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没後5年、筑紫哲也とは何者だったのか

(2013.12.31)  先日夕方、BS-TBSを見ていたら、ドキュメンタリー番組

 Imgp2503 明日への伝言

というのを放送していた。

 ● 残された膨大な「残日録」

 肺がんで5年前の秋、亡くなった筑紫哲也さんが残した

 病床日誌「残日録」をたどる旅

というので、興味を持って拝見した( 写真上=2013年12月30日放送の同番組テレビ画面より )。

 見終わって、18年半も毎日のように「筑紫哲也のニュース23」のアンカーマンをつとめたのに、そして番組の終わりには毎回必ず90秒もの

 多事争論

をしゃべったのに、あらためて

 筑紫哲也とは何者だったのか

と思いをめぐらせたのだが、なかなかピタリとした結論が出なかった。

 徹底したリベラリスト

というのが、登場していた盟友、立花隆の結論だった。自由主義者という意味だが、どうもどこか違うと思う。

 浜松市に暮らすブログ子の最初の印象は、ほめ言葉なのだが、

 つかみどころのないウナギのようなジャーナリスト

というものだった。番組をスタートさせる前は長く朝日新聞社の政治部に所属していたし、朝日ジャーナルにもかかわっていたからだ。

 ● 見ることに徹したプロの観察者

 しかし、どうもイメージがピッタリしない。そして気づいた。

 自由と孤独を愛する、つかみどころのないニュースの編集者(エディター)

なのだと気づいた。

 筑紫さんの座右の銘は、自ら創った

 手考足思

である。手で考える。そして足で現場に行き、思う(しかし、主張はしない)。そんな意味である。これからもわかるが、編集者だと言われたなら、筑紫さん自身も、なるほどそうだと納得してくれるだろう。

 どんな意見にも耳を傾ける。そして、どんなことにも興味を持つが、さりとて深追いはしない。淡白なのだ。一言で言えば

 融通無碍な編集者

といったらいいかもしれない。

 筑紫哲也さんについては、亡くなってから1年たった時期にまとめられた

 『筑紫哲也 永遠の好奇心』(週刊朝日MOOK、2009年11月。写真下)

というのがある。このなかに、同郷で古い友人のミュージシャン、井上陽水さんの証言

 Imgp2498_1 亡くなってから〝空気〟のすごさを知った

というのがある。ここに

 演者にならず見ることに徹したプロの観察者

という見立てがある。これがもっとも、ブログ子の腑にコトンと落ちる。

 筑紫さんといえば、テレビコラム「多事争論」があるが、不思議と当時、記憶に残らなかった。その理由は、中身が主張ではなく、ものの見方を示していた、あるいは視点を提示していたからだろう。何かを叫んではいなかった。

 このことは18年間一貫していたように思う。自分が自ら証言するというよりも、時代の証言者を発掘、発見し、番組で語らせるという編集者だったのではないか。敵にも味方にも証言する機会を与える。そして、事件の当事者にもスタジオで語らせる。これが、筑紫流のジャーナリズム精神だったのではないか。

 ● 「多事争論」はものの見方を提示

 このことは、多事争論の総括ともいうべき筑紫さん最後の

 WEB多事争論でも貫かれていた。今回の番組でもこの撮影シーンが最後に流されていたし、またMOOKの最後にもしゃべった内容が

 WEB多事争論 遺言 この国のガン

というタイトルで収録されている(2008年8月1日付)。ポイントは、当時の状況についていろいろと話した後で、要するにこの国はガンにかかっているという内容。そして最後に

 「ですからこの国の問題だって、問題ははっきりしている。ある意味では単純である。だから、やれることは簡単かって言うとそうではありません。しかし問題がここにあるんだということは、まずはっきりしないと、何事も始まらない。その上でそれに向かって戦うのか、もうそれに負けるのか、そこが私たちに迫られている選択しだろうと思います。」

となっている。

 だから何だというような具体的なことは主張していない。この国のガンを取り除くにはどう闘うべきなのかということは何も訴えてはいない。ただ、ものの見方を伝えているだけなのだ。だから、「郵政民営化」、「即原発ゼロ」というような具体的な訴えに比べて、印象にずいぶんと残りにくい。

 また番組での最後の多事争論(2008年3月28日)= 変わらぬもの、というのもまた何かを主張したものではなかった。多様な意見や立場を広く番組に登場させていく決意に変わりがないことを強調していただけだった。

 ものの見方の機軸、座標を指し示してくれてはいるものの、そこに具体性がないため、筑紫像について、一般にはウナギのようにつかみにくいものになってしまっている。

 これでは、筑紫さんの嫌いな時の権力者にとっては痛くも痒くもなかっただろう。

 ブログ子は、筑紫さんが亡くなった時、正直に言えば

 「テレビ界の深代惇郎」、死す

と思った。深代と言うのは、朝日新聞のリベラル論説委員であり、名コラムニスト。しかし、これは大きな間違い。筑紫さんは、あくまでも編集委員ではあっても、自ら主張する論説委員ではなかった。タイプでもないのだろう。

