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2013年10月

なぜ鼻は口のすぐ上にあるのか 

(2013.10.28)  先日、BS1の「世界のドキュメンタリー」を見ていたら、

 味覚の真実(Truth of the taste)

というのをやっていた。ドキュメンタリーといっても軟派ものだったので、テレビを消そうと思った。ところが、いわゆる「風味」というものを人はどのくらい見分けることができるのかというような具体的なテストなど、あまりに面白いのでつい最後まで見てしまった。

 風味とは、口に含んだものの独特の味を指す言葉。それを舌はどのように受け取っているのだろうか。そんな味覚テストだった。

 ブログ子も、風味というのは大変に難しいとつねづね思っている。ワインの産地ごとの風味を舌で見分けるのにはまったく自信がない。

 そんな実験を眺めながら、ふと、

 なぜ鼻は口のすぐ上にあるのか

という疑問が解けた。

 ● すぐ上なのは風味を見分けるため

 それは、鼻で呼吸をするためだろう、と木で鼻をくくったような答えをする人もいる。あるいはにおいをかぐためだろうというかもしれない。

 惜しい答えだが、でも、それでは、口のすぐ上にあるのはなぜか、という質問には答えていない。

 答えは、

 口に含んだものから立ち上ってくるある種の揮発性物質を確実にかぐため

なのだ。この揮発性物質が風味を生み出す。だから、ワインの風味は舌ではなく、鼻でかぐ。風邪を引くと鼻の嗅覚が著しく低下するので、風味を感じることがほとんどできなくなるのも、このせいなのである。

 逆に、口に含んだものが一切揮発性の物質を含んでいない場合、風味はないことになる。また、揮発性の物質を含んでいても、鼻の嗅覚器のほうが反応しなければ、これまた風味はないことになる。

 いわば風味は、鼻に鼻薬をかがせることで、その情報が脳に伝えられるのだ

 もし、この話が本当なら、すっぱいものを口に含んだのに、甘く感じるように脳に命令する揮発性物質が含まれていれば、すっぱいのに甘く感じるはずだ。たとえば、すっぱいものを食べる直前に、甘いと感じる揮発性物質を食べる。そうすれば、現代人の甘いもののとりすぎは改善される対策としていいかもしれない。

 そんな研究が、現代人向けの肥満対策として行なわれていると番組は紹介していた。すでに一部は、レストランなどで実用化されているらしい。

 ● 補遺 糖分のとりすぎは肥満と老化を加速する

 そんなことを考えていたら、10月25日夕方のNHK番組

 ゆうどきネットワーク

で、

 京おばんざい(惣菜)でアンチエイジング

というのを放送していた。糖分のとりすぎは老化を促進する。

 第一は、よく知られているとりすぎ糖分に含まれる活性酸素の酸化作用で体を傷つけ、さびさせることを通じて(直接作用)。

 第二は、とりすぎの糖分がたんぱく質と結合する糖化作用でできる老化促進物質を通じて(間接作用)。

  あまり知られていない第二の対策としては、抗糖化作用のある、いわばブロック食材として、番組に出演した管理栄養士は 

 日本茶、ほうれんそう、柿、レモン、メロン

などの食材をあげていた。これを受け、おばんざい料理研究家が具体的な料理をつくって紹介していた。

 しかし、とりすぎは体によくないことぐらい、わかっちゃいるけど、やめられないという人も多い。

 いまごろの季節、とりすぎたと思ったら、

 柿を食べ、そのあとにゆっくり日本茶(カテキン)を飲む

というのがいい。

 ● 補遺2

 甘いもののとりすぎだけでなく、食の健康法一般において、ブログ子がこの25年、参考にしている本がある。それは

 『体に悪いことしている人の健康術』(KKベストセラーズ、ワニの本)

であり、一読をすすめたい。著者は垣内義亨氏(聖徒病院院長)で、サブタイトルは

 酒・たばこ・夜ふかし、大いに結構。働き盛りのサラリーマンに捧げる

となっている。このキャッチフレーズにひかれて、大阪夕刊紙記者時代に新聞社に近い新大阪にある垣内院長の病院まで取材に出かけた懐かしい思い出がある。

 100以上の処方箋が書かれているこの本のおかげで、働き盛りの30代から60代の今まで深刻な病気にかからずに、なんとか過ごしてこられたことに、今は感謝している。

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映画「渡されたバトン」  原発住民投票の総意は未来への遺産

Imgp1458_1 (2013.10.27) 最近、公開された映画「渡されたバトン さよなら原発」を「シネマ イーラ」(浜松市)で見た。映画シリーズ「日本の青空」の第3弾であり、つくづく 

 原発計画や建設をめぐる立地自治体の住民投票の総意は、たとえ法的な拘束力はなくとも、結局は目先の利益にとらわれない貴重な英知、つまり「未来への遺産」

だと感じた。どう選択するか、その総意づくりは、数十年にわたる住民の、そしてまた家族のバトンリレーから生まれる地域の財産だといえる。総意は一代で築けるものではない。そのことを分からせてももらった。

 ● 新潟県巻町が舞台

 映画の舞台となったのは1970年代初めの新潟県巻町(現在新潟市)。

 ストーリー展開では、主役が推進派であるなど原発推進派の動きをメインにすえている、推進派と反対派の対立とともにそれぞれの住民の心の中の人間らしい葛藤とその変化を巧みに描いているなど、映画がウソっぽくならないよう、また展開が平板にならないよう工夫されていた。一言で言えば、ジェームス三木さんらしい脚本力に感心した。その脚本力が映画に説得力を持たせていた。

 幾多の紆余曲折の後、1996年8月、町議会が決めた住民投票で、その総意が「計画反対」(61%)であることが明確に示された。このことから、状況は大きく動き出す。

 30年にわたる原発建設をめぐる賛否の争いにおいて、総意が明確になった7年後、最終的にダメ押しとなったのは、電力会社が起こした町有地売却訴訟。2003年、最高裁決定(電力会社側の上告棄却)で会社側の敗訴が確定したことだった。この法的拘束力のある結果を受け、建設に不可欠の用地買収に失敗した東北電力は計画を公式に断念した。

 ブログ子は、金沢在住時代の1990年代、珠洲原発計画(能登半島突端の珠洲市高屋地区、中部電力)の現地を何度も現地取材した。しかし、肝心の立地住民の総意が一度も明確に示されることなく、そして賛否で市が二分されるなど翻弄され続けた果てに、そして電力側の起こした市長選無効訴訟の挙句、計画が電力会社の都合だけで一方的に凍結という形で、事実上断念された後味の悪さをこれまで感じていた。地域振興協力金、たしか27億円を電力会社側が市に支払う形で〝手打ち〟となった。電力側の断念が公表された巻町と同じ、2003年のことだった。

 ● たとえ法的拘束力がなくても

 しかし、住民の総意が示されていないことで、この凍結が、原発をめぐる今後の状況の変化で、いつ解凍されるか分からない宙ぶらりんの状況が、珠洲市では今も続いていることに変わりはない。

 同様に三重県の伊勢湾に面する芦浜地区の原発立地計画(中部電力)も、いつ計画が電力会社の都合で凍結が解除されるか、不透明である。5号機などトラブル続きの浜岡原発を補完する芦浜計画は、すでに電力会社による用地買収は完了しているからだ。

 事実、福島原発震災の直前、原発比率を50%以上と現状より大幅に高めたいとして、計画の地元説明会などの再開を公表する社内準備に入っていたとされる。

 それだけに、この映画の舞台となった新潟県巻町の住民の意志表示は、法的拘束力がなくても大変に貴重な成果であると、いまでもブログ子は思っている。

 ● 静岡県も試金石の県民投票条例づくりを

 巻町、珠洲市、立地自治体のまたがる芦浜地区の苦い経験は、静岡県の浜岡原発再稼動にとってもきわめて重要である。

 すなわち、巻町と人口が同規模の立地自治体の御前崎市(約3.5万人)の住民の総意も、投票条例で確かめておく必要があろう( 注記 )

 さらに、南海トラフ巨大地震が予想されており、浜岡原発は日本一危険な原発である。巻町とは事情が異なるこの点を考慮すると、再稼動の是非について県民の総意を明確にするための県民投票条例の制定も県議会に求める再度の請求署名運動に力を注ぎたい。

   この結果には法的拘束力はないが、この総意を無視して県知事が、再稼働の条件である「同意」を表明することは、現実にはよほどの理由がない限り、困難だろう。

 このことは、映画ではほとんど触れられていなかった共有地主会など実力反対闘争や活動家の動きを無視してよいということではない。住民総意があってのものであり、それらの活動には成果を上げる上で、一定の限界があったことを映画は物語っている( 補遺 )。

 その意味で、御前崎市や県全体での住民投票条例づくりができるかどうかは、行政の「同意」を阻止する県民の拒否権行使をあらかじめ担保する試金石である。

 目先にとらわれて、未来の安全に目をつぶる者は、原発をめぐる過去の教訓にも無知である。

 映画を見終わって、そんな確信をいだいた。

  ● 注記

 投票条例にもとづく結果ではないが、直近の御前崎市長選での出口調査では、

 「永久停止・廃炉」が29%、「しばらく停止継続」23% 合計52%

  これに対し

 「安全点検後再稼動」は35%(地元中日新聞系の2012年4月16日付東京新聞朝刊)。

 この結果は、巻町の住民投票結果

 原発建設反対= 61%、賛成= 39%

と似た結果になっている。

 つまり、ともに原発に疑問を持つ住民が、そうではない人たちの2倍近くいる、しかも疑問住民が過半数という結果になっている。 

 ● 補遺

 Imgp1496 巻町を含めて、全国の実力原発反対闘争がどのようなものであったのかについては、当事者側の

 パンフレット「「3・11までの原発反対闘争」は全国でどのように闘われてきたのか」(片岡謙二、2012年8月)

が詳しい。発行者は、8・6広島-8・9長崎反戦反核闘争全国統一実行委員会(東京都千代田区、「編集工房 朔」)。

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番組は21世紀の危機を警告できたか

Imgp1484_1_2 (2013.10.26)  深夜、NHKプレミアム「アーカイブス」時間のこの警告番組を拝見して、つくづく、

 本物の危機の予兆をつかむことのなんとむずかしいことか

とため息をついてしまった。

 深刻なドキュメンタリーなのに、そしてチーフディレクターの吉田直哉さんが世界を飛び回わり取材し、自らも案内役として出演している大型番組なのに、失礼な話だが、正直に言わせてもらえば、ついつい笑ってしまった。

 この警告番組、というのは、

 NHK特集 21世紀は警告する

という1985年に初回放送されたものの「アーカイブス」(10月25日深夜)である。

 21世紀まであと15年という位置に立って、20世紀の人類と地球が直面している地球規模の危機、あるいは破局の予兆や前兆をつかみとり、それらを21世紀に向けてどう回避するか、文明の転換には何が求められるのか、高名な世界の知性にインタビューし、警告するという趣旨。

 結論を先に言えば、見事な趣旨ではあるが、見事な失敗作である。このことは、21世紀に入って13年後に再放送されたこの「アーカイブス」自身が、これまた見事に証明してくれたといえよう。

 ● なかった地球温暖化の警告

 なぜそういえるのか、具体的に指摘すれば、つぎの通りだ-。

 第一。地球規模の文明の危機といえば、現象が事実かどうかはともかくとして、地球温暖化問題だが、このことについては1985年段階でも、その予兆の報告はあちこちで具体的に報告されていたにもかかわらず、一言の言及もなかった。「温暖化」、あるいは「二酸化炭素」という言葉が2時間の放送時間にまったく出てこない。環境破壊、生態系の破壊という意味の伐採によるアマゾン流域の森林の破壊しか出てこない。

 1980年から1986年にかけて、NASAゴダード宇宙研究所など4つの科学チームが「地球は温暖化している」と報告。1987年の国連総会ですら温暖化に関する勧告の提出を決議をしている。この年、地球年間平均気温が観測史上最高を記録したことを受けたものである。1988年には、今日まで続いている地球温暖化に関する政府間パネル(IPCC)が発足している。

 Imgp1492_1 さらに言えば、1980年代には、温暖化の逆、つまり

 『冷えていく地球』(根本順吉、角川文庫。1991年) 

という近づく氷河期問題も盛んだった。根本氏は気象庁のベテラン予報官だ。

 こういう問題にいちはやく切り込み、警告してこそ、「21世紀は警告する」というタイトルにふさわしい。それがまったくなかった。

 ● リーマンショックの予兆

 第二。グローバルな経済問題に関する警告も的外れだった。1985年というのは、日本はバブル経済突入の直前なのに、その予兆や前兆について、警告どころか言及すらなかった。いわんや、強欲資本主義とまで言われた

 アメリカ発のリーマンショック(2008年9月)

に対する20世紀からの警告はなかった。しかも、『隷従への道』など自由放任の経済を支持するF.ハイエク(1974年ノーベル経済学賞)にインタビューしているのに、同氏からは放任には地球規模の深刻な経済破たんを招くという負の面もあるというような学者としての謙虚な危惧や警告もなかった。

