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2013年9月

キャパを支えた暗室助手、チーキ

Imgp1171_2 (2013.09.30) 以前、この欄で

 『キャパの十字架』のオリジナリティ

というのを書いた。キャパが撮ったとされる有名な「崩れ落ちる兵士」はいかに撮られたかという沢木耕太郎さんのテレビ推理ドキュメントについてのブログ子の批評である。

 沢木さんの推理はおもしろく、説得力も一定程度はある。労作ではある。がしかし、ネガの残っていないとされるこの有名なプリント写真の真相に迫るには、ネガの追跡をもっときちんとすべきではないか。プリントでは限界がある。

 なぜオリジナルのネガがなくなったのか、その謎の大事な追跡が沢木推理にはすっぽりと抜け落ちている。明確な言及がほとんどない。これでは推測の域を出ず、確定的なことは依然として分からない。そう指摘しておいた。

 ● メキシカン・スーツケース

 後日、これを読んだ映画通のある読者から、

 「メキシカン・スーツケース」(監督トリーシャ・ジフ)

というキャパとスペイン内戦についてのドキュメンタリー映画がまもなく公開されるので、見てはどうかというお便りをいただいた。

 Imgp1087_1 失われたはずの約4500枚のネガが、内戦から70年ぶりの2007年に発見された。その発見までの経緯とともに、ネガが映し出した内戦の様子のほうに力点をおいてドキュメンタリーとしてまとめたものであるというのだ。

 ブログ子にとって、スペイン内戦の詳細などさして知りたいとは思わなかった。だが、4500枚のネガ発見ということに引き付けられて、ひょっとすると何かもっとわかるかもしれないというあわい期待もあってわざわざ浜松から名古屋市まで見に出かけた( 訪れた名古屋シネマテークの外観と入口の写真は最下段 = 千種区今池1丁目 )

 シニア料金で1000円かかったが、結論を先に言えば、出かけてよかった。パリ在住で、キャパから送られてくるフイルムの現像を担当していた暗室助手の名前が

 チーキ、こと イメレ“チーキ”バイス

ということが分かった(どうしてこういう“”のような書き方をするのかは不明)からだ。ただし、残念なことに、映画では、「崩れ落ちる兵士」のネガは映し出されなかった。が、その代わり、よく知られた印画プリントのほうが数秒間だけスクリーンに映し出された。つまり、見つかった4500枚のネガの中には、この有名な写真のネガは含まれていなかったことになる。

  さて、映画では、暗室助手はもっぱらチーキと呼ばれていた。性格としては人付き合いが悪く、内気な人柄だったようだが、キャパの信頼はあつかったらしい。

 キャパが撮り、あとはすべてチーキがやった

と映画では語られていた。また、チーキは〝キャパの奴隷〟だったとも語られていた。

 だったとしたら、チーキこそ、「崩れ落ちる兵士」のネガの行方もなにがしか知っているはずだ。なにしろ、ドイツがフランスに侵攻してきたとき、チーキは、危険を感じ取り、ネガを避難させるため、

 3つの箱に丁寧に入れ、それを持って自転車でパリを離れたらしい

というのだから。その几帳面さはそれぞれのケースの様子からもうかがえる。そして、亡命者とともに、ネガの入った3つの箱もメキシコに持ち込まれたらしい。これらこそ、後に

 メキシカン・スーツケース

と呼ばれることになったものだった( 写真上= 発見当初の様子。映画「メキシカン・スーツケース」のパンフレットの一部を撮影 )。

 ● チーキと呼ばれた「第4の男」

 このスーツケースの発見で、これまでキャパの撮った写真と漠然と思われていたものが、実は、

同僚の

 ゲルダ・タロウやデイビット・シーモア“シム”

の仕事だったことも分かったという。その意味で、

 チーキは第4の男

といっていいのではないか。賞賛に値する仕事をしたと思う。

 繰り返すが、この映画を見てよかったと思う。

 なぜなら、いつかきっと、あの有名な「崩れ落ちる兵士」のもとの ネガフイルムも発見されるだろうという希望を持ったからだ。

 その時、初めて、写真の真実が分かるだろう。

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本当にあった開店と同時に満席の店

Imgp1092 (2013.09.30) 名古屋に所用で出かけた折、ふと、

 開店と同時に満席になる比較的に大きな居酒屋があると聞かされていたことを思い出し、立ち寄ってみた。

  名古屋市街の中心、広小路伏見の交差点角という立地。地下鉄の出入り口すぐ横という場所がいい。開店は夕方4時。まさか、まだ明るい土曜日夕方5時前に満席ということはあるまい。いくら老舗とはいえ、そんなことはないだろう、そう軽く考えていた。

 ところが、行ってみると玄関口に入りきらないサラリーマンがもう並んでいて、中は満席だった( その様子が写真トップ 。この「大甚」本店の外観は最下段の写真 )。

 仕方がないので、一階はあきらめて、二回に上がった。ここもかろうじて一席のみで、あわてて、そこにすべりみ、席を確保した。

 魅力はなにか、料理を楽しみながら、周りの様子をそれとなく観察し、あれこれ考えた。

 自分の好きなものをケースから取り出すといういたって気楽なシステムかもしれないと最初は思った。が、どうやら

 Imgp1104_1 大声で話しても一向にほかの人に迷惑にならない

という大人数の満席効果だろう。

 そうかとおもうと、隣の30代の男性はひとり、黙々と漫画本を読んでいる。それが一向に気にならない。

 大人数の満席なので、誰もそれぞれのお客を気にしない。これがなんともいい気分、ストレス解消になる。

 どの大テーブルも相席なのだが、なんだか、もう長い付き合いのような気分になる。

 それでいて、写真の酒と小皿で1600円ぐらいというのはサラリーマンには手ごろで、魅力だろう。

 そして、なんといっても、感心したのは

 Imgp1114_1_1_2 そのお勘定がいまどき、

 そろばん

だったことだ。それも、なんと、5つ玉そろばん。戦前に使われていたもので、この40年くらいはほとんど見かけない。それなのに、あまりに小気味よく計算するので、ついつい、見ほれてしまった。

 失礼とは思いながら、その様子を右のように写真に撮らせてもらった。

 一時間ほどでほろよい気分。外に出たら、まだ、明るかった。

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〝天文将軍〟はなぜ生まれたか  - 科学の変革力

(2013.09.27)  星空を見上げるのが大好きな少年という意味の天文少年というのは、いつの世にも多いだろう。

Imgp0895_1  しかし、大人になっても、なお天文好きというのは、珍しい。社会適応性が問題になり、家庭が乱れるかもしれない。ましてや、国を治める重責を担わなければならない立場に立たされて、なお夜空にロマンの夢をみているようでは、社会が乱れてしまう。

 ところが、

〝天文将軍〟

というのがいたというのだから、驚く。 先日、NHKのBSプレミアム「コズミックフロント」という番組で

 天文将軍、徳川吉宗

というのを放送していたのをみた。8代将軍、吉宗が江戸城内に天文台を設け、自らも日夜観測までしたという。

  そればかりか、昂じて観測のための屈折式の大きな天体望遠鏡までつくってしまったというのだ( その実物を調査する中村士氏(左)と冨田良雄氏(右) = 写真上。番組画面より。ダブルクリックで写真の拡大が可能 注記 )。

 番組では天文台の城内位置を示す絵図や詳細な観測日誌も紹介されていた。こうなると、この話は、まぎれもない事実ということになる。推測なんかではない。

 さらに、この望遠鏡の復元作業から、吉宗は当時最先端の科学だった天文学の知識、とくに土星には輪があることを知ったであろうことも、紹介されていた。

 ● 見えないものを見る

 番組を見終わって、

 天文将軍はなぜ生まれたのか、この事実の現代的な意義は何か

について、考えてみたくなった。

 結論を先に言ってしまえば、

 科学の好奇心には変革力がある

ということだ。もうひとつ、紀州家出身の吉宗しかり、水戸家から迎えられた最後の将軍、慶喜しかり、

 変革力のある人材は主流(宗家)から外れたところから出てくる

ということだ。

 7代、家継までの将軍はすべて徳川宗家(将軍家)出身であり、それも、家康が定めた親から(長)子への長幼の序が基本。これでは、いつかは幕政が因習にがんじがらめになり行き詰るのも当然である。

 そこで財政再建を柱とする幕政の立て直し、つまり享保の改革の旗手の期待を担って登場したのが、宗家ではない紀州徳川家の藩主だった。過去の因習を断ち切る血も出る改革にはその当時の主流派ではそもそも無理なのだ。

 幕政改革の土台として改暦に目をつけ、天文台をつくり、自ら率先垂範したのは、吉宗の英明さであろう。トップの断固たる決意なくして改革なしというわけである。この意味で、吉宗は

 単なるロマンの天文将軍

なんかではなかったといえよう。天空を見上げた地上の改革者だったのだ。

 もちろん、時代が追い風になったことも否めないであろう。

 『プリンキピア(自然哲学の数学的原理)』(1687年、第二版1713年)

などで知られるI.ニュートンという大科学者と同時代であったという幸運である。

 ニュートンは、物理現象は多弁や思弁ではなく、簡潔な数学によって厳格に表現できることを具体的かつ厳密にこの大著で提示した。その同時代に吉宗は生まれた。

 この思想がどの程度、江戸時代に入り込んできたかは必ずしも明確ではないかもしれないが、この時代精神こそが吉宗の

 「数」による改革、理にかなった科学による改革

の土台になったことは否めないであろう。このことは、吉宗の天文観測の詳細な数字記録からも十分にうかがえる。

 改革には、見えるものだけを見るのではなく、見えないものを見る洞察力が要る。その洞察力を吉宗は、

 見えないものを見えるようにする望遠鏡

から学んだのであろう。科学の、望遠鏡の変革力である。

  吉宗にとって幸運だったのは、それをつくることのできるものづくりの技術力が国内にあったことだろう。

 17世紀の西欧科学革命は、この科学の変革力を持った望遠鏡をガリレオ・ガリレイが天空に向けたときから始まったことはよく知られている。

 それはさておき、吉宗改革もその後紀州家出身の将軍が続き、100年後の幕末には、これまた改革を迫られる。江戸幕府を終焉に導く最後の将軍、水戸家出身初の15代、慶喜である。

 ● 天文将軍の現代的意義

 この番組をみてつくづく思うのは、

 いつの世も、政治指導者は、財政再建など行き詰った政治を改革するには、技術力だけでなく、その土台となる好奇心という科学の変革力をおおいに活用すべきである

ということだった。ましてや、科学・技術立国をめざすというのならば、そうであろう

 天文将軍の生き方は、現代の政治家にも十分に通じる。

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( 写真下=  江戸城内に天文台があったことを示す新発見の絵図。番組画面より。 )

 ● 注記

 望遠鏡の口径は73ミリメートル。実物は

 長崎県立長崎歴史文化博物館(長崎市)内にあり、個人所蔵。

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人間合格の人生論

Imgp0757 (2013.09.26) 太宰治の生誕100年のせいなのか、最近、二つのテレビ局が、それぞれ同じ様な内容の番組を放送していた。

 『津軽』(1944年)を旅する

というものである。

 この作品は、太宰文学が確立する1940年代に書かれたもので、生まれ故郷、津軽を太宰自身が久方ぶりに訪れ、その思い出を風景と重ねてつづっている。

 太宰文学のうちには、豊かな旧家に長男ではない子として生まれたという、悲哀と、そして屈折した暗い部分がある。いずれの局のものも、文庫本の『津軽』を片手に俳優が、その屈折した暗い部分の原風景とは何だったのか、あらためて今考えてみようという趣向だった。

