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読書ノート 『逆システム学』を読む

(2013.12.23) 

● 『逆システム学』(2004)からの抜き書き

   「遺伝子というのはDNAの中のあるまとまった部分をさす。DNAが活性化されると、この部分が、RNAという別の核酸にコピーされる。このRNAは核の外へ運ばれ、蛋白を作る鋳型となる。そして、DNAの三つの塩基で、蛋白(のなかの)一個(分)のアミノ酸の情報を意味することがわかった。つまり、300の塩基でできた遺伝子は、100のアミノ酸配列の情報を(持っていること)意味している。

 Imgp2447_2 こうして「DNAが作るRNAが作る蛋白=DNA makes RNA makes Protein」という言葉が分子生物学のセントラルドグマとよばれるようになった。そこで遺伝子は生命の設計図、RNAはその注文書、蛋白が製品という考え方が広まった。」

 (中略) 「遺伝子が活性化される」という概念を作り、そのメカニズムを明らかにしたのが、フランスのフランソワ・ジャコブとジャック・モノーだった。彼らは、細胞の中の物質濃度を感知するセンサー蛋白があり、これ(センサー蛋白)が物質代謝にかかかわる遺伝子遺伝子を活性化するというフィードバック理論を考えた。

 (たとえば)大腸菌には糖分の濃度を感知するセンサー蛋白がある。細胞内の糖分の濃度が上がるとセンサー蛋白が活性化し糖分を合成する酵素の(部分の)DNAに結合して、RNAの合成を抑制し、(糖分)合成酵素(が)蛋白をできなくなる(ようにする)。(RNA)合成が減ると(細胞内の)糖分濃度が下がる。すると、センサー蛋白から糖分が離れ、(DNA上の物質代謝にかかわる酵素)遺伝子が(活性化され)、そして(その酵素遺伝子の)RNAがまた作られるようになる(その結果、糖分という蛋白の濃度が高くなる)。こうしてフィードバック制御で糖分濃度が一定に保たれる。ある要素(糖分)と調節系が安定した状態を作っている場合に(は)、フィードバックのループが閉じているという。

 この時、RNAが作られ、蛋白が合成されることを、「遺伝子が活性化される」または「遺伝子が働く」という。あくまでDNAにあるのはデータであり、そこからRNAを作るのも、RNAを鋳型に蛋白を作るのも、蛋白である。フィードバックの制御ができるには、センサー蛋白と遺伝子の活性を調節する制御蛋白が必要である。

 (中略) それまでは遺伝子というと、ある蛋白のアミノ酸配列(正確にはRNA)の情報を持っているDNAの配列だったが、(その遺伝子の)活性を制御する蛋白の結合する領域も含めて遺伝子というようになった。よく考えると、これは従来の遺伝子が決定するという考え方を変え、遺伝子も調節系の一部(遺伝情報データ)として働いているを示す結果である。

 だが、ジャコブとモノーによるこの重要な発見は、素朴な遺伝子決定論から脱却する契機をはらんでいたにもかかわらず、その後の研究は必ずしもその方向に(は)向かわなかった。」(22-24ページ)

 実際の研究史では、1970年代以降、皮肉にも、閉じたフィードバック調節を発見した当のJ.モノー自身がその先頭に立ったように、生命進化の遺伝子還元論、さらには遺伝子が生命を支配しているという単純な遺伝子決定論の方向へと進んだ。

 北國新聞2005年12月6日付「きょうの人」

 遺伝子の常識を覆し、DNAの70%が働いていることを明らかにした林崎良英さん

 「がらくた(調節)配列が限られた遺伝子を自在に組み合わせていることが分かってきた。実際にはがらくた(調節)配列を鋳型にしてつくられたRNAが遺伝子の調節系だ。」「きっかけは「3年前、タンパク質に翻訳されないRNA(のなかの塩基配列)が多いことに気づいた」ことだった。」 