 Imgp1481_1 あまつさえ、目前に迫っていたベルリンの壁崩壊(1989年)やソ連邦崩壊(1991年)というそれこそ、地球規模の経済、政治の大変動などの予兆すら番組で指摘されなかったのも無理はない。ハイエク氏は社会主義経済は成り立たないという持論を持っていたのだから、もっと突っ込んだ警鐘を引き出せたはずだ。残念ながら、それが番組ではなかった。

 ● 人類は100年後に大きな壁

 第三。もはや、あまり責めたくはないが、文明の衝突という側面からの

 湾岸戦争、あるいは、同時多発テロ、イラク戦争

というものの予兆などはとうてい無理という印象だった。当然だが、まったく言及はなかった。

 第四。東北大震災は無理としても、20世紀原子力文明としての原発に関する言及はなかった。当然だが、

 3.11原発震災

を予感させる指摘が、どの世界の知性からも聞かれなかった。吉田チーフ・ディレクターの頭にもなかったと思う。

 世界の知性へのインタビューとして、ハイエクのほか、C.ミロシュ(詩人)、福井謙一(1981年ノーベル化学賞)、司馬遼太郎(作家)、田中美知太郎(ギリシャ哲学)、中村元(インド哲学)などが登場していた。

 しかし、文明の転換には何が求められるかという肝心な点では、示唆に富むものはほとんどなかった。老人の単なる雑談程度だった。これだけは言っておかないと、死ぬに死ねないという熱情のような迫力は皆無だったのは残念。

 かろうじて言えば、司馬さんが

 「100年以内に人類は大きな壁にぶつかり、文明が持たなく時がくるのではないか。その時、人類は明るい絶望感をいだくかもしれない。何もないことは明るいことでもある」

というような不気味なことを語っていたのが印象的だったにすぎない。

 こう考えると、いかに

 21世紀の本物の危機を、20世紀から嗅ぎ取るのが難しいか

がわかった。

 その意味で、優れた夜の番組だったと感謝している。

 (写真下は、番組キャスターをつとめた吉田直哉チーフ・ディレクター。番組画面より) 

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懐かしのシネマ、それは語らいの場

(2013.10.24) 今年が森繁久弥さんが生まれて100年というわけでもないのだが、ブログ子の仲間が主催する

 シネマカフェ

で森繁久弥さんと、淡島千景さんの主演映画

 「夫婦善哉」(豊田四郎監督。東宝、1955)

を、何人かの映画ファンとともに観た。

 ● 森繁「夫婦善哉」を観る

 久しぶりに観る懐かしの映画であり、懐かしい大阪弁に接する機会でもあった。

 森繁さん演ずるダメ男、柳吉と、芸妓、蝶子の淡島さんの夫婦ぶりが映画の見所。戦前の法善寺の様子が映画の舞台で、水掛け不動明王も出てくる。商売繁盛と恋愛成就の神様である。

 映画の最後は、雪のちらつく法善寺横丁で、

 帰らぬこととは知りながら

と柳吉が歌う。お不動さんの横を二人が小走りに通っていくところを上から撮影するシーンで終わっていて、なんとも余韻があっていい。

 森繁さんはこの映画で、俳優としての地位を確立するのだが、この映画が公開された翌年から15年間も

 あのダメ「社長シリーズ」

を演ずることになる。高度経済成長期にピタリと重なる。植木等のサラリーマン「無責任シリーズ」(東宝)と相乗効果を上げた映画であった。

 2か月に一回開かれるカフェでは、法善寺横町などが話題になるなど、映画を見ることよりも映画を観た後の互いの語らいがいい雰囲気だった。

 ● 週刊現代にも「森繁を語ろう」

Imgp1465_1  最近の「週刊現代」11月2日号にも

 森繁久弥を語ろう

という記事が出ていた( 写真 )。この記事によると、森繁さんは大阪府枚方市出身で、戦前、戦中はNHKアナウンサーだったらしい。

 その森繁さんが亡くなって、はや4年にもなる

  映画を観たせいか、なんだか昭和の終わりに大阪で3年間、夕刊紙記者として修業していた時代が懐かしくなった。25年ぶりぐらいに

 月の法善寺横町

の小料理屋あたりで、記者時代の友人と静かに酒を飲み交わしたくなったことを正直にここに書いておきたい。

 映画の効用、あるいはその後の語らいのおかげだろう。

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何を意味する「核不使用」国連声明

Imgp1462 (2013.10.24)  最近、国連総会の軍縮委員会が、

 いかなる状況でも核兵器が二度と使われないことが人類の生存そのものにとって利益

と強調した共同声明を発表した。当たり前である。しかし、核廃絶を目指す日本はこれまで、アメリカに遠慮して、この声明には賛同していなかったというのには、びっくりしてしまった。今回初めて賛同することにしたという。

 ● 北朝鮮は賛同せず

 もう一つ、笑ってしまったのは、核兵器保有国のアメリカ、イギリス、フランス、ロシア、中国などが賛同していないことだ。

 ある意味、当然かもしれない。

 Imgp1459 核保有国は自衛の、それも存亡の瀬戸際での最後の手段として使用するというのだろう。自衛のための核兵器というわけだ。これを分かりやすく言えば、脅しのために持っているというわけだ。

 そんななか、これまでの日本は核を持っていないのに、使用してはいけないという声明には賛同してこなかったという〝変な〟国だったのだ。普通じゃない。世界から、日本は国内で有余っている大量のプルトニウムでいつかは核兵器をつくるのではないかと疑われてきたのも無理はない。

 あれこれ考えると、結局、核兵器を持っていない国ばかりが、賛同する〝変な〟声明なのだ。

 となると、この共同声明にはどんな意義があるのだろう、とは誰しも思う。

 しかも、賛同したからといって、なんの法的な義務も拘束力もない。こんな声明で核廃絶など実現できるわけがない。単なる紳士協定にすぎない。一見、無意味な声明のようにみえる。

 そんな思いで、しばらく考え、共同声明に賛同するかどうかというのは、核兵器保有疑惑国をあぶりだす「踏み絵」なのだと、ようやく気づいた。

 そういえば、北朝鮮も賛同していないし、インド、イスラエル、イランなども賛同していない。

 被爆国、日本は、これまでこれらの仲間に入っていた〝変な〟国だったのだ。

 ● 原水爆三部作を読む

 そんなことを思いつつ、読書週間でもあり、夜長、このブログにかかげたような原爆、水爆開発関連の本を何冊か、しみじみと読んでみた。

 Imgp1464

 これらの浩瀚な本を読むと、1950年代半ばでは全面核戦争が今にも起こりそうだという恐怖が現実味を持って語られていたことがわかる。この恐怖を背景に米ソともに原爆よりもさらに強力な水爆開発に熾烈な競争を展開していた。

 『スターリンと原爆』によると、原爆開発の戦後の国際政治への影響について、スターリンは広島に投下されるまで十分理解していなかった。

 また、猜疑心の強いスターリンが存在しなかったと仮定しない限り、戦後国際政治の冷戦構造の現実には大きな変化はなかったであろうとも、著作者の高名な国際政治学者は結論づけている。つまり、戦後の冷戦にはスターリンの個人的な性格が色濃く反映されていた。

 このことは、アメリカ側についてもいえよう。つまり、当時大統領だったH.トルーマンの個人的な性格もまた冷戦に大きな影響を与えたとブログ子は思う。小心であるがゆえに、それを隠すために強気で押しまくった。

 ● ソ連科学者は水爆の国際共同管理を模索

 一方、政治家だけでなく、科学者たちも冷戦で翻弄される。

 核科学者、たとえば、ソ連では水爆の父、I.クリチャートフ博士やアメリカの原爆の父、R.オッペンハイマー博士、水爆の父、E.テラー博士たちが国際政治に振り回されつつも、時間との競争の中で核開発にまい進する。あるいはさせられた。ソ連のサハロフ博士など一部の科学者を除けば、良心の呵責をうんぬんする暇などなかったであろう。科学者のスパイ活動など科学と政治をめぐる生々しい人間ドラマの息遣いがこれらの著作から今も伝わってくる。

 そんななか、核兵器の不使用の観点から、注目したいのは、アメリカに先んじて水爆開発を成功させたソ連のクリチャートフ博士たちは真剣に

 核軍備を国際共同管理

におくことを西側に提案し、自ら具体的な行動に出ている点である(『スターリンと原爆』)。しかし、このことがかえってアメリカをして遅れをとっていた水爆開発を急がせることになるというのは、なんとも歴史の皮肉である。

 秋の夜長、いろいろ考えさせられる三部作だったと思う。

  ● 補遺

 Imgp1469_1 マスコミ的な感覚から、ブログ子の好みとしてはピュリッツァー賞の大著、

 『原子爆弾の誕生』(R.ローズ、原作1986年、日本語訳1995年)

を推奨したい。戦後の国際政治への原爆投下の影響について優れた分析をしている下巻は、ジャーナリストらしい見方が随所に披瀝されており、特に一読に値する。

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科学は幻想か 脳と数学と物理学

Imgp1456_1 (2013.10.21)  毎月楽しみにしている読書人の雑誌『本』(講談社)の最新11月号に

 科学は「幻想」か

という対談が載っている。理系と文系の対談なら、いくらでもあり、また、ありきたりというか、お定まりのやりとりになりがちで、まあ、面白くもなんともない。しかし、宇宙論の研究者、大栗博司さんと、脳科学者の池谷裕二さんという二人の先端科学者がこのタイトルでやりあうというのだから、プロ同士がどう切り結ぶのか、興味がわいた。

 終始、若い池谷さんのほうが押し気味だったのが、印象的だった。

 池谷さんによると、人間の脳は世界をあるがままに写しとって見ているのではない、脳というものは実に思い込みが強い、見たものを勝手にゆがめて解釈してしまうという。その上で、池谷さんは

 「そんな独りよがりで偏屈な人間の脳が考え出した数式というものが、なぜこの世界の自然現象を案外と記述できるのか、そのことが不思議でしかたがない」

と大栗さんを挑発する。すると、大栗さんは

 「それは数学の力」

と受ける。しかし、池谷さんは、納得せず、

 「しかし、数学は人間の脳がつくりだしたものであって、本当にそれが正しいという保証は、世界のどこにもない」

と食い下がる。大栗さんも、これには参ったのか、ぼくのほうこそ誰かに聞いてみたいと、たじたじなのである。

 ただ、あえて池谷さんの論法を批判するとしたら、脳の思い込みやゆがみは、論理性に関することではない点である。大栗さんの話は脳の論理性を言っている。

 最後に、池谷さんは、大栗さんを断罪するかのように、

 「(自然を対象にする)科学は、どこまでいっても結局は人為的な営み。結局は、科学はヒトの脳の産物にすぎない以上、脳の思考癖という境界線を越えることはできない。もし、宇宙人がヒトの科学を見たら、ひどく非科学的なオカルトに映るかもしれない」

と述べ、大栗さんをしどろもどろにさせ、黙らせてしまった。

 だから、科学なんて、幻想ではないのか、ということになる。

 ● 鍵の「脳は自然の一部」

 この不思議さの謎を解く鍵は、脳は自然をあるがまま写し取らない、思い込みが強い、勝手にゆがめて解釈することも含めて、

 脳は自然の一部

ということに気づくことである。脳も自然の一部と考えながら、上記の二人のやりとりを読んでみると、なんら不思議なことはない。当たり前のことを言っているに過ぎないことがわかる。

 池谷さんの最後の宇宙人うんぬんも、宇宙人の脳も、ヒトの脳も自然の一部と考えれば、互いにオカルトと見えたとしても、互いになんら矛盾したことを記述しているわけではないことがわかる。

 宇宙人とヒトとは、ともに自然の一部であり、その脳の構造と機能が違っているだけであり、それにともない異なった自然観を形成することがあるいはあったとしても、それは違った視点、見方から自然を記述しているだけで、互いに矛盾はしない。

 ただ一つ前提とするのは、

 自然は自己矛盾、つまり自己撞着を含まない

ということだけである( 補遺 )。これを少し分かりやすく言えば、自然界は数学でできているということ。ここから、自然の一部である脳内の論理も無矛盾性を本旨とする数学でできていることになる。

 この無矛盾性さえあれば、宇宙人の脳からつくった科学も、物理も、数学も、ヒトの脳からつくったそれらとはなんら矛盾しない。両立する。

 この前提をおくことは、自然の一部である脳の機能としての論理性についても自己矛盾がないことを意味する。入力あるいは出力に関する脳の情報処理においては錯覚や錯視、錯聴はあっても、その間の関係を決める脳内論理には思い込み論理や歪み論理といった錯論理なるものはない。なぜなら、あれば、必ず脳の構造と機能において自己矛盾を引き起こすからだ。

 こう考えてくると、池谷さんが

 科学はどこまで行っても脳の思考癖という境界線を越えることはできないから、科学は幻想

といいたいとしたら、それは池谷さんの論理の飛躍なのだ。なぜなら、科学は脳の産物なのであり、境界線をこえるもなにも、そもそも脳の思考癖という自然の境界線などないし、こえる必要もないのだ。