 ブログ子は、この番組に刺激されて、『津軽』を文庫本で読んでみた(写真上)。

 そして、ちょっと衝撃を受けた。この作品の最後が、

 「津軽の生きている雰囲気は、以上でだいたい語り尽くしたようにも思われる。私は虚飾を行わなかった。読者をだましはしなかった。さらば読者よ、命あらばまた他日。元気で行こう。絶望するな。では、失敬。」

で、閉じられていたからだ。この4年後、好評の自伝的小説『人間失格』(1948年)の完成と同時に、では、失敬とばかり、40歳そこそこで命を絶つのを自ら予告するような書き方なのである。

 ついに自らの宿命からは抜け出せず、それに押しつぶされたのかもしれない。

 ● 今、ここを生きる

Image1909  『津軽』を読んでいて、北陸出身のブログ子は、どうもどこかで読んだような暗さを感じていたのだが、読み終わるころになって、ふと気づいた。

 水上勉には、その文学を確立する1960年代に、自らのふるさと、若狭を訪ねて発表した

 『若狭 日本の風景を歩く』(2000年。初版定本は1968年)

という紀行文集がある。この本の、いわゆる腰巻には、

 「分か去れ」の国- 青松と紺青の海岸線に縁取られた、民話と信仰と貧の土地

とある。水上文学の原風景といってもいい作品だろう。

 貧農に生まれはしたが、水上もまた一家の長男ではない。そこにある種の暗さがあり、津軽にも共通するこのことに気づいたのだ。

 ● 太宰と水上との違い

 だが、しかし、暗さはあるが、水上は、若いころの生活苦や、高齢者になってからは何度もに病苦襲われ、闘いながら80歳すぎまで、ともかく生きた。その結果、ある種の高み、つまり、

 挫折も絶望も新たな活路に踏み出す扉

という人生観にたどり着いている。

 それが、

 『泥の花 「今、ここ」を生きる』(1999年)

という人生論だろう。道元のいう自力の生命論が展開されている。これを読むと、最晩年には、山荘のようなところに暮らしてはいたものの、若い人たちの支援を受けながら当時最先端のパソコンまで駆使して原稿を書いている。生きることに肯定的だった。

 太宰のはやすぎる晩年の生き方とはずいぶん違う。

 どう違うか、一言で言えば、こちらは、暗くても

 人間合格の人生論

だったような気がする。

 ともに暗さのなかで育ったのだが、たどり着いた生き方は180度違ったものになった。

 この違いは、どのような原因で起きたか。

 これには、もちろん二人の年齢差や時代背景もあるだろう。しかし、推測だが、ともに孤独ではあったろうが、太宰は社会から孤立していた。むしろ阻害されていたと感じていたかもしれない。太宰には、時事をテーマにした作品はほとんど見当たらず、むしろ観念的なものが多い。

 これに対し、水上は社会から孤立していなかった。このことは、水上の作品には、たとえば水俣病を告発した『海の牙』、そのほか数々の社会派推理小説を書き上げるなど、そのときどきの社会的なテーマと鋭く向き合っていたことと無縁ではないだろう。

 そういえば、水上の直木賞受賞作『雁の寺』もそんな作品と言えなくもない。

 水上の場合、そんな作品を書くことでざんげし、力を得ていた。そういえば、少し言いすぎだろうか。 

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神は数学者か 超弦理論への道

Imgp0876  (2013.09.23)  先日、放送されたNHKスペシャル

 神の数式

という二夜連続の番組を拝見して、

 この宇宙を設計した神は数学者だったのだろうか

という感想を強く持った。

 言い換えれば、自然はなぜこれほどまでに数学的なのだろうかという驚嘆がここにはある。あるいは、神はなぜこれほど数学がお好きなのだろう。このようなやや難しい内容の企画が総合テレビで行なわれたのにも驚いた。

 極微を記述する量子力学の世界と、極大の宇宙を記述する相対論とを統合する数式、つまり万物を説明できる神の数式。その有力理論である壮大な宇宙理論、超弦理論への道のりを2夜で分かってもらおうという意欲的な数学エンターテインメントだった。

 企画は成功したといえるのではないか。

 今、理論物理学者たちが何に挑戦しているのか、過去の様子はどうだったのか。詳細はむろん無理にしても、ある程度はブログ子も理解できた。

 ● 今の数学でたどり着けるか

 ここでは、ブログ子の能力不足で、内容自身について逐一正確に説明できないのを恥ずかしく思う( 注記 )。

 ただ、超弦理論について、次のことは述べておきたい。

 理論構築の第一の仮定は、素粒子はこれまでのような部分を持たない「点」などではなく、部分を持つ何か、つまり「弦」であるというもの。基本粒子の素粒子すべてはこの一種類の何かからできているというシンプル性である。

 ここから、なんと重力が自然な、そして数学的な帰結として矛盾なく出てくる。こうなると、重力とは何かという深遠な問題が立ち上がってくる。

 もう一つの仮定は、光速の光子の静止質量はゼロというもの。ここから、理論はこれまでのような空間3次元というごく自然な枠組みなどではなく、必然的に(数学的に矛盾のない解として)9次元の空間という摩訶不思議な枠組みが構築される。

 この原因としては超弦理論がいまだ建設途中で、作業現場の雑然さが目立つということかもしれない。たとえば、宇宙の幾何学に偏りすぎており、時間、つまり宇宙の始まりのような問題は手付かずのような気がする。

 これが超弦理論のごく簡単な枠組みなのだが、こんな難しい数学的な話はこれくらいにして、こんなことはいえるのではないか。

 Imgp0853_1 神の数式は、現在の人類が手に入れた数学だけで表現できるのかどうか

という疑問だ。われわれの知らない数学分野が存在し、神はこの数学を使って宇宙をおつくりになった可能性である。

 さらに、いえば、現在の人類の進化段階の大脳では、とうてい理解が無理な数学で記述されている可能性だ。人類の大脳進化はたかだか500万年。神がこの程度の進化段階の人類の数学に合わせて宇宙を設計したとは考えにくい。

 たとえば、さらに1000万年ぐらいたち、大脳が1つではなく、進化して3つの頭脳になり、それらの相互作用の結果から生み出された数学理論が構築されて初めて、神の御心がわかるということはないのか。

 生物学的にいうと、脳の構造が脳の機能、たとえば数学的な論理を決めている。もっとはっきり言えば、現在の人類進化の段階では、決して到達できない数学が存在するということだ。構造が変化しないかぎり、機能も変化しないという、生物学的な限界がある。

 もちろん、限界をこえたこの超数学は現在到達しているわれわれの数学とは少しも矛盾はしない。が、想像を絶する異次元的な論理展開だろう。それでもなお、超数学にも論理一貫性と無矛盾性が、われわれの数学同様、保持されている。

  想像するに、1000万年後の幼稚園では、みんなで5次元のお絵かきをしましょうという遊びがあり、それこそ簡単なのでサクサクと子どもたちは描いているかもしれない。幼稚園も年長組になると、今住んでいる9次元の世界を6次元のカラビ-ヤウ空間を使ってコンパクト化するぬり絵遊びが教えられている。それが、すぐにはできず、しかられて泣く幼稚園児がいる。そんな想像すらしたくなる。

 番組を見終わって、このわたしたちの3次元宇宙のほかにも、異次元の宇宙たとえば、空間と時間合わせて5次元とか、10次元とかいう宇宙など、いろいろあるように思うようになった。

 ● 宇宙の果ては異次元?

 こう考えると、3次元宇宙だけしかない世界では存在しないはずの宇宙の果ては、異次元への入り口ということになる。

 いや待てよ、何も遠い宇宙の果てを考える必要はない。目の前の空間自身にも異次元宇宙の入り口があってもおかしくないことになる。

 この番組、見終わって、こんなことを考えていたら、なんだか眠くなってきた。

 注記

 代わりに、日本の宇宙物理学者、池内了さんの

 『物理学と神』(集英社新書)

 あるいは、現在連載中の

 集英社の読書情報誌「青春と読書」の

 宇宙論と神

を参考として挙げておきたい。9月号には

 神を追いつめて 島宇宙という考え

である。神はだんだんと物理学に追いつめられて、宇宙の遠くへ押しやられてしまったようにみえる。しかし、その遠くの極限、宇宙の始まりには神は、きちんと仕事をしておられるようにブログ子には思える。

 宇宙の始まりを考えることは、実は

 時間の本姓

を考えることでもある。空間というのは幻想であることを明らかにしたらしい超弦理論の最先端分野、それが時間とは何か、であるらしい。

 (写真下= 「神の数式 宇宙はなぜ生まれたのか」(9月22日夜NHK総合)の画面より。宇宙はなぜ-というタイトルに制作者の番組に対する並々ならぬ意欲がうかがえる。なんとかして神の御心に迫りたいという気概である。ただ、番組内では、この問いに直接答える場面はない。それでも、のんきで冗舌な哲学にはない迫真性が番組にはあった。それはごまかしのきかない数学という厳格な論理性のためだろう)

  ● 補遺 数学は発見か、それとも発明か

 神は数学者か、という問いかけと密接な関係の問いかけとして、

 数学は(ともとも自然界に存在するものの)発見か、それとも(人類が人工的につくりだした)発明か

というのがある。

 発見なら、数学は人類が誕生する前、たとえば1000万年前にも存在したことになる。だが、数学が発明されたものとなると、石器同様、人類が誕生したせいぜい500万年前くらいから登場したにすぎないことになる。

 果たして、どちらなのであろうか。

 そもそも、あれか、これかというこうした2項対立的な問いかけ自体が、この場合、適切なものかという問題もあることに注意。それぞれは数学の一側面にすぎない、全体ではないということはないのか。これが、もとの問いかけの核心だろう。

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「リニア」は儲けなくてもいい  -  南海トラフ巨大地震対策である

Imgp0754   (2013.09.23)  基本計画から40年、JR東海は、東京・品川-名古屋間で2027年の開業を目指すリニア中央新幹線の環境影響評価書の準備書を公表した(写真上= 2013年9月19日付毎日新聞朝刊)。

 その中で、同社は詳細な走行ルートと中間駅の所在地を明らかにした。

● 見事な静岡県外し

 4つの中間駅の所在地をみると、このリニア計画では、県内には駅をつくらないなど静岡県外しが徹底している。立地のほとんどは、南海トラフ巨大地震ではせいぜい震度5か、名古屋付近では震度6弱までであり、巨大地震に十分耐えられるのがミソ。

 はっきり言えば、いざ「その時」に備えたJR東海の生き残り戦略なのである。

 表向き、JR東海は、東海地震、あるいは近づく南海トラフ地震について、ゆれや津波面では新幹線の全線に対して「安全宣言」を出している。

 しかし地震にともなう浜岡原発、あるいは富士山噴火、大津波という複合災害にまで耐えられるかどうかは不明というのが正直なところだろう。

 東海道新幹線がいたるところで破壊されれば、JR東海はもちろん、今のままでは日本の動脈は東西に分断されて、日本経済は大打撃を受ける。〝日本沈没〟のような事態に陥る。

 その意味では、経済性とか、より速くというのは二の次なのだ。より速くではなく、

 東西日本の結びつきをより強く

という社会的な要請がリニアにはある。

 つまり、大損はこまるが、もうけなくてもいいリニア新幹線なのである。

 それには、いざ「その時」のために、リニア路線には、現行の新幹線車両が走行できるようにしておく必要があろう。これは、JR東海の生き残りの絶対条件である。

 数十年後には、ほぼ確実にやってくる南海トラフ巨大地震に何とか全線開業を間に合わせ、海岸沿いに走る東海道線や新幹線の代替役を果たしてもらうには、着工は今がぎりぎりの、もう待てない、いわばタイムリミットなのである。