 ● 3.11以後のジャーナリズムとは 

 だがしかし、こうしたある意味第三者に徹するという伝統的なジャーナリズム手法は、原発震災の

 3.11以後

にも通用するだろうか。見ることに徹したプロの観察者

であり続けることはできるか、という問いかけである。ブログ子はできないと思う。

 当事者として関与するジャーナリズム

が必要ではないか。

 その意味では、筑紫さんの死後3年目に起きた原発震災のジャーナリズムは新しいステージに立ったといえよう。

 筑紫さんの生きた時代は、対象から離れて、観察に徹することのできる

 他人事のジャーナリズムの時代

であり、記者にとってはある意味気楽な商売ように思う。

 そして番組を見終わって、ふと思った。

 もし仮に、筑紫さんが今生きていて、原発震災を取材して歩いるとしたら、どうな「多事争論」を語るだろうかと。

 ニコニコ笑いながら、果たしてつかみどころのないものの見方を語っているのだろうか。わが事のジャーナリズムが必要ではないか。

 ● 風に吹かれて世界の街角を1人旅

 それはともかく、今から10年くらい前、60代後半の筑紫さんに、ブログ子が暮らしていた金沢で会ったことがある。30分程度の雑談だったが、そのなかで、さびしそうにポツリ

 一年でもいい、ふらりと、見知らぬ世界の街角を一人旅してみたい。そこから見えてくるものを知って、死にたい

と、そんな趣旨だった。都会のビルのなかで毎日忙しくて、それができない人気キャスターのさびしそうな苦笑いの素顔を、ブログ子は今も印象深く覚えている。

 もう一度、世界を見てみたかったのだろう。いかにも自由と孤独を愛し続けた筑紫さんらしい。

 そんな60代後半に入り始めたブログ子も、風に吹かれて世界の街角をたずねる一人旅をしてみたいと思っている。できれば、来年2014年にも。

 「今日はこんなところです」。

  ● 補遺 読者からのコメント 2014.01.22

 この記事を書いて、3週間ほどたった最近、ある読者から鋭いコメントが届いた。

 それは、筑紫哲也は何者か、という問いに対するもので、

 筑紫さんと同時代を歩んで、「沖縄返還密約」情報入手で1970年代有罪確定となった毎日新聞政治部の西山太吉元記者とは一緒に酒は飲みたくない。これに対し、柔和な筑紫さんとなら、何度でも酒を酌み交わしたいという違いだろう

というのだ。言い得て妙だ。西山さんにはブログ子も何度か取材先でお会いしたが、ズバリ、そのとおりと認めたい。

 西山さんは沖縄密約にしろ、今回の特定秘密保護法にしろ、上品をかなぐり捨てペンを持つプロとして怒りをあらわにするタイプの新聞ジャーナリスト。対して、筑紫さんは何事も上手にこなすニュース編集者。目をぎらつかせたニュースハンターではない。「和をもって尊しとするテレビアンカーマン」なのだ。

 もう少し言い換えた例では、戦前の反骨のジャーナリスト、桐生悠々などのタイプではない。あくまで「多事争論」者であって、一点を見つめて権力と対峙するというのではなかった。

 だから、国家の犯罪に挑んだ西山さんや悠々の仕事はいつまでも強烈な印象として国民の記憶に残る。が、筑紫さんのそれは死んだらおしまい、だれも記憶などしていない。

 そんな違い。これがもっとも核心を突いた筑紫哲也論だろう。

 この核心を裏付けるように、筑紫さんの口癖は、

 「遊びをせんとや生まれけむ」(『梁塵秘抄』)

だった。徹底したリベラリズム、自由主義といっても、遊びのひとつなのだ。 

 なお、この読者からの指摘で知ったのだが、筑紫哲也さんには、失言や失敗談も自ら語っている自伝的な

 『ニュースキャスター』(集英社新書、2002)

があったことを付記しておきたい。客観報道の限界や主観報道の重要性を指摘している点に注目したい。

 逆に、筑紫批判の書としては

 『別冊宝島 56 筑紫哲也 「妄言」の研究』(宝島社、2004年)

がある。数々の〝偏向報道〟の作られ方についての証言もあり、この二冊をセットで読むと面白い。

 ● 注記

 講談社の読書人の雑誌『本』が、この2月号(2014年)から

 新連載『筑紫哲也NEWS23』とその時代(TBSキャスター、金平茂紀)

を始めている。どんなキャスター論になるのか、ちょっと楽しみだ。第一回分を読んだ限りでは、きちんとした論というものではない。脈略のない、楽屋裏話か四方山話程度のものだった。 

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コメント

初めまして。横浜市在住の者ですが、昔から筑紫哲也さんのファンです。
BS TBSにて、放送された、
筑紫哲也の明日への伝言、どうしても観たいのですが、なかなか手に入りません。有料でも、構わないので、DVDを
送って頂く事は出来ないでしょうか?

投稿: 依田好美 | 2014年2月 8日 (土) 20時31分

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