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男の幸福、女の幸せ 汲々自適のすすめ

(2014.01.03)  お酒さえあれば幸福と思っている単純なブログ子だが、それでも心を開放する、気持ちを明るくさせてくれる幸せな映画というのが、いくつかある。

 ● 「34丁目の奇跡」と「素晴らしき哉、人生」

 いずれも6、70年も前に公開された映画だが、

 一つは、おしゃまなかわいい少女が主人公の

 クリスマス用ラブコメデイ「34丁目の奇跡」(L.メイフィールド監督)

である。サンタはあたたかい家庭をこの「サンタさんなんていない」とうそぶく少女にプレゼントするというストーリー。ユーモアたっぷりの映画で、本当に心があたたまる。それでいて、女の幸せとは何かをものの見事に映像で描いて見せている。

 この映画見ると、子どもならずとも

 サンタさんはいる

と確信がもてるのがいい。こういうのを幸福感というのだろう。

 もう一本は、男の幸福とは何かということを描いて見せたこれまた米クリスマス映画

 「素晴らしき哉(かな)、人生」(F.キャプラ監督)

である。何でもないときには気づかないが、人生はお金の多寡では測れない。このことを、天使は主人公の中年男性に気づかせるストーリー。もう少し、わかりやすく言うと、自殺したいというような土壇場を救ってくれるのは、お金ではない。多くの友だちを持っているかどうかであるということを、しみじみとわからせてくれる。

 この映画の原作題名は『最高の贈り物』というのだそうだが、

 人生の最高の贈り物、それは友人である

ということが、よくわかる映画に仕上がっている。大人の、そして男が泣くことのできる幸福論であろう。

 ● 男は「孤高の人」、女は「愛されている確信」

 なかなかむずかしいが、ブログ子の考える男の幸福とは

 自由と孤独がある

ことである。裏を返せば、今の世の中、これが男にはないことの証左でもある。これは、超然たる

 孤高の人

を幸福の理想としていることを意味する。心の通じ合う人が周りにいないという意味の社会的な孤立ではないものの、どこか孤独を好む。

 Imgp2548_1 これに対し、女は孤独を好まない。つまり、女の幸せとは、『レ・ミゼラブル』のビクトル・ユーゴーも喝破したように

 自分が愛されているという確信が持てること

なのであろう。

 ここから言えることは、女の幸せには、必ず相手が要るのに対し、男の幸福には、相手が要らないということだ。

 この男と女の違いが、人生に幸福論とは無縁の悲喜劇を生んでいる。

 これが、ブログ子の幸福論の結論である。

 だから、ブログ子は、小さな湖のほとりの高台で、お金の少なさでは汲々(きゅうきゅう)、自由に使える時間の多さでは自適という「汲々自適」を、文字通りの

 佐鳴台方丈記

と称して実践している。悠々自適はボケる。

 ( 写真は、「ようこそ自殺用品専門店へ。ステキな〝人生〟をご提供します」という映画「スーサイド・ショップ」パンフ。パトリス・ルコント監督作品(フランス/ベルギー/カナダ合作、2012年)。ブラックユーモア、エスプリたっぷりの、もう一つの幸福論あるいは家族の愛の物語である )

 ● 補遺 『悪魔の辞典』の幸福論

 アンブローズ・ビアスの有名な『悪魔の辞典』には、

 幸福とは、他人の哀れな境遇を静観するうちにこみ上げてくる気持ちのよい感覚

とある。言いえて妙である。

 ● この幸福論が正しい証拠 2014年11月1日記

 男が一人夜の酒場をうろつく「酒場放浪記」はいかにも似合う。憧れる。そこに男の孤独感がただよっているからだ。これに対し、女が一人夜の酒場を訪れる「おんな酒場放浪記」はどこかおかしい。女は友達とワイワイお酒を飲むのが似合う。この事実は上記のブログ子の男と女の幸福論の正しさを証明している。

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