 要するに、人間の脳が生み出した科学や数学の法則は、つきつめれば、脳を媒介にした自然の産物そのものだということになる。

 こう考えれば、科学において数学が不条理なまでに有効なのは不思議でもなんでもない。ともに自然の一部だから、有効であってもなんの不思議もない。ブログ子に言わせれば、有効ではないほうが、むしろ不思議である。

 ● 進化段階に応じて「科学に限界」

 ところで、大栗さんが、若い池谷さんの論法になかなか名答を出せなかったのも無理はない。

 池谷さんは、解剖学者、養老孟司さんの名著

 Imgp1457_1 『唯脳論』( ちくま学芸文庫、注記 )

と同じ立場に立っていたからだ。

 この本によると、養老さんは次のように述べている。

 「要するに、あらゆる科学は脳の法則性の支配下にある。それなら、脳はすべての科学の前提ではないか」

 つまり、人間を含めた生物の進化段階に対応した脳の構造とその機能の法則性が、その生物にとっての科学の限界を決めているというわけだ。むろん、先ほども述べた理由により、それらの間の科学には互いに矛盾は生じない。

 別の言い方をすれば、現在の人間の進化段階程度では、自然界の法則の発見には限界がある。自然界のすべての法則を知り尽くすことはできない。生物はその進化段階に応じた自然法則しか原理的に知りえない。

 このことをもって、科学は幻想というのとは間違いである。

 非現実的な、という意味の幻想ではなく、知りえることには一定の限界があるということだ。

 米科学者たちの科学知識を総動員してつくりあげた、いわば科学の粋の原爆が広島で炸裂し、20万人もの日本人が死んだのは幻想ではない。今の人間が知りえる科学の限界内で起こった現実である。決して「宇宙人が見たら、ひどく非科学的なオカルト」などではない。宇宙人も納得する現実だろう。

 話を一般化して、量子論と相対論を統一する統一理論が現在、捜し求められているが、現在の進化段階程度の人間の脳では、たとえ新しい数学が構築されたとしても、到達できるとは限らない。数千万年後の進化した人類の脳の構造と機能があって、つまり、その進化段階の論理があって初めて可能なのかもしれない。

 たとえば、進化した人間には3つの大脳があり、それらが互いに連携しながら情報を同時並行的に処理する進化した人間を想像すればいいかもしれない。しかし、そこでの論理は現在の人間の論理性とはなんら矛盾はしない( 注記2 )

 Imgp1467 時間も空間も仮定しない数学の論理が統一理論に必要だとすると、現在の人間の脳では、たとえ統一理論が存在したとしても、その理論の基礎方程式の導出は不可能であろう。空間も時間も幻想であるとすると、それらを生み出すより本質的な「何か」の枠組みに基づいた数学の構築が必要になる。ひょっとすると、その枠組みという考え方自体も取り払う必要があるのかもしれない。

 それはともかく、池谷さんは、養老さんのような死んだ人の脳ではなく、生きた生身の人間の脳を研究している。それを踏まえて論を展開しているのだから、さすがの大栗さんも、論破するのは容易ではなかったのだろう。

  (最下段の写真=大栗博司『超弦理論入門』と池谷裕二『単純な脳、複雑な「私」』。いずれも講談社ブルーバックス = 浜松市の書店で)

 ● 注記

 『唯脳論』によると、情報の送り手も、つまるところ脳なら、受けるのも脳である。だから、「すべてを脳全体の機能へあらためて戻そうとする試みである。だから「唯脳論」なのである。」

と書いている。

 また、同書は

 われわれの遠い祖先は、自然の洞窟に住んでいた。まさしく「自然の中に」住んでいたわけだが、現代人はいわば脳の中に住む。伝統や文化、社会制度、言語もまた、脳の産物である(からだ)。

とも書いている。

 脳を考えるということは、脳の構造とその機能を考えることだが、

 自分の脳について考えているのは、脳自身である

という、いわばコンピュータープログラムの

 再帰性(リカーシブ)プログラム

のような難問があることも確かである。コンピュータプログラムの場合、無限ループに入り、ダウンするケースであり、手に負えないという意味の「異常終了」となる。

  ● 注記2 数学的な「知の限界」について

  このような進化論的な限界は、いわば「生物学的な知の限界」というべきものである。これに対し、いかなる進化段階にあっても成り立つ

 数学的な「知の限界」

というものも存在することに注意すべきである。数論の論理体系における

 ゲーデルの不完全性定理

によると、どんなに巧妙な論理体系をつくったとしても、真であるにもかかわらず、その体系内では、そのことを証明することができない命題が必ず存在する。不完全性というのはここから名づけられたのであろう。この不完全性定理は、どんなに進化した生物が構築した高度な数学でもかならず成り立つ。いかに高度でも、現在の数学とは矛盾することはないからだ。

 とすると、この事実は、どんなに進化した人類でも、宇宙のすべての真理を手に入れることはできない可能性があることをしめしていることになる。証明できない真の命題に基づく物理現象が宇宙でおきている場合がそれである。

 数学上の問題でも、たとえば、未解決のリーマン予想(ゼータ関数のすべてのゼロ点は座標上で一直線に並ぶという予想)がもし、これに該当するとしたら、現在の人類はもちろん、如何なる高度な知能を持った宇宙人の数学を駆使しても、予想は決して証明できないことになる。

 今はただ、上記に述べたような進化論的な「知の限界」内の問題であり、必ず、人類は予想が真か偽か、どちらかであると信じて、過去150年以上にわたって数学者たちは挑戦を続けているにすぎないのかもしれない。

  20世紀の大数学者、D.ヒルベルト(数学基礎論)は、数学においては

 知るべきことはすべて知ることができる

と誇らしげに語った。しかし、数学といえども、そこには「知の限界」があることが明らかになった。そのことを数学自身が証明してみせたところに数学の偉大さがあると言えよう。決してわからないということがわかったのである。

  ● 補遺

 科学、とくに物理学の場合には、合理的な論理は存在するという意味のこの無矛盾性のほかに、一定の原因には必ず一定の結果が伴なうという因果律が存在するという仮定が加わる。この因果律がないと、そもそも物理法則は宇宙にはないことになり、神秘主義に陥る。

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びっくり、空中にモノを固定する方法

(2013.10.20)  マジック、奇術、あるいは手品ではない。歴とした科学実験なのには驚いた。先週末、10月18日金曜日がまもなく終わろうとしていたとき、Eテレを見ていたら、

 きょうの終わりにほっとひといき「2355」

という5分間番組で、

 空中にモノを固定する方法

というのを、実験で見せていた。

 ● 一日の終わりの5分間番組「2355」

 まず、磁場をつくる磁石を板に固定する。その磁石の上近くに超伝導物質をおき、間に発泡スチロールをはさんで固定する。次に、おいた超伝導物質に超伝導現象を起こさせるため、これら全体をマイナス190度くらいに、液体窒素の冷気で冷却する( 注記  )。そして、約10分くらいそのままにする。

 当然のことながら、超伝導現象で、磁石とその上の超伝導物質の間にある発泡スチロールを抜き取っても、重力に逆らう反発力でモノは空中に浮かんでいる。

 ブログ子も、ここまでは大学の基礎物性実験で知っていた。左右のバランスをとれば、ころりと落ちることなく、磁場の上にうまく浮かんでいる。だろうと思った。

 事実、画面はそうなっていた。

 ところが、この番組では驚いたことに、ブログ子の早合点というか、思い込みを見透かすようなことを次にやってくれた。

 つまり、モノを少し傾けて左右に手で動かしても、なんと冷却中の位置にきちんと戻ってしまうのだ。

 それどころか、磁石を取り付けた板全体を、フライパンをゆっくりひっくり返すように上下逆さまにしても、空中に浮かんだモノは、重力でストンと床には落ちない。そのままあたかも固定されているかのように空中に固定していた。

 これには、ブログ子も考え込んでしまった。そして、20分くらい考えて、ようやく、超伝導現象は反発力だけしか生じないという自分の思い違いに気づいた。

 これは一言で言えば、

 超伝導現象の「ピン止め効果」

なのだ。磁化した超伝導のモノを磁石に押し付けようとすると、つまり上にモノをおくと、反発力が働く。逆に磁石の下にモノをおくと、重力により、磁石から引き離されようとするので、今度は磁石に引き付けられるように力が働くのだ。

 つまり、磁場の中でおきる超伝導現象は、モノの中に固定された磁場の位置を記憶している。その記憶が元に戻すような力として働くというわけだ。磁場を押せば反発力でもとにもどる。磁石からモノを遠ざけようとすると、元に引き戻す力が働くというわけだ。

 少し専門的に言えば、押し込んだり、引っ張ったりして磁束がのびると、それぞれ(輪ゴムのように)反発力や引き戻し効果が働く。ピン止め効果は、この輪ゴムのたとえによっておきる。

 板をひっくり返してもモノが床に落ちないのは、引き戻し力が重力とつり合っているからだ。磁束の輪ゴムたとえからも、これは理解できるだろう。

 この実験の監修には、物質・材料研究機構(茨城県つくば市、独立行政法人)があたっているが、10分くらい冷却するというのがミソ。これくらいの時間が磁場の記憶にかかる。これくらいの時間で超伝導物質の中の磁場が固定される。形状記憶合金の考え方と似ている。

 だから、板をゆっくりひっくり返しても、モノは落ちない(モノがある程度軽いものなら)。

 ただ、これだけのことに気づくのに30分ぐらいかかった。

 ● 通常物質にも「ピン止め効果」 ?

 そして、また、気づいた。

 このことは、モノは何も超伝導物質である必要はない。普通のものにも

 ピン止め効果

はあるはずだ。ただ、普通の物質は、抵抗ゼロの超伝導物質とは違って、抵抗がある。だから反発力にしろ、引き込む吸引力にしろ、移動電荷の量は極端に少ない。その結果、ピン止め効果は、超伝導物質に比べ、かなり小さい。つまり、このような空中固定の効果は目に見えないだけの話、ということではないか。

 この最後の考察が正しいかどうか、ブログ子には自信がない。が、理屈としては、当たらずと言えども、遠からずではないか。

 そんなことを考えていたら、いつもは眠るはずの時間帯がすぎてしまい、

 夜更かしフライデーになってしまった。

 Eテレもなかなかレベルが高い。

 ● 注記

 液体窒素くらいの、つまり、転移温度が絶対温度で100度K以上の高温でも超伝導になる超伝導物質として、最近では鉄系超伝導物質が見つかっている。番組では超伝導を起こすモノとして何を使っているかは明らかにしていなかったが、この種の物質を利用したのであろう。

 余談だが、20年くらい前までは、転移温度が20度Kそこそこのモノしか見つかっていなかったことを思えば、今は隔世の感である。これでは、液体窒素程度の温度では、とても超伝導現象を起こさせることはできない。液体ヘリウムが必要だった。

 ● 補遺

 このブログには、あえて実験の様子を示す写真はつけていない。

 読者は想像力を働かせて、ピン止め効果を楽しんでほしい。超伝導現象には、反発力だけでなく、引き込み力も生み出す。

 そして問題。この力を生み出す元、つまりエネルギーはどこから供給されているのかということを考えると、もっとおもしろい。

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ハンセン病の構図は水俣病と同じ

(2013.10.19)  土曜日の夜番組としては、たいへんに深刻なテーマの番組だった。Eテレで先日放送されたあるハンセン病療養所の現状を紹介した番組

 「ぼくは忘れない 新しい大島案内」

である。行き場がなく仕方なく今も入所している元患者と、二十歳前の若者たちの交流という新しい視点で、瀬戸内海の小さな大島に設けられた療養所、青松園での地域に開かれた共生の様子を取材している。

 ● 新しい瀬戸内・大島案内

 地域に開かれた療養所という考え方は、4年前の2009年に施行されたハンセン病基本法の基本理念。強制隔離から開放へ、この転換でハンセン病に対する社会的な偏見や差別をなくしていこうという発想である。

 この感染症は、治る病気であり、治療法も世界的にすでに確立している。にもかかわらず、過去の誤った強制隔離政策により、いわれなき偏見や差別が今も続いている現状を打開したいというのが、基本法の趣旨。

 番組では、そんな難しい話は出てこないが、かつては隔離されていた施設も一般に見学できるようになっていることがわかる。その活動を支えているのが、若者たちによる

 新しい大島案内会社

という活動というわけだ。

 結論を言えば、園の過去の歴史を積極的に知り、その人権無視の実態を広く社会に紹介していこうとするなど若者たちの意気込みは感じられた。にもかかわらず、見学者数がまだまだ少ないなどスムーズに基本法の考え方が受け入れられているようには見えなかった。

 ● 「棄民」ではないのか

 Imgp1371_1_2 偏見と差別をなくするための国立ハンセン病資料館(東京都東村山市)ができてから今年で20年(注記2)。また国の強制隔離政策は違憲とする確定判決(熊本地裁)が出てからでも12年。基本法が施行されてからですら4年がたつ。

