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読書ノート 発生生物学の団まりなを読む

(2013.12.12)  まず、「死の危機に瀕して、それは始まった」というサブタイトルがついている

 『性のお話をしましよう』(哲学書房、2005年)

から、面白い考え方であると思った箇所を抜書きする。

 ● 『性のお話をしましょう』から

  Imgp2262 有性生殖について。

 「ゾウリムシが遺伝子の組み換えなしの接合によって、完全に若返りができたということです。 

 ということは、「遺伝子の組み換えが、有性生殖の本質である」という大部分の教科書の言い方は正しくないということです。

 正しくは、「有性生殖とは、生物が、自分の『種』としてのアイデンティティを保ったまま、ディプロイドとハプロイドという二つの階層を行き来して、ディプロイド細胞が運命づけられている、分裂の限界を克服するためにのしくみ」だということです。そして、そのしくみの中に次第にDNAを繕ったり組み換えたりたりするしくみを重ねてきたのだろうと思います。長い間、生物の階層性ということを考え続けてきた私には、今、はっきりとそのように見えます」(42ページ)

 いかにも、大学を定年で退官し、

 階層生物学研究ラボ

の代表になった団まりなさんらしい考え方である。

 有糸分裂するハプロイド細胞は何をしているか、について。

 「細胞たちは、どうやってこれだけのこと(一連の有糸分裂の流れ)を思いついて、自分のからだの中の分子をさまざまに工夫して、込み入ったしくみを実行にまで移すことができたのか。これは非常に謎です。突然変異や偶然になど、とてもまかせているわけにはいかなかったはずです。

 細胞たちには、(今、)なにをしなければならないかがある程度分かるのだろうと思います。あれこれ試してみているうちに、酸素の濃度がどんどん上がって(しまったら)自分たちは死んでしまいますから、生きのびるためには何が必要か、システムには目やすが立っているはずです。

 中略

 目的を定めて、その目的は動かさないで、そのうえでいろいろと試みる。これは五里霧中の試行錯誤とは違います。漠然と偶然をつみ重ねて、歩留まりが上がるのを待っていたのでは、酸素濃度の上昇に間に合わなかったにちがいありません。」(88ページ)

  爬虫類から哺乳類への進化について。

 ついに胚を保育する工夫をてにするということについて。

 「行き詰まりを感じた爬虫類の一部に、あるアイデアが生まれます。発生している卵(=胚)は外からの栄養を受け取ってくれないけれど、胚を保育する細胞たちはもう少し大人なので(=分化しているので)、彼らなら受け取ってくれるかもしれない ! この発想が的中して、その考えに沿ってからだを作り変えたのが哺乳類です。」(144ページ)

  「このことから、生物がいかに与えられた状況に応じてからだの部分部分を工夫するか、しかも状況が変われば、その工夫をあっさりと反故にしてしまうかが見て取れます」(147ページ)

「この事実を素直に解釈すれば、単純な生物は自らを改良する能力がまだ弱く、変質の動因を偶然的な外部要因に頼らなければならないが、複雑な生物は、外的、内的条件に合わせて自らを改変する何らかの能力を獲得している、ということになるのではないでしょうか? 本書でくり返しお話してきましたが、私にはそのように見えてなりません」(149ページ)。

 「私は、生物現象のとらえ方むが擬人すぎて非科学的だとしばしばしかられるのですが、こうした現象(発生における受精卵の分裂の様子)をつぶさにながめていると、この時期(それまでの一群の細胞が『個体』として確立する胞胚期)の細胞たちが「さあ、これがわがチームだ ! 頑張ってからだを作って行こうぜ !」「オー」と声をかけあっている気持ちが手にとるように感じ取れるのですが、やっぱり変でしょうか。」(160ページ)

  「位置や任務を知っている細胞」の章では、次のように書いている。ベテランの発生生物学者の発言、もっと言えば到達点であるだけに、非常に興味深い。

 「この(単細胞の)分裂の際にDNAが複製されて、同じ内容の分子が二匹に渡されるので、確かにDNAは遺伝します。しかし、受け渡されるのはDNAだけではありません。細胞の持つ全てです。細胞を構成している全ての分子種からその配分、配列の仕方、つまり細胞構造そのものと細胞の大きさから基本的な性質まで、何から何までが受け渡されるのです。」(175ページ)

