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読書ノート 『構造主義生物学』を読む

(2014.01.07)

 ● 『構造主義生物学』(柴谷篤弘、東京大学出版会、1999年)の抜き書き

  Imgp2472 生物進化について(第5章)

  ダーウィン的進化 生物多様性の説明原理、

 または、キリスト教の教義とは別の合理的説明原理について。

 「この課題に向かってターウィンが(主著『種の起源』で)述べた考えは、二つの考えにもとづいている。ひとつは、「自然選抜」と私が和訳するnatural selection の論理であり、もうひとつは最初無方向に起こる変異の傾向がそのまま子孫に伝わる、という考えである。この考えは、じつはダーウィンの理論のうち、時代をはるかにさきがけた、生物の集団思考にもとづいたものであり、特に注目すべき点として、あとでもとりあげる予定である。(中略) そして、その二つの柱を考えあわせると、でたらめな方向に起こった遺伝的変異が、それぞれの環境における生活上の有利さをもたらす場合、それが子孫に伝達される割合が(種という)集団に(次第に)広まり、生物(種)の性質を変えてゆくことが推論される。(個体内の偶然の変化と、遺伝を通じた種内での必然の選択とが重なった)これが(神の存在を前提にしない)進化(の説明)である。(中略) ともあれ、適応的形質が設計者の意図なしに、自然につくりあげられる、とした点がダーウィンの独創として高く評価される。」(122-125ページ)

  注記。

 第一。

 種は変化する、という考えはダーウィンの独創ではない。主著の出た1850年代、ヨーロッパ知識人の一部では、地質学や化石などの研究から、このことはうすうす感じられていたことである。ただ、種は神が創造したものであり、変化しないというキリスト教の教義から、迫害を恐れて、公言がはばかられていたという事情があるだけである。

 第二。

 種が進化する要因は唯一、自然淘汰(自然選択、自然選抜)だけであるとも、ダーウィンは主張していない。他の要因、たとえば、獲得形質の遺伝の可能性にも慎重に言及し、はなからは否定していない。

 この点、後の極端に数学的な集団遺伝学のネオ・ダーウィニズムでは、淘汰圧は遺伝子に対するものであり、しかも自然淘汰一本槍。獲得形質の遺伝の断固否定、それと密接に関係する定向進化の断固否定を貫いているのとは、ネオ・ダーウィニズムとはいっても対照的である。

 ましてや、生物個体の主体性、種の主体性や自発性は論外とされている。ダーウィンも主体と客体を分離し、できるだけ科学的な考察を心掛けてはいる。が、生物の自発性を完全には否定していない。主著でも、淘汰が働かない〝楽園的な〟環境では、生物の自発性を認める進化の可能性を示唆する記述がある。

 第三。

 ダーウィンは、無方向的で微小な遺伝的変異が蓄積し、時間の経過とともに進化が少しずつ起こるとする漸進(斉一、あるいは小進化)主義者。また生物の進化の本質は遺伝的変位だけであるとする要素還元(後の遺伝子決定)論者。

 ここには、漸進主義が正しいとすると、なぜ化石にその進化途中の化石が、当然たくさん出土してもいいはずなのに、なぜ皆無なのかということが説明できないという深刻な問題が立ちはだかる。

 また、5億年以上前のカンブリア爆発など、化石からわかっている生物の劇的な変化、いわゆる大進化は小進化で説明できるかという難問がある。劇的な変化がきわめて短時間で起こったこと、なのに生物の体制変化が劇的であることなどから、とうてい、斉一説のダーウィン進化では説明できないだろう。

  ダーウィン進化論における個体水準の論理は不要かという点について。

 「このような問題については、(1960年代に) 「内部選抜(内部淘汰)」という表現で整理されていた。その内容はたとえ、突然変異によって個体に新しい変化が導入されて、それが個体内部ですでに獲得されている(生存にきわめて重要で欠かせない)生命維持機構や増殖機構と衝突するならば、その変化は、個体の死または衰弱につながり、決して子孫には広がらないだろう。つまり、古典的にいわれた「淘汰」なのである。」(129ページ)

  注記 

 今西進化論では、個体発生では、細胞間に自然淘汰などはない。つまり、胚から出発して、各細胞は変わるべくして一斉に、そして自発的に一糸乱れずに多様な細胞に分化する。

 これと同様、進化という系統発生も、個体間に自然淘汰などない。つまり、種が変化すると決ったら、各個体は変わるべくして一斉に、そして自発的に一糸乱れずに、つまり何時起こるとも知れないランダムな突然変異など待たずに、多様な種に進化する。

