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人間合格の人生論

Imgp0757 (2013.09.26) 太宰治の生誕100年のせいなのか、最近、二つのテレビ局が、それぞれ同じ様な内容の番組を放送していた。

 『津軽』(1944年)を旅する

というものである。

 この作品は、太宰文学が確立する1940年代に書かれたもので、生まれ故郷、津軽を太宰自身が久方ぶりに訪れ、その思い出を風景と重ねてつづっている。

 太宰文学のうちには、豊かな旧家に長男ではない子として生まれたという、悲哀と、そして屈折した暗い部分がある。いずれの局のものも、文庫本の『津軽』を片手に俳優が、その屈折した暗い部分の原風景とは何だったのか、あらためて今考えてみようという趣向だった。

 ブログ子は、この番組に刺激されて、『津軽』を文庫本で読んでみた(写真上)。

 そして、ちょっと衝撃を受けた。この作品の最後が、

 「津軽の生きている雰囲気は、以上でだいたい語り尽くしたようにも思われる。私は虚飾を行わなかった。読者をだましはしなかった。さらば読者よ、命あらばまた他日。元気で行こう。絶望するな。では、失敬。」

で、閉じられていたからだ。この4年後、好評の自伝的小説『人間失格』(1948年)の完成と同時に、では、失敬とばかり、40歳そこそこで命を絶つのを自ら予告するような書き方なのである。

 ついに自らの宿命からは抜け出せず、それに押しつぶされたのかもしれない。

 ● 今、ここを生きる

Image1909  『津軽』を読んでいて、北陸出身のブログ子は、どうもどこかで読んだような暗さを感じていたのだが、読み終わるころになって、ふと気づいた。

 水上勉には、その文学を確立する1960年代に、自らのふるさと、若狭を訪ねて発表した

 『若狭 日本の風景を歩く』(2000年。初版定本は1968年)

という紀行文集がある。この本の、いわゆる腰巻には、

 「分か去れ」の国- 青松と紺青の海岸線に縁取られた、民話と信仰と貧の土地

とある。水上文学の原風景といってもいい作品だろう。

 貧農に生まれはしたが、水上もまた一家の長男ではない。そこにある種の暗さがあり、津軽にも共通するこのことに気づいたのだ。

 ● 太宰と水上との違い

 だが、しかし、暗さはあるが、水上は、若いころの生活苦や、高齢者になってからは何度もに病苦襲われ、闘いながら80歳すぎまで、ともかく生きた。その結果、ある種の高み、つまり、

 挫折も絶望も新たな活路に踏み出す扉

という人生観にたどり着いている。

 それが、

 『泥の花 「今、ここ」を生きる』(1999年)

という人生論だろう。道元のいう自力の生命論が展開されている。これを読むと、最晩年には、山荘のようなところに暮らしてはいたものの、若い人たちの支援を受けながら当時最先端のパソコンまで駆使して原稿を書いている。生きることに肯定的だった。

 太宰のはやすぎる晩年の生き方とはずいぶん違う。

 どう違うか、一言で言えば、こちらは、暗くても

 人間合格の人生論

だったような気がする。

 ともに暗さのなかで育ったのだが、たどり着いた生き方は180度違ったものになった。

 この違いは、どのような原因で起きたか。

 これには、もちろん二人の年齢差や時代背景もあるだろう。しかし、推測だが、ともに孤独ではあったろうが、太宰は社会から孤立していた。むしろ阻害されていたと感じていたかもしれない。太宰には、時事をテーマにした作品はほとんど見当たらず、むしろ観念的なものが多い。

 これに対し、水上は社会から孤立していなかった。このことは、水上の作品には、たとえば水俣病を告発した『海の牙』、そのほか数々の社会派推理小説を書き上げるなど、そのときどきの社会的なテーマと鋭く向き合っていたことと無縁ではないだろう。

 そういえば、水上の直木賞受賞作『雁の寺』もそんな作品と言えなくもない。

 水上の場合、そんな作品を書くことでざんげし、力を得ていた。そういえば、少し言いすぎだろうか。 

  Imgp0918

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