 行き場のない元患者や患者たちは、青松園や国立駿河療養所(御殿場市)を含め全国13療養所で約2000人が今もひっそりと暮らす。平均年齢は約84歳。

 こういう実態は番組では紹介されなかったが、ブログ子は、10数年前、金沢在住時代に高齢の車椅子の女性元患者を取材したことがある( 注記 )。そんなつらい取材体験のあるブログ子のこの番組を見終わった感想を要約して言えば、次のようなものだったことを正直にここに書いておきたい。

 第一。基本法をつくるのがあまりに遅かった。少なくとも50年は遅すぎたのではないか。このことが偏見と差別を社会に定着させてしまった。

 この構図は1960年代に被害が拡大した水俣病の構図と同じ。ハンセン病の場合の加害者は国家であったのに対し、水俣病の加害者は民間企業であった。ともに加害者の不作為が原因であり、それが偏見と差別をも助長した。そのせいで今も多くの被害者が苦しんでいる。

 第二。死を待って、その存在を消し去ることでしか、その人の自由を回復させることができない社会が今もってあるという現実だ。元患者は骨壺に入って初めて人間らしい自由が与えられる。そういう社会とは一体何なのだろう。

 それは、悲劇として片づけるにはあまりに重たい問題だ。戦争中の玉砕思想もそうだったが、国家や社会から見捨てられた元患者は、いわば棄民ではないか。誤解を恐れずに言えば、ある意味では現状はむしろ〝喜劇〟であるとさえいえるのではないか。

 以上を要すれば、国家、もっと言えば、立法機関の不作為の恐ろしさをハンセン病問題は鋭く、そしてまた如実に物語っている。

 ● 国民の側にも不作為責任

  ここまで書いてきて、ふと思った。これは国家、立法機関だけの問題だろうかと。

 最近のBS番組にはやたら旅番組が多い。お手軽だからだろう。繰り返し、繰り返し、再放送もされている。NHKだけでも「ぐるっと瀬戸内の旅」、「にっぽん縦断 こころの旅」などなど。しかし、同じ瀬戸内海なのに、なぜ

 ハンセン病、瀬戸内大島の旅

というのがないのだろう。こころの旅というのなら、当然

 ぐるっと全国ハンセン病療養所の旅

というのがあってもいいはずなのに、ない。ハンセン病対策がこれほどまでに遅れてしまった不作為責任が国民の側にもあることを忘れてはなるまい。

 過去に目をつぶる者は、未来についても盲目である。

 (写真の右 = 藤野豊氏の『「いのち」の近代史』(2001年、かもがわ出版)は、なぜかくも長い間、強制隔離政策がとられ続けたのかという、政治的な背景を掘り下げた優れた研究書。一等国の仲間入りに向けた民族浄化という国家意思があったと分析している。この点でも、高度経済成長で欧米に追いつくという国家意思のもとで放置され、被害が拡大した水俣病と酷似する)

● 注記

 ブログ子が取材したのは2001年で、金沢市出身の80歳前後の浅井あいさんである。その後、2005年8月死去。国立療養所に入所したのは戦前の1930年代 だったという。

● 注記2

  資料館は、もともと、1993年の開館時には高松宮記念ハンセン病資料館としてオープンした。その後、2007年のリニューアル再開館時には、「高松宮記念」という文字が消え、その代わり「国立」という名称に変更された。このことからも分かるが、皇族がハンセン病対策に、いいにつけ、悪いにつけ深くかかわっていたことをうかがわせる。

 具体的にこのかかわりに切り込んだのが、藤野豊氏の著作『「いのち」の近代史』以後の出来事をまとめた続編『ハンセン病 反省なき国家 』(2008年、かもがわ出版)第2章である。

 なお人権活動家でもあった同氏は、2011年以来、新天地の敬和学園大(新潟県新発田市)の人文学部教授として教育、資料の発掘、療養所の実態調査と解明などにたづさわっている。

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なぜ村上春樹さんは賞がとれなかったか

Imgp1426 (2013.10.18)  ある行きつけの喫茶店でいつものようにコーヒーを注文して、週刊誌を見ていたら、こんな記事が出ていたのには、びっくりした。

 今年もまた、村上春樹氏がノーベル文学賞を逃したことを受けて、

 いつになったら

 世界は村上春樹を理解できるのか

と、見出しで、ため息をついていた(写真)。10月27日号「サンデー毎日」である。

  ノーベル文学賞をとったというのなら、どんな作家であろうと、大騒ぎするのは、これは仕方がない。読んでもいないくせに、読んだようなフリをして、ほめたたえるのは、まあ、人間のあさましい虚栄心であり、仕方がないと、あきらめる。

 なのに、とってもいないのに、

 なぜ早く授与しないのかと、脅迫的におねだりしている記事を読んで、日本文学のはしたなさをまざまざと見せ付けられるようで、いくら程度の低い文芸評論家とはいえ、あまりいい気分ではない。当世、もはや武士は食わねど高楊枝の矜持などない。

 ところが、驚いたことに、この春樹文学を「分析」するとして記事を書いたのは、なんと、天下の毎日新聞の論説委員だと知ってあ然とした。いくら暇だからといって、これはひどい。

 筆力がないのかどうか、文脈がたどれないばかりか、見出しで何を主張したいのか、よくわからない。ので、こちらで整理する。ごたごた書いてはいるものの、どうもこういうことらしい。

 村上文学の核心は、夢の共同体「阿美寮」にある。村上のどの小説にもこれがよく出てくる。この核心はあの小説にも、この小説にも出てくる

と衒学的な話にほとんど終始している。見出しに対応するような結論はない。文系の論説委員にはこの手合いが多いが、もう少しきちんとした「分析」がほしかった。

 ● 村上春樹ロングインタビュー

 あんまりひどいので、仕方がないので、理系のブログ子も、わざわざ

 Imgp1429_1_2 季刊誌『考える人』2010年夏号の特集

 村上春樹ロングインタビュー

をじっくり読んでみた。3日間にわたるインタビューを100ページにわたって紹介している。まえがきには

 すでにそこにある作品を目の前において、村上さんの小説家としての姿勢や考え方が浮かび上がってくるようなお話をうかがえればと思っています

と書かれている。インタビューの最後では聞き手は

 「3日間のインタビューを通じて、村上さんの小説家としての姿勢やお考えについて、深いところでさまざまに腑に落ちた三日間でした」

ととりつくろうように語っている。どんな深いところで、どういうように腑に落ちたか、具体的にはどこにも書かれていない。これは聞き手がよく理解できなかったからだろう。

  具体的に言えば、件の論説委員によると、村上文学の核心のはずの「阿美寮」という言葉が、100ページにもなる長い長いインタビューなのに、インタビュアーからも村上さん自身からも一言も出てこなかった。

 村上さんは「僕自身は作家として、ほんとうはそのこと(オリジナリティのことを指す)をいちばん誇りに思っているんですけれどね。オリジナルであること、ほかの誰にも書けないものを書いている」とは話している。また、「僕が目指しているのは、十九世紀的な自己完結した物語ですね。別の言い方をすれば、「完全な物語」ということになるかもしれない」とも語っている。それがどうしてオリジナリティと結びつくのかというと、「二十一世紀になって、自我の扱いに関して、そこでまたひとつの組みかえが新しく起こっているのではないかと、感じることがあります」というわけだ。そこでまたひとつ、というのは、二十世紀に続いてという意味。

 村上さんは「二十一世紀に入ってから「海辺のカフカ」を書き、また「1Q84」を書いたというのは、そういう精神的再編成の大きな流れの上に乗っていることかもしれない」と自らの作品を分析して見せている。

 これが村上さんのいう、ほかの誰にも書けないオリジナリティの正体というわけだ。

 この程度しか理解できなかった、文学に疎いブログ子だが、このインタビュー記事を読んだ正直な感想は、実際のインタビューがこの程度のことだったとしたら、こんなんでは、いつまでたっても世界は村上文学を相手にしないだろうというものだった。

 とすれば、件の論説委員の期待もむなしく授与されなかったのは、失礼な話だが、文学そのものが、あるいは今ひとつ怪しげなのもだからかもしれない。少なくとも明確に著者の作品の意図が、先の論説委員を含めて読者に伝わっていない。こういえば、少し言いすぎであろうか。

 そうなのかどうか、今後、ノーベル賞の季節になるたびに、わかるだろう。 

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なぜCERNはノーベル賞から外されたか

(2013.10.15)  今年のノーベル物理学賞を、イギリスのP.ヒッグス博士とF.アングレール博士の二人に授与すると、スウェーデン王立科学アカデミーの選考委員会が先日、発表した。このことに異議を申し立てる人は少ないだろう。

 Imgp1420_12_1_2 なにしろ、ものにはなぜ質量があるのかという素粒子物理学の大問題に対し、新粒子を予測し、質量を持つメカニズムを解明したからだ。二人は1964年、独立して別々に、しかも、ほぼ同時に、アメリカ物理学会の有名な専門雑誌、Phys.Rev.Lett.(略してPRL誌)に発表した( 注記 )。

 その予測が正しいことは、昨年夏、ヨーロッパの原子核に関する合同研究機関、CERNにより、数千人の研究者の努力の末、ついに実証された。これにより、現在の素粒子物理学の標準理論はほぼ完成した。

 だから、二人の受賞は当然であり、文句のつけようがない。

 ところが、時事通信社の配信記事(10月9日夜)によると、スウェーデン王立科学アカデミーの会員から、実証したCERNにも授与すべきであると異議を申し立てている。表彰は3人の枠があるのだから、その最後の枠にCERNを入れてはどうか、というのだ。

 選考委員ではないこの会員の言い分は、一見もっとものような気がする。しかし、ブログ子に言わせれば、そんな授与はまったくばかげていると断言できる。ノーベル物理学賞の名誉のためには、そんな授与はあってはならないといいたい。

 なぜか。

 ● 当初、ヒッグス理論を否定したCERN

 確かにヒッグス粒子の実証ではCERNは大きな貢献をした。しかし、ヒッグス博士のそもそもの論文を否定したのもCERNなのだ。この研究所の専門学術誌に投稿されたものなのだが、投稿は、あろうことか、ばかげた論文として「Reject」(掲載お断り)となり、ヒッグス博士は門前払いを受けた。

 これにはCERNのほうにもいくらかの言い分があろう。が、ヒッグス博士のショックは計り知れないほど大きかったことは間違いない。

 それでも気を取り直し、ヒッグス博士は、投稿先を変更し、先の米物理学会誌、PRL誌に再投稿した。それが論文審査の査読者だった南部陽一郎博士の目に留まる。審査した南部博士の決定的ともいうべき重要なアドバイス、つまり、投稿論文の結論は何を意味するかコメントしてほしいというヒッグス博士へのアドバイスで、新粒子の存在を明確に示唆する一文を投稿論文に追加した。このことが、今回、注記にも挙げておいたヒッグス博士の受賞論文の評価につながった。

 ヒッグス粒子論文を切り捨てた〝前科〟のあるCERNが、ヒッグス粒子予測の業績の二人と並んで、ノーベル物理学賞を受ける。そんなことをすれば天下の笑いものになる。だけでなく、輝かしい業績に対して贈られる賞そのもの汚すことにもなる。

 せっかくの論文をかつて切り捨てたという汚名を返上し、実証でなんとか名誉を挽回したというのが、CERNに対する評価だろう。功罪が相半ばした。

 今回、有力な授与対象としてCERNというものがありながら、あえて、選考委員会が「空席」にした。これは有体にいえば、CERNの過去の重大な失態に対する

 無言の、しかも公正な見せしめ

なのだ。CERNの中で誰を選んでいいか、迷った末、見送ったというのはあまりに皮相な見方にすぎる。

 ● 数式で考える人、南部博士の予言

 投稿されたヒッグス論文を査読の段階で高く評価していた南部博士。この南部博士こそが三番目の受賞者として今回名を連ねてもおかしくない人物だと思う。大阪府豊中市在住の南部博士は、

 数式で考える人

だといわれている。日本語でも英語でもない。数学で考える。「紙も鉛筆すらもいらない」という理論物理学者ということになる。

 それでいて、弦理論、色の量子力学、ノーベル物理学賞となった自発的対称性の破れの理論など現代物理学の最先端にいくつも大胆なアイデアを提供し、物理学に刺激を与え続けてきた。計算力においても、大胆な着想においても、その才能は並外れて秀でている。

 多分、湯川秀樹博士や恩師の朝永振一郎博士よりも、すごい業績であると思う。

 今回のノーベル賞の授与で、素粒子の標準理論は新しい段階に入った。重力を無視した極微の素粒子の世界と、宇宙論などの重力の理論とを統一的に論ずることのできる統一理論への道が、本格的にスタートしたといえよう。

 標準理論に限れば、最後の予測粒子、ヒッグス粒子が発見されたことで、その先、つまり、ボゾンとフェルミオンに関する超対称性粒子というさらに新しい粒子が存在するかどうかが焦点となる。