 蛋白に翻訳される遺伝子のレベルでは、人とサルのちがいは遺伝子数で1%程度とおどろくほど差がない。しかし、いわゆる遺伝子に調節配列も含めると大きな違いがある。人のほうがサルよりはるかにこの調節配列の活性割合が高い(約70%)。遺伝情報データとしてのいわゆる遺伝子より、調節系が人とサルの違いを生んでいる。かぎられた数の、いわゆる遺伝子をどううまく環境にあわせて組み合わせるか、それがサルとヒトの違いを生むというわけだ。

 そうなると、調節系の一部に遺伝情報をデータとしてもっている、いわゆる「遺伝子」があるというように、遺伝子というものが位置づけられはじめている。つまり、

 遺伝子の生命進化の支配、あるいは遺伝子決定論

というのは、虚構であるようになってきている。

 その極端な初期の事例が、ダーウィン原理主義者、R.ドーキンスの世界的に有名な

 『利己的遺伝子(The Selfish Gene)』(原著=1976年) 

である。30年以上たったいまもこの本は、困ったことにひろく読まれている。

 今でも、一般には、遺伝情報としてのゲノム(の塩基配列)がわかれば、すべてがわかると信じている人は多い。これはたとえれば、料理のレシピがわかれば、その料理の味などすべてがわかると信じているようなものであり、ばかげている。そのレシピに書かれている食材を利用し、かつそこに何時どのくらいの調味料を入れるのかなど、さまざまな経験と工夫で調理器を使いこなす料理人(調節系)の存在というものを無視しているからだ。もっと別の言葉でたとえるならば、遺伝情報データとしての遺伝子がすべてを決めるというのは、レシピがエプロンを着てキッチンに立ち、レンジに向かって料理をつくっていると信じているようなものなのだ。要素還元という美名の下、あまりにも問題を単純化したせいで、大事な物事の本質的な部分まで洗い流してしまっている。遺伝子決定論には、こうした致命的な欠陥がある。

 ドーキンス博士は、わかりやすさを追い求めたために、そのことを見落とした。

 ネオダーウィニズムに対する批判について。

 「イギリスを代表する現代の進化研究者、パターソンは、『現代進化学』第二版において、ネオダーウィニズムに深刻な疑問を提示した。ネオだーウィズムの自然淘汰説の原理は次の内容であると彼は定義する。 

 1 全生物は繁殖する

 2 全生物は遺伝的な変異を示す

 3 (この)遺伝的変異は、繁殖に及ぼす影響がそれぞれ異なる。

 4 ゆえに繁殖に有利な影響を及ぼす変異は(種内に)残り、不利な影響を及ぼす変異は消えさる。こうして生物は進化する。

 これでは、(ある特定の性質を持つ個体が生存に関して有利な立場におかれ、子孫を残す確率が高まるという)自然淘汰説(=自然選択説)は科学理論ではない。(なぜなら)ユークリッド幾何学の定理のように、ある自明の前提から正しいことが証明される(だけの)ものである(からだ)。つまり、自然淘汰説は(数学の)定理のようなもので(あり)、上記の1-3が正しければ4は正しいと言っているにすぎない(逆に言えば、仮定した3が間違っていれば、生物の進化を説明するはずのネオダーウィニズムは崩壊する)。また同時に、自然淘汰を進化の唯一の原因だと述べているわけでもない。(したがって)それでは、(たとえ自然淘汰がはたらいているとしても、)自然淘汰が本当の進化の原因なのか、あるいは自然淘汰以外にどのような要因が進化をもたらすのかはわからないのである(事実、ダーウィン自身、『種の起源』で、有用でも有害でもない変異が自然淘汰がはたらかないのに、種の変わる可能性がある、つまり種内に固定する場合があることを認めている。淘汰が唯一ではなく、淘汰以外にも種の変化する要因があることを認めているのだ。 今西錦司『ダーウィン論』44ページ)。」(40ページ)