 「これと同じで、私たちもヒトとしての基本的内容の全てを遺伝(と)して(受け取って)いるのです」(175ページ)。

 「『遺伝的プログラム』が意味するものは、DNA上の情報などよりはるかに複雑で、多岐にわたるのです。それが気づかないのが、私たちの悲しい性なのです。 

 私は、遺伝の基本はDNA複製ではなく、細胞分裂だと考えています。そして、遺伝プログラムは、DNAにではなく、細胞質、または細胞構造そのものに書き込まれているのだろうと思います。『ヒトとしての基本的内容の全て』に至る鍵の多くは、受精卵の細胞質部分に潜んでいるはずです。私は、これから長い時間をかけて、この問題を整理してみようと思っています。」(175-176ページ)

 ● 『細胞の意志』(2008)からの抜き書き

  副題は、<自発性の源>を見つめる

 帯びには「思い、悩み、決断する細胞たち ! 細胞をベースにして生命の本質を解き明かす、新しい生物学の誕生 !」

  さらに、裏腰巻には「- 自ら状況を判断し的確に行動する細胞たちの姿を生き生きと描き、細胞こそが自発性の根源であることを強く打ち出す」

 第3章 細胞の思い、人間の思い

 「私が本書で伝えたいことは、細胞が私たち人間と同じように、思い、悩み、予測し、相談し、決意し、決行する生き物だということです。」(61ページ)

  「自然現象を考えるときには、みだりに人間との対比や推測を持ち込まず、客観的に物事(現象)をとらえなければいけないという教えは、けっして間違っているわけではありません。(中略)細胞のような複雑なものについて考えるとき、みだりに人間と比較してはならないのはそのとおりなのですが、同じ意味で、みだりに(単純な)分子や原子と比較してもいけないのです。

 複雑な現象は素過程に分解して理解せよ」という教えは正しいのですが、この教えはけっして「細胞を知るためには、分子を知らなければならない」といっているわけではないのです。細胞の構造や機能を知るためには、分子の知識が大きく役立ちますが、それらを部品とする細胞そのものを知るためには、むしろ細胞をそれ以上分解してはならないのです。なぜなら、細胞は〝単位〟なのですから。」(77ページ)

  科学的な方法があてはまらない場合

 「問題は、細胞を観察することが、猫を観察するよりもはるかにむずかしいということです。訓練を受けて観察の技術を身につけても、動きが小さく遅く、身体もろくに見えず、物言わぬ細胞の時々の気持ちや意図は、おおいに〝解釈〟や〝推測〟に頼らざるをえません。ここに〝科学的考え方〟との不協和音が生まれるのです。」(78ページ)

  なぜ生殖細胞は特別扱いされるのか

 「最後に一つ、基本的な問題についての私の意見を聞いてください。それは〝生殖細胞はどうしてほかの器官と同じように本来の位置で作られず、胚の隅から移動してくるのか〟という問題です。

 哺乳類はもとより、カエルや魚のように卵から発生する脊椎動物においても、始原生殖細胞は〝閉じた空間である卵の中で、活発に働いている場所からなるべく遠い場所〟で出現し、そこから胚の〝下腹部〟に作られる生殖巣に移動します。ここには、〝生殖細胞をほかの細胞とは区別したい〟という意図が感じ取れます。(中略) 動物グループごとに〝なるほど、ここにしたか〟といいたくなるような場所が(生殖巣として)選ばれています。

 もちろん、この意図は生殖細胞のものではありません。その場所を選ぶとき、彼らはまだ存在しないのですから。意図の持ち主は、それぞれの動物種システムものものというほかないでしょう。問題の本質は、すべての脊椎動物において、始原生殖細胞が生殖巣の外で作られ、(その)後(に)生殖巣に移動してくるということであり、例外は許されないらしいというところにあります。 

 生殖細胞はなぜほかの細胞とは別扱いされなければならないのか。この疑問に答えてくれる実験事実は(今のところ)存在しません。したがって、推測するほかありません。私の推測は、次のようなものです。

