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映画「2001年宇宙の旅」の監督の狙いとは

(2013.11.26)  題名はよく知られているのに、その映画が何をテーマにしているのか、しかもストーリー展開がそれに輪をかけてよくわからない、というものが、質の高いもののなかにも、ときどきある。

 200195f26_58_109434m 先日、民放BSで放送していた

 「2001年宇宙の旅」(S.キューブリック監督とSF作家、A.クラークの合作、1968年)

というのも、その一つだろう(写真)。

 ● 謎のストーリー展開

 宇宙旅行といえば、見ていない人でも、たいていこの映画のタイトルを思い浮かべる。

 ブログ子もこの映画をこれまでに2、3回は見ているが、会話とか説明が極端に少ないこともあって、この映画で監督は何を訴えようとしているのか、ほとんどわからなかった。ラストシーンになぜ、あのような赤ん坊(写真)が登場するのかも謎だった。

 加えて、ストーリー展開でも、なぜ突然そんな場面が登場するのか、起承転結の理解に苦しんだことを覚えている。しかし、何かを訴えようとしているのはわかる。質の高い作品である証拠だが、それが明確にはわからないもどかしさが、この数十年続いてきた。

 だから、かつての星新一さんなど、相当のSFファンや作家でも公開当時退屈だという感想を漏らす映画ファンが多かったのも、無理はない。

 だが、今回、この映画を見て、はたと気づいた。これこそが、S.キューブリック監督の狙いだったのだと。

 つまり、見る人に、何を訴えようとしているのか、理解に苦しみながら、よく思索してほしいという監督の狙いがこの映画にはある。だから、余計な会話や説明をぎりぎりまでカットした。見る人に邪魔になるからだ。ストーリー展開も、一直線ではなく、二通りぐらいに解釈できるように構成していることに気づいた。

 アメリカ人のキューブリック流と、イギリス人のクラーク流である。具体的に話すと、こうなる。

 宇宙時代を迎えた1960年代を背景に、そしてまた、60年代というコンピューター時代の幕開けを背景に、この二つを視野に入れると、

 遠い未来には人類はどう進化するか

というのがテーマ。

 ダーウィン進化論を挙げるまでもなく、人類の進化史というのは、これまでは地球上の自然環境のなかで当然のように考えられてきた。これを宇宙船内だけでなく、宇宙そのものという自然環境にまで広げたらどうなるか、というのが、アメリカ人のキューブリック流のストーリー。

 ここでは、宇宙という広大な空間、たとえば太陽系外生命の存在まで視野に入れたストーリー展開になる。映画では、たとえば、太陽系外の高度文明が創ったのではないかと想像させる

「モノリス」

という謎の、しかしシンボル的な人工物が登場する。これが、次々と、サル時代から400万年の歴史を持つ人類を地球から、月、そして木星へと、人類を導くという設定。

 ● 機械も取り込むダーウィン進化論

 もうひとつは、宇宙船には高度な人工知能を持つHALコンピューターというシステム環境があり、この宇宙船+高度人工知能という人工船内環境のなかで、人間はどう進化するのかというイギリス人、クラーク流の、比較的に理解しやすい、いわばオーソドックスなストーリー。

 この場合は、人工知能の反乱に遭遇するが、その反乱を危ういところでくい止める。それでも、殺されずに一人宇宙船に残ったボーマン船長は、木星にたどり着くという設定になっている。

 クラーク流の展開は、宇宙空間でも、イギリス人らしく、また、科学の進歩を信じる作家らしく、進化はあくまで地球上のダーウィン進化論の延長と考える。人間の未来は、自らの体にコンピューターを取り込んで進化し続ける。

 ここでは、あくまで人類は人類であり続ける。

 ● 宇宙生物進化論のストーリー

 これに対して、クラークとの合作とはいえ、監督として映画制作を担当したキューブリックは、地上のダーウィン進化論の延長ではなく、宇宙全体のすべてを取り込んだH.スペンサー(19世紀後半の大社会学者)の

 宇宙生物進化論

のストーリーを描く。モノリスに導かれるように

 スターチャイルド( 写真 )

という人類とはまったく異なる生物に進化する。異次元の世界で進化したそれが、地球に戻ってくる。これがラストシーンだと思う。

 アメリカでは、ダーウィン進化論は宗教的な理由から一般には受け入れられていない現実もあって、キューブリックとしては、人類の未来について太陽系外生命の〝導き〟による進化の可能性を追究したかったのであろう。

 映画では、こちらの監督流のほうに力点がおかれているように思う。

 この映画が公開されたときには、まだ、人類は月にすら行っていない。なのに、惑星への移住をもイメージさせるなど、こうした壮大な人類の未来を、進化論的な観点から描いて見せたのは、キューブリック監督のすごさだろう。

 ブログ子も、それに敬意を表する意味で、人類の遠い未来は宇宙生物進化論を視野に入れたキューブリック流ストーリーを支持したい。

  この映画のテーマ曲は

 「ツァラストラはかく語りき」

だが、この映画で監督は何を語ったか。

 「人類の未来は、宇宙生物進化論であり、地上だけの狭いダーウィン進化論をこえたもの」

ということだろう。こう考えると、この映画のストーリーは見事であることがわかる。

 ● 微小な共生複合生命体も

 なお、現実の世界的な生物学者、リン・マーギュリスは、人類の未来について、次のように自著で語っている。

 「私は、ホモ・サピエンスは近い将来に、私たちよりも先に出現した微小世界の仲間たちと、融合し合体する方向にむかう必要がでてくるかもしれないと思っている」

 -  『共生生命体の30億年』(23ページ。草思社、2000年。原著1999年)

 微小な共生複合生命体という考え方であり、クラーク流のストーリーも、当然だが大いにあり得ることを付記したい。

 ● 補遺

 蛇足的な補遺だが、以前のこのブログで取り上げた『人体 失敗の進化史』(光文社新書)の著者、遠藤秀紀京大霊長類研究所教授は、

 ホモ・サピエンスとしてたった一種残った(現生)人類は、近い将来、進化の行き詰まりで絶滅する運命にある

と、この著書の最後のほうで結論付けている。絶滅の理由は、脳の急速な進化が人体に大きな負担と矛盾を抱え込んできたことを挙げている。

 この脳の巨大化というデメリットを補ってあまりあるメリットとして、大脳が生む知恵の活用が不可欠なようにも思う。が、人間の愚かさゆえに、それは無理なのだろうか。

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