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もう一つの「キューバ危機」  奇襲実行目前だった核の先制攻撃

(2013.11.15)  今月で、アメリカの大統領だったJ.F.ケネディ氏が暗殺されて丸50年になるというので、深夜のNHKBS1「世界のドキュメンタリー」で大々的に特集放送をしている。

 ● ケネディ暗殺から50年

 その中で、先日の「大統領への背信」という番組(アメリカ、2013年制作)には驚いた。リベラルな若き民主党出身の大統領ということで、ソ連との冷戦真っ只中を闘っていたR.マクナマラ国防長官らペンタゴン高官や保守派将軍が大統領に対する不信感をあからさまにしていた様子を具体的に描いたものだった。

 世界を、全面核戦争の瀬戸際にまで陥れた「キューバ危機」(1962年10月)の恐怖が覚めやらぬ1963年には、

 米軍が、なんとソ連に対して、核による先制奇襲攻撃計画

を立案しており、実施時期は1963年後半( 大統領暗殺の時期 !に重なる )に設定されていたという。保守派の大統領に対する苛立ちを示すものであり、この事実を示す当時の副大統領へのメモ(機密文書扱い)が1990年代に公文書公開で明らかになっているらしい。

 ケネディ大統領は、キューバ危機回避直後、アメリカン大学で平和共存を呼びかける歴史的演説を行い、その中で

 「アメリカは、決して先に核兵器を使用しない」

と世界に向って政策目標のマニフェストとして宣言した。ところが、このことがかえって、軍部をいたく刺激し、不信感をますます募らせたらしい。アメリカがソ連の先制攻撃にさらされ、極めて危険というわけだ。

 当時、ミサイル開発で出遅れていたソ連がアメリカに追いつく前に、反撃の機会を与えず奇襲的に先制の核攻撃をソ連の核軍事施設に仕掛ければ、確実に勝利するというのが、第二次世界大戦を闘い抜いてきたベテラン軍幹部の主張。

 この詳細な実施計画が大統領にも副大統領(L.ジョンソン)にも提出されていて、ホワイトハウスでは、マクナマラ国防長官を交えて真剣、かつ〝現実味を持って〟検討されていたというのだ。

 その最中に、ケネディ大統領は暗殺されたというのだから、なんとも不気味だ。

 1963年というのは、日本では東京オリンピックの前年にあたり、北陸ではこの年1月は

 サンパチ(昭和38年冬の意味)豪雪

として知られている年。福井県出身のブログ子は、この豪雪を経験しており、たしか当時中学2年の3学期のことだったのを覚えている。

 ● ミサイル設計技師の告発

 こうした国際政治については、どの程度信憑性があるのか、国際関係論にうとい理系人間のブログ子にはよくわからない。

 Image1943_1  しかし、このアメリカの先制攻撃計画がまんざら机上の話ではないことに気づいた。

 1960年代当時、米最大の兵器製造会社「ロッキード」で長年ミサイル開発設計技師だったR.C.オルドリッチ氏の

 『核先制攻撃症候群』( 岩波新書、1978年。写真 )

を読むと、いかにアメリカが、表向きの表明、つまり、やられたら倍返しするという

 核抑止論

よりも、確実に勝てるソ連核軍事施設への先制奇襲攻撃(いわゆるカウンター・フォース戦略)に傾いていたかが、兵器製造設計の現場にいたエンジニアの証言からよく、理解できる( 注記 )。

 なぜなら、核兵器の運搬手段のミサイルの開発設計は、その時々の使用目的が明確でない限り、設計できないからだ。

 また、抑止論ではとうてい考えられないほどの大量の核兵器保有がなぜ必要なのかが理解できる。抑止ではなく、実際に先に使うことを目的にした核兵器であり、相手が持っている以上の核を持っていなければならない。これでは核軍拡競争は止まらないのも当然だろう。

 その意味で、

 1960年代は核の先制攻撃の時代

だった。もう一つのキューバ危機がそこにあった恐怖の時代だったのだ。

  ● 1970年代にも引き継がれる

 この先制攻撃論というマクナマラ戦略は、暗殺後を引き継いだL.ジョンソン氏にも、引き継がれたことを忘れてはならない。

 ただ、暗殺後ただちに副大統領から昇格したジョンソン大統領は、その政治基盤の脆弱さから、

 ケネディ氏の政策、とくに国内政治(人種差別撤廃の公民権法案と政治参加の平等をうたった投票法案)に専念せざるを得なかったこと、

 大統領に当選した後では本格的なベトナム戦争介入で、その政治力を急速に失っていったこと

-などで、当初のような先制攻撃実施はもはや時期を逸し、色あせていったとみるのが妥当のような気がする。

 それでも、オルドリッジ氏の著書を読むと、マクナマラ長官辞任後の1970年代でも先制攻撃論は有望な選択肢として、国防政策上、あるいはミサイル設計思想上、「症候群」とも呼ぶべき形で根強く生き続けていたことがよく分かる。

 1990年代に入ると、東西冷戦が終結したことで、先制攻撃論は下火にはなった。しかし、新たに「脅し」の手段として、あるいは大国の証として、核兵器の存在の国際政治的、軍事的な意義自体は、その非人道性にもかかわらず、少しもゆらいではいない。

  ● 注記

 この著書によると、アメリカの核戦略がソ連軍事施設への先制攻撃でなければならないと、次のような表現で公式に発言したのは、ケネディ政権のマクナマラ国防長官であり、ミシガン大学での卒業式演説だった。キューバ危機の半年前の1962年6月である。

 「核戦争のさいに、同盟国が重大な攻撃を受けるのをくい止めるための第一の軍事目標は、敵の一般住民ではなく、戦力の破壊でなければならない」(同書31ページ)

  こうなると、キューバ危機で、アメリカの先制核攻撃で全面核戦争が始まらなかったのは、むしろ不思議なくらいであることがわかる。

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