 ● もともとアメリカで構想、ドイツは中止

 リニア新幹線については、もともと1960年代、アメリカで構想された。しかし、その後、アメリカでも、ドイツでも検討されたが、経済性という観点から、計画が計画段階で中止された。

 しかし、以上のように、日本には高い鉄道技術があるだけではなく、南海トラフ巨大地震が近づいているという事情があることを見逃してはなるまい。

 したがって、浜松市に暮らすブログ子は、静岡県内には駅をつくられない、そして海側を避け、一見遠回りにみえるリニア山側新幹線はぜひとも必要と考えている。

 ● 成功の3条件とは

 先日、BS-朝日の

 午後のニュースルーム

で、計画に疑問を投げかけている橋山礼治郎氏を迎え、リニア新幹線の成功の条件というテーマで、その問題点を議論していた(写真下)。橋山氏は、巨大プロジェクトの成否の調査を長年手がけている専門家で、現在、千葉商科大大学院客員教授。

 橋山氏は、プロジェクト成功の3条件として

 経済性、技術的信頼性、環境適応性

を挙げる。そこから、より速くという発想ではもはや鉄道分野では成功はおぼつかない主張し、計画の成功を疑問視していた。これに対し、東海道新幹線は見事にこれらの条件を満たし、大成功したというわけだ。

 Imgp0774_13_2 だから、ブログ子は、環境適応性として、スピードは「従」であり、南海トラフ巨大地震という環境の適応性のほうを最優先にすべきであると考えている。

 中止となったアメリカやドイツとは事情が違うという点を忘れてはなるまい。これらの国がダメだったから、日本もダメというのは早計だろう。

 この備えの意味で、リニア建設費9兆円は、日本沈没を食い止める費用としては、ずいぶんと安い投資だと思う。大赤字にならない程度で、十分に日本を救える。

 (写真左上 = 9月20日放送のBS朝日1「午後のニュースルーム」のテレビ画面より) 

 ● 補遺 JR東海の狙い

 当のJR東海のリニアに対する期待、あるいは狙いについては、2014年10月1日付中日新聞「総合面」に記事が出ている。

 参考のため、以下に掲載する。

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未来をひらくヒント

(2013.09.22)  ブログ子も今月から高齢者の仲間入りをしたのだが、そして、現役時代から、うつ病の気があるのだが、つくづく思うのは

 気持ちを明るく切り替えることが未来を拓く元である

ということだ。十数年前にこの言葉に出合った。いまでも正しいと信じている。

 そんな思いでいたら、

 「PHPアーカイブス」(10月増刊号、2013年)

の特集

 未来をひらく決断のヒント

に、なくなったジャーナリストでニュースキャスターの筑紫哲也さんが

 「苦」と「労」

というタイトルの一文をかつて同月刊誌に寄せていたことを知った。

 自分が心身症であったことをあれこれ語った後で、次のように締めくくっていた。

 「「苦」と「労」を重ねて苦労という。自分の置かれた状況を「苦」にする形の苦労はマイナスの傷を残す。(中略) 気の持ちようで、苦労の仕方、その結果も天と地ほど違うのではないか。」

 状況を苦にする形の苦労というのは、持病の心身症であれこれ悩む苦労を指すのだろう。筑紫さんは、これでずいぶん苦労したらしいことが、この寄稿文からうかがえる。

 では、状況を「楽」にする形の苦労というのは、何だろうか。

 ● 苦労があってこその人生

 筑紫さんは、明示的には書いていないが、文章の前後関係から、

 成果をもたらすプラス思考

と言いたかったように思う。

 これは、ブログ子の持論

 気持ちを明るく切り替える

という苦労に通じる。

 これは楽観主義と刹那主義がない交ぜになった「人生、成り行き」、あるいはケセラセラというのとは違う。

 気持ちを明るいほうに切り替えるには、決断が要る。時には、愛するものを突き放すような決断も要る。時には、NO!という覚悟も要るからだ。

 高齢者になって、ますますそう思うようになった。

 そして、人生の価値とは、プラス思考で

 決断の要る苦労とどう付き合っていくのか

というプロセスなのだ。決断の要らない人生とはなんぞや、というわけだ。

 このことが、年を取るにつれて、少しずつではあるが、理解できるようになってきた。

 苦労があってこその人生

 そう気持ちを明るく切り替えたい。

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「日本政府だけではもう無理」と英科学誌  - 汚染水問題

Imgp0756 (2013.09.20) 国際的な科学雑誌「ネイチャー」9月5日号が福島原発汚染水問題で、

  日本は海外の専門家に助けをもとめるべきだ

という論説を掲げた。新聞なら社説にあたる

   EDITORIALS

という欄。後手後手の対策の東電や、お粗末な指導力の日本政府の対応に、いらだったのか、

 「もう政府だけでは対応は無理」

といわんばかりなのだ。

 具体的には、写真上に示した

 2番目の論説がそれ。タイトルは

 Nuclear error (核エラー)

というもの。偶然の、あるいは不慮のAccident(事故)なんかではない。間違い、誤りのエラーだというのだ。原発事故後の対応のお粗末さ、誤りに対し皮肉った。というよりは、さすがの一流とされている上品な科学雑誌も、ここにきて業を煮やしたのだろう。

 海外メディアはこれまで

 事故を対岸の火事視

していた。だが、汚染水が太平洋に流れ出している。しかもコントロールできていないようにみえる。世界中の海が危ない。つまり火の粉がわが身に降りかかってきたという恐怖がこうした論説を書かせたのだろう( 注記 )。

 ● 5、6号機の廃炉要請した安倍首相

 この論説は、

 最後のほうに

 「最近、日本の安倍晋三首相と政府は-」

という形で、名指ししている。そして、そこで安倍首相は科学の振興に力を入れると約束しているのだから、科学者をサポートする体制を整えるべきだと痛いところを突いている。

 この論説に敏感に反応したのが、当の安倍首相。

 最近(9月19日)、福島原発の汚染水現場を視察した際、海外メディアの前で、

 政府が前面に出る。私(首相)が責任をもって(汚染水問題を)決定していきたい

と述べた。その上で、原発再稼動に積極的な首相の口から、事故対応に専念するためとして、なんと

 (点検中で無事だった)5号、6号機を廃炉にするよう東電に要請

した。その場の雰囲気からは、要請ではなく強制したようなものだろう。

 これに対し、現場で案内した広瀬直己東電社長は、即答は避けたものの、今年中に判断したいとかろうじて答えたという。

 首相がこうした強い決意をしたのは五輪招致の場で汚染水問題はコントロールできていると世界に向って見栄を切った手前もあるにちがいない。が、世界の科学者の多くが読んだ

 核エラー

の論説がこたえたからだろう。世界の一流科学雑誌から、これまでの対応は間違い、誤り、国際連携しろと、いわば満座のなかで面罵されたに等しいからだ。

 これでは、安倍首相も、思い切った決断を打ち出さざるを得まい。もう、兵力の小出し策はダメだと腹をくくる時に来ている。

 この首相の決断を高く評価したい。

 それにしても、「ネイチャー」論説の威力をあらためて知った。日本の大新聞の社説が束になっても、とうていこうはいくまい。

 ● 「ネイチャー」9月5日号論説の日本語訳

 ブログ子のつたない英文理解では心もとないので、次の和訳も参照されたい。

 http://yokofurukawa.tumblr.com/post/60466011377/9-5-nuclear-error 

 ● 「アエラ」9月23日号の巻頭コラム「eyes」(内田樹)

  自然科学誌が政府と東電の不行跡を論難する真意

Imgp0753_1というタイトルのコラム(写真下)も参考になる。

 しかし、見出しに出したその真意が明示的に本文に書かれていないのは残念。踏み込み不足。論説のポイントを突いていない。だから、何が言いたいのか、よくは分からなかった。

 しかし、文系の人が、ネイチャーの論説に敏感に反応したのは、さすがである。

 ● 注記 2013年9月25日

 ニュース雑誌「NEWSポストセブン」(9月25日配信)によると、原子力専門家、小出裕章氏(京都大学原子炉実験所)は、

「実際、福島から海に流れ出た放射性物質はアメリカ西海岸まで届いている。いずれ大西洋にも広がる。したがって海産物の汚染は避けられない」

と説明している。被ばくの危険度が高い子どもたちへの影響、つまりがんや白血病だけでなく、腰痛、高血圧、視覚障害などが増える心配があると警告している。

● 補遺 2013年10月11日記

 毎日新聞朝刊(2013年10月11日付、総合・経済面)を読んで、このNatureの論説がいかに国際的に支持されているかを知った。

 記事の見出しは

 汚染水漏れ対策/「海外と連携を」

 IAEA天野事務局長

というもので、これはまったく「Nature」論説と同じ趣旨。記事を読むと、中身まで同じなのだ。

 この記事によると、世界の原子力規制の元締め、国際原子力機関の事務局長は、東京都内の「アジア調査会」で講演、日本は汚染水対策については海外と連携を、と訴えた。さらに第一原発廃炉についても

 「外国と一緒にやるべきだ。日本だけでやりそうな気配になっているが、それだけはやめてもらいたい。世界の英知を集めて行なうべきだ」

と強調した。というか、危なっかしくてみていられないので、クギをさしたというべきだろう。

 この件については、原子力規制委員会の田中俊一委員長との会談でも、天野事務局長は同趣旨の発言を繰り返し、田中委員長もIAEAと協力して取り組みたい旨を天野事務局長に伝えていた。

 要するに、東電も頼りないが、もっとダメなのは日本原子力学会だということだろう。まったく無視されているか、素人同然の何も知らない子ども扱いされたということだ。

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永続敗戦論 その科学技術版が日米原子力協定

Image1896_3 (2013.09.16)  先日のこのブログ(9月9日付)で、オリバー・ストーン監督の原水爆禁止世界大会(広島市、8月6日)での厳しい日本批判スピーチ、

 戦後の日本人は何のためにも闘ってこなかった

というのを掲載した。それを受けて、ブログ子は、マスコミもそれに加担した責任があるとの持論を具体的に根拠を示して展開した。

 ● ストーン日本批判との類似性

 これを読んだある読者から、

 スピーチの言わんとするところは、今年3月に出版された

 『永続敗戦論 戦後日本の核心』(白井聡、太田出版)

の論旨と軌を一にする。あるいは共通認識に立っているのではないかとの指摘があり、ブログ子にそれについて見解を求められた。

 この本の著者は若き政治哲学者(文化学園大)なのだが、恥ずかしながら読んでおらず、早速読んでみた。

 そして、驚いた。

 アメリカ側からものをみているストーンスピーチとは、論理の展開の仕方が日本国内を重視して進められているなど少し異なる。が、言わんとすることは、

 日本人版「オリバー・ストーンスピーチ」

だということに気づいた。

 著者自身も認めているように、とりわけ新しい視点が披瀝されているわけではない。しかし、戦後日本を俯瞰して、個々の出来事を総合すると、そこから筋の通ったどんな政治哲学的な光景がみえてくるのか。その光景をズバリ指摘してみせた点が鋭い( 注記 )。