 この意味で、

 普通言われている「個体発生は系統発生をくり返す」(実は、このヘッケル説は正しくない)のではなく、むしろ、その逆であり、

 系統発生は個体発生をくり返す

というのが、生態学者、今西錦司氏の持論だった。

 注記

 生物の多様性はどこから来るのかという問題意識から挑んだ、進化におけるラマルクの用・不用説というのは、個体内における「獲得形質の遺伝」学説。この個体内の獲得形質の遺伝は、通常はさまざまな実験結果から強く否定されている。

 これに対して

 ダーウィンの自然淘汰説というのは、言い換えれば、種レベルの「獲得形質の遺伝」学説

といえる。種内の各個体に常に生じている無方向な微小な遺伝的変異のなかから、環境に適応した変位をもった個体だけが自然淘汰で選び抜かれた結果、その形質が種内に保存、固定されるというわけだ。

 素朴なラマルク説とは対極的であるが、ラマルク説のような親から子への直接の生殖遺伝の結果としてではなく、その後の自然環境による淘汰をかませることで、種レベルの問題としてとらえなおしたのは、ある意味で卓見であったといえよう。 

  次に、適応突然変異(方向性突然変異)の発見について。

 「最近になって、従来の集団水準における「獲得形質の遺伝」だけではすまさず、個体(細胞)水準における、獲得形質の遺伝と解釈せざるを得ない現象が存在することが明らかになった。(中略)

 従来の「正統的な」細菌細胞の研究では、勢いよく増殖する(対数増殖期にある)「健常」細胞だけを研究の対象にして、(その)あとは(ストレスで)死ぬばかりという弱い状態を問題にしていなかった。ここで頭を切りかえて、そのような弱りつつある(ストレスのかかった)菌で、何が起こるか、が調べられるようになったわけである。従来は成長の終わった寒天平板は捨ててしまっていたけれども、それをそのまま培養温度に保って放置する。すると一週間目ぐらいから、新しい集落(コロニー)が隆起して、平板のあちこちに、しだいに現れ始める。これはストレス状態にある菌細胞のうち、突然変異を起こして、新しい条件で増殖する(たとえば、これまで利用できなかった「栄養物質」を利用する)のに必要な酵素をつくるようになった個体の子孫が増殖し、目に見えるほどの大きさに達してできた塊である。(この細菌では獲得形質が子孫に直接遺伝したのである。) (中略) 

 まずわかったことは、このような「ストレス脱出」突然変異は、脱出に必要な遺伝子に限って起こり、(そのほかの)無関係な遺伝子には変異は起こらないらしいことと、それから、変異の頻度は、通常の対数増殖期での同様な突然変異の(非常に低い)頻度よりは、きわだって高く、特定の場合には頻度が百パーセント(突然変異がほとんどかならず起きるという意味 !)にさえ達することもあった。またそれは、通常の突然変異のようにDNAの複製のときに起こるのではなく、DNA合成に無関係に、経過時間の長さに比例して起こる。(この種の突然変異は、従来知られていなかった新しい現象であり、方向性突然変異とも言われたりもする。) 当然、議論は沸騰した。」(132ページ)

「適応突然変異には、染色体の組み換えが必須であることも明らかになった。そこで、細胞がストレス下に置かれたときに、細胞のなかにある、生化学的な(もっと広い見地でいえば「生理的な」)「遺伝子組み換え」の諸装置が発動される、という見通しがついた。(この諸装置は1970年代の人為的な遺伝子組み換え技術、つまり遺伝子操作に用いられるものと、結局は同じ実体を細胞(自身)が行なっている、ということが、ここに見えてきたのである。)

こうして、細胞がある窮地に立ったときに、かれらは手持ちの道具立てで、なんとかそれを切り抜けようとして、DNAのいろいろなもち駒を動員・再編成するらしい、という見当がついてきた。

 ここで問題は、細胞が、通常の方法とは別に、いわば生理学的に(ひとつの細胞の内部だけで、またすべてではなくても多くの細胞で並行して)、手持ちの道具を動員してDNAの組み換えなどをするときに、その結果を見越してうまくやるのか、それともでたらめに組み換えて、うまくあたったときにだけ生き延びるのか、の判定である。(中略) 観察されたのは、特定の欠陥を修復すれば生き延びられるはずの遺伝子に突然変異が集中するという事実であった。(中略) 細胞は、大なり小なり結果を見越して、うまく正解の組み換えをやってのける、と仮定したくなってくる。」(134ページ)

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