 「こうした議論に本質的な疑問を提起したのが、「自然淘汰にかかりにくい遺伝情報ほどゲノムという分子レベルで(は変異の置換速度が速く)進化する」という木村資生の説である。1968年に、木村資生は、実際のヘモグロビンなどの蛋白の(塩基)配列変化を、さまざまな生物種について比較して、これ(塩基配列の変化)は自然選択には関わりなく子孫に伝わっていくという結論に達した。木村らの議論が優れていたのは、数学的な用語を明確にし、検証可能な結論を持つ議論を行なったことである。そこで示されたのは「蛋白構造にかかわらない遺伝子の変異ほど速く起こる」という事実であった。

 蛋白の情報を持つ部分の遺伝子が変異してしまうと、蛋白の機能を失わせることが多い。このため、構造にかかわる遺伝子の変異をもった個体は生存できにくくなる。ところが、遺伝子の変異は、(木村説によると)蛋白の機能にかかわらない部分で速いスピードで起こる。ここ(蛋白の機能にかかわらない部分)に新しい機能が付け加わっていけば生命は、維持することと(ともに)多様性をもって進化することが同時にできるであろう。こうした木村の議論は遺伝的変異の「進化中立説」という。後で述べるように、ネオダーウィニズムの自然淘汰が同義反復で検証不可能であるのに対し、木村の進化中立説は大胆で検証可能な予測をし、現代の進化学をまったく変化させた。

 パターソンは、「ネオダーウィニズムは(中略)ダーウィンの遺産の中でももっとも重要な自然淘汰を重視する。私はもはや(生物の進化の要因として)自然淘汰が完璧な解釈であるとは確信していない」と明言し、進化中立説は「法則のような形で次のように示すことができる。『自然淘汰にかかりにくいと思われるものほど分子レベルでは進化速度(変異の起こる頻度)が大きい』。この法則はまだはずれたことがない」と述べている。

 同時にパターソンは、遺伝子における有力な改変の方法は、(上記に言及したように新しい機能を付け加えることができるので)むしろ自然淘汰にかかわらない中立的変化であることは確かであるとしながらも、「進化中立説」では、(表現型レベルの)クジラやゾウ、ノミやチョウ、サクラやキクがなぜ存在しているのか何も説明しない、と(木村説に対して)疑問を呈している。そして個体の表現型のレベルでは、ダーウィンの自然淘汰こそが(完璧な解釈ではないにしても、やはり)適応を説明できる唯一の議論であることは疑いない、とする。こうした疑問に、木村はポーカーにたとえて、(中略)、一枚ずつ配られていく札が集また時に、(見事な個体である)ストレートフラッシュができる、とする。しかし、(テーブルにひろげられたカードについてはプレーヤーが取捨選択できるとはいえ、最初に配られたカードのような)こうしたランダムな機構のみで生物が作られるとするのは無理があるようにみえる。パターソンの疑問と木村の説明が持つ本当の意味を理解するには、ゲノム解読を待たねばならなかった。」(41-42ページ)

  木村氏は、ヒトのゲノム解読が完了する10年前ぐらいの1994年、不慮の事故で他界したのは、惜しまれて余りある。

 「ネオダーウィニズム(で)は、(中略)一個の遺伝子(の変異)の影響を計算する(ことで定量的な議論をする)。そうすると、一個の遺伝子の生命全体での生存にかかわる効果をどう見るかが問題になる。しかし、モノー自身が(いみじくも)発見したように、(ある)遺伝子の活性化は他の遺伝子により作られる蛋白により(スイッチ機能のように)調節されている。変異の効果は、多数の遺伝子と蛋白がかかわりあって決定され(る)。(こうなると、)複数の遺伝子の作用はそれぞれの効果の簡単な足し算にはなりようがない。(この)非線形の効果は(もはや)適応度としては計算できない。フィッシャーの理論(第2章1を参照)では計算できないから、(こうした遺伝子同士の間の非線形のからみは)「本質的ではない」として除外される。(根拠もなく、都合よく無視される。)つまり、ネオダーウィニズムは自分たちの自明の定義から出発した結果、生命の本体は(ドーキンスのいうところの)「利己的な遺伝子」とならざるをえないのである。これ(利己的遺伝子などというもの)には何の証明もなく、あるのは同義反復だけである。

