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テレビの消える日は来るか 都知事選から

(2014.01.27)  毎日新聞1月26日付1面の都知事選をめぐる「主要4候補ツイッター分析」や2面の「ネット力分析」を拝見して、ブログ子は、 

 やはりそうか

と納得した(写真上)。

 Imgp2768_1 (ツイッターによる)知名度上昇に限界も

 (テレビなどの)「メディア露出」影響

というからだ。

 この立命館大との共同研究では、

 「ネット上の知名度も、(テレビや新聞などの)メディアでで取り上げられる回数などネット以外での知名度に大きく影響されることがわかった」

というのだ。新聞・テレビで話題にならなければ、ツイッターなどのネット上でも話題にはなりにくいというのである( 注記 )。

 これは新聞・テレビの強力なアジェンダセッティング(何が今争点かという課題設定)機能によるものであろう。

 世論というのは、この争点の明確化のもとに形成されるものなのである。

 ● テレビ・新聞の強力な課題設定機能

 今から10年くらい前までの数年間、ブログ子は

 新聞論やマスメディア論

を金沢学院大学で講義していたことがある。そのとき参考書として学生たちに紹介したのが左下の写真。米ジャーナリスト、W・リップマンの『世論』(1922。岩波文庫=1987)は古典的な名著である。大衆心理はいかにして形成されるかということについて、第一次大戦の従軍という現場の経験から報告、分析している。

 一方、岡田直之『世論の政治社会学』(東京大学出版会、2001)は、現場から少し引いたメディア研究者の目線で見た格好の世論分析の好著。世論とは何かについて歴史分析を踏まえて講じている。

 Imgp2767_1 これらを踏まえたその時の授業の結論は、

 テレビの消える日は来ない

というものだった。マスメディアにはこのアジェンダセッティング機能があるからだ。テレビはパソコンに取って代わることもないと断言しておいた。

 テレビは地上デジタル時代を本格的にスタートさせ、放送と通信の融合も進み始めている。そんな情勢からか、アメリカのメディア研究者、G・ギルダー氏をはじめ、日本のメディア研究者の多くもテレビは時代遅れであり、パソコンの一部としてテレビ機能が残るだけだろうと予測する声も根強い。

 ブログ子は、むしろ逆で、テレビ機能の中にパソコン、つまり通信機能を取り込む方向でテレビは進化していくであろうと、今でも確信している。

 注記

 この記事の最後にある分析に当たった立命館大研究者のコメントの見出し

 別の側面の世論

というのはわかりにくい。これは、新聞社が行なう比較的に投票行動に反映される世論調査とは別の、つまりややあいまいな〝世論〟という意味だろう。投票行動とは別のという意味でもあろう。だから、こんな見出しではなく、もっとはっきり

 投票行動とは別

とか、「世論調査とは別」ともっとわかりやすくものにすべきであったと思う。つまり、すばやいやりとりができる良い面もあるが、つぶやきというツイッターは流行を反映しているだけということになろう。

 ( 下の写真(=浜松市内のキオスクで)は、「週刊現代」2014年2月8日号。独自アンケートで、舛添圧勝、細川は惨敗。これでいいのか、と争点を明確化するとともに、読者に行動を促している )

 Imgp2764_1 

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