 この点について、20世紀後半を代表する現代物理学の改革者であり続けた知の巨人、南部博士は今夏の講演で、慎重な氏には珍しく、

 「ないと思う」

とかなり確信に満ちたコメントを披瀝している。

 この預言者の予想が言うように、もし本当に超対称性粒子が存在せず、標準理論が行き詰るとすると、なぜ素粒子の質量はこんなにもバラバラなのか、素粒子の世代はなぜ3世代なのか。それらは謎のままだ。

 今、92歳。老兵はいまだ去らずだが、そして存在しないことを証明することは存在証明よりはるかに難しいが、氏にとって最後の大予測となるかもしれない。

 ところで、南部博士は、統一理論の元祖、弦理論の創始者のひとりでもある。標準理論が素粒子は「点」であるということを仮定するのに対し、弦理論では、素粒子は部分をもつ「弦」という一種類の素粒子から出発する。そうすると、弦理論は数学的に自然な形で重力を含む理論と同一になる。とすると、重力というのは一体何なのか、という疑問が出てくる。

 さらに、想像を膨らますと、重力と深くかかわる時間とか空間とは一体何なのか、それは物理的な実態なのであろうかという疑問すらでてくる。

 このように、ヒッグス粒子の存在確認は、この先、どんな物理学の世界が待っているのかという好奇心をさそう。

 いずれ発見されるだろう統一理論により、宇宙はどのようにして生まれたのか、という謎も、神に頼らず合理的に説明されるだろう。

 元物理学徒の凡才ブログ子ではあるが、生きているうちに、そんな新しい宇宙像に接してみたい気がする。 

  (写真は2013年10月9日付中日新聞。記事によると、ヒッグス理論の突破口は、南部博士の研究だったと受賞記者会見でヒッグス博士は語った)

 ● 受賞論文

 F.Englert and R.Brout 「Broken Symmetry and the Mass of the Gauge Vector Mesons」

 PRL 13,321(1964)

  P.Higgs 「Broken Symmetries and the Mass of the Gauge Bosons」 PRL 13,508(1964)

  いずれの論文も、PRL誌の当時レフリーだった南部博士が査読している。なお、第一論文の著者、Brout博士は、すでに死亡しているので、惜しくも今回の受賞にはいたらなかった。生存していたら、有力な候補者にはなっていたであろう。

 ● 補遺 2013年10月18日記

 朝日新聞社の週刊誌「アエラ」の最新号10月21日号に、科学ジャーナリストの尾関章氏が

 三つあったヒッグスの理論

というコラムを寄稿している。選考委員会で三人目をめぐる議論があったか、なかったかという問題について自身の考えを述べているのだが、一言もCERNについては言及していない。

 Imgp1424 鋭い洞察力であり、卓見であると思う。

 ただし、発表当日の最終選考ではこの問題についてあれこれ議論したとは思えないが、その前の半年以上にわたる選考過程では、二人のほか、もう一人追加すべきかどうかについて、さまざまな議論があったであろうとは述べている。ブログ子もそう想像する。

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再考 できるか太陽系脱出

Imgp1330 (2013.10.12)  先日、この欄で、中性子星が太陽系に近づくという太陽系の未来について書いた。

 近づいてくると、X線などの放射線とともに、太陽系内の惑星、とくに小惑星の軌道が乱れて、地球上にその破片などが大量に降り注いでくる。だから、生き残るには太陽系を脱出する必要があると書いた。地球の破滅である。

 これを読んだ、ある若い天文ファンから、そんなことは、何も中性子星の接近を考えなくても、現に

 地球の遠い過去というか、太陽系誕生時

にも太陽系自身のなかで起きたと指摘された。

 誕生した木星や土星の巨大惑星の重力の変動で軌道を乱され、小さな小惑星が太陽系全体に降り注ぐ。地球にも月にも隕石となって次々と衝突したらしい。その時の様子が大気のない月にクレーターとして風化することなく今も残っているというわけだ。その大変動の結果、今のような太陽系の安定軌道に落ち着いたらしい。初めからそうではなかった。

 その様子を絵にしている最近のビジュアル雑誌まで送っていただいた。

 それが、写真である( 「ナショナルジオグラフィック」日本版2013年7月号) )。

 この再現された様子を眺めながら、あらためて、現在の太陽系が安定していることに感謝する気持ちになった。だからこそ、生き物は進化ができたのだろう。

 Imgp1331

 しかし、それは一時期のことであり、永遠に不滅なもの、安定したものはない。諸行無常、すべてのものは常ならずというのは、天文学にも当てはまることを悟った。

 となると、かつて考えられたように、この宇宙そのものも永遠に安定して存在すると考えるのは間違いだろう。物理法則だって、永遠に正しいというわけにはいくまい。どういう形かはわからないが、いつかはこの世も〝終焉〟を迎える。

 生々流転とはよく言ったものだ。

 この読者に感謝。

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建築は「数学」でてきている 白熱教室から

(2013.10.12)  数学がこれほど、私たちの暮らす世界、たとえば建築に対する新しいものの見方を教えてくれるとは、ついぞ今まで知らなかった。

 Dsc00036_480_1_1_2 今、Eテレで放送中の、世界的な数学者、デュ・ソートイ教授の

 オックスフォード白熱教室 シンメトリー

という番組である。

 2次元図形において回転対称性を分類すると、その数は17種類しか存在しないということをガロアが自ら創り上げた「群論」から証明して見せたという話から、始まった。

 それだけなら、それほど驚かなかった。

 ● アルハンブラ宮殿の数学

 問題は、そんなすべての回転対象を使って壁面をタイルでおおった建物があるという指摘だった。

 あのイスラム文化の傑作といわれている

 アルハンブラ宮殿(スペイン南部グラナダ、14世紀)

である。たとえば、右のようなタイル模様。白い葉っぱと、黒い葉っぱがびっしり、だまし絵のように敷き詰められいる。

 これなども、17種類の回転対称のひとつなのだ。

 イスラムの幾何数学の水準の驚くべき高さである。なにしろ、ガロアが群論を発見する500年も前に、すでに2次元の回転対称性について熟知し、そして、その成果を建築の壁デザインに生かしていた。

 さらに講義が続いた。

  回転対称な正多面体のうち、3次元のものとしては、正4面体(すべての面が合同な正三角形)、正6面体(立方体)、正8面体(すべての面が合同な正三角形)、正12面体(すべての面が合同な正5角形=サッカーボール)、正20面体(すべての面が合同な正三角形)の5つしかない。

 これだけなら、これまた、どうということはない。中学校の数学で習った。

 問題は、これを4次元に拡張するとしたら、どうなるか、である。4次元空間など、私たちは到底、想像できない。思い浮かべられない。

 そう思うかもしれない。そこで数学的な発想でこれを乗越える。

 つまり、形を表現するのに、デカルト流に座標を使うのだ。シンメトリーという言葉を座標で表現する。そして、その座標の扱いを、ガロアは群論という高等数学に完成させた。要素の関係性をまるで四則演算の代数学でもあるかのように扱える便利な道具だ。

 たとえば、3次元の立方体。その角の位置は

 (0,0,0)、(0,0,1) 、 - 、 (1,1,1)

の8つの座標で表される。2×2×2=8だからだ。

 とすると、形までは想像できないが、4次元空間の立方体は

(0,0,0,0)、(0,0,0,1)、 - 、(1,1,1,1)

の16の座標点で表されるはずだということが分かる。2×2×2×2=16だからだ。

 イメージとして想像することは難しいが、4次元空間の世界ではサイコロのような立方体の角は16か所あることがこれでわかる。

 ● パリ新凱旋門は〝4次元への入り口〟

 これを具体的に、われわれの3次元の世界のイメージに置き換えるにはどうしたかいいのかということを考えてみる。 

そんなの無理、と思うかもしれない。

 Hpgood_108_sum640_1279634380_2 そこで登場するのが、これまた数学の射影数学をつかう。具体的に言うと、これをつかって、この4次元立方体を〝3次元の影〟として写してみる。見る角度としては、すべての角点、つまり16個がそれとわかるように3次元に投射するとどうなるか。当然、3次元にできた影立体の角点も16個になる。

 それは具体的には、どんな形か。

 講演によると、なんとそれは、

 パリの「新凱旋門」のような角ばった正方アーチ門

になるのだという( 写真左 )。このように、 3次元の立方体から立方体を切り取ったような形だというのだ。これが4次元立方体を3次元に投射した場合にできる影。

 3次元の立方体の場合で言えば、立方体が壁などに映しだした影絵にあたる。

 たしかに、この写真から、角の点を数えてみると16個ある。新凱旋門は、旧パリ市外と、もう一つの超近代的なパリ、オフィス街の接点にある。つまり、異次元を行き来する門なのだ。門の足の部分には、先端企業のガラス張りオフィスが多数入居している。

 いわば、新凱旋門は4次元への入り口

なのだ。きっとこのアーチをつくろうとした建築家たちの意図には、ナポレオンの旧凱旋門=いわゆる有名なエトワール凱旋門の形は参考にしただろうが、こうした数学的なイメージがあったことはほぼ違いないだろう。その証拠が、アーチの平面天井である。ここに数学的な意匠がある。

 群論というような数学は世界の、あるいは建築の新しい見方を教えてくれる。逆に、こうなると群論の初歩ぐらいは学んでみたい気になってくる。

 それがソートイ教授の講義の狙いであろう。

 (新凱旋門の写真は、パリ観光旅行ガイド「パリナビ」= http://paris.navi.com より)

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再考 人はなぜスポーツをするのか

Imgp1402_1 (2013.10.09)  まもなく「体育の日」だが、以前このブログで

 人はなぜスポーツをするのか

という記事を書いた(2013年8月26日付)。これを読んだある有名なスポーツ雑誌から、ユニークな内容だとしてこのテーマで寄稿を依頼された。

 しかし、スポーツに詳しくないブログ子としては、不安もあり、念のため浜松市に在住で、スポーツ社会学を専門とする知り合いの大学教授に査読とコメントをお願いした。案の定、いくつかの問題点が指摘された。

 ● 敗者の側から本質に迫る 

 前回の結論は、

 人がスポーツをするのは、勝者として「自己満足ではない達成感」を得るため

というものだった。そのために社会的な決まりごとであるルールがスポーツにはあるという論理だった。

 この結論について、一読した教授から、ズバリ

 何をもって「自己満足ではない達成感」とするのか。その先が知りたい

と指摘された。相手に勝ったという客観的な事実に基づく勝利感がそれだと言いたかったが、それだとすると、その達成感理論は、勝ちさえすればいいという悪名高き勝利至上主義と紙一重であることに気づいた。

 そのことを見越してか、件の教授は

 スポーツは勝者の論理で語るよりも、圧倒的に多い敗者側の立場で語ることが、その本質に迫ることができる

とアドバイスしてくれた。

 勝ったにしろ、負けたにしろ、対戦した相手を人間として、あるいはスポーツマンとしてリスペクト(尊敬、尊重、敬意)することができるかどうか。そこにスポーツの本質がありはしないかというのだ。

 ルール違反ではないが、アンフェアで勝ったとした場合、至上主義では、勝ちは勝ちだと意に介しない。たとえば、決勝戦を有利に戦うために、予選のある特定の試合では負けに徹するという珍妙なケースである。

 これに対し、正々堂々のスポーツマンシップにのっとる敬意主義では、そのようにしてまで勝ちたいかとなる。敬意どころか批判の対象にすらなるだろう。この場合、敗者こそが、敬意の対象としての真の勝者ということになる。

 ● 体罰は敬意主義の否定

 スポーツの本質としての敬意主義から

 人はなぜスポーツをするのか

にこたえるとすると、次のようになる。

 勝ったにしても、負けたにしても、選手が互いに相手に、その磨いた技によって、あるいは死力をつくしたそのスポーツ精神の発露において、敬意を評するため

ということになる( 注記 )。そのために一定のルールがある。

 このように、スポーツの本質を問うことは、プレイヤーの人間性を問うことなのだと気づいた。

 これこそ、勝てばいいという偏狭な勝利至上主義をのりこえる要諦であろう。

 指導者自らプレイヤーに敬意を払わないという点で、スポーツ系部活に多く、また今も根強い体罰は、敬意主義を軽視、はっきり言えば否定した結果なのだ。敗者に敬意を払わない指導者というのは、きっと対戦した勝者にも敬意を払わないであろう。スポーツはルールであり、人間性などは関係がないともいうだろう。そこにあるのは勝てばいいという短絡的な至上主義だけなのだ。

 このように、その分野の専門家から問題点を具体的に指摘されることのありがたさを身にしみて感じたことを付記しておきたい。

 ● 注記

 スポーツの本質としての敬意主義の典型的な具体例として

 プロ野球日本一を決める最終戦最終回、広島対近鉄のいわゆる

 江夏の21球

がある。勝者の広島、敗者の近鉄ともに、技と知恵に死力を尽くし、スポーツの神髄をものの見事に体現してみせた。わかりやすい言葉で言えば、互いに「敵ながら、あっぱれ」と賞賛しあったことだろう。

 これに対し、高校野球甲子園での対松井秀喜徹底4球作戦

は、果たして敬意主義にかなうだろうか。アマチュアとはいえ勝利を追求するわけだから、真っ向勝負だけがすべてではない。したがって敬意主義に反するとまではいえないのではないか。