 見解を述べるのが少し長くなるので、先に結論を述べてしまうと、

 永続敗戦論の外交版が(旧)日米安保条約(1951年)だとするならば、

 永続敗戦論の科学・技術版は日米原子力(研究)協定(1955年)である

ということである。

 いずれも敗戦後の基本政策=国体となったという点でも、また、その目的も、交渉などの成立過程も、そして当時の米側の利害が日本にそのまま露骨に押し付けられたという点でも、さらに、そのゆがんだ極端な不平等性においても、ついには、その後のたどった改訂などの経緯と時期も、それらが今直面している現況すらまでもが、まるで軌を一にするかのように酷似している。

 敗戦を否定したのが外交版永続敗戦論なのだが、敗戦後の日本の原子力政策の基本、つまり核燃料サイクル政策は、「リスクを否定」する安全神話という国体の上に成り立っていた。

 なぜ安全神話が戦後日本には必要だったのだろうか。リスクゼロということを叫ばざるを得なかった理由は何か、という疑問である。

 ● なぜ安全神話が必要だったのか  

 この疑問と関係するが、上に述べた酷似といってもいい類似性は何を意味しているのだろうか。

 この点を論ずるにあたって、まず、著書で白井氏の言わんとするところを簡単に分かりやすく要約すると、こうなる-。

 日本は戦争に負けたのではない。終戦という形で戦争は終わったのだ。この敗戦を否認するがゆえに、否認を支える対米従属という敗北が日本では際限なく続いてきた。敗戦後ではなく戦後であり、終戦記念日とも言い換え続けてきた。この「永続敗戦論」が一貫して戦後日本の核心となった。

 ここが、敗北を認め、過去と決別した同じ敗戦国、ドイツの外交姿勢とは決定的に異なる。徹底した本土決戦となったドイツと、それがなかった日本とのその後の分岐点がここにある。

 そして、根拠のないゼロリスクという安全神話のなかで福島原発事故が不意打ちのように突然起きた。今、永続敗戦論という「侮辱のなかに生かされてきた」日本人は侮辱を原発事故にまざまざと見てとり、怒りの声をあげはじめている。

 侮辱と破たんは近隣諸国との領土問題しかり、集団的自衛権をめぐる安保同盟しかり、さまざまなところに、いまやみてとれる。それらは永続敗戦論の破たんの帰結である。

 ● 偶然ではない酷似

 要約はここまでなのだが、だから、日本人よ、立ち上がれと白井氏は言っているようにみえる。

 Image1904 永続敗戦論をながらく支えてきたのは日本の強い経済力であるという点も含めて、この論旨はおどろくほどストーンスピーチと酷似している。

 立場も世代も、そしてまた日本、アメリカというように国籍も異なる知識人からまったく独立に、しかも同時期に同じ論旨と帰結が導かれたというのは、これは、ただの偶然ではあるまい。

 偶然ではありえないことを裏付けるため、ここでは、白井氏は言及しなかったが、

 永続敗戦論の科学・技術版の実例として、

 日米原子力(研究)協定の発効(1955年)と、その後今日までたどってきた歴史を検証してみたい。

 ● 事なかれ主義と大樹の蔭の心性

 その前に、白井氏の永続敗戦論とストーン氏の

 戦後の日本人は何のためにも闘ってこなかった

という帰結とはどういう関係ととらえるべきなのかについて、少し突っ込んで明示的に考察しておきたい。類似性が鮮明になるからだ。

 それは敗戦を否認するのはなぜか、という問題に関係がある。

 この原因については白井氏は、たとえば敗戦後を戦後と巧みに言い代え続けてきたという事実などを提示してはいる。が、その背景に何があるかということまでは触れていない。すくなくとも明示していない。

 ブログ子は、この何かというのは

 誰も責任をとらない事なかれ主義

という日本人の心性だと思う。敗戦といったら、その敗戦の責任は誰が取るのかということを問わざるを得ない。終戦なら、あるいは戦後ならその必要はないからだ。この心性が強弁ではなく、無理なく自然にまかり通るためには、

 寄らば大樹の蔭

というもう一つの心性が必要になる。永続敗戦論が対米従属なのは、この意識がたくみに取り込まれているからだ。外圧がかかったとき、NOといえば、そこに言った人の責任が問われる。大樹の陰にいれば責任は問われない。責任は大樹がとればいい。つまり、これら二つの心性こそが、

 かくも長く続いてきた永続敗戦論の核心部分

だと思う。このセットになった心性こそ、ストーン演説の核心、つまり

 日本人は何のためにも闘ってこなかった正体

ということになる。大樹の陰にいただけであり、責任は大樹にある、というわけだ。

 ● 天皇制という無責任制度

 では、これら二つの心性はどこから醸成されてきたのだろうか。

 それは、神聖にして侵すべからずという天皇制という無責任制度からである。天皇の臣下である官僚が誰も責任をとらない事なかれ主義の根源がここにある。天皇の蔭にいただけであり、聖断は下った。俺たちには責任はない。この論理は、敗戦前はもちろん、戦中、敗戦後も一貫した日本人の心性として今日まで続いている。

 そこから、福島原発事故が、根拠のない、したがって誰も責任のとりようのない安全神話のなかで突然起きた。ゼロリスクのはずの大惨事がおきたのだから、偶然であるはずがない。起こるべくして起きた事故なのだ。

 ゼロリスクのはずなのに、なぜ大惨事が起きたのか。検察は刑事責任を問わないというのだ。なぜ責任の所在を公判で明らかにしようという分別がなかったのか。

 ストーン流に言えば、

 検察は何のためにも闘っていない

といわれても仕方があるまい。

 これこそ白井氏のいうように、国民に対する侮辱と言わずして何というべきか。

 ● 核燃料サイクルの破たん

 こうしたことは、何も検察だけではない。たとえば、この大事故への道となる最初の動きが、上記したように

 日米原子力研究協定

の外交交渉である。この協定がどういう経緯で結ばれることになったのかという点については、田中慎吾氏の

 日米原子力研究協定の成立

という最近の論文がある(写真下。『国際公共政策研究』(2009年、大阪大学) )。日本側から分析した交渉史であり、これがやがて3年後、基本的な考え方を踏襲したまま発電用原発も含めた一般協定として拡大改訂される(1958年)。そして、30年後の1988年に核燃料再処理プロセスも含めた新原子力協定へと協力関係が強化される。

 さて、注目してほしいのは、この研究を一般書である

 『安保条約の成立 吉田外交と天皇外交』(豊下楢彦、岩波新書、1996)

と読み比べてみることだ。

 アメリカが主導する形で、しかも、貸与する核燃料ウランをアメリカが管理、監督する方式で協定文書がまとめられたことがわかる。この協定により、アメリカ側からの商用原子炉の導入というアメリカ側の利害がそのまま、アメリカ側に従属する形で、その後の日本側の政策が決定されていく。

 ただ、アメリカはプルトニウム原爆の材料となり得るプルトニウムを抽出する再処理についても、連帯保証人にさえなって、使用済み核燃料の再処理工場建設を国際的に認めさせている。ドイツにはない異例の特別優遇措置である。裏を返せば、異例の従属関係の確立である。

 これにより、アメリカの原子力政策にはない

 Imgp0740 核燃料サイクル政策

が、日本の原子力政策の根幹となることが確定する。

 この協定は1988年7月

 新日米原子力協定

という形で新たなスタートを切る(写真下)。期間は30年、2018年まで続く新たな従属関係の強化がここに確立する。

 1988年といえば、チェルノブイリ事故の2年後。原発不信が世界的に盛り上がっていたにもかかわらず、

 ウランを燃やせば燃やすほどウラン燃料が増えるという夢の高速増殖炉原型炉「もんじゅ」づくり

が本格化していく。原子力協定を遵守する限り、使用済み燃料の中にたまる一方のプルトニウムを再処理し、夢の高速増殖炉で再利用する以外に選択肢はないという泥沼に、このサイクル政策により日本ははまり込む。

 それでも、日本(具体的には当時の科学技術庁)は高速増殖炉に突き進む。ある意味、原子力協定を結んだ段階で、そしてまた新協定がスタートした段階で、もはや必然的に増殖炉建設は義務付けられていたことになる。

 これこそ、対米従属の深み

というべきだろう。当のアメリカはこのアリ地獄を知っており、1970年代にプルトニウム発電という高速増殖炉開発やサイクル政策は完全に放棄している。にもかかわらず、日本には、やらせ続けていたのである。

 さらに言えば、新協定が再スタートした1988年というのは、ベルリンの壁崩壊の前年。冷戦が始まったころに始まった旧協定が、東西冷戦が終わろうとしている矢先でも、基本的にそのまま強化する形で再改定し、スタートさせるている。なんという事なかれ主義なのだろう。誰も責任をとらない事なかれ主義である。

 当然だが、その後、ゼロリスクのはずの、しかも資源小国日本にとって〝夢のような〟もんじゅ開発に限らず、サイクル政策のどのプロセスも行き詰った。

 Imgp0748_1_2 つまり、ウラン濃縮新場の建設と稼働も、再処理工場の稼働も、プルトニウムを軽水炉で再利用するプルサーマル技術も、そして、ついに確立したはずの軽水炉原発でも、福島原発事故を起こすなど、破たんしはじめている。

  ゼロリスクという幻想に基づく破たんである。言い換えれば、(科学技術庁官僚たちの)誰も責任をとらない事なかれ主義の結果でもある。

 自戒を込めて言うならば、サイクル政策を支え続けてきたのは、官僚たちだけでなく科学ジャーナリズムもまた一役買っていた、はっきり言えば太鼓をたたいていたことを忘れてはなるまい。

  より詳しい日米原子力同盟史については、最後に掲載した「補遺」

 日米原子力同盟史(共同通信=2013年7月3日付静岡新聞、原子力時代の死角)を参照してほしい。

 ● ドイツは90年代から本格的に脱原発

 このことを、同じ敗戦国、ドイツと比較すると、誰も責任をとらない事なかれ主義の日本との違いは鮮明だ。

 ドイツは1970年代にすでに反原発運動の全国的な広がりを見せた。

 しかし、脱原発の大方針を打ち出したのは、チェルノブイリ事故の翌年1987年。連邦議会(下院)選挙で結党まもない「緑の党」が大躍進、再生可能エネルギーの導入などドイツの脱原発政策が始まった。

 その後同党が政権入りしたこともあり、2002年には2022年ごろまでには原子力法で脱原発=すべての原発の閉鎖と廃炉を決め、今日に至っている。

 ドイツは早々と使用済み核燃料の再処理の道を放棄、核燃料サイクル政策から抜け出した。使用済み核燃料の直接地中処分を採用している。

 敗戦を受け入れたドイツでは、アメリカの利害の押付けに対して、日本にくらべて自立的だったのだ。

 その結果、日本のような

 「核燃料サイクル政策を推進するも地獄、やめるのも地獄」(ある原子力委員のインタビュー発言)

には陥っていない。

 原発基数でも、日本が福島原発事故の4基も含めて全部で54基なのに対し、ドイツは17基で3分の1にとどまっている(出力では2分の1)。

 このように、

 日米原子力協定を前提とする原発政策は、実は対米従属の象徴

なのだ。これは、

 日米原子力協定は科学・技術版「永続敗戦論」

とブログ子が主張する所以でもある。

  ● リスク否定の安全神話の正体

 さらに言えば、要するに

 寄らば大樹の陰という対米従属はいつまでも続く

との暗黙の前提が日本側にある。この点こそ、いま問題にすべきではないか。かつてあるとされた犠牲を強いる

 悠久の大義

などないことが敗戦で分かった。それと同様、いつまでも犠牲を強いる対米従属などないのではないか。

 対米従属という敗北が際限なく続く外交の典型例が

 アリ地獄のサイクル政策であり、その始まりは日米原子力(研究)協定

にまでさかのぼる。見事なまでの具体的で、今も生きている永続敗戦論が、そこにある。

 それが、いまや福島の大惨事でようやく、安全神話という

 押し付けられた「悠久の大義」

が終わろうとしている。

 そしてそこで気づいた。

 根拠のない安全神話がなぜ日本に必要だったのか。それは、日本が極端に対米従属しているという原子力協定から、リスクを否定することで国民の目をそらし、欺くために必要だったのだ。

