgp2809_120140131 (2014.02.03)  先日のこのブログで、

 人間は眼前の事実より信念で行動する

と書いた。

 実は、研究者の投稿科学論文を、第三者の立場から審査する査読者(レフリーと呼ばれるその分野の優秀な専門家)にも、やはり当てはまることを最近知った。つまり、論文の審査も事実よりもレフリー自身の信念で判断する。

 最近の事例というのは、

 マウスの体細胞を酸性の溶液に浸して刺激を与えるなどの簡単な操作だけで、なんとiPS細胞(人工多能性肝細胞)のようにさまざまな細胞に変化できる新たな、いわば万能細胞をつくることができることに理化学研究所の若い女性研究員が成功した

というニュースである。

 写真上(「Nature」1月30日付)がその論文サマリー(要約)部分である。

 2013年3月10日に投稿されたのだが、掲載決定が決ったのは2013年12月20日と投稿から受理まで9カ月もかかっている。通常はせいぜい2カ月だから、これは異常に長い期間である。下手をすると受理拒否になっても不思議ではない状況だろう。

 Imgp2794_1 ところが、なんと、毎日新聞1月30日付「クローズアップ」によると、

 2009年ごろから、複数の一流科学誌に論文を投稿したが、誰も思いつかない意外な成果に、「信じられない」と却下され続けた。今回掲載された英科学誌「ネイチャー」も2012年4月に投稿したが、却下。論文を審査したレフェリー(査読者)から

 「あなたは細胞生物学の歴史を愚弄している」

とまで酷評されたという(写真下=1月30日付毎日新聞「クローズアップ」)。ということは、この論文は5年間も掲載拒否にあっていたことになる。

 ● 細胞にも主体性がある

 なぜ常識外れだったのだろう。

 それで思い出すのは、このブログでも読書ノートとして紹介した

 『細胞の意思』(団まりな、NHKブックス、2008)

という本である。細胞は、危機に瀕したとき「思い、悩み、決断する」という大胆な発想で、自らの状況を判断し的確に行動する細胞たちの姿を生き生きと描いた生物発生学者による解説書。その中身を一言で言えば

 細胞こそ自発性の源である

ということだろう。ストレスによる死をまぬがれるために体細胞は、より小さな肝細胞に戻ったといえまいか。

 団さんの言い方を借りれば、自発的に

 階層を一つ下げた

といえよう。

 今回の発見を聞いて、ブログ子は、常識を一度は疑ってみることの重要性を再認識した。そして、もう一つ、誤解を恐れずに言えば、人間同様に

 細胞にも主体性がある

ということだった。

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ダンスは楽しい、はずなのだが

Imgp2810_120140202 (2014.02.03)  節分前日の日曜日午後、浜松市内で開かれた子どもたちも参加したチャリティ・ダンスパーティに出かけた。

 大人たちにまじったその見事な踊りぶりが、写真。

 おしゃまな女の子同士のダンスや男の子と組んだダンス演技に会場からは、期せずして大きな拍手が沸きあがった。

 ダンスは楽しい

ということを強く印象づけるシーンだった。

 習い始めて2年が過ぎたシニアのブログ子は、どうかというと、まだまだ楽しいという感覚には程遠い。なかなかリズムに乗れない。相手にこちらの意思をうまく伝えられないなどなど、悩みはたえない。

 レッスン教室で個人指導を受けているときには、なんとか踊れても、いざ、観客もいるステージで踊れるかというと、それはまた別の話ということを思い知らされている。指導の先生によると、もうこれは慣れるしかないらしい。

 運動が苦手、音楽も下手の二重苦をのりこえ、何時の日か、ダンスが楽しいものに変わるかもしれないと信じて、教室に通い続けている。

 それにしてもシニアに入ってからは、現役時代とは違ったまったく別の趣味を楽しめるようになるには、あと少なくとも5、6年はかかりそうだ。

 そんな感慨をいだいた一日だった。

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