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ハンセン病の構図は水俣病と同じ

(2013.10.19)  土曜日の夜番組としては、たいへんに深刻なテーマの番組だった。Eテレで先日放送されたあるハンセン病療養所の現状を紹介した番組

 「ぼくは忘れない 新しい大島案内」

である。行き場がなく仕方なく今も入所している元患者と、二十歳前の若者たちの交流という新しい視点で、瀬戸内海の小さな大島に設けられた療養所、青松園での地域に開かれた共生の様子を取材している。

 ● 新しい瀬戸内・大島案内

 地域に開かれた療養所という考え方は、4年前の2009年に施行されたハンセン病基本法の基本理念。強制隔離から開放へ、この転換でハンセン病に対する社会的な偏見や差別をなくしていこうという発想である。

 この感染症は、治る病気であり、治療法も世界的にすでに確立している。にもかかわらず、過去の誤った強制隔離政策により、いわれなき偏見や差別が今も続いている現状を打開したいというのが、基本法の趣旨。

 番組では、そんな難しい話は出てこないが、かつては隔離されていた施設も一般に見学できるようになっていることがわかる。その活動を支えているのが、若者たちによる

 新しい大島案内会社

という活動というわけだ。

 結論を言えば、園の過去の歴史を積極的に知り、その人権無視の実態を広く社会に紹介していこうとするなど若者たちの意気込みは感じられた。にもかかわらず、見学者数がまだまだ少ないなどスムーズに基本法の考え方が受け入れられているようには見えなかった。

 ● 「棄民」ではないのか

 Imgp1371_1_2 偏見と差別をなくするための国立ハンセン病資料館(東京都東村山市)ができてから今年で20年(注記2)。また国の強制隔離政策は違憲とする確定判決(熊本地裁)が出てからでも12年。基本法が施行されてからですら4年がたつ。

 行き場のない元患者や患者たちは、青松園や国立駿河療養所(御殿場市)を含め全国13療養所で約2000人が今もひっそりと暮らす。平均年齢は約84歳。

 こういう実態は番組では紹介されなかったが、ブログ子は、10数年前、金沢在住時代に高齢の車椅子の女性元患者を取材したことがある( 注記 )。そんなつらい取材体験のあるブログ子のこの番組を見終わった感想を要約して言えば、次のようなものだったことを正直にここに書いておきたい。

 第一。基本法をつくるのがあまりに遅かった。少なくとも50年は遅すぎたのではないか。このことが偏見と差別を社会に定着させてしまった。

 この構図は1960年代に被害が拡大した水俣病の構図と同じ。ハンセン病の場合の加害者は国家であったのに対し、水俣病の加害者は民間企業であった。ともに加害者の不作為が原因であり、それが偏見と差別をも助長した。そのせいで今も多くの被害者が苦しんでいる。

 第二。死を待って、その存在を消し去ることでしか、その人の自由を回復させることができない社会が今もってあるという現実だ。元患者は骨壺に入って初めて人間らしい自由が与えられる。そういう社会とは一体何なのだろう。

 それは、悲劇として片づけるにはあまりに重たい問題だ。戦争中の玉砕思想もそうだったが、国家や社会から見捨てられた元患者は、いわば棄民ではないか。誤解を恐れずに言えば、ある意味では現状はむしろ〝喜劇〟であるとさえいえるのではないか。

 以上を要すれば、国家、もっと言えば、立法機関の不作為の恐ろしさをハンセン病問題は鋭く、そしてまた如実に物語っている。

 ● 国民の側にも不作為責任

  ここまで書いてきて、ふと思った。これは国家、立法機関だけの問題だろうかと。

 最近のBS番組にはやたら旅番組が多い。お手軽だからだろう。繰り返し、繰り返し、再放送もされている。NHKだけでも「ぐるっと瀬戸内の旅」、「にっぽん縦断 こころの旅」などなど。しかし、同じ瀬戸内海なのに、なぜ

 ハンセン病、瀬戸内大島の旅

というのがないのだろう。こころの旅というのなら、当然

 ぐるっと全国ハンセン病療養所の旅

というのがあってもいいはずなのに、ない。ハンセン病対策がこれほどまでに遅れてしまった不作為責任が国民の側にもあることを忘れてはなるまい。

 過去に目をつぶる者は、未来についても盲目である。

 (写真の右 = 藤野豊氏の『「いのち」の近代史』(2001年、かもがわ出版)は、なぜかくも長い間、強制隔離政策がとられ続けたのかという、政治的な背景を掘り下げた優れた研究書。一等国の仲間入りに向けた民族浄化という国家意思があったと分析している。この点でも、高度経済成長で欧米に追いつくという国家意思のもとで放置され、被害が拡大した水俣病と酷似する)

● 注記

 ブログ子が取材したのは2001年で、金沢市出身の80歳前後の浅井あいさんである。その後、2005年8月死去。国立療養所に入所したのは戦前の1930年代 だったという。

● 注記2

  資料館は、もともと、1993年の開館時には高松宮記念ハンセン病資料館としてオープンした。その後、2007年のリニューアル再開館時には、「高松宮記念」という文字が消え、その代わり「国立」という名称に変更された。このことからも分かるが、皇族がハンセン病対策に、いいにつけ、悪いにつけ深くかかわっていたことをうかがわせる。

 具体的にこのかかわりに切り込んだのが、藤野豊氏の著作『「いのち」の近代史』以後の出来事をまとめた続編『ハンセン病 反省なき国家 』(2008年、かもがわ出版)第2章である。

 なお人権活動家でもあった同氏は、2011年以来、新天地の敬和学園大(新潟県新発田市)の人文学部教授として教育、資料の発掘、療養所の実態調査と解明などにたづさわっている。

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コメント

先日、ハンセン病資料館(映像ホール)にて入所者の方のお話を聞いていた所「一番は、当時ハンセン病について正しい報道がなされていれば、変わっていた」と繰り返し何度もおっしゃっておられました。

その場をNHKのカメラも撮影していましたが、
後日放送された番組では「正しい報道がなされていれば」はカットされていました。

そういう事です。

投稿: | 2013年10月28日 (月) 19時42分

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