 ある遺伝子の配列と、その遺伝子の変異体の配列が競争してどちらかが勝ち残る、という議論は注意して考えなければならない。遺伝子の配列というのは、生命の持っている染色体のDNA配列の一部であり、(競争してどちらかが勝ち残ったり、敗れたりするという性格のものではないのであ)る。(ゲノムという一つのものの、別の側面を見ているにすぎない。あえて言い換えれば、勝ち負けが分かちがたくからみあっているのである。)

 「淘汰されてきたのは種である」について

 ネオダーウィニズムは「個体の適応」「群の適応」「種の適応」を否定し、「遺伝子の自然淘汰」だけがあるという。適応の結果淘汰されるのは、複製される遺伝情報、すなわち独立な「遺伝子」なのだからというのである。だが、その「遺伝子」は実体としてはDNAの(塩基)配列(にすぎないのだから、結局配列)に戻らざるをえない。染色体上の「領域の配列が淘汰のすべてを決めるのであろうか。生存するのは個体である(のだから、そんなばかなことはあるまい)。そして淘汰されてきたのは(進化を)歴史的に見れば生物の種である。個体と遺伝子を分裂させ、すべてを遺伝子に還元する考えは、ネオダーウィニズムが計算可能なしくみだけに限る、とした(DNA構造発見前の戦前の)モデルからの帰結であった。(遺伝子至上主義は人間の側の都合に過ぎず、虚構だろう。)

 ゲノム解読は、これらの議論にまったく新たな視点をもたらした。次の章(二章)で明らかにしていくように、実は計算不可能とされた、遺伝子(間の)相互の関係の中に、生命を生命たらしめる調節制御という重要なプログラムの集団が見ええてきたからである。(つまり、それが、閉じない多重フィードバック機構である。)

 「筆者たちの逆システム学は、戦後長く支配的だった素朴な遺伝子決定論やネオダーウィニズムあるいは市場原理主義に代わるオルターナティブをめざしている。まず、筆者たちは、市場経済や生命体の本質を<制度の束>と<多重フィードバック>と捉える。多重フィードバックがこわれてしまうと市場も生命体も維持することはできないからだ。こうした考え方は同時に進化という動態(歴史)的プロセスをも内包している。(なぜならば、)このセーフティーネットを起点とする多重フィードバックは、調節制御のしくみが進化することによって形成されてくるからだ。(なぜなら調節制御のしくみの進化は時間とともに生体内のゲノム、つまり遺伝子と調節塩基配列上に蓄積する突然変異がもとになるからだ。)そしてその調節制御の進化は、多様化や複雑化という性格をもたらす。くりかえすが、この人間や社会が本質的に抱える複雑さを解明する方法を、筆者たちは逆システム学と呼ぶのである。」(序章)

 「進化生物学者の大野乾(すすむ)は、「1創造100盗作」という言葉で生物は遺伝子の重複で進化してきているということを明らかにしてきた。(中略)生命の基本的な代謝や複製にかかわる(重要)機能の遺伝子をハウスキーピング遺伝子という。これについては、(数万個の全遺伝子のうち)四千から六千(個)あると推定されている。

 重複遺伝子は、生物の進化にとって(次のような)大きな意味を持っている。ハウスキーピングは生命の維持に必須だから、これが変異すると致命的である。だが、もしハウスキーピング遺伝子が2セットあればどうだろう。最初のセットは(生命維持を確保するための)セーフティネットとして、次のセットは(生命維持を気にすることなく環境対応に向けて)どんどん進化してかまわないであろう。どちらに変異が入っても、もう一つはバックアップ保障になるというわけだ。