 さりとて、スポーツの神髄がここにあるとまで考える人は多くはあるまい。ルールを守っているのに、なぜ批判されるのか。

 とすると、ルールとは別の、倫理学の一部であるスポーツ倫理の問題にかかわることになる。スポーツの本質としての相互の敬意主義が成り立つには、ルールを守る以外に具体的にどんな倫理が求められるのか、という問題である。

 簡単に言うと、勝ち方がさわやかではなかったとか、潔くなかったとかいういかにも日本人らしい情緒的な問題として片づけてはなるまい。分かりやすく言えば汚い勝ち方ではなぜダメなのか、掘り下げて合理的に考えようということだ。

 そこで、もう少し視野を広げると、一定のルールにのっとり勝利を追求するスポーツの場合、正直性など人間性の倫理学と矛盾することは、おおいにあり得る。たとえば、「和をもって尊し」とする倫理とは違って当たり前。

 とすると、その矛盾を容認することのできる基準、つまりスポーツ倫理独自の考え方が必要になるという点に行き着く。それは何か、という問題である。

 仮に、先の松井選手5連続敬遠を正当化するとしたら、スポーツ倫理にどんな新しい考え方が必要かという問題である。

 また、逆に、そんな新しい考え方は必要ではない、単に監督の、あるいは選手の人間としての倫理性であるとするならば、通常の倫理学におけるスポーツ倫理の独自性とは何か。その存在意義そのものが問われることになる。スポーツ倫理の不要論である。

 不要、有用論には、そのスポーツ倫理が職業倫理としての

 技術者倫理や科学者倫理

とどう違うのかという問題もある。

 はっきり言えば、スポーツ倫理の独自性とは何か。ほかの倫理学にはない独自の概念とは何か。そう言い換えていいかもしれない。技術者倫理では公衆の安全を最優先するという原則がある。科学者倫理では、社会に向って分かっていることと分かっていないこととを明確に説明する責任の原則がある。医学倫理では、医師の説明と患者の納得というインフォームド・コンセントの原則だろう。

 漠然と言われている、ルールにのっとり正々堂々というあのスポーツマンシップの合言葉とは、具体的に何を指すのか。

 松井〝5連続敬遠事件〟から20年。そして頻発する体罰事件。

 勝利至上主義が根強いなか、人はなぜスポーツをするのかというその本質をめぐる問いかけは、今も続いている。

 ● 補遺 2013年10月12日記

 10月12日夜のBS1

  ドキュメンタリーWAVE 選

  W杯予選の最も熱い日 セルビア対クロアチア

というのを見た。

 冷戦終結とともにタガが外れ民族対立が表面化、激しく対立する怨念の両国。ボスニア=ヘルツェゴビナの内戦から20年、激しい憎しみのサッカーから、お互いを認め合う冷静な姿勢もみられるようになったゲームへと変化しつつあるという。異常なまでに勝ちにこだわる観客席はともかく、選手たちは、互いに試合中、挑発することを極力控えるという冷静さを保ったことが紹介されていた。

 引き分けに終わった試合だったが、スポーツの本質がどのようなものであるかをうかがわせる具体的な事例であろう。こうした変化は勝ちさえすればいいという勝利至上主義だけからではとうてい説明はできない。試合を通して、相手の存在を認め、そこに敬意を払ってこそ、白熱した試合中でも冷静さを維持することができるからだ。そんな感想を視聴後、持った。  

 (写真は、インテル対ローマ(セリエA)。 2013年10月14日放送のBS1テレビ画面より)

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素数の階段 

(2013.10.08)  先週末夜、Eテレで、オックスフォード大学白熱教室と題して、同大数学研究所のデュ・ソートイ教授が

 Imgp1243_1_1 素数講義

を公開していた(写真上=同番組画面より)。素数研究の第一人者らしいのだが、素数の並びはどういうようになっているのか、語っていた。ガウスが考え出した「素数の階段」に関する

 リーマン予想

のイメージとはどんなものか、音楽を自ら奏でて語っていた(もともとの未解決の予測というのは具体的には、ゼータ関数のすべてのゼロ点は座標上で一直線上に並ぶというもの)。これまで聞いたこの種の番組の中でももっとも、素数の不思議について理解できたように感じた。

 そこからの感想を一言で言えば、一流の研究者の講義というものは、なにかしら人を刺激するというものだった。

 Imgp1292 ブログ子が高校で習った数学では、素数という整数論には馴染みがなかった。しかし、その素数のあらわれ方が、なんと、習った不連続関数や連続関数の積分あるいは極限や極限値の考え方に通じているというのだ。

 また、これまたなんとアナログと考えられている音楽に似ているというのだ。これには参った。

 こんな話は一度も聞いたことはなかったが、リーマン予想のイメージがなんとなく分かったような気になった。

 講義のあらすじは、こうだった。

 Imgp1235_1_1

 素数の出現分布に関する素数階段(その数学的な表現は後述)については、リーマンが考え出したゼータ関数と深く関連するという。その関連とは、そのゼロ点の正弦波を基本波から順次倍音を、フーリエ展開の要領で、音量を一定にして重ねていくと、素数階段にどんどん近づいていくというのだ。つまり、近似できる。

 その解説図が上中央の写真。どの周波数も音量が一定であるとすると、ガウスの階段がきれいに表現できるらしい。

 なんと美しい素数分布なのだろう。こうなると、素数の分布はでたらめではなく、神が創造した調和のとれた音楽作品のひとつかもしれないという気になる。

 神は数学者かというよりも、数学は神だとすらいいたくなる。

 素数階段のような不連続な関数が、ゼータ関数のような連続関数で表現できるというのも不思議だった。

 リーマンは、師のガウスの大胆な予想を厳密化しようとした。

 以下は、以上のことをもう少し数学的にまとめたもの。

 Imgp1292_1_2 ガウスの素数階段として、自然数N以下の素数の個数を関数Π(N)とする。Nが素数のときだけ1つ上にグラフ上をジャンプする。次の素数が見つかるまではΠ(N)の値はN軸に平行なまま変化しないのだが、素数が見つかるとまた1だけ上にジャンプする。

 15歳のガウス少年は、

 Π(N)はおよそ N/ Loge(N)

であると見当をつけている(Logeは自然対数)。

 実際調べてみると、

 N=  10   Π(N)=   4   N/Loge(N)= 4.3

       100            25                 =   22

      1000          168                 = 145

   この様子を素数が見つかるごとにグラフにプロットしてみると、写真上のようになる。高校のときに習った

 不連続なステップ関数

である。

 実際の素数分布階段と、その近似グラフN/Loge(N)

に重ねたのも、ここに写真(上から2番目)で示しておく。

 このアバウトな近似解をさらに、ガウスの弟子のリーマンが、ゼータ関数と結びつけて研究を続けて、自らの名前がつけられた

 素数分布に関するゼータ関数の未解決予想

を提示したというのだ。

 こんなことを考えながら、昔習った高校数学をいじっていたら、50年ぶりに高校数学に目覚めてきた。

 無味乾燥に思えた高校数学もなんだか、魅力的なものに見えてきた。一流研究者の学問の力だろう。

 (写真中(上から2番目)、写真下= 東北大学の第3回仙台数学セミナー「数学ってなんだろう」<素数は“いくつ”あるか>佐藤篤担当配布資料(1995年8月)。いずれも写真のダブルクリックで拡大できる)

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赤字は事故を引き起こすか JR北海道

(2013.10.07)  ときどき拝見しているNHK総合の「時論・公論」で、先日

 Imgp1267_1 安全は取り戻せるかJR北海道

というテーマを解説委員が取り上げていた(写真上= 10月4日深夜同番組画面より)。「クローズアップ現代」でも外部の識者を呼んで問題点を洗い出していた。

 ● 意思疎通を欠く労使

 いずれも経営の赤字体質が大きな問題であることを指摘していた。もっともらしいが、しかし、隔靴掻痒(かっかそうよう)の感である。はっきり言えば、もっと重要なことが、意図的かどうか、述べられていない。はっきり言えば、

 赤字続きは結果であり、トラブルや事故の原因ではない

といいたい。何が赤字を生んでいるのか、という問題なのだ。トラブルや事故は人が原因で起こるものなのだ。これさえしっかりしていれば、いくら赤字経営であっても安全は確保できる。赤字がひとりでにのこのこ歩いて事故を引き起こすことなどあり得ない。

 なぜ社是として「安全最優先」をかかげながら、それが徹底できないのか。それは会社の経営側と労働組合側とが意思疎通を欠いているからだ。これほど頻発している事故やトラブルをみるにつけ、ともに協力して安全を確保しようという気がないとしか思えない。これでは企業として体をなしていない。

 民営化以来の長きにわたるこの意思疎通のなさが事故・トラブル頻発の根本原因であり、赤字垂れ流しという結果を生んでいるのではないか。

 ずさんなというよりも、崩壊の瀬戸際にある車両検査体制やスピードアップ化、あるいはレールを補修する現場の保線員たちだけの問題に矮小化してはなるまい。崩壊の背後に一貫して何があるのか、これが問題である。

 ● 「経営安定基金」が弊害を生んでいないか

  JR各社の最新の経営状況(2013年または2012年3月期決算 = 写真下)を調べてみると、JR北海道は、営業利益は241億円の赤字。国から預かっている経営安定基金(約6800億円)の運用益収入を繰り込んで経常利益をかろうじて出している。

 しかし、同様に赤字経営が続くJR四国やJR貨物は、それほどトラブル続きなど起こしてはいない。

  Imgp1229 確かに、安定基金などの支援のないJR東海(2012年3月連結決算)では、純利益は1300億円を超える。超ドル箱路線の東海道新幹線をかかえているとはいえ、雲泥の差だ。社員一人当たりの純益はJR7社のトップ。

 利益が出れば、その分、安全対策が充実するのは当たり前。しかし、赤字だから事故が起こるとは、直接これらの数字からはいえないことがわかる。

 企業で働く従業員の体質が問題なのだ。

 こうしたことから、時論・公論の解説委員は

 JR北海道= ゆでガエル説

を紹介している。民営化以来26年間、身を切る改革をほったらかし、経営がますます悪化。それはまるで、少しずつ温度を上げていくぬるま湯にその場しのぎで我慢していつまでもつかっているカエルのようなもので、ついにそこから抜け出せずに死に至るというわけだ。

 そして、最後は、国がなんとか面倒をみてくれると、そろばんだけはしっかり弾いているズルイ体質が経営側にも働く側にもありはしないか。この点だけは、いがみあう労使、意見が一致しているというのでは、国民を愚弄しているといわれても仕方あるまい。

 その意味で「ゆでガエル」説は言いえて妙である。が、しかし番組では、このゆでガエルが具体的に誰なのか、労働組合をはばかったのだろうが、指摘していない。

 経営陣という見方もあるだろうが、あえていえば労働組合でもあろう。

 額にかかげられた「安全最優先」( 注記 )が徹底できるかどうかは、経営の体質改革もさることながら、今も古い体質に安住し続ける一部の労働組合の改革なくしては困難だ。きちんとまじめに働く労働組合でなければ再生はできまい。

 ● 「鉄路に生きる !」と胸を張るには

 記録映画のように「俺たちは鉄路に生きる !」と自信を持って言えるためには、そして再生するためには、自らも身を切る改革をする社会的な責任がある。このことを労働組合は忘れてはなるまい。乗客は労組の人質ではない。

 繰り返すが、事故やトラブルは人間とそれからなる組織が引き起こすものである。赤字が引き起こすのではない。赤字は明確な目標や意思疎通を欠いた「ゆでガエル」どんぶらこ体質の結果であり、トラブルの原因ではない。

 労組を含めてJR北海道は、意思疎通を阻害している原因に目をつぶることなく自ら切り込み、公共交通機関としての社会的な責任を果たしてもらいたい。

 自立なくして、誇りなし。このことを肝に銘じてほしい。

 自立し、安全確保の社会的な責任を果たして初めて経営側も労組側も「俺たちは鉄路に生きる !」と乗客に向って胸を張れるだろう。

  ● 注記

 この額にかかげられた「安全最優先」というのは、普通は、当然、乗客の、という意味であろう。しかし、ここでは、

 労組の安全を最優先する

という意味かもしれない。労使対立に加えて、JR北海道には、JR総連か、JR連合かしらないが、その傘下の労組間対立というややこしい状況が今も続いているらしい。

 これでは乗客のことなどかまってはいられないという気持ちになったとしても、無理はないだろう。

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できるか、人類の太陽系脱出 

(2013.10.05)  先日、民放テレビをみていたら、ニコラス・ケイジ主演の映画

 「ノウイング(Knowing、予言)」

というのを放送していた。人類が滅亡するくらい大きな

 巨大フレア

が太陽表面に発生、それが地球にまで届いて焼き尽くすという、いわゆるパニック映画である。

 こうしたスーパーフレアというのは、決して絵空事ではない。最近では天文学者、たとえば、京都大学理学部の柴田一成教授(太陽系物理学)の理論研究がある。

 実際にも屋久杉の年輪研究から名大研究グループが太陽表面からの巨大フレアらしい現象を突きとめたりしている。奈良時代のおわりごろの西暦775年前後、世界のあちこちで一斉に宇宙線が急増し、少しずつ減衰したというのだ。まれではあるが、中性子星の誕生との関連も疑われている。

