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古典力学の非常識、量子力学の常識

(2013.12.02)  このブログは、

 世の常識を一度は疑う

というのがテーマ。こんなことに関心がいくのは、ブログ子が理系出身だからだろう。

 ● 光子の裁判、64年ぶりの〝控訴審〟

 Imgp2051 先日、「日経サイエンス」の最新号(2014年1月号)を見ていたら、ノーベル物理学賞の朝永振一郎さんがかつて書いた、かの有名な

 光子の裁判

を特集で取り上げ、一審では無罪だった光子の〝控訴審〟を64年ぶりに開いていた( 写真 )。

 一審の無罪の決め手になった被告光子の供述、つまり、目撃されていなかったときには異なる2地点に同時にいたという、古典力学では信じられない驚くべき証言が、本当に弁護士(量子力学支持派)の言うとおりの理屈でいいかどうか、あらためて論争し直している。

 一審は、古典力学の常識を疑う裁判で、自分にはそれが当てはまらないとして光子は無罪を勝ち取った。つまり、量子力学が勝利した。言い換えれは、量子力学役の弁護士が古典力学役の検察官に勝った。

 これに対し、検察官が巻き返し、量子力学のこれまでの常識に疑いが出てきて控訴審が開かれるという構図である。今度は、量子力学役の弁護士が窮地に追い込まれるという展開になっていた。

 結論として有罪の可能性、つまり量子力学的にも、古典力学同様、目撃されていないときに限って異なる2地点に同時にいるなんてことはできない、それは量子力学的な屁理屈であるということを、最先端の量子力学という裁判官(この特集の筆者)が言い渡そうとしていた。

 ● 揺らぐ量子力学の奇妙な常識 

 物理学にあまり詳しくない読者は、これだけでは何のことやらわからないかもしれない。

 少しくだけた言い方で説明すると、こうなる。

 Imgp2063 簡単に言えば、犯人が、ある時刻にP地点にいることが目撃されていれば、同時刻には犯行の行なわれた異なるQ地点にはいない。すなわちアリバイ(不在証明)が成り立ち、犯人ではない。

 この理屈は量子力学の成果でも成り立つ。ともに因果律を仮定するからだ。

 古典物理学では、犯人がP地点からQ地点に移動するとき、その途中の異なる2地点、A、Bは同時刻には通過できないと、暗黙に仮定する。つまり、犯人の足取り、経路というごく自然な概念を仮定する。この仮定から、たとえ、目撃されていなくても、犯人は当然不可分であり、一本の経路をたどるからだ。途中枝分かれすることは決してないというわけだ。

 これに対し、量子力学では、そんな暗黙の仮定や自然な概念は、古典力学の常識にとらわれている結果であり、厳格な数学論理では受け入れられない。目撃されていない以上、「経路(パス)」という概念は、いかに常識的には受け入れやすいからといって、厳密な数学論理上にまで反映させる必要はない。

 量子力学では、目撃されていなければ、異なる2地点に同時にいてもOK

という理屈である。アリバイが成り立つのは、目撃されたときだけであり、されてもいないのに、A、Bに同時に犯人は通過できないと勝手に思い込むのは古典力学の〝越権行為〟というわけだ。

 この〝奇妙な〟論理を一言で言えば、

 目撃された場合には、その地点に犯人が存在したことは確かだが、目撃されてもいない場合には、P、Qの間の、異なる2地点に同時に存在しようと犯人の勝手。同時にいるはずがないと思い込むのは、犯人の足取りには一本のロープのような経路があるはずたという先入観があるからだ

 ということになる。

 古典力学も量子力学も、犯人のアリバイについては同様に認めるが、それは目撃された場合に限るのであって、量子力学では、目撃されてもいない場合にも、それが当てはまると考える必要はない。論理的には、同時に異なる2地点に犯人がいてもいい。

 しつこいぐらいに、説明を繰り返したが、この論法で、一審は光子は無罪だった。

 ● アインシュタインも不自然さ嘆く

  量子力学はこの考え方で、いわゆる波動関数というものを定義し、数学的に基礎方程式に組み込んでいる。

 しかし、この論理は、数学的にはその通りなのだが、常識的にはいかにも不自然。 やっぱり、目撃されていない場合にも、目撃された場合同様、犯人の経路はわかるはず、決っているはずだという意見は根強い。

 つまり、量子力学の常識は不自然

というので、控訴審が開催されたというわけだ。なにしろ、このような不自然な解釈を、かのアインシュタイン博士ですら、そんなバカなと生涯信じようとはしなかったのだから、無理もない。神は、目撃されているかどうかで、自然の法則を区別したりはしないというわけだ。見られていようが、いまいが、月の過去は決っている。

 その結果、最近の量子力学では、目撃されていない場合でも、原理的にA、Bのどちらを通ってきたかがわかるという考え方

 弱値

がとなえられているという。

 Q点までどのような経路をたどってきたか、Aなのか、Bなのか、その確率がわかる。もっとはっきり言えば、目撃されない場合でも、その過去の経路がわかるというのだ。

 ● 一度は常識を疑う精神

 詳しくは同サイエンス誌を参照してほしいが、もしこれが本当なら、

 量子力学のちょっとした革命

である。

 これまでの量子力学では、目撃されていない場合には、捕まえた犯人の過去は問わないし、問うことは無意味とされてきた。ところが、最近ではこの常識が崩れて、過去が問えるし、弱値という考え方で計算すると、犯人のたどった過去の経路が実証できるという。

 ブログ子が、波動関数を使った量子力学の基礎を習ったのは今から、40年くらい前。量子力学の有用性はすでに確立しているのに、こんな基礎的なこと、常識が今、揺らいでいるというのは驚異である。

 一度は常識を疑え

ということを、このサイエンス誌はブログ子に教えてくれたように思う。

 ( 写真下は、朝永振一郎著作集第8巻「量子力学的世界像」のなかの「光子の裁判 ある日の夢」。写真カットには、波動関数φの両脇に波動性を示す「波子」と、粒子性の「粒雄」という直筆の文字が書き込まれている。波動関数はこの二つを、数学的に矛盾なく抱え込んでいるという意味であろう。これでもわかるが、博士はとても茶目っ気な人柄だった。この30年、ブログ子は、示唆に富むこの著作集(みすず書房)全巻を愛読してきた。)

 ● 補遺 2013年12月18日記

 なお、この光子の裁判については、サイエンス社の月刊誌『数理科学』2014年1月号にも

 特集 波と光子

がある。副題は

 「光子の裁判」を通じて見る量子の不思議

というものだが、多彩な専門家がそれぞれの専門分野からこの裁判の新しい見方を紹介している。かなり専門的ではあるが、しかし理系の読者には面白いかもしれない。

 ブログ子はこの特集を読んで初めて知ったのだが、この裁判、演劇にもなっている。

 こうした特集を読んだら、朝永振一郎さんは、果たして、どんな感想を語ってくれるだろうか。

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