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何のために「大学の自治」はあるか

(2014.01.31)  医局人事をめぐる医学部から始まった東大紛争、とくにその最終局面となった安田講堂での全共闘側と大学が要請した機動隊との攻防(1969年1月)の舞台裏に迫った

 クローズアップ現代 東大紛争45年目の真実

が面白かった(1月30日夜放送)。

 どういう経緯で大学首脳たちが機動隊導入に踏みきる決断をしたのか。新たに見つかった当時の大学側の会議記録をもとにドキュメントしていた。その結果、1970年代、大学と政府との間の力関係に、具体的には大学自治のあり方に、どのような変化がもたらされたのかということも伝えていた。

 同時期、地方の国立大学生として暮らしたブログ子としては、過去の記憶がよみがえってくる映像が次々と紹介されていた。

 ● 国家と対峙する覚悟こそ

 当時の問題意識としては、

 大学の自治は何のためにあるのか

ということだったと思う。教授陣の論文書きという自己実現のためではないはずだ。また、学生たちをいい職業につけさせるための専門教育機関ではないはずだ。それだけなら、高校や中学校同様であり、何も仰々しい学問の自治など必要はない。いわんや、教授陣がすき放題にふるまうためにものではない。

 当時で言えば、高度経済成長のひずみの是正や権力の暴走と闘おうとしない大学とは何ぞやという全学的な、あるいは社会的な問題意識のなかで東大紛争は拡大していった。

 東大も含めて大学紛争が全国に広がった時期が、日本の高度経済成長の後半時期と重なっているのは偶然ではない。紛争はおこるべくして起こった。

 ● 国公立大の独立法人化のなかで

 大学の役割には、国家枢要な人材を生み出すだけではなく、むしろ国家と対峙する覚悟も要る。当時の東大首脳陣には、そうした覚悟が希薄だった。大学の自治とは何か、大学で学ぶとはどういうことか。説得力のある説明が学生たちにできなかった。

 新たに見つかった会議録は、そのことを露呈していた。

 国直営の国立大学から、1990年代国主導で独立法人化した現代の大学。

 時の政府権力と闘うことを忘れた「大学の自治」とは何なのだ

という当時の問いかけは、大学の自治が現代の今まだあるのかどうかという、むしろより深刻な形でわたしたちに迫っている。

 そんな感想と自戒をいだいた番組だったことを正直に書いておきたい。

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