 ● 中性子星が地球に衝突

 映画をもっとドラスティックにしたものを、先日のBSプレミアム番組コズミックフロントで

 Imgp1214_1 地球脱出

というタイトルで、SF映画風に放送していた(写真右= 同番組画面より)。写真右端が近づく中性子星。

 つまり、75年後に地球、というか太陽系が中性子星に衝突するというのだ。ということになれば、地球脱出というよりも、

 太陽系脱出

というのが正確だろう。

 中性子星というのは、質量の重い星が燃料を使い果たし、超新星爆発後の残骸として中心に残った超高密度星。大きさは直径10キロほどなのだが、問題なのは、爆発で太陽系よりもはるかに広い範囲に大量の破片ガスが飛び散り、ジェットのようなガスも出ていることだ。

  超新星爆発する場合、かに星雲のように均等爆発すれば、爆発でできた中性子星はその場所に以前と同様とどまる。しかし、不均等爆発すると、猛烈な勢い、たとえば光速の10分の1くらいの猛スピードで、たとえば太陽系に接近する。こんな強力な磁場を持った中性子星は少なくとも現在100個以上見つかっているという。実際にはもう一桁上の1000個ぐらいは銀河系内にありそうだ。

 こうなると、中性子星が太陽系に急接近というのも、1000年ぐらいのタイムスパンで考えると架空の出来事ではないことになる。現実味がある。太陽系から100光年以内のところで非対称な超新星爆発が起こる可能性は無視できない。

 しかも、もしそれが近接連星系の場合、相手星からのガスの中性子星への流れ込みの影響で有害なエックス線、ガンマ線、あるいは宇宙線を放っている。接近すると、次第に太陽よりも中性子星の重力に支配されるようになる。太陽系内の小惑星の軌道が極端に乱れて、地球に降り注ぐ可能性だって大いにあるだろう。

 番組では、土星のリングがこなごなになり、中性子星に吸い取られていくようシュミレーションが紹介されていた。

 そんなのが地球に近づいてくるのだから、逃げ場がなく、太陽系を離れるしかない。地球軌道を少し変えたぐらいではやりすごすことも無理。また火星や土星に移住しても、もっと遠くに行かない限り、焼け石に水で生き残れないだろう。

 先ほどの巨大フレアよりも中性子星衝突は、活動的な領域が桁外れに広がっている分、地球の生命にとって致命的である。

 衝突の最後は、強力な重力で地球はこなごなになり、中性子星の周りを回る降着円盤になってしまう。それが、写真上というわけだ。

 生き残るには、要するに、番組でも解説されていたが、

 太陽系を脱出、第二の太陽系への人類の移住

ということになる。言ってみれば

 2100年宇宙の旅 = 宇宙方舟

である。番組によると、地球滅亡から100年後ぐらいに

 太陽系を離れた宇宙船は、どこか近くの「第二の地球」

に到着するらしい。そこが本当に人類にとって生きていける環境なのかどうか。それは結局は行ってみなければ分からないだろう。

 ● 太陽系脱出のボイジャー1号は35年の旅

 人類が果たして太陽系脱出などできるのだろうか。

 今から35年前に地球を飛び立った米探査機、ボイジャー1号機は、ようやく今年8月に太陽系外に出たらしい。太陽風の勢力圏から星間風圏に入ったというのだ(米科学誌「Science」(2013年9月12日号))。地球と太陽間の距離のざっと100倍以上に到達したという。

 太陽系を抜け出すのに無人でも35年

 これは太陽の重力にただ乗りする方式でのスピードだから、エンジン開発でもっとスピードアップができたとしても、有人なら、どのくらいかかるのだろう。

 ましてや、隣りの太陽系にたどり着くには、どれほどの歳月がいるのだろう。ざっと計算してみると、隣りの太陽系までは、太陽系の大きさの

 数千倍の広がり

がある。この航行には、どんなにスピードアップしたとしても、つまり、光速の100分の1のスターシップでも、暗黒の中、数百年はかかる距離である。人間の精神がそれに耐えられるだろうか。

 しかも、

 ふたたび地球に帰ってくる宇宙旅行から

 戻ることのない宇宙移住

なのだ。

 こうしたことを考える哲学的な映画があってもいいような気がした。パニック映画よりもはるかに、人間の精神に深遠な何かを残すいい機会となるだろう。

 (写真下は、ほ座のベラ・パルサー(中性子星) = 自由百科事典「ウィキペディア」の「中性子星」の項目より。写真最下段は、近接連星系の中性子星に赤い伴星のガスがはぎとられ降着している様子 = NASAphoto。もし地球に中性子星が接近してくれば、このガスと同じ運命が人類に待ち受けていることになる。いずれの写真にも、中性子星には特徴的なジェットがある)

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小泉元首相の「脱原発」発言の真意と狙い

(2013.10.05)  最近、注目を集めている小泉純一郎元首相の

 脱原発発言=原発依存度ゼロを今こそ政府は決断するべきだ

について、週刊誌「アエラ」最新号10月7日号が

 Imgp1211 脱原発界デビューの真意

という記事で解説してみせていたのが、おもしろかった。

 そうか、そういうことかと納得した。いかにも政局をみるに敏、大局観の読みにすぐれた小泉氏らしい。

 現役首相時代には、ほとんどエネルギー問題には関心を示さず、もっぱら郵政民営化問題に特化していた。のに、政界引退してからでもずいぶんとたつ今ごろになって何故なのかとブログ子もいぶかしく思っていた。

 発端は先月9月下旬に都内で開かれた

 日本の進むべき道

と題した講演会だったらしい。

 講演の内容を要約すると、こうなる。

 原発ゼロは無責任だという声がある。しかし、もっと無責任なのは今後も(使用済み燃料の)最終処分場ができる見込みがないのに、日本では原発を(再)稼働させようとしていることだ。地震のほとんどないフィンランドですら、求められている「10万年後の安全」の確保はむずかしい。今夏、同国の最終処分場の現場を視察してきて、このことを痛感した。ましてや地震の多い日本ではそんな施設はとても無理。原発ゼロにしたほうがいい。

 ざっとこんな話を1時間にわたって展開したらしい。現に、今日本ではすべての原発がとまっているが、停電などはおきてはいないとも付け加えているという。

 主張の裏づけとなる具体的な根拠を示し、しかも現実を踏まえた上で論理明解に上記の結論を出している。これに反論することは、なかなか困難だろう。

 ひとことで言えば、

 安倍政権は、今のピンチをエネルギー政策転換のチャンスととらえるべきだ

というメッセージが真意ということらしい。

 この発言は気楽な思いつきでしゃべったとは考えられない。というのは、今月に入って名古屋市内の講演でも同趣旨の「原発ゼロはできる」と繰り返しているからだ。

 ● 将棋で言えば、今は中盤の「仕掛け」

 ただし、小泉氏は単なる正論の評論家などではない。政治家である。

 この記事でおもしろかったのは、このメッセージの狙いに言及しているところ。思いつきで「日本の進むべき道」講演したわけではない。

 では、その狙いは何か。

 記事によると、自民党内での高い安倍人気をけん制する狙いだという。安倍一色は困るというのだ。次の選挙まで3年あるのだが、あまり安倍色が強くなると、いくら国民的な人気があるとはいえ、「次」、あるいは次の次を狙う息子の進次郎氏の出番がなくなる、あるいは目論見とは違った流れになってしまうことを恐れた。

 脱原発発言は、将来を見据えた仕掛けであり、エネルギー政策の転換うんぬんのほうは、世論を味方につけるための小泉氏一流の方便。決して本気の本心ではない。敵は本能寺にあるのだ。

 将棋で言えば、序盤が終わり、「玉」とりに向けた中盤の仕掛けの段階にあたるのが、今というわけだ。あるいは相手(安倍氏)の出方をちょっと瀬踏みする一手かもしれない。

 政治の大局観を見極めることにかけては天才的と言われている元首相。しかも政局不利と見れば、自ら仕掛ける。そのとき、普通の政治家と違うのは、郵政民営化のときもそうだったが、世論を味方につけるため正論を前面に掲げることである。今回の脱原発界へのデビューも、その意味で、あり得る話と納得した。

 恩師の仕掛けに乗るのかどうか。瀬踏みにどう反応するのか。安倍晋三首相の中盤の長考と次の指し手が見ものだ。

  ● 毎日新聞社説

 Image1915 このゼロ発言については、毎日新聞は10月5日付で

 原発問題の核心ついた

という社説をかかげている(写真下)。また、自民党内が必ずしも再稼動一色ではないことも記事化している。若手が中心だが、福島事故の原因究明をきちんとすべきであるという役職にもあるベテラン議員もいるという。

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『白い巨塔』のテーマはどこから得たか

(2013.10.04)  直木賞作家の山崎豊子さんが亡くなったと聞いて、ずいぶん前のことをふと、思い出した。

 山崎さんは、

 『白い巨塔』

のテーマや、テーマを肉付けする現場の実態をどこから得たのか、ということだ。

 この小説は、週刊誌「サンデー毎日」に1963年9月から1965年6月まで連載された。大学病院や医局の実態を次期教授人事をめぐる対立や、患者をめぐる医療過誤裁判をたて軸に描かれている。対立と裁判を通じ、医師は患者に対してどうあるべきかというテーマに、山崎さんは真正面から告発を込めて取り組んだ。これには新聞社での上司だった井上靖さんの社会派小説『氷壁』がきっと頭にあったからだろう。

 大阪大学に比定される浪速大学、京都大学に比定される洛北大学、そして東大だとわかる東都大学が主な舞台だが、その人間くさいドラマ性とリアルさとがあいまって傑作との評価が高い。そのことは、何度も原作がテレビドラマ化されたことでもうかがえる。

 ● 匿名パンフ「抵抗的医師とは何か」

 結論を先に言えば、入手先は医師の中井久夫氏が楡林達夫(にればやしたつお)のペンネームで書いた

 「抵抗的医師とは何か 新入局者への手紙 あわせて僚友たちへ」(写真)

だろう。

 Imgp4287 日本の医学界の問題点というのは、教授の人事を含めた医局支配にあると日本で最初に具体的に実例を示して喝破した著作である。その連載パンフを担当の者から入手したと考えられる。  

  この連載著作パンフについては最近復刻された『日本の医者』(日本評論社、2010、写真下)にその連載時の全文が掲載されている(写真左はその目次)。

それによると、

 初出は、

 岡山大学医学部自治会/青年医療従事者協会発行、1963年から1964年頃

となっていて、山崎さんの連載の構想とその開始時期にほぼ重なっている。また、同書のなかにおさめられている中井医師の『日本の医者』(初出= 『日本の医者』(三一新書、1963))も重要な参考にしたであろう。

 Imgp4284_1 中井氏の経歴は、インターン時代を大阪大に籍をおき、その後1960年、母校の京大医学部のウイルス研究所に助手として採用される。東大の研究所にも兼務経験があるなど、『白い巨塔』の舞台と一致している。

 しかも、たとえば、小説にも出てくる金で医学博士学位論文指導を行なう描写などが、中井氏の本の氏自身の実経験の内情解説とかなりの細部まで一致する。

 別の実例では、教授の誤診をいかに医局はうまく処理するか、それによって昇進が決る。中井氏の告発は見事に、山崎小説の中に生かされている。

 この抵抗的医師というのは、山崎小説のなかに登場する良心的な里見助教授のモデルであろう。

 教授に反抗したことから、地方大医学部に飛ばされる小説の里見助教授の運命と、1965年に京大を追いつめられるように自ら去ることになる中井氏の経歴とが見事に重なる。この年というのは、『白い巨塔』の正編が完結する年でもあり、完結の仕方も、反抗した里見助教授が辞表を書き、浪速大学を去るシーンで終わっている。

 ● 『日本の医者』(三一新書)から50年

 つまり、これを要するに、

 小説『白い巨塔』というのは、架空をよそおってはいるものの、同時進行の迫真的な実話

といっていいだろう。日本医学界の深部、つまり教授の医局支配をえぐった。

 余談だが、1970年代初めころ、つまり、ずいぶんあとになって、ブログ子には、大学生協書籍部で、和文タイプされたこのパンフレット(匿名)を売価500円くらいで買った記憶がある。当時は東大医学部から始まった大学紛争もようやく収束した時期だった。

 中井氏の最初の著作(三一新書)から50年、今では本名(中井久夫)で

 『日本の医者』(中井久夫、日本評論社、2010年、写真)