 遺伝子重複と前に述べた木村資生の「進化中立説」をあわせて考えてみよう。ハウスキーピング遺伝子が(重複せず1セットしかない場合)変異して機能しなくなると、これは致命的である。そういう生物は(次の世代以降早々と)淘汰されてしまう(種内からそのゲノムは排除されてしまう)。しかし、遺伝子が重複していれば、片方に変異が頻繁に起こっても問題ない。こうして、(遺伝子重複があれば、ほとんどを占める不利な変異もバックアップ機能で実際には淘汰になんら不利ではなくなるので)淘汰とは関係なく中立的な変異が起こり続け(ることになり)、生物のゲノムシステムは多様性を持てるようになる。多様性があれば、さまざまな環境変化に適応できる反応の幅はきわめて大きくなる。環境に大変化が起こった時、この中で特定の遺伝子型の生物が生き残っていく。(中略)

  遺伝子重複の、もう一つの利点は、(通常、)新たに蛋白構造を作る変異は非常に長い時間と多数の個体数が必要なのに対し、重複進化の場合は複雑な新しい構造を作りやすいことである。前の章でストレートフラッシュをするという議論をしたが、一度にストレートフラッシュを作るのはむずかしい。しかし、二枚つながった配列に、似た配列が三倍になり、そこから一枚減る形があれば、ストレートフラッシュもできやすいかもしれない。重複進化により、新しい蛋白も作りやすくなり、生物の進化は飛躍的に速くなる。」(55-57ページ)

増加する調節領域について。

 「生物のDNAというのは、長い進化の間に切断されたり、またはつながれたり、さまざまな遺伝子組み換えが起こって変化していく。この組み換えが蛋白の配列のところで起こると、蛋白の機能がおかしくなってしまうことが多い。だが、調節にかかわるところで組み換えが起これば、蛋白が作られる調節(系)が変化することになる。蛋白構造にかかわるところが2%以下だとすると、50回の組み換えのうち、49回までは、蛋白構造(にかかわらない)ところで起こっていることになる。

 生物が進化するにつれて遺伝子数はあまり変わらなくなる。ネズミと人間では遺伝子の数は変わらないが、人間ではこの調節制御の領域が増え複雑化し続けているのである。大腸菌ではDNAのほとんどが蛋白の情報を持っている。(中略) ネズミと人間の遺伝子では何がもっとも違うかというと、「いつ」「どこで」こうした蛋白(にかかわる遺伝子)が使われるか、その調節制御(の部分=ジャンク)がもっとも違っているのだと考えられる。

(中略) たくさんの調節制御のシステムができてくると、生物(の環境適応にとって、つまり、生存にとって)何が有利になるであろうか。それは調節によって環境変化に適応できる範囲がどんどん広がることである。たとえば温度の大きな違いに対応できるようになれば、それは進化であろう。さらに温度と湿度の(大きな)変化に対応できれば、さらに有利であろう。すなわちネオダーウィニズム(で)は、進化の過程を一つの遺伝子と他の対立遺伝子の争いと考えたが、(ゲノム上からみた)実際(に)はそうではなく、ある生物システムが広い適応の幅を(調節系のほうの働きで)もつようにゲノムが(組み換えられて)変化していくのが進化の中心(過程)になっているのだ。」(57-58ページ)

 「木村資生の「進化中立説」は、生物が、「自然淘汰に有利でないような」機能の低下をともなった変異をたくさん保持していることを明らかにした(1968年)。ある生物集団内において遺伝的多様性があることが、さまざまな環境変化に対する適応能力のストックを準備しているのではないかと考えられる。こうした考えは<前適応>と呼ばれる。