 安全神話は、アメリカから50年以上も前に押し付けられたものだった。ここに安全神話の正体がある。

 とすれば、安全神話= リスクの否定を拒否し、脱原発という基本政策変更を問うには、協定期限の切れる

 5年後の2018年が日本の原子力政策の節目

に注目せざるを得ない。現在の協定を見直さない限り、原発政策の真の転換はないからだ。アリ地獄からはとうてい抜け出せない。

 つまり、ジグザグだったとはいえ10数年前からドイツが歩んできたように、事なかれ主義を排し対米従属関係を断ち切ることだ。

 ● 期限切れ2018年7月へ、真っ当な声上げる行動の時

 以上、安全神話とは「リスクの否認」であり、そこから敗戦の否認同様、さまざまな破たんがもたらされた。

 白井氏は著書執筆の動機として、最後に

 「いま必要なことは議論の目新しさではない。「真っ当な声」を一人でも多くの人が上げなければならない、という思いに駆られ」

たからだと吐露している。ストーン氏も同じ思いに駆られて、日本人に向けてスピーチをしたことは間違いない。

 ブログ子もこれらに賛成したい。2018年7月に向け、いま行動の時、目覚める時なのだと思う。

  いつの世にも、犠牲を強いる「悠久の大義」などない。

 永続敗戦論の結論だろう。

  ( 写真下は、2013年6月5日付中日新聞シリーズ特集「日米同盟と原発」より )

  ● 注記 

 個々の個人に焦点を当てた著作には、たとえば、

 『軍隊なき占領 戦後日本を操った男』(講談社、2003年)

などがある。男というのはハリー・カーンという人物である。あやしげな謀略史観、陰謀史観でもある。一方、戦後の冷戦の始まりが戦後GHQ政策の180度転換をうながしたという外圧史観もある。

 しかし、白井氏の論点は、それらとは違って、明示的には語っていないが、日本人の内部にこそ、無責任な、そして日本人自身を侮辱することになる積極的な敗戦否認の原因があったとする。ここが、無条件降伏から立ち上がったドイツの場合と決定的に異なる。

 はっきり言えば、外圧があったから仕方がなかったと、日本人は自分自身を偽ってはならないと指摘している。今回の著書で白井氏が問うているのは、日本人の心性の有り様なのだ。

 ● 注記2

  旧日米安保条約の交渉の基本的な考え方は、米側にとって、あくまで

 米軍の日本防衛のための日本駐留は「同情をもって考慮する用意のある」恩恵である

というものだ(上記『安保条約の成立』)。それも再軍備が前提という厳しいもの。日本側から基地を提供するから、代わりに日本防衛を担ってほしいという(ある意味むしのいい)日本側の期待とは程遠い従属関係なのだ。ここに条約の片務性の根源がある。

 同様に、日米原子力研究協定についても、米側からウランを貸与するのは、あくまでも日本への恩恵なのである。しかし、この恩恵は日本側が拒否することのできない、それも「同情をもって考慮する用意のある」施しだったことが、田中論文のポイントであると思う。田中氏は結論づけてはいないが、核のもう一つの側面、アメリカが軍縮・軍備管理という安全保障において日本を米側の思惑に組み込む算段の協定だった。

 このことは、以下のように、再処理をめぐる1980年代の日米外交攻防をみても、はっきりとかる。その結果が、1988年から今日まで続いている新日米原子力協定なのだ。

 核のエネルギー問題としての平和利用と、核の軍備管理という安全保障とがわかちがたく、リンクしている。このことが、アリ地獄のように、日本がますます対米従属を強いられていく原因になっている。

 ● 注記3

  1955年の旧日米原子力研究協定の結果、翌年、原子力基本法が成立。これに基づいて茨城県東海村に日本の原子力研究の拠点となる日本原子力研究所が発足する。商用原発の1号機、東海原発が運転を開始するのは1966年。2005年の省庁の統廃合で、現在は独立行政法人として日本原子力研究開発機構に改組された。

 事故を起こした高速増殖炉原型炉「もんじゅ」の事故後のずさんな安全管理が問題となり、2013年夏現在、開発機構は解体される見通しとなっている。

 ● 注記4

 Imgp1283_1 対米従属とともに、1950年代の日本の原子力研究論議がいかに

 対国内政治従属

でもあったかについては、渦中にあった三宅泰雄氏の

 『死の灰と闘う科学者』(岩波新書)

の第6章(科学と政治の不幸な出合い)に詳しい。降ってわいたような原子力予算の成立(1954年3月)がその象徴的な出来事。その後、日米原子力研究協定締結、日本原子力研究所設置、原子力委員会の設置などをめぐる経緯はこれまた政治従属の典型的な事例であったことがわかる。   

 ● 補遺 日米原子力同盟史

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 I09_20_0

  

  

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臨機応変 原発立地の刈羽村の言い分

(2013.09.14)  再生エ可能ネルギーの導入など、再稼動問題のなか脱原発依存度に向けた動きも活発化している。

 Imgp0682 そこで、原発立地自治体の生き残り策は今どうなっているか。7基と日本最大の原発をかかえている東京電力柏崎刈羽原発の地元、刈羽村の品田宏夫氏に、人気番組のBSフジ「プライムニュース」の反町キャスターがその本音を直撃していた(写真上= 9月13日夜の同番組画面から。右端が生出演の品田村長)。

 ● 村長がBS「プライムニュース」生出演

 さすがは、2000年初当選、現在4期目だけあって、これまでも原発問題で、もまれにもまれている猛者という印象を受けた。堂々としていて、もたつきがない。

 生き残りは、とキャスターが本音を引き出そうとしても、

 「臨機応変」

と涼しい顔。それはそうだろう。

 なにしろ、5000人くらいの住民、財政規模約60億円の自治体なのに、なんと100億円以上の、企業で言えば内部留保(貯金)があるお金持ち自治体なのだ。そのうえに、確かな将来に向けたさまざまな計画に対する積立金も着々と整えているという。

 したたか村長が最後の提言というか、一言が見事だった。

 再生エネルギーも大いに結構だが、

 「現実をみよ !」

と、刈羽原発から電力供給を受けている東京などの都会の不勉強をたしなめていた。のんきすぎるにもほどがあるというわけだ。ここから品田村長の覚悟と自信がわかった。

 ● 生き残り策は、高い自立度と廃炉交付金

 一方、片山善博元総務相(元鳥取県知事)の一言は

 「(財政の)自立度(を高めよ)」

というものだった。いかにも、自治体の声を束ねる総務省のトップを経験した人らしい意見だ。刈羽村はそのお手本だろう。

 最後に、出演していた専門家(財政学)は、脱原発依存度には

「廃炉交付金(の導入を)」

とフリップにしたためていた。

 Imgp0678_13z2 なるほど、脱原発も立地地元自治体にとっては、おいしい話なのだ。原発というリスクを減らしながら、しかも、それがまたお金になる。立地後の電源三法交付金と、撤退金としての廃炉交付金。2度もおいしい生き残り策だと気づいた。

 ● 安心して脱原発の筋道を

 そう考えてくると、品田さんの臨機応変という言葉は、その場のとりつくろいなどではなく本音なのだ。この言葉の意味するところが、より具体的にイメージできた生出演だった。撮り直しのきかない、そして本音が出やすい生出演のおもしろさだろう。

 これで安心して、脱原発= 原発依存度ゼロに向けて取り組めることがわかった。

 これからも、BS「プライムニュース」をみようという気になった。

  (写真下= 現実をみよ!   と主張する品田村長)

 ● 補遺 東海村の退任村長の4期16年 2013年9月29日

 9月29日夜の週刊BS-TBS報道部というニュース情報番組をみていたら、

 つい先日まで村長をつとめた東海村の退任村長、村上達也氏への

 脱原発を宣言するまでの4期16年を今振り返える

というインタビューが紹介されていた。東海村は、日本の原発推進を先頭に立って引っ張ってきた

 原子力の平和利用推進自治体

である。村民の多くもそのことを今も誇りに思い、顕彰している。同村長は、1999年のJCO臨界事故を村長として避難指示を出すなど苦い経験をしている。

 その果てに起きた福島原発事故でついに、脱原発宣言をしている。

 なぜ今、脱原発かという点について、地震国日本の狭い土地に原発が50基もあるというのはそもそも間違い、常軌を逸しているということに到達したらしい。

 その上で、というか、あまつさえ、事故は起きないものだとして、つまり、あくまでもありえない

 仮想事故

と称して、避難訓練をすることに対し不信感をいだいた。このことが宣言につながったことを淡々と語っていた。日本はなんという

 「うぬぼれの強い国」

なのかと、あきれていた。日本の安全対策は傲慢、欺瞞に満ちているという意味であり、正直な感慨だろう。原発の恐ろしさを知らない

 夜郎自大

といってもいいかもしれない。

 刈羽村の品田村長の発言も、東海村の前村長の発言も、今原発が置かれている現状を強く反映した重い真実であると思う。 

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世界のジャーナリストたちの〝戦場〟

(2013.09.13)  イラク戦争の開戦から10年ということで、BS1の世界のドキュメンタリーで

 ジャーナリストたちの〝戦場〟

という番組を放送していた(2011、ギリシャ)

  この戦争以来、戦場で命を落としたジャーナリストらメディア関係者は毎年、100人以上にのぼるらしい。昨年8月にシリアで銃撃されてなくなった山本美香さんも、その一人。

 そうした殉職した人たちも含めたジャーナリストたちの数々の証言は戦場のすさまじさをよく伝えていた。なにも従軍した側の〝敵〟から狙われるだけではない。味方からも

 いわば邪魔者は消せ

とばかり、銃撃されることも決して珍しいことではない。

 戦場とは、そういうものなのだということがわかる。人間の本性がむき出しになる。

 この番組を見終わって、ブログ子は、つぎのような感想を持ったことを記しておきたい。

 兵士の命を救うために医師や看護士が戦場には必要である。

 同様に、真実が葬られないために命をかけるジャーナリストもまた戦場には必要である。

 いずれがなくなっても、戦場は正義のない地獄と化す。

 ただ、いくら番組がヨーロッパで制作されたとはいえ、大新聞社に所属する日本人ジャーナリストが一人も番組で証言していなかったのは、とてもさびしかった。

 サラリーマンではできない職業だからだろう。 

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原発再稼動、泉田新潟県知事の言い分

(2013.09.11)  酒好きのブログ子としては、BS-TBSの

 Dsc02310吉田類の酒場放浪記(月曜日夜)

をこの4、5年、ちょくちょく見ている。先日も見ていたのだが、なんと、10周年記念番組を放送していたのにはビックリ。仕事しながら酒が飲めるなんていいなあ、いや、待てよ、酒を飲むときぐらい仕事を忘れたいねえ、とかなんとか思いながら、ついつい見てしまう。吉田類さんの人柄だろう。

 ● 稼げる「BSの時代」に

 でも、この人、なかなかの苦労人らしい。パリでシュール画家をしていたかと思うと、日本に戻り、イラストレーター業へ。そして、10数年前からは旅などのライター業。そして、処女作