として、合本復刻されている。

 山崎さん死去で、こんな遠い記憶がよみがえってきた。

 そして、今、日本の医学界は中井さんの告発に十分こたえているかどうか。胸を張れる大学病院はそう多くはないのではないか。

  ● 補遺 2013年10月10日記

 週刊誌「サンデー毎日」の最新号(10月20日号)は、まるで山崎豊子追悼号のような特集記事を組んでいる。

 それによると、山崎氏の「サンデー毎日」連載時の編集部担当記者は医学博士の学位をもった男性記者だったらしい。「白い巨塔」連載のために山崎さんに依頼された内容をずいぶんと熱心に取材し、メモを渡していたらしい。

 この男性記者から、おそらく山崎さんは、上記の中井さんの本を知らされたのであろう。また、パンフレット「抵抗的医師とは何か」の存在も知ったであろう。

 もうひとつ、山崎さんは『続 白い巨塔』、つまり正編の裁判編とも言うべき後編に当たるテーマとストーリーはどこから得たのだろうか。医師とはどうあるべきかというテーマを裁判を通じてどう浮かび上がらせるか。そのアイデアはどこから得たか、この特集で分かった。

 正編が終わろうとしていたころ、編集部に異動してきた山崎氏より5つ年下の

 徳岡孝夫記者

の情報メモがきっかけだったらしい。徳岡記者は、当時の東京高検検事長から、医療過誤の裁判にすればおもしろいと、そのストーリーまで検事長自ら細部にわたって聞かされたらしい。その話を、そのまま異動先の「サンデー毎日」編集長に話すと、話題の小説の続編を考えていた編集長が、その話に飛びついた。検事長の話した内容の詳細メモ起こしを徳岡記者に命じ、そのメモを山崎氏に渡したらしい。徳岡記者は、おそらく検事長に対し追加取材もしたであろう。

 続編のあの迫真の裁判の駆け引きは、現場を踏んだ裁判のプロでなければとうてい描くことは無理。そう思っていたが、こんな事情から生まれたとは知らなかった。

 最後に、山崎さんにとって、学芸部時代の上司(学芸部副部長)が、のちに芥川賞作家となる井上靖氏だったことも幸運だったろう。

 『白い巨塔』のリアリティというのは、こうした人たちの協力と山崎さんの筆さばきと新聞記者らしい情熱によって生まれたといえる。

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名著でつづる3次元の科学・技術史

(2013.10.03)  名古屋市科学館で

 「世界を変えた書物」展

Imgp1000 というのをやっているというので、先日、浜松からわざわざ出かけた。

 金沢工業大学が30数年をかけて世界の古書店から収集した科学や技術に関する歴史的に貴重な書籍を一堂に展示する。全国で唯一の科学・技術稀こう本コレクションらしい。

 ブログ子は京都の大学で天体物理学を研究していたこともあり、また、金沢に20年暮らしたこともあるところから、最初はただ、

 ニュートンの『自然哲学の数学的原理(プリンキピア)』(1687年)

の現物初版本をみてみたいという単純な動機で出かけたのだった。

 ● ニュートンの「プリンキピア」を前に

 そして、会場に入ったのだが、驚いた。貴重な本、名著がただ、ケースに入って床にずらりと並んでいるだけだと想像していた。もちろん、そうしたケースは並んでいたのだが、それだけではなく、会場の中央には、それぞれの歴史的な名著の書名をダンボールパネルにして、それらをあたかも建築素材の壁であるかのように、ひとつの建築物にくみ上げた

 シンボルモニュメント「知の森」

が展示されていた。それが右側の3枚の写真(角度を変えて撮影)。

 Imgp1019_1_1 言ってみれば

 名著でつづる3次元の科学・技術史

といっていいだろう。しかも、それぞれの名著パネルの関連がどうなっているのか、カラーの動線で鮮やかに描いてみせていたのには、感心した。

 はじめてみる3次元の科学・技術史

である。いかにも、同大学環境・建築学部の建築デザイン学科の教授、竺覚暁(ちくかくぎょう)さんにふさわしい作品である。

 Imgp1021_11687 

 その竺教授が会場に並べられた100冊以上の稀こう本を前に、一冊一冊の価値や意義についてていねいに解説してくれた。

 Imgp1004 写真左上は、ニュートンの『プリンキピア』(初版。ロンドン発行本 写真中央)を前に竺教授が解説している様子。

 ざっと1時間半で、古代ギリシャから、アインシュタインの相対性理論の著作までを語ってくれた。ブログ子にとっては、至福の時間だった。

 これほどの見事な展示は、ここだけでなく、もっと広く

 国立科学博物館(東京・上野)

でも開催したら、全国的な反響があるだろうと、会場にいた人たちと話し合った。

 ● 文化としての科学・技術

 ただ、ブログ子の感想をひとつ言えば、これだけ多くの世界の知性が書いたもののなかに、日本人のものは、たった一冊、

 湯川秀樹博士の『素粒子の相互作用について』(1935年、初版)

のみだったことに、なさけない気持ちになった。しかも、竺教授によると、この本は日本では入手できず、ニューヨークの古書店から買い求めたという。

 これは何を意味するのだろうか。

 すくなくとも日本人の科学や技術に対する冷淡さ、関心のなさを示すものだろう。日本では科学や技術は明治期に西欧から出来合いのものを手っ取り早く輸入した

 輸入学問

であり、経済の道具に過ぎないという科学・技術観があり、それとは無縁ではないだろう。これは科学の土台を自らつくってこなかった日本のひ弱さでもある。

 逆に言えば、西洋では科学の知識を身につけることは合理的にものを考える教養人の必須条件であり、それには知識獲得のプロセスを示す歴史的な著作は大事にしなければならない。そういう文化が日本にはいまもって根付いていない。結果のみを求める文化のひ弱さである。このことが、湯川さんの歴史的な著作が日本で入手できなかった本当の理由ではないか。

 湯川さんに限らず、日本には、歴史的な役割を果たした科学や技術に関する古書マーケットがないのはいかにも象徴的である。

 Imgp1002_1 その意味で、この展覧会は

 文化としての科学・技術

について考えさせてくれたように思う。

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自然を数字であらわす 名古屋市科学館

(2013.10.02)  所用で名古屋を訪れたついでに、先月末、名古屋市科学館(白川公園内)に出かけた。浜松科学館でボランティアをしていることもあり、興味を持った。

 Imgp0945 外観は右写真の通りで、なかなか規模は大きい。H-IIBロケットの実機のテスト用試験機が玄関口に置かれていた(当然だが、実機は打ち上げると宇宙空間に捨てられるので残っていない)。全体で50メートルくらいはありそうだ。ユニークな建物の球形ドームの上半分がプラネタリウムとなっている。

 科学館として、どんなコンセプトで来館者の興味を引こうとしているのか。それがひとめで分かる展示を見つけた。

 それが左下写真の

 自然を数字であらわす

というパネルである。重さ、長さ、時間の単位について、解説していた。

 おもしろいいざないであると感心した。

 ところが、この一見自明な考え方も、実は、歴史的にはなかなか理解されなかった。

 というのは、そもそも、数字であらわすためには、その前提として、

 Imgp1070 自然は数字であらわすことができる

という考え方がなければならない。そんれを見事に証明して見せたのは

 I.ニュートンの大著

 「自然哲学の数学的原理(プリンキピア)」(1987年、ラテン語)

である。古代ギリシャ以来、幾何学、つまりユークリッド幾何学では論証と証明ということで自然を理解していた。自然界は幾何学のように合理的にできていることは西欧人は古くから理解していた。

 それが、さらに、自然界のすべての現象は数字であらわすことができる。しかも、数学の式、数式であらわすことができるということを見事に実証してみせたのがニュートンなのだ。17世紀前半のガリレオなどもこれに近い認識を持ってはいたものの、それは幾何学的な比例の量(したがって幾何学同様、単位はない)についてであり、ニュートンのような単位を持つ絶対値の数式ではなかった。

 そんなことを考えながら、館内を一巡したのだが、開放的な休息コーナー(写真下)や、入り口玄関のエントランスホールのスペースを広く取り、多彩なイベントができるように工夫していたのが目を引いた。

 訪れた日のエントランスホールでは、巨大なロケットエンジンの前で、コーラス講演会のような集いが行なわれており、来館者も熱心に聞き入っていた(写真最下段)

 浜松科学館は、これらの点では、ずいぶん見劣りすると感じた。

 Imgp1064  Imgp1071 

Imgp1077_1 

 

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日本の科学者たちはアメリカと闘った

Dsc02364 (2013.09.30)  先日のこのブログに、戦後の日本人は

 何のためにも闘ってこなかった

と主張するオリバー・ストーン監督の話を、好感をもって書いた。

 だが、必ずしも、そうではなかった。

 先日、NHKのEテレで放送された

 海の放射能に立ち向かった日本人

という番組で、そのことを知った。

 ● 死の灰と闘った三宅泰雄

 1954年3月の第五福竜丸「死の灰」事件(焼津市)直後、水産庁のビギニ調査船「俊鶻丸(しゅんこつまる)」に乗り込んだ科学者たち20数人は、実験の行なわれたビギニ環礁で放射能汚染状況を調査、その海洋汚染の実態をもとに水爆開発にひた走るアメリカとどう闘ったかというドキュメンタリーである。

 その科学者たちの先頭に立ったのが、気象庁気象研究所の三宅泰雄氏だった(当時は中央気象台研究部)。三宅氏の部下には、死の灰の詳細な分析結果を世界で初めて公表したことで知られる猿橋勝子氏がいた。

 この結果については、事件のちょうど1年後の1955年3月

 「ビギニ海域における放射能影響調査報告」( 写真上 )

というタイトルの水産庁調査報告書(代表= 三宅泰雄)としてまとめられた。実に素早い報告であることに驚くが、内容がまた驚くべきものだった。

 日本近海の放射性セシウム137は、アメリカが主張するような希釈拡散効果はなく、アメリカ側主張より数10倍も高濃度だった。放射能物質は薄まらず海流に乗ってそのまま近海にまでやってきていたというメカニズムまでが明らかになった。

 ● かつて学術会議も立ち上がった

  日本の科学者の国会とも言われる日本学術会議も動いた。

 Imgp1162_1 それが、

 「放射性物質の影響と利用に関する日米会議」

という報告(1954年11月、写真中)である。作成したのは、

 日本学術会議放射線影響調査特別委員会。

 この日米会議の席上、三宅氏が上記の調査結果を公表、アメリカ側をたじろがせたことを番組は紹介している(写真下)。

 すくなくともこの時期、1950年代半ば、科学者たちは堂々、アメリカと闘っていたことがわかる。

 この背景には、国内約3000万人から反核署名が集まり、ビギニ事件から1年後の1955年8月、広島市で原水爆禁止世界大会の第一回大会が開かれるなど反核運動が盛り上がったことがあろう。科学者たちを後押しした。

 ● かつては原発安全神話はなかった

 Imgp1160_1 科学者たちもまた、これにこたえた。

 「世界は恐怖する 放射能の正体」(亀井文夫監督、1957年)

も、こうした雰囲気の中でつくられた映画といえる。「死の灰」と闘う科学者たちの姿を追ったものである。

 こうした騒然とした中で、日米は

 日米原子力研究協定(1955年11月)

という名の原発同盟を締結。その後、日本は次第に対米従属関係を強化していく。こうした動きの一環として、根拠なき原発の安全神話が生まれてきた。

 つまり、

 かつては安全神話などはなかった

ということを忘れてはなるまい。むしろ、かつて日本の科学者たちは、原水爆の反核のために、死の灰の正体を世界に知らせるために、それらを振りまくアメリカと闘っていた。

  ● 補遺 

 俊鶻丸がビギニ環礁を調査していた時期は、アメリカ国内では首都、ワシントンで、いわゆる原爆の父、

 オッペンハイマー裁判(1954年4-6月)

が開かれていた時期とかさなる。赤狩りが吹き荒れるなか、R.オッペンハイマー博士は、水爆開発を遅らせ、ソ連を優位に立たせた共産主義者との嫌疑がかけられていた。結果は〝有罪〟。機密文書閲覧資格停止の撤回は認められなかった。

 このように第五福竜丸事件をめぐる背景には、アメリカがソ連をしのぐメガトン級核兵器開発に成功するなど、水爆開発競争にようやくソ連に追いついた矢先の緊張した国際情勢がある。つまり、単なる日本国内の事情や、ましてや単なる科学論争では解決できない事情があった。

 このことが、原子力の平和利用としての原発導入においても、対米従属、対国内政治従属を強いられる原因となっていった。つまり、国内政治が対米従属であるがゆえに、国内科学界もまた国内政治に従属を強いられたのである。ある意味、科学と政治の不幸な出合いとなった。

 わが国で初めての原子力予算が科学界には寝耳に水の突然に、しかも巨額で1954年3月の国会で成立したのは、この意味で象徴的な出来事だった。

 ● 注記

 31pcc551dgl__aa190__2 三宅泰雄氏には

 『死の灰と闘う科学者』(岩波新書青版、1972年)という著書がある。

 (写真は、いずれもNHK番組「海の放射能に立ち向かった日本人」の放送画面より)

 この本には、実際にビギニ環礁まで調査船で出かけていった岡野真治氏など22人の科学者の名簿が掲載されている。ここに再掲しておきたい。

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