 「従来の多くの進化遺伝学の理論は、遺伝子の制御のしくみを考慮していなかった。とくにネオダーウィニズムをはじめ多くの議論は、(ほとんど調節系のない)大腸菌などのゲノムにみられた「アミノ酸の突然変異による蛋白構造変化」しか考えていない。よく注意して考えると、選択されているのはヘモグロビン遺伝子ではなく、(ヘモグロビン遺伝子に付属している)このような多様な環境変化に耐えられる制御のシステムなのである。どのような環境変化が起こるかは、自然に予測することは難しい。「遺伝子が選択淘汰される」と考えるネオダーウィニズムの誤りは、この点を無視していることにある。本当は、淘汰されるのは「遺伝的な多様性を保持してさまざまな環境変化に適応できるシステム」だと考えられる。つまり、(遺伝データとしてのいわゆる遺伝子は変わらず、)進化する仕組み(調節系そのもの)が(変異したり、組み換えられたりして)進化しているのである。」(60ページ) 

逆システム学の誕生について

 「生命の複雑な制御を一気に俯瞰できる新しい技術は思わぬところからやってきた。(中略) 半導体技術の技術の中で、光を基盤にあて、こまかな化学反応を起こさせる技術がある。これを用いて、半導体の基盤の上で、RNAがどれだけ作られたかを簡単に測定できる方法が開発された。これがDNAチップである。(中略)  アメリカのベンチャー企業は、この三万の(遺伝子がならぶ)DNAの一本の鎖の配列をはりつけた半導体基盤(チップ)を作った。(たとえば)人間の白血球などのサンプルからRNAを取り出してきて(だけを抽出してきて)、(DNAチップ上で化学反を起こさせ、そこから)結合した量を(半導体作成技術で)正確に計れば、三万三千の遺伝子の(うち、どの遺伝子の)RNAがどれだけ作られているかすぐわかる。

 前述したゲノムgenomeという名称の由来と同様に、遺伝子が活性化されて作られるRNAのことをトランスクリプト(transcript)というので、その全体像をトランスクリプトーム(transcriptome  励起全体像という意味)という。このトランスクリプトームの解析が生命系の全体像を解析する(明らかにする)画期的な手段になった。」(77-78ページ)

  閉じないフィードバックループ- 多情フィードバックについて。

 「(時間的、空間的に一緒に活性化される)クラスター解析を進めていくと、一つの細胞の中でも、常に数千の調節制御が働いていることがわかってきた。これまでの遺伝的決定の考え方と大きく異なる遺伝子/蛋白の作るネットワークが生まれてきたからだ。(つまり、) 生命の本質的なあり方は、(遺伝子のほうではなく、調節制御が重なった多重フィードバック(図)だと考えられるようになってきた。

 (しかも、)  アイゼンのクラスター解析の結果、一つの調節系で(すら)たくさんの遺伝子が活性化されることがわかった。(遺伝子と調節制御システムとが一対一に対応していない、つまり調節制御ループ上にたくさんの遺伝子が活性化されるということは、モノーのような単純な閉じたループ仮説では大腸菌の場合はともかく、哺乳類など人間では成立しないことを意味する。つまり、これは多重のフィードバックが閉じないことを意味しており、進化の遺伝子決定論やランダムで盲目的な突然変異が進化の主因とするのとは、およそ対照的なシステムになっている。)」(81ページ)

「(細胞のコレステロール代謝の全体を調節する)制御の仕方はいくつもあるが、その中でもっともよい調節方法を選択できるのが、多重フィードバックの特徴であることがわかってきている。それ(細胞内のコレステロール代謝)は遺伝子からだけでは決らない。実際のコレステロール(量)や、その材料や、代謝(の結果でてくる)産物の量によって決まるからである。(このように)ゲノム(に)はすべてのプログラムがあるわけではなく、(つまり、ゲノム上の遺伝情報のデータ構造は核内の)遺伝子と調節配列が(細胞内の)センサー蛋白や調節蛋白と(閉じない多重の)フィードバックを作るようにさせ、(そのループの)多数の重なりで、生命(この場合、細胞)を制御する仕組みになっていると考えられるようになってきた。」(83ページ。注=最後のパラフレーズの部分は、わかりやすいように少し手入れしている。引用する場合、原文と照らし合わせをすること)