 『立ち呑み詩人のすすめ』(同朋舎、2000年)

を出版。これが機縁で、番組がつくられ始めたらしい。いつも番組の最後に吉田さんの一句が添えられるのは、そのためらしい。

 週1本で10年というから、500回以上続いたことになる。BS放送というのは、赤字覚悟でなければつくれないと思っていたが、最近では、黒字経営が増えているらしい。そうでなければ10年も続くわけがない。いよいよ

 稼げる「BSの時代」

といいたいところだ。ブログ子もこのほか、

 プライムニュース(BSフジ)

などもよく拝見する。

 政治や経済のときどきのキーパースンをスタジオに招く。関連する識者も参加して討論方式でじっくりと話を聞く。キャスターの物怖じしない、また、忌憚なくこたえにくい質問も遠慮なく突きつけているのがいい。ヨイショ番組ではない。これが売りだ。

 他局もそんなフジをみならって、じっくり話を聞くBS番組が増えているような気がする。

 ● 筋の通った、まっとうな見識

 そんななかの一つに、BS朝日の

 午後のニュースルーム

がある。時の人、泉田裕彦新潟県知事に原発再稼動問題について、生出演で1時間にわたってキャスターが話を聞きただしていた( 写真 )。提言なども最後に語ってもらっている。

  泉田知事は、中越沖地震(震度7、2007年7月)の柏崎刈羽原発の火災事故の対応にも当たっている。それだけに、今回の再稼動にどういう意見を持っているのか、何かと話題の人でもあり、その言い分に注目した。

 Dsc02316_3 結論を先に言ってしまえば、

 筋の通った、まっとうな見解の持ち主

であるといえる。ともかく再稼動を急ぎたい国(経済産業省)、杓子定規な原子力規制委員会とスレ違いになるのも無理はないという印象を持った。

 スペースシャトルチャレンジャー号爆発事故

の原因追及など、巨大システムの組織事故についてなかなかよく勉強している。組織事故の問題点を知った上で具体的な対応にあたっていると感じた。単なる役人ではない。

 番組では、中越沖地震時の原発火災事故に対する東電の対応のまずさ、問題点を図や写真できちんと指摘していた( 写真上 )。

  その上で、再稼働の前提となる規制基準の適合審査のポイントとなる

 フィルター付ベント施設について東電側のこれまでの対応の問題点

を具体的にフリップで指摘。原子炉建屋とベント施設を一体化してほしいと訴えていた( 写真下 )。中越沖地震の教訓だろう。それがいまだにできていない。これでは再び大事故が起きかねない。安全・安心にはつながらないとの見方であろう。

 ● 07年の中越沖地震の経験生かせ

 最後に提言として、新潟県中越地震(2004年10月)と新潟中越沖地震(2007年7月)の二つの大地震を知事として体験したことを踏まえて、

 安全な原発運転には、まず今回の福島原発事故や中越沖地震時の火災事故など過去の経験を謙虚に受け止めた上で具体的な対策を講じること。

 しっかりしたシステムとか装置も大事だが、まず、安全を熟知し徹底できる人材の確保と養成が大事であること。

 最後に、事故を起こせば放射能を浴びるのは結局原発立地の地元であるということを十分に認識した上で、たとえばフィルター付ベント施設などの安全対策を実施すること

などを東電に求めていた。

 この提言のポイントは、

 再稼動は何が何でもダメ

といっているわけではない点( 注記 )。きちんと教訓を生かし、検証し、安全対策を施せといっているのだ。

 もっともで、まっとうな意見といえるだろう。

 泉田知事は京大法学部卒。元通産官僚出身で、2012年に知事3選を果たしている。県民の支持率も全国知事のなかでもトップクラス。

 ( 写真をダブルクリックすると拡大される。いずれも、9月11日のBS朝日「午後のニュース・ルーム」番組画面から ) 

  注記

 この点が、互いに情報交換をしているとはいえ、福島県知事の考え方とは大きく異なっている。福島県知事は、県内のすべての原発を廃炉にしてほしいと強く東電側に求めている。

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なぜ新聞だけが割引販売できないのか

Imgp0653_2 (2013.09.11)  東京から浜松までの新幹線車中で、久しぶりに夕刊紙

 日刊ゲンダイ

を丁寧に読んだ。ブログ子は、かつて若いころ3年ほど関西の夕刊紙に記者として働いたことがある。ので、夕刊紙については、どうしても思い入れがある。愛着がある。

 つくり方は30年前と基本的には変わっていないように思った。

 それでも、やはりというべきか一面トップには新趣向がある。

 手に取った9月9日付の1面は

 汚染水対策 重大欠陥

という大見出し。その見出しの中に、東京絶望? 招致3つの不安

という五輪記事の見出しが突っ込んである。新手法である。見出しの中に別の記事の見出しをいれる。30年前にはなかった。

 夕刊紙は一面の見出しが売れ行きを大きく左右するから、どうしても見出しを短く、訴求力のあるもので、アピールする。大きなニュースが2つあるときは、どちらをトップにするか迷う。そこで、先ほどのような手法が生まれたのであろう。天晴れである。もちろん、こんなことは大手紙にはない。

 そんなこともあり、ブログ子もつい、欲張った見出しにつられて買ってしまったというわけ。

 そんな中で、ブログ子が注目するのは、小さな囲み記事。これが夕刊紙では意外におもしろい。

 ● アイスクリームに賞味期限の表示がないのはなぜか

 たとえば、買った夕刊紙の中面囲み記事に

 街中の疑問 ?

というのがある(写真上= 9月9日付「日刊ゲンダイ」7面)。いわゆる街ダネなのだが、疑問という風に絞って、一工夫した。

 アイスクリームに賞味期限のないのはなぜ?

という記事である。確かにアイスクリームのたぐいには賞味期限は表示されていない。

 記事を読んでみると、

 国の省令や業界団体の規約で、表示の省略が認められているから

だという。これは知らなかった。なぜ省略が認められているのだろう。

 かつて昭和26年に厚生省が

 乳及び乳製品の成分規格等に関する省令

で賞味期限表示の省略を認めたかららしい。それが今も有効になっているというわけだ。

 事実、これに基づき、業界の

 アイスクリーム類及び氷菓の表示に関する公正競争規約

でも、表示を義務付ける項目から賞味期限が外されているという。マイナス18度以下で保存するため、原材料の化学的な変化はほとんどないというのが理由だろう。

 こういう背景があることを知っている消費者はほとんどいないだろう。

 ● 新聞は再販商品

 Image1114 業界では常識なのだが、一般消費者には、とんと気づかない社会的な決め事というのはあるものだ。そう思っていたら、はたと気づいた。

 新聞紙だけは定価販売が法律で義務付けられている

という事実をご存知だろうか。公正な競争を促す独占禁止法の極めてまれな例外事項であり、安売りは違法行為なのだ。 具体的には、新聞は

 再販売価格維持制度

で守られている、いわゆる再販商品なのだ。販売店やキオスクは、発行元の新聞社が決めた値段でしか、売れないのだ。売れ残るのを心配して、朝刊を夕方から半額セールしたいと思ってもこの法律と制度でできない。いくらで売ろうと、販売店の勝手、キオスクの勝手というわけにはいかないのだ。

 その理由は、新聞はリンゴやミカンと違って文化的な商品特性があるからだと説明されている。国民にあまねく情報を届けるために必要な商品特性があるというのが建前である。世界でこのような制度があるのは先進国では日本だけである。

 もちろん、本音は、業界の秩序を乱す値崩れはこまるというところにある。

 このことは、業界ではいつも気にしている常識。いつかはこの制度も廃止になるだろうと10年ほど前から、おびえている。しかし、一般消費者がこのことを知っているのはごくわずかだろう。

 なぜか。新聞社など新聞業界はそれこそ寝た子を起こすようなことをしたくないと考えているからだ。だから、紙面にもまず、これに関するニュースや問題点を紙面化することはほとんどない。たとえ、記事化したとしても、小さく、しかもそっけない扱いでやり過ごすのが常套手段。

 アイスクリーム業界も新聞業界も同じ穴のムジナと言ったら、きっとアイスクリーム業界は虚業と一緒にしてくれるな、と怒るだろう。 

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深海はなぜ生き物を巨大化させるのか

Imgp0624 (2013.09.10)  もし、100年以上前のかの有名な進化論のC.ダーウィンが、この特別展を見にきたとしたら、どんな感想をいだくだろうか。おそらく、頭をかかえて、

 ビーグル号に乗って世界の海を周航したが、もっと深海について調べておけばよかった

と反省したことだろう。

 「この特別展」というのは、今、国立科学博物館(東京・上野公園)で開かれている

 伝説の巨大ダイオウイカにあう「深海」 驚異の生き物たち

のことである。深海というのは、大陸棚より外の水深約200メートルより深い海のことらしい。会場に展示されていたこの巨大イカの大きさは、上の写真からもわかる。一言で言えば、

 海の恐竜

といったところだ。子どもたちが群がってのぞき込んでいたのも、当然かもしれない。

 それくらいに、深海というのは陸上とは違った神秘の領域であることを、ブログ子も会場を訪れてあらためて知った。

  ●生き物の垂直の食物連鎖

 Imgp0610_1 深海を理解するには、海の中の生き物が、食うか、食われるかという食物連鎖においてどのように生き延びているか、知る必要がある。水平な陸上の生き物とはずいぶん違う。

 これが第一のポイント。そのせいだろう、

 会場のはじめあたりに、写真のような

 生物の鉛直移動

というパネルがあったのはありがたかった(写真をダブルクリックすると拡大される。以下同様)。

 パネルの図は見事であり、わかりやすい。しかし、説明が少しわかりにくいので、わかりやすく言うと、次のような移動のサイクルのことだ。

 海面などの表層には海の栄養源、植物プランクトンが浮遊している。太陽の光を受け取りながら、せっせと光合成をして、酸素も作り出している。

 中層の動物プランクトンのなかには、この植物プランクトンのほかにもエサとなるたくさんの生き物がいる表層は魅力的だ。行きたい。しかし、うす暗い中層に比べ、光のある明るい表層はほかの生き物に食べられてしまう危険性が高い。

 そこで、中層性の生き物は夜、こっそり表層へ移動。おいしいエサをいただく。そして、夜が明けるころには、ふたたび中層に戻る。これなら安全だし、食べ物もいただける。

 ● サクラエビ、ホタルイカの世界

 この代表例が静岡県では駿河湾の名物、サクラエビ。だから、漁業はサクラエビが上がってくる夜が勝負だ。日本海側ではホタルイカ漁業だろう。

 このように日周移動する中層性の生き物同士も、食べたり、食べられたりの生存競争がある。中層では、なかなかプランクトンも落ちてこなくなり、競争が激しいからだ。

 同時に、さらに深い海底近くでは、ますますプランクトンのおこぼれに預かるチャンスも少なくなる。そこで、深海の底では中層性の生き物をエサとして下から狙うのである。これをたくみにかわすのも中層性の生き物の腕の見せ所。

 また、下層の深海生物にとっては、中層性の生き物は、表層からエサを毎日、毎夜周期的に運んできてくれるありがたい格好の運び屋なのだ。一番下の生き物にとっては、カモがネギを背負ってくるようにみえる。

