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神は数学者か 超弦理論への道

Imgp0876  (2013.09.23)  先日、放送されたNHKスペシャル

 神の数式

という二夜連続の番組を拝見して、

 この宇宙を設計した神は数学者だったのだろうか

という感想を強く持った。

 言い換えれば、自然はなぜこれほどまでに数学的なのだろうかという驚嘆がここにはある。あるいは、神はなぜこれほど数学がお好きなのだろう。このようなやや難しい内容の企画が総合テレビで行なわれたのにも驚いた。

 極微を記述する量子力学の世界と、極大の宇宙を記述する相対論とを統合する数式、つまり万物を説明できる神の数式。その有力理論である壮大な宇宙理論、超弦理論への道のりを2夜で分かってもらおうという意欲的な数学エンターテインメントだった。

 企画は成功したといえるのではないか。

 今、理論物理学者たちが何に挑戦しているのか、過去の様子はどうだったのか。詳細はむろん無理にしても、ある程度はブログ子も理解できた。

 ● 今の数学でたどり着けるか

 ここでは、ブログ子の能力不足で、内容自身について逐一正確に説明できないのを恥ずかしく思う( 注記 )。

 ただ、超弦理論について、次のことは述べておきたい。

 理論構築の第一の仮定は、素粒子はこれまでのような部分を持たない「点」などではなく、部分を持つ何か、つまり「弦」であるというもの。基本粒子の素粒子すべてはこの一種類の何かからできているというシンプル性である。

 ここから、なんと重力が自然な、そして数学的な帰結として矛盾なく出てくる。こうなると、重力とは何かという深遠な問題が立ち上がってくる。

 もう一つの仮定は、光速の光子の静止質量はゼロというもの。ここから、理論はこれまでのような空間3次元というごく自然な枠組みなどではなく、必然的に(数学的に矛盾のない解として)9次元の空間という摩訶不思議な枠組みが構築される。

 この原因としては超弦理論がいまだ建設途中で、作業現場の雑然さが目立つということかもしれない。たとえば、宇宙の幾何学に偏りすぎており、時間、つまり宇宙の始まりのような問題は手付かずのような気がする。

 これが超弦理論のごく簡単な枠組みなのだが、こんな難しい数学的な話はこれくらいにして、こんなことはいえるのではないか。

 Imgp0853_1 神の数式は、現在の人類が手に入れた数学だけで表現できるのかどうか

という疑問だ。われわれの知らない数学分野が存在し、神はこの数学を使って宇宙をおつくりになった可能性である。

 さらに、いえば、現在の人類の進化段階の大脳では、とうてい理解が無理な数学で記述されている可能性だ。人類の大脳進化はたかだか500万年。神がこの程度の進化段階の人類の数学に合わせて宇宙を設計したとは考えにくい。

 たとえば、さらに1000万年ぐらいたち、大脳が1つではなく、進化して3つの頭脳になり、それらの相互作用の結果から生み出された数学理論が構築されて初めて、神の御心がわかるということはないのか。

 生物学的にいうと、脳の構造が脳の機能、たとえば数学的な論理を決めている。もっとはっきり言えば、現在の人類進化の段階では、決して到達できない数学が存在するということだ。構造が変化しないかぎり、機能も変化しないという、生物学的な限界がある。

 もちろん、限界をこえたこの超数学は現在到達しているわれわれの数学とは少しも矛盾はしない。が、想像を絶する異次元的な論理展開だろう。それでもなお、超数学にも論理一貫性と無矛盾性が、われわれの数学同様、保持されている。

  想像するに、1000万年後の幼稚園では、みんなで5次元のお絵かきをしましょうという遊びがあり、それこそ簡単なのでサクサクと子どもたちは描いているかもしれない。幼稚園も年長組になると、今住んでいる9次元の世界を6次元のカラビ-ヤウ空間を使ってコンパクト化するぬり絵遊びが教えられている。それが、すぐにはできず、しかられて泣く幼稚園児がいる。そんな想像すらしたくなる。

 番組を見終わって、このわたしたちの3次元宇宙のほかにも、異次元の宇宙たとえば、空間と時間合わせて5次元とか、10次元とかいう宇宙など、いろいろあるように思うようになった。

 ● 宇宙の果ては異次元?

 こう考えると、3次元宇宙だけしかない世界では存在しないはずの宇宙の果ては、異次元への入り口ということになる。

 いや待てよ、何も遠い宇宙の果てを考える必要はない。目の前の空間自身にも異次元宇宙の入り口があってもおかしくないことになる。

 この番組、見終わって、こんなことを考えていたら、なんだか眠くなってきた。

 注記

 代わりに、日本の宇宙物理学者、池内了さんの

 『物理学と神』(集英社新書)

 あるいは、現在連載中の

 集英社の読書情報誌「青春と読書」の

 宇宙論と神

を参考として挙げておきたい。9月号には

 神を追いつめて 島宇宙という考え

である。神はだんだんと物理学に追いつめられて、宇宙の遠くへ押しやられてしまったようにみえる。しかし、その遠くの極限、宇宙の始まりには神は、きちんと仕事をしておられるようにブログ子には思える。

 宇宙の始まりを考えることは、実は

 時間の本姓

を考えることでもある。空間というのは幻想であることを明らかにしたらしい超弦理論の最先端分野、それが時間とは何か、であるらしい。

 (写真下= 「神の数式 宇宙はなぜ生まれたのか」(9月22日夜NHK総合)の画面より。宇宙はなぜ-というタイトルに制作者の番組に対する並々ならぬ意欲がうかがえる。なんとかして神の御心に迫りたいという気概である。ただ、番組内では、この問いに直接答える場面はない。それでも、のんきで冗舌な哲学にはない迫真性が番組にはあった。それはごまかしのきかない数学という厳格な論理性のためだろう)

  ● 補遺 数学は発見か、それとも発明か

 神は数学者か、という問いかけと密接な関係の問いかけとして、

 数学は(ともとも自然界に存在するものの)発見か、それとも(人類が人工的につくりだした)発明か

というのがある。

 発見なら、数学は人類が誕生する前、たとえば1000万年前にも存在したことになる。だが、数学が発明されたものとなると、石器同様、人類が誕生したせいぜい500万年前くらいから登場したにすぎないことになる。

 果たして、どちらなのであろうか。

 そもそも、あれか、これかというこうした2項対立的な問いかけ自体が、この場合、適切なものかという問題もあることに注意。それぞれは数学の一側面にすぎない、全体ではないということはないのか。これが、もとの問いかけの核心だろう。

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