 「このシステムの複雑さは、蛋白が物質代謝を(多重フィードバックで)制御するとともに、同時に(フィードバックにかかわる)遺伝子(そのもの)も制御していることによる。(つまり、)この制御系は、(モノーがいったように)一つの制御蛋白が一個の遺伝子を制御するのではなく、数多くの蛋白が、たくさんの遺伝子を制御しているのである。(中略) しかし、(トランスクリプトームという形で)遺伝子全体の活性化の様子などを系統的に解析すると、どの制御系が働いているのかは比較的に簡単に推測できるのである。

 (解析のためにあらかじめ数学的なモデルをアプリオリに設定するのではなく)このように調節制御と、その重なりを解析していく実験手法を逆システム学という。なんらかの介入をし、それを経時的に「いつ」、(ゲノム上の)場所特定的に「どこで」に注目しながら観察していくのである。そこから、実際に重要な働きをしている制御系を明らかにしていく。」(88ページ)

  ● 変化と進化における多様性と適応について。

 「発生、成長、成熟、老化といった生命体の変化に応じて、遺伝子の調節制御は変化していく。生活様式の急激な変化は、これらの切り替わりの時期にとくに顕著な調節機能の不全を引き起こしやすい。(中略) 生物の進化(と)は(遺伝子の)単なる淘汰ではなく(もっと巧妙な)多様性を生み出すシステムによる環境変化への適応である。」(162ページ)

   遺伝子は二回異なった使われ方をする- 発生期と成熟期

 「生物学者は、こうした結果にしばしば出会う。発生途上では、体を作る目的で使われた蛋白が、成熟した動物では違った目的で使われるのである。この場合は、遺伝子を活性化する調節配列が二カ所あり、時期によって異なる制御機構が働くのである。DNAはある蛋白のデータを持っている。調節制御の違いで、その蛋白はまったく逆に使われることもある。これまでくり返し主張してきたように、ここでも、ネオダーウィニズムのような素朴な遺伝子決定論の立場に立つと、現象自体を理解することができなくなってしまう。

 人間の三万個の遺伝子で、60兆個にものぼる細胞が協調的に働けるのは、実は遺伝子(に)は個々の蛋白(の情報)が書いてあるだけでなく、調節制御のルールも書き込まれているからである。ルールとは、その遺伝子がどのような状態で活性化されるか(を決めて)おり、このルールが一個の遺伝子について多数あるのだ。」(167ページ)

  ネオダーウィニズムはこの事実を完全に見落としている。

 「21世紀の生命科学は、細胞の中での蛋白の相互作用を中心に進んでいくのであろう。」(168ページ)

  適応力とは環境の変化に対応できる能力

 適応の具体例では、マラリアに強い異常ヘモグロビンの<前適応>がある。

 「ところが、現在の集団遺伝学では(そのときどきの)生存に適切ではない変異は(種内から)排除されていくとする。しかし、環境の変化は予測できない。将来のリスクに備えてセーフティネットがあるように、さまざまな環境の変化に対応するためには、多様な遺伝子を持っていなくてはならない。このこと(遺伝子の淘汰性と多様性の確保)は進化論にとって大きな問題となる。」(195-196ページ)

 生物の進化における適応の意味について

 「生物の進化において、競争的淘汰が重要な役割を果たしてきたのは間違いない」(198ページ)

  「しかし、それ(競争的淘汰)は、目に見える一つの表現系(型)の競争などではなく、多重フィードバックの適応範囲を広げ、生存の可能性を増やす生命圏を作り上げていく競争なのである。種全体の適応に対する効果は長期的であり、複雑である。」(200ページ)

