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『白い巨塔』のテーマはどこから得たか

(2013.10.04)  直木賞作家の山崎豊子さんが亡くなったと聞いて、ずいぶん前のことをふと、思い出した。

 山崎さんは、

 『白い巨塔』

のテーマや、テーマを肉付けする現場の実態をどこから得たのか、ということだ。

 この小説は、週刊誌「サンデー毎日」に1963年9月から1965年6月まで連載された。大学病院や医局の実態を次期教授人事をめぐる対立や、患者をめぐる医療過誤裁判をたて軸に描かれている。対立と裁判を通じ、医師は患者に対してどうあるべきかというテーマに、山崎さんは真正面から告発を込めて取り組んだ。これには新聞社での上司だった井上靖さんの社会派小説『氷壁』がきっと頭にあったからだろう。

 大阪大学に比定される浪速大学、京都大学に比定される洛北大学、そして東大だとわかる東都大学が主な舞台だが、その人間くさいドラマ性とリアルさとがあいまって傑作との評価が高い。そのことは、何度も原作がテレビドラマ化されたことでもうかがえる。

 ● 匿名パンフ「抵抗的医師とは何か」

 結論を先に言えば、入手先は医師の中井久夫氏が楡林達夫(にればやしたつお)のペンネームで書いた

 「抵抗的医師とは何か 新入局者への手紙 あわせて僚友たちへ」(写真)

だろう。

 Imgp4287 日本の医学界の問題点というのは、教授の人事を含めた医局支配にあると日本で最初に具体的に実例を示して喝破した著作である。その連載パンフを担当の者から入手したと考えられる。  

  この連載著作パンフについては最近復刻された『日本の医者』(日本評論社、2010、写真下)にその連載時の全文が掲載されている(写真左はその目次)。

それによると、

 初出は、

 岡山大学医学部自治会/青年医療従事者協会発行、1963年から1964年頃

となっていて、山崎さんの連載の構想とその開始時期にほぼ重なっている。また、同書のなかにおさめられている中井医師の『日本の医者』(初出= 『日本の医者』(三一新書、1963))も重要な参考にしたであろう。

 Imgp4284_1 中井氏の経歴は、インターン時代を大阪大に籍をおき、その後1960年、母校の京大医学部のウイルス研究所に助手として採用される。東大の研究所にも兼務経験があるなど、『白い巨塔』の舞台と一致している。

 しかも、たとえば、小説にも出てくる金で医学博士学位論文指導を行なう描写などが、中井氏の本の氏自身の実経験の内情解説とかなりの細部まで一致する。

 別の実例では、教授の誤診をいかに医局はうまく処理するか、それによって昇進が決る。中井氏の告発は見事に、山崎小説の中に生かされている。

 この抵抗的医師というのは、山崎小説のなかに登場する良心的な里見助教授のモデルであろう。

 教授に反抗したことから、地方大医学部に飛ばされる小説の里見助教授の運命と、1965年に京大を追いつめられるように自ら去ることになる中井氏の経歴とが見事に重なる。この年というのは、『白い巨塔』の正編が完結する年でもあり、完結の仕方も、反抗した里見助教授が辞表を書き、浪速大学を去るシーンで終わっている。

 ● 『日本の医者』(三一新書)から50年

 つまり、これを要するに、

 小説『白い巨塔』というのは、架空をよそおってはいるものの、同時進行の迫真的な実話

といっていいだろう。日本医学界の深部、つまり教授の医局支配をえぐった。

 余談だが、1970年代初めころ、つまり、ずいぶんあとになって、ブログ子には、大学生協書籍部で、和文タイプされたこのパンフレット(匿名)を売価500円くらいで買った記憶がある。当時は東大医学部から始まった大学紛争もようやく収束した時期だった。

 中井氏の最初の著作(三一新書)から50年、今では本名(中井久夫)で

 『日本の医者』(中井久夫、日本評論社、2010年、写真)

として、合本復刻されている。

 山崎さん死去で、こんな遠い記憶がよみがえってきた。

 そして、今、日本の医学界は中井さんの告発に十分こたえているかどうか。胸を張れる大学病院はそう多くはないのではないか。

  ● 補遺 2013年10月10日記

 週刊誌「サンデー毎日」の最新号(10月20日号)は、まるで山崎豊子追悼号のような特集記事を組んでいる。

 それによると、山崎氏の「サンデー毎日」連載時の編集部担当記者は医学博士の学位をもった男性記者だったらしい。「白い巨塔」連載のために山崎さんに依頼された内容をずいぶんと熱心に取材し、メモを渡していたらしい。

 この男性記者から、おそらく山崎さんは、上記の中井さんの本を知らされたのであろう。また、パンフレット「抵抗的医師とは何か」の存在も知ったであろう。

 もうひとつ、山崎さんは『続 白い巨塔』、つまり正編の裁判編とも言うべき後編に当たるテーマとストーリーはどこから得たのだろうか。医師とはどうあるべきかというテーマを裁判を通じてどう浮かび上がらせるか。そのアイデアはどこから得たか、この特集で分かった。

 正編が終わろうとしていたころ、編集部に異動してきた山崎氏より5つ年下の

 徳岡孝夫記者

の情報メモがきっかけだったらしい。徳岡記者は、当時の東京高検検事長から、医療過誤の裁判にすればおもしろいと、そのストーリーまで検事長自ら細部にわたって聞かされたらしい。その話を、そのまま異動先の「サンデー毎日」編集長に話すと、話題の小説の続編を考えていた編集長が、その話に飛びついた。検事長の話した内容の詳細メモ起こしを徳岡記者に命じ、そのメモを山崎氏に渡したらしい。徳岡記者は、おそらく検事長に対し追加取材もしたであろう。

 続編のあの迫真の裁判の駆け引きは、現場を踏んだ裁判のプロでなければとうてい描くことは無理。そう思っていたが、こんな事情から生まれたとは知らなかった。

 最後に、山崎さんにとって、学芸部時代の上司(学芸部副部長)が、のちに芥川賞作家となる井上靖氏だったことも幸運だったろう。

 『白い巨塔』のリアリティというのは、こうした人たちの協力と山崎さんの筆さばきと新聞記者らしい情熱によって生まれたといえる。

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