 Imgp0639 このようにして、深海では乏しい酸素と乏しい食料のなかで、それぞれの環境に応じて、巧みな知恵比べで、生き抜いているのである。

 見事な垂直の食物連鎖

である。お天道さまに頼らない生活のメカニズムがそこにある。

 しかし、不思議なのは、ダイオウイカのように、食べ物の少ないはずの深海に、なぜ、エネルギーがたくさん要るはずの巨大な生き物が生息できるのか

ということだ。

 単純な進化論では説明が難しいだろう。深海には小さな生き物しか生息できないのではないか、という問題だ。

 Imgp0602_1

 深海には、ダイオウイカのほかにも、巨大なタカアシガニ( 写真中 )が展示されており、ご覧のように多くの入場者の目を引いていた。

  そのほかにも、解説パネルによると

 比較的に浅い層では、たとえば、有孔虫類が1センチ程度なのに、深海ではこれが10センチ以上にもなることが珍しくない。体積にすると1000倍も大きいことになる。

 Imgp0641_3 巨大化する

という展示パネルの下には、

 ダイオウグソクムシ(写真中)

の巨大な標本と、その横に普通の5ミリくらいの標本がならんでいた。どう見ても、別種のようにしかみえない。体積にすれば10万倍も違うだろう。

  このひとつの解釈としては、大きくなれば、ほかの生き物に食べられるという危険性は小さくなるというものだ。しかも、エサの取り方が効率的で巧みな種だけが巨大化したと考えれば、深海に巨大生き物が生息してもおかしくはない。

 しかし、それとても、そんな種というのは、そう多くはあるまい。

 ● 低い酸素濃度と巨大化

 深海は酸素供給は極端に少ない。巨大生物にとっては暮らしにくい環境だ。

 陸上の進化論では、大気中の酸素濃度が高くなればなるほど、その時代の生物の大きさは、化石の研究から、巨大化していることが実証されている。

 たとえば、酸素濃度が今より1.5倍も高かった3億年前くらいの石炭紀には、大型動物が続々と登場してきている。

 エサとりが上手な体型というのも、大事だろうが、

 酸素濃度の低い深海で、どのようにして生物は巨大化できるのか。

 会場の説明板には、こうした難点、あるいは疑問点にこたえるコメントや解説はなかったのが残念。

 生物の効率的な肺やエラの構造について、言及があったら、親切だったと思う。

 もっとも、そのことを研究するために深海の生物を生きたまま一気圧の海面に引き上げるのはなかなか難しいだろうとは思う。 今後の課題であり、成果を期待したい。

 ● なぜ深海生物は光るのか

 もう一つ、深い海のなかの生き物には

 Imgp0646 光る機能

をもっているものがいる点だ。それはなぜか。

 わざわざほかの生物の注意を引くような行動のように思える。しかし、それは、陸上生物の浅はかな考えらしい。

 深い海のなかの中層生物が、より深いところの敵から身を隠すため

 光る

のだという。どういうことか。

 深いところの敵が見上げると、中層の生き物の影が降り注ぐ太陽の光の中に映し出される危険性がある。これを回避するために、中層性の生き物は腹部一面から光を出し、影を消しているのだという。

 もし、これが事実だとしたら、驚くべきことだ。そう、進化論のダーウィンすらおどろくべき生き残り戦略だとして舌を巻いたことであろう。

 長い進化の過程で、そうした機能を突然変異を通じて、親から子へ、そして孫へと遺伝させていったものだけが、今日に生き残ってきたというわけだ。

 ● 主体性の進化論

 光で自分の影を隠すほか、深海ではクラゲのように透明になるという手もある。光の薄い中層では太陽の光は、ほかの色の光はなくなり、赤みをもつので、

 赤い色の生き物が姿を隠すには優位

という戦略もあるらしい。

 そんなパネルを見ていると、悠長な進化論を信じるというよりも、子孫を増やす方法としてもっと別の進化の仕組みがあるのではないかと疑いたくなった。

 きっと、ダーウィンも、自分の自然選択という単純な、そして気の長い進化論について、果たしてこんなのでいいのだろうかと考え込んだであろう。

 つまり、生き物たちは自分たちの環境に対し、ただひたすら引きずり回されるのではなく、もっと積極的に、はっきり言えば主体的にそのときそのとき対応しているのではないか、と感じた。のんびりと突然変異なんか、待っていないのではないか。

 ダーウィン進化論は、その根幹に人間以外の生物には精神はなく、精密ではあるが機械に過ぎない。主体性というようなものはない。そして、科学には主体性は要らない。そんな発想に基づいている。

 これに対し、ダーウィンは、どうこたえるであろうか。

 見終わって、ブログ子はそんな感想を持った。

 ( 写真下は、特別展の図録。陸上とは別世界の垂直生物界としての深海について、じっくりと思いを馳せるには好著だろう ) 

Imgp0655

  

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魚たちの縞模様 大野麦風の博物画集展

Imgp0654 (2013.09.09)  浜松市に暮らしているせいか、

 ウナギにはどうしてウロコも縞模様もないのか

という疑問をときどき持つことがある。ウロコのことは今はさておいて、たいていの魚の体にはりっぱな縞模様があるのに、というわけだ。

 ヨーロッパ産だろうと、アメリカ産だろうと、インド産だろうと、ウナギにはほとんどこれといった模様はない。体に模様がないので、みんな同じに見えてしまう(補遺)。

 そんな思いで、東京で用件を済ませたついでに、JR東京駅のステーションギャラリーで今開かれている

 大野麦風の魚たちの博物画集展

にぶらりと気晴らしに出かけてみた。見事な生き生きとしたウナギを描いてはいたが、麦風の博物画にも、やはり体には模様がなかった。

 しかし、驚いたのは、たくさん描かれた魚の博物画のほとんどには、その体表にいろいろな縞模様が鮮やかに真に迫るような描き方で書き込まれていたことだ。圧巻としか言いようのない一枚、一枚。今にも画幅から飛び出てきそうな描き方。いずれもカラー写真のまねのできない立体感と正確さを併せ持つ迫力である。

 あらためて、博物画の重要性が肌でわかった。

 その一例が、上の写真(アカハタ)である( = 図録「大野麦風展 - 「大日本魚類画集」と博物画にみる魚たち」より )。背から腹にかけてみごとな幾筋もの「横縞」が描かれている。

 ● 縞模様は4分類

  うっとりと眺めていて気づいたことは、縞模様は大きくわけて4分類できることだった(注記)。

  まずは、魚が泳ぐ方向と平行に走る「縦縞」の魚。

 典型はくっきりとしていて見事なカツオである。うっすらとしたのはスズキ。サワラ、ゴンズイ。ボラのように、斑点が縦じまに流れているものもある。ウグイは斑点が一筋に縦じまをつくっている。

 次は、泳ぐ方向に対して直角(垂直)の「横縞」模様の魚。阪神タイガースのユニフォーム型だ。写真のアカハタが典型だが、クロダイ、マハゼ、コチなどもこの仲間。

 三番目は、オコゼが典型だが、縦じまでも横じまでもなく、なんだかよくわからない大小不定形の斑点、まだらがある魚。フグもこの中に入る。サバなどもこれだろう。

 そして、最後は模様らしいものがない魚。典型はウナギ(ドジョウは縦じま)。マゴイ、フナ、アユなども模様はない。

 ● 重力が関係しているのでは

  こう、分類してみて気づいたのだが、縞模様が水平と垂直との二分されることから、縞模様のでき方には

 地球の重力がなんらか関係している

ということだった。もし、事実だとすれば、重力が消されている宇宙ステーションで発生を行なったらどうなるか。写真のアカハタの見事な横じまも大きく乱れたものになるのではないかということが推測される。

 果たして、これは本当だろうか。

 このように縞模様がどのようにしてできたのか、展示会場であれこれ考えているだけで、楽しい2時間はすぐに過ぎてしまった。

 ● なぜないウナギの模様

 縞模様のできる理論については、このブログでも書いたが、どうやら一つの有力な仮説として

 反応拡散波の理論

というのがあるらしいことを紹介した( http://lowell.cocolog-nifty.com/blog/2013/08/post-0d77.html )

  生物体内につたわる化学反応物質の拡散速度の違いが、成長過程を通じて模様をつくりだすという仮説である。60年も前にA.チューリングが数学的な側面から縞模様について予言したという。しかし、いまだ縞模様がどのようにしてできるのかや、その具体的な化学物質の解明はほんの一部しかなされていないらしい。

 それなら逆転の発想で、ウナギの体表には、なぜ、いずれにも縞模様がないのか。ここからなぜ縞模様ができるのか、解明できないか。似たような形のアナゴやドジョウには縦じまがはっきりとあるのに。発生過程や成長過程に鍵がありそうだ。

 発生過程や生まれてからの成長の仕方を反映したのが、縞模様ではないか。そう考えていると、また、はたと気づいた。

 人間の肌には、色黒な肌、色白な肌はある。しかし、なぜ縦じまとか、横じま肌とかがないのか

という問題である。人間はウナギの仲間なのだ。こう考えてくると、表面的な縞模様問題は魚だけにはとどまらない意外に深い謎を秘めたテーマになる。

 そんなことに思いをめぐらしたすぎゆく夏の展覧会だった。

  ● 注記 魚の縦じまと横縞について

 魚の縦じま、横じまの決め方(定義)は、上記のように

 前後方向を縦じま

 魚の進む方向に対して直角(垂直)で、背腹方向を横じま

とするのが、研究者や漁業関係者の間では正式なのだということをはじめて知った(トラフグ研究で知られる元東大教授、鈴木譲氏のご教示)。 

 ● 補遺 2013年9月22日

 このブログを掲載して、しばらくたったら、

 ニホンウナギにも表面に縞模様がある

という読者からの指摘を受けた。具体的には、自由百科事典「ウィキペデァ」の

ニホンウナギ(Anguilla japonica)の項目最後に、100年以上も前の超細密な博物画スケッチが掲載されているというのだ。

 実際閲覧してみたが、なるほど、

 長い背びれにそって両側にそれぞれ二筋、等間隔の白い斑点(つまり、たて縞)がくっきりと尾びれまで続いている(ただし、アナゴにこのような縞模様があるので、ひょっとすると、スケッチは、ニホンウナギではなく、マアナゴのものかもしれない。スケッチの下あごの先が、上あごに隠れているのも、アナゴの特徴らしい)

 事典によると、描いた著作者まで分かっている。ということは、これで例外もあるのかもしれない。ほとんどのニホンウナギには縞模様がない、と書くべきだったかもしれない。 

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日本のジャーナリズムの事なかれ主義

Image1888eyes20130826_3  (2013.09.09)  この一か月間、ずっと気になっていたスピーチがある。

 来日したオリバー・ストーン監督が8月6日、広島市で開かれた

 原水爆禁止世界大会

で日本人に向って訴えた演説である。出席した安倍晋三首相の平和と核廃絶という言葉を織り交ぜた決意スピーチに対し、ストーン監督は、そんな決意は

 信じていません

と首相の面前で、しかも満座の中で言い放ったのだ。偽善であるというわけだ。

● ストーン氏の痛烈日本批判スピーチ

 すばらしい文化の国としては日本は戦後立派だったと前置きした上で、おおむね次のように日本を断罪し、ドイツのように主権国家としてアメリカと正面から向き合い、今からでも遅くはないから立ち上がろうと訴えた。

 同じ敗戦国、ドイツは分断されながらも、戦後の1960-70年代、常に反核をかかげヨーロッパで平和のための道徳的なリーダーシップを発揮した( 注記 )

 しかし、これに対し、日本はなぜアメリカの衛星国としていいように扱われてきたのか。日本には強い経済力があり、優秀な労働力もある。なのに、なぜ立ち上がらないのか。

 日本人は広島、長崎で(必要もない原爆を投下されるなど)ひどいめにあった。それでも今まで日本人は、何のためにも戦ってこなかった。今こそ立ち上がって、愚かなアメリカと戦ってほしい。( 萩原一彦氏の翻訳 http://twitter.com/reservologic を参考に要約 ) 