「木村らの「進化中立説」は、個体数が十分でない生物系ではさまざまな遺伝的情報が、保持されることを予測している。これは、多様性を保持する一つのしくみであり、ある種の生物がさまざまな環境で生息している時には、それぞれの居住区域を中心に遺伝的な情報が保持され(ながら)、小集団の中で、淘汰が進む可能性を示している。つまり、種よりも小さい小集団ごとにも一つの、適応系が形成される。集団にも階層性が生まれる。今西錦司の「すみわけ」理論は、こうしたことを的確に表現している。」(201ページ)

  これが生物の進化における個体数の意味である。

  ● 多重フィードバックからみた生物進化の原動力

 「実は、生物には絶え間なく変異が起こっている。今西は「種は変わるべくして変わる」とし、「種社会」が進化する実体であるとした。しかし、ゲノム科学の進歩は、変異がランダムに起こり、種は変わるべくして突然に次の種が現れるだけではなく、もっと複雑なしくみをもっていることを示した。

 進化の原動力は、長い年月で淘汰された遺伝子を変異にまかせるのではなく、重複進化の形で(変異する前のもともとの遺伝子の)コピーも(ゲノム上に)たくさん作った(ことである)。こうしてオリジナルを保存しながら(遺伝子の)改変を進めた。さまざまな遺伝子組み換えのしくみで、重複したコピーの間で、また情報の交換が行ないうるしくみができている。さらに多数の蛋白に関する情報のコピーが、異なった調節制御を受けるしくみが作られた。遺伝子の活性化の制御は、たくさんの調節系が重なり合って制御し、また相互に影響し合う。

 調節制御の小さな遺伝的変異は、それ一つでは「隠れた効果」しかない。表面上は何らの違いも現れない。だが、こうしたたくさんの変化が種全体の遺伝的資産の中に保存されていれば、環境の変化という危機の中で、そのいくつかの組み合わせによる制御は適応を可能にする。こうして「隠れた効果」が表面に現れ、新しい制御系が生まれる。

 多重フィードバックという観点から見ると、遺伝子の安全度を高めながら多様性を増し、しかも調節制御の幅を広げて適応できる範囲を広げてきたのが、生物の進化の原動力であるといえる。すなわち、進化の原動力は歴史的に変化し、初期には遺伝子変異と自然淘汰が中心であったが、やがて重複と調節制御が中心になる。進化のメカニズムのように歴史的なものが、歴史的に進化しないわけがない。個々の蛋白構造を決める遺伝子の進化から、調節制御の進化へ、さらにさまざまな調節制御の(小さな)変異を「隠れた効果」として多数保有し、環境変化において新たな調節制御のしくみを迅速に生み出しうるシステムへと、生物の進化の中心的な原動力は変化してきたのである。」(202ページ)

  進化するしくみが進化してきたということだろう。

 これこそ、「種は変わるべき時が来たら、種内の個々の生物みんなが一斉に、しかもほぼ同一方向に向かって(悠長に突然変異なんか待たずに)自力で、変わる。つまり新しい遺伝子の制御システムを創り上げる」ということであろう。来るべきときが来たら、種内のキリンのどの首もどんどん長くなる方向に、閉じない多重フィードバックという制御系が駆動し、進化する。化石にキリンの首の中途半端な長さのものがないのは、この理由だろう。

 ● 進化の不易流行説。

 変わらないもの = 遺伝子。なぜなら、サルも人間も遺伝子数ではほとんど差はないからだ。せいぜい1%程度。これに対し

 変わるもの = 遺伝子の調節制御システム。なぜなら、種内の個々の生物のゲノムは将来の環境変化に適応するため、調節塩基配列の変異を種外に排除せず、「隠れた効果」として常に保持しているからだ。

 進化とは、遺伝子の淘汰進化ではない。それは、遺伝子を制御する調節制御システムの環境変化に対する適応である。遺伝子は変化しない。

 「遺伝子が決定する」という1対1の関係の要素還元論から

 「遺伝子が活性化される」という、多数の遺伝子 対 多数の調節制御の重なりという閉じない多重フィードバック理論へ。

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