 始原生殖細胞は、(そもそも)胚の細胞ではない。始原生殖細胞は次世代の個体のものであり、それを生み出す胚の一部であってはならない。このことを種システムがよくわかっている、ということの表れではないかと思います。」(112ページ)

  第6章 細胞は生き続けたいと思っている

 「細胞が、広く考えられているような無機的な存在ではなく、私たち人間とたいして変わらない、あの手この手で目的を遂行しようとする、生き生きとした存在であることを感じ取っていただけたと思います。本章ではもう少し突っ込んで、細胞の〝気分〟とその発生源について考えてみましょう。そもそもこの〝目的を遂行しようとする〟というような記述が学会では大問題になるのです。

 「(人間同様、生き物である)生物は合目的な存在である」という記述と、「(物理学同様、サイエンスとしての)生物学(の記述)に合目的性を持ち込んではならない」という言葉が、どちらも同じように深い説明なしに、べつべの著者によって、当然のことのように書かれています。(中略) なぜ、どちらの側も(その理由について)決定的な説明を見つけられないのでしょうか。

私は、その理由が、どちらの陣営も細胞に〝意思〟を認めることができないでいるところにあると思います。細胞の存在や行動にいっさい目的性を持たせてはならないという、第3章で規定した〝科学的考え方〟の人はもとより、生命の合目的性を認める人々でさえもが、細胞が〝思い〟〝悩み〟〝考え〟〝決断する〟とまでは考えられないのです。私たちが受けてきた〝科学的教育〟は、それほどまでに重く、深いために、せっかく細胞に認めた合目的性や自発性も、どこかぜんまい仕掛けの人形のように、私たちの頭の中ではぎこちなくしか動いてくれないのです。私は本章で、細胞にも〝意思〟があるという立場から、その合目的性のあり方を何とか説明してみようと思います。(ここでいう合目的性というのは、あるものの存在なり行為なりが、ある一定の結果を期待したものであるということ)」(146ページ)

  この団氏の問題意識あるいは「細胞の意思」というのは、『進化論も進化する』の次のような記述が参考になるかもしれない。

 今西進化論の「主体性」の意味について。

 柴谷「生物現象は眼に見えない「構造」がもとになって生ずる。ここでいう構造は人文社会科学系でいう構造主義の構造でして、生物学でいう形態学的な構造-顕微鏡でしらべられる構造-とは違います。今西さんのいわれる「原理」と同じことかもしれません。そういう構造が(もともとの生物自身に具わった主体的な存在として)先にあって、そのあらわれとして生物の合目的的な諸側面があらわれてくる。主体性というのは、だからこの「構造」をいいあらわす他の表現なのではありませんか。言語学でいう個々の人の話すことば(パロール)の背後に社会的に( ! )規定されている言語(ラング)という構造があり、後者の概念なしに前者は理解できない。(中略)

  このような「構造」が、生物の形態や機能発現の基盤にあって、遺伝はたんにその「構造」の上にのっかって、それを動かす切り替えスイッチとして働くだけのことで、本源的なものは遺伝子のはたらきとは別にあるのだろうというのが、グドウィンとウェブスターの主張です。(中略) 」

 今西氏の主体性というのも、また団氏の「細胞の意思」というのも、実は

 構造と機能における構造主義で言えば、

 ラングという構造である

ということになる。団氏が対峙する「科学的考え方」というのは、機能主義の現われということになる。

身体の合目的性について

「このように生物は、生きるために必要なさまざまな目的に見合った器官を身体の適所に配置し、それらにある偏った仕事を分担させることで、生きることをより能率よくこなしてきました。生物の身体をこのように記述することに問題はなさそうに思われますが、いかがですか?」(147ページ)

 ここで団氏が「このように記述すること」というのは、別の言葉で言えば、上記したように、

 構造主義で記述することに対応

しており、「科学的考え方」としてもなんら問題はない。

 ここで、あるいは、本書全体で団氏が言おうとしているのは、これまでのような機能主義ではなく、

 構造主義で細胞を語ろう、分析しよう

といっているのだ。極論すれば、構造主義生物学、あるいは構造主義進化論だろう。

 細胞のセキュリティ・システムについての伝統的な「科学的考え方」と「擬人的考え方」について(147ページ)

