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芭蕉の「蛤塚」 別れをどう生きるか

(2013.11.22) 先日11月19日付のこの欄で、盲ろう者の福島智さんの講演

 生きるとは、(人と)つながること

Imgp1986 の話を書いたが、実は、これは裏を返せば、

 人生、別れをどう生きていくか

ということでもある。前回、芭蕉の奥の細道むすびの地、大垣について書いたことから、むすびの句とは、どんなものかということに興味を持った。

 ● 蛤のふたみに別行秋ぞ

 大垣市内の「むすびの地記念館」の真ん前の

 蛤塚( はまぐりづか )

にその句はあった( 写真上 )。

 い勢にまかりけるを

 ひとの送りければ

 「蛤のふたみに別行秋そ   はせを」

     元禄二(1689年)年 奥の細道

 (最近発見された草稿段階の、いわゆる自筆本( 写真 )には、「伊勢の遷宮おかまんと又ふねに乗て」となっている。句自体は同一)

  奥の細道は、

 「行く春や鳥啼魚の目は泪

の旅立ちで始まる。対して、むすびの句では、上記のように「行秋そ」と結んでいる。計算された全体構成になっていることがわかる。

 記念館には、こうした自筆本=草稿、書き込みのある曾良本(つまり定稿本)などを中心に、細道の旅のあと、数年をかけて芭蕉がどのように推敲していったのか、具体的に分析してみせた展示が面白かった。

 Imgp1961_1 一例を挙げれば、「奥の細道」でもっともよく知られた平泉での句

 五月雨の降(ふり)のこしてや光堂

については、写真のような分析がなされていた(写真をダブルクリックすると、拡大される)。

何度も推敲してたどり着いたのが、この句だったことがわかる。

 ● 推敲と思索の「人生紀行文」

 こうした分析の展示を見ながら感じたのは、むすびの地、大垣で芭蕉が実感したのは、「奥の細道」の書き出し、つまり

 月日は百代の過客にして行きかふ年もまた旅人也

という境地であり、人生、別れをどう生きるのか

という命題だったのではないか、ということだった( 注記 )。

 Imgp1303 この問いかけに、一定のこたえがあるわけではないし、また事実、芭蕉自身も明示的にはこたえていない。

 はっきりしているのは、すべてに別れを告げるときが必ず来るという事実だけである。西行の五百回忌にちなんで、その歌枕の旅に出た芭蕉。尊敬する西行の無常観にも似た境地と問いかけであるようにも思う。

 旅人がそうであるように、そのときそのときの出会い(つながり)と別れこそが人生という旅なのだ、と芭蕉は言いたかったのだろう。

 冒頭書き出しに旅人を登場させ、むすびの地の句に、別れを持ってきたのも、このせいだと思う。

 芭蕉は、自ら歌枕の旅人となって出会いと別れを体験し、その実感をそのときそのときの句に託した。旅のあとの推敲と思索の繰り返しで到達したのが、「奥の細道」という人生紀行文だったのだと思う( 注記2 )。

 ● 大垣は俳人、芭蕉の総決算の地

 ここから言えるのは、芭蕉はこの奥の細道の出発にあたっては予想もしなかった「別れ」という人生のテーマにたどり着いた。その地が、

 大垣

だった。最初は、西行の歌枕の名所をたずねるつもりだったのとは、案に相違して大きく異なった。

 その意味を、一言で言えば、大垣は単なる大団円の「むすびの地」というよりも、新たな境地を切り開かせてくれた

 「奥の細道」結論の地

となったいえるだろう。

 もっとはっきりと言い換えれば、結果として、俳人、芭蕉が人生の「別れ」の意味をその体でつかんだ総決算の地、それが大垣だった。

 このことを大垣市民は、もっと認識し、誇っていいように思う。

  ● 注記

 この書き出しは、月日や年は、次々と自分たちを通り過ぎていく、いわば旅人のようなものであるという意味。

 時間はただ流れていくのではない。旅人のように、自分たちとすれ違い、後ろに通り過ぎていく。旅人が過ぎ去ったあとは、もはや二度と出合うことはないという、人生の別れの発想がここにはっきりとみてとれる。

 この意味で、芭蕉は旅立ちにあたって、二度とこの地に戻ってくることはあるまいと覚悟、あるいは悟っていたであろう。だからこそ、旅立ちにあたって、自宅を処分している。

 ただ、戻ってくることはないとしても、旅の終わりで、どのような結末が待っているのかということまでは、出発時には具体的なイメージはなかったはずだ。それを明確に悟ったのは結びの地、大垣だった。蛤塚の句がそれであり、この別れの句で「奥の細道」が終わっているのは、奥の細道とは芭蕉にとって何だったのかを考える上で、大変に象徴的である。

 ● 注記2

  旅のあと、芭蕉がいかに推敲と思索を繰り返したかは、上記の「芭蕉自筆奥の細道」=いわゆる自筆本(草稿本に相当)の多くの「張り紙」でたどることができる。張り紙の下に推敲前の文字が書かれている。上記写真の左側のこの自筆本は、現在岩波書店から解説付で出ている(1997年発行)。

 以下は、記念館の入り口(「奥の細道」の主要な諸本について)と、外観のスナップ写真。

 Imgp1955_2 

Imgp1948_2 

 

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