 これは、受身的な機能主義の考え方と、自らの生命を維持する目的という合目的的で主体的な構造主義の考え方

ということになる(150ページ)。

 「こんな臨機応変な、柔軟な対応が、細胞メカニズムからの積極的な参加なしに、遺伝子の偶然的な変異や、その結果の外部環境への適応という偶然的なことがらの集積としてなしうるとは、私にはとうてい考えられません。細胞がただただそのような能力を付与されてしまった受身な存在とする考え方が、現在は〝科学的〟と思われていますが、私には、このような考え方は、ほとんどサイエンス・ロマンとか、サイエンス・フィクションのように見えてしまいますが、現に、遺伝子変異をもとにした生物進化の仮説では、遺伝子変異から先のメカニズムは、実は何も分かっていないのです。細胞たちの現在の姿を、彼らがさまざまな状況に直面して、自分たちに与えられた能力の範囲で必死に工夫し、自分を改良してきた結果とする〝擬人的考え方〟も、それを裏付けるメカニズムは何もわかっていません。しかし、(擬人的考え方を裏付ける)メカニズムがわからなくても、現象を把握することはできます。まず虚心に現象をとらえること、そして知ることのできた(擬人的考え方を裏付ける)メカニズムを応分に現象に当てはめて理解を重ねること、これが本当に科学的な態度であると私は考えます。みなさんは、いかがでしょうか。」(157ページ)

  遺伝で引き継がれるのは細胞である。

 「私は、〝最終的な姿〟の情報は、(DNAの中だけでなく)細胞(の細胞質)に)内在するのだろうと考えています。」(210ページ)

  「DNAが世代から世代に受け渡される現場は、必ず細胞分裂の現場であり、DNAはそのときの細胞の部品として次の世代の細胞に受け渡されます。(中略) そのとき(DNAばかりに注目していると)DNAと同時に世代から世代に引き渡されるDNAの入れ物、つまり細胞自身も、前の世代のものと同じであり、こちらはコピーどころか、そのものズバリを二つに引き分けたものだということがみえてこなくなります。実は遺伝で引き継がれるのは、DNAではなく、DNAを部品とする立場の〝細胞〟なのです。」(210ページ)

 思うに、『進化論も進化する』で議論された

 種社会にとって必要なプロトアイデンティティ(始原帰属性)の情報もこのようにして種内に受け継がれていくのかもしれない。

 ● 『生物の複雑さを読む 階層性の生物学』(1996年、平凡社)

 個体発生について

 「有性生殖が、ハプロイド細胞からディプロイド細胞を作りだす一段階のの構築過程であったのに対し、個体発生は複数段階の構築過程である。その段階数は、生物によってまちまちでありうる(第7章を参照)。個体発生は、言い換えれば、複数の階層を移行(上昇)する体制構築のメカニズムである。」(135ページ)

 その7章(個体発生がたどる体制の諸階層)の抜き書き。

 図7-11(個体発生と系統発生の体制上の相関)は興味深い。

 生態学者、今西錦司は、個体発生は系統発生をくり返すのではない。その逆で、

 系統発生は個体発生をくり返す

と持論を展開している。これは、団まりなの階層性から言えば、

 系統発生は個体発生の階層をさらに上昇させた体制構築のメカニズム

ということになる。一貫性が出てくる。

 発生学の高橋淑子教授の系統発生と個体発生の環状図(放送大学)とは

 系統発生と個体発生の関係

を示したもので、この団氏の階層性の生物学180ページ

と同じことを示している !

この図とともに、第4章(ハプロイド細胞とディプロイド細胞は異なる階層単位である)の図4-7(2つの階層にまたがる原生生物の分布。110-111ページ)は、非常に興味深い。

 これらの図の間の関係は、主体性の進化論の見地から検討に値する。

  以下に、この団氏『階層性の生物学』の三枚の図をダウンロードできるようにしておく。

 「01_10_1.JPEG」をダウンロード

 「01_10_2.JPEG」をダウンロード

 「01_13_1.JPEG」をダウンロード

 「01_13_2.JPEG」をダウンロード     

 ついでに、高橋淑子教授の「細胞の声を聞く」のなかに出てくる図も、これらの二枚の図との関連で重要なので、ここに再掲しておく。

 Imgp1823_1

 

 

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