 ブログ子は、この演説を聞いて、そして後日、文字になったものを読んで、

 非常に率直で、見識ある意見

と好感した。これほどあからさまな言い方で、しかも正々堂々の日本批判の論陣なのも珍しい。オバマ現政権を痛烈に批判した「もう一つのアメリカ史」を制作した監督らしい正直さに感心した。しかも、主張していることは図星なのだ。

 確かに、ブラント首相率いる西ドイツは、1960年代から70年代にかけて、東西緊張緩和、デタントを外交の柱に、平和外交という新思考でヨーロッパの東方外交をリードした。ノーベル平和賞を受けたのもうなづける。さらに、その後も東西冷戦の終結では、アメリカと対峙しながらも、コール首相が東西ドイツ統一を実現させ、ヨーロッパの安定に大きく寄与した。

 同じ敗戦国なのに、道徳的に尊敬されるドイツ流リスペクトアプローチに対し、日本のアプローチは、何のためにも戦っていないというたいへんな違いがあると指摘したことになる。

 ● 日本は何のためにも戦っていない

 この演説に対し、日本の新聞などのマスメディアはほぼ完全に黙殺した。これに噛みついたのが、内田樹氏の「アエラ」8月26日号の巻頭コラム「eyes」( 写真 )。見出しは

 ストーン監督の痛烈(日本)批判/マスメディアが黙殺した理由

である。

 その理由について、内田氏はコラムで

 日本のマスメディアはそれ(ストーン氏の痛烈な日本評価)を日本の読者に伝えることを好まなかった

として、そのまた理由として、

 「まさしく彼(ストーン氏)が述べている通りである」

とあいまいに結んでいる。こういうもって回ったコラムはややこしくて、ダメ。訴求力が大幅に減殺される。理由は何かと見出しに書いた以上、その理由の中身をはっきり言い切るべきだ。

 マスコミ自身も政治家同様

 何のためにも戦っていない

のが理由だと明確に、誤解なく書くべきだった。マスコミ批判である。自身のコラムが掲載されているアエラ批判でもあるから、発行親元の朝日新聞のことを考えて、尻込みしたのであろう。

 内田氏は、言及していないが、なぜ何のためにもマスコミは戦っていないのかというその原因にまで掘り下げていないのも残念である。

 新聞というマスメディアで論説委員をしていたブログ子に言わせれば、

 日本のジャーナリズムには記者に事なかれ主義

が染み付いているからだということになる。

 なぜ、日本のジャーナリズムは事なかれ主義なのか

 それは、日本のジャーナリズムが、新聞社という会社に所属する正社員サラリーマンで成り立っているからである。しかも、欧米とは違ってキャリアアップのリクルートや転職はないに等しい。入社した新聞社に定年までいるのだから、面倒はごめんなのだ。

 ジャーナリズムの事なかれ主義

というのは、言語矛盾ではある。事を荒立たせるのがジャーナリズムなのにそれがない。権力に対して、穏便にすまそうとする。サラリーマンなのだ。

 実は、この日本のジャーナリズムの深刻な事態を突いたのが、ストーンスピーチだった。しかし、ストーン氏の思惑が外れ、そのスピーチが黙殺された。しかし、これまた日本のジャーナリズムの深刻な事態の当然の帰結だったのだ。

 このことがブログ子が一か月ももやもやしていた原因だった。自分に跳ね返ってくることの苦しさがそこにあった。

 ● アメリカに対し「NO ! 」と言える日本に

 昔、こんなことを言った政治家がいた

 「NO !」と言える日本

 一度NOと言えば、覚悟が決まる。「ノー」というのは、相手の要求を拒否するというよりも、自国の立場、自分の生き方を主張することである。

 妥協を排し、一度「ノー」と言えば、自国を貫く、あるいは自分を貫くために、自分からやる気にならざるを得なくなる。それはまた、国の積極外交になり、前向きな生き方につながる。

 日本にはそれが戦後、アメリカに対して一度もなかった。このことがドイツと日本の違いだった。

日本は憲法で戦争放棄をしておきながら、世界に向って堂々たる平和戦略を提示してこなかった。その原因は一度もアメリカに「ノー」を突きつけてこなかったことと無縁ではない。妥協こそ外交というような政治家はもはや要らない。 

 こう考えてくると、ストーン監督の勇気あるスピーチに感謝するべきであろう。

 シリア情勢が緊迫する中、はやく、アメリカに物申す平和戦略を打ち出せ、偽善ぶっている暇はないはずだといっている。

  ● 注記 ドイツ反核・反原発運動

 ドイツの反核運動やその歴史については、以下のゴアレーベン反対同盟委員長インタビューが参考になる。30年以上にわたるドイツの反原発運動が当事者の言葉で語られている。

 ドイツでは、連邦政府の再処理工場計画が1979年に、計画を受け入れた州政府により断念されている。以後、最終処分場探しや使用済み核燃料の中間貯蔵施設建設問題が反原発運動の主なテーマとなってきたことがわかる。

 運動のひろがりは、一般市民や農民など国民的なすそ野があり、日本のような特定の、一部の運動にとどまっていないのが特徴。

 2012年6月、ドイツ連邦政府(メルケル政権)は、17基のうち運転停止中の8基を廃炉に、残り9基も「2022年までに廃炉」にすることを決定している。

 新自由主義と対決する総合雑誌「序局」第3号(2012年11月発行)

 ドイツ反核・反原発運動 ゴアレーベン反対同盟

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世界の年代測定学の〝ロゼッタ・ストーン〟 - 若狭・水月湖の年縞の本当のすごさ

Imgp0500  (2013.09.04)  福井県北部出身のブログ子だが、南部の若狭・三方五湖をめぐり、湖に隣接する博物館を訪れて、つくづく感心したことがある。

 神さまというのは、なんと公平なのだろう

と。

 過疎だとか、何だとかいって、地域を分けへだてしない。みんな平等にそれぞれに大切なものを、ちゃんと地域に分け与えてくれている。問題は、地域がそれに気づくかどうかなのだ。

  ● 学際的な水月湖学へ 

 たずねた博物館というのは、若狭三方縄文博物館(福井県若狭町)のことだが、ここには、五湖の一つ、水月湖の水底から掘り出された

 世界の年代測定学の〝ロゼッタ・ストーン〟

とも言うべき年縞(ねんこう)が館内展示入り口の冒頭に飾られていた(写真)。

 縞模様をみたときのブログ子の正直な感想を一言で言えば、世界的で、学際的な

 水月湖学

が成立するのではないか、というものだった。

 Imgp0562 ロゼッタストーンというのは、言うまでもないことだが、古代エジプトの神聖文字のヒエログリフが、ギリシャ語と当時の現地民衆語と並べられて、勅令を綴った石碑。この言語の三点セットこそが、神聖文字解読の重要な手がかりとなった。この石は、エジプト遠征をしたナポレオンがフランスに持ち帰ったものだが、なぜか、今はロンドンの大英博物館が所蔵し、その正面玄関に特別展示されている。古代エジプト学の金字塔であろう。

 また、年縞というのは、水底に四季折々の堆積物が1年単位のサイクルで積み重なった年輪のようなもの。春から夏にはプランクトンの死がいが湖底に白っぽくなって降り注ぐ。秋から冬には、湖の陸地からゆっくりと流れ込んできた鉱物が降下して堆積する。プランクトンや鉱物だけではなく、当然、植物の葉っぱなども湖底に静かに堆積する。

  ● 極めて安定した湖の条件とは   

 若狭三方縄文博物館を訪れたのは、日本陸水学会東海支部の会員である知人の誘いだった。内輪のサマースクールであり、気楽な一泊旅行というので、遊び気分で参加した。しかし、学芸員の小島秀彰さんのスライド講演を聞いて、びっくりした。

 Imgp0509 年縞といったって、そんなものはどの湖にもあることで、たいしたことではない。最初、ブログ子はそう思った。だが、講演が進むにつれ、世界的にも、極めてまれな条件が重なって学術的に貴重な資料となっていることに気づいた。

 地質学的な年代が1年単位で、しかも季節までわかるという驚くべき精度が、今から数万年までさかのぼって連続してわかる。そのための

 まれにみる極めて安定した湖の条件とは何か

という問題だ。

 一つは、湖面に波が立ちにくいように、つまり湖の上下のかき混ぜ効果がないように、湖全体が高くもなく、低くもないちょうどいい高さの風除け山に囲まれていることだ。

 そういえば、私たちが訪れたときの水月湖は、雨模様の荒れた天候にもかかわらず、波のほとんどない鏡のような水面だった(写真= 梅丈岳レインボーラインの北側からみた光景。左手奥が菅湖、右手奥が三方湖)

 もう一つは、生きものがあまり生息しておらず、湖底が引っ掻き回されないというのも必須条件らしい。だから、あまりにも浅い湖は、周辺の気象や環境を受けやすくダメらしい。

 それと、大事なことだが、川が流れ込んでいないことだ。

 これがあると、せっかくの縞模様も台無しになる。河口にはいろいろなものが流れ込んだり、水害、台風もあり、安定という条件を満たさない。水月湖は、四つの湖に囲まれていて、川には直接接していない。人々の暮らす最も南側の三方湖は生活河川(はす川)が流れ込んでいる。だが、三方湖が水月湖への影響を最小限に食い止める防波堤の役割を果たしている。

 ● 東側に活断層の奇跡

 これだけでも、安定条件はかなり厳しいが、しかし、世界にはそんな安定湖はいくらもありそうだ。

Imgp0563  ところが、これらに加えて、水月湖が世界でほとんど唯一といっていいくらい、湖底が7万年にわたって安定していたことを講演で知った。

 こうだ。

 この湖の東側には、ありがたいことに活断層があり、湖の底を毎年毎年少しずつ、押し下げている。その押し下げ沈降量が

 ちょうど、湖の中心の湖心に毎年降り積もる堆積物の高さにバランス

しているというのだ。この結果、7万年のあいだ

 湖心の水深は34メートルと一定

だったというから、神さまも味な計らいをしたものだ。

 34メートルという数字も掘り出すには深からず、静かな環境を維持するには浅からずで、もってこいというから、絶妙だ。

 だから、海とおだやかにつながった汽水の水月湖は枯れもせず、さりとて日向湖のおかげで若狭湾の荒海にも直接にはさらされず、静かな汽水を維持しつづけた。

 このようにして三方五湖の五つの湖は互いに、それぞれの役割を分担し、互いに助け合った。こうなると、確かに

Imgp0564  7万年の奇跡の堆積物

というのも、大げさではない。

 いわば、

 水月湖は、神さまからいただいた賜物、傑作

なのだ。こんなことは、そうそうあるものではないと納得した。

 博物館展示の入り口の最初のところに、ボーリング調査をしたイギリスのニューカッスル大学の中川毅教授が、世界の年代測定学の研究者を代表するかのように、よくぞ保全してくれていたという趣旨の感謝のメッセージを手書きでホワイトボードに記している(写真)。過疎のおかげとは言いたくないが、その気持ちがよくわかる。

 ● ダイナミックな謎解きの発火点に     

  ところで、この年縞の本当のすごさとは何か。

  それは、

 ある特定の一枚の年縞につまっている地質学的な出来事が、湖底から何番目の縞であるか1年単位でがわかるのと同時に、その年縞に含まれる葉っぱのような有機物由来の絶対年代が炭素年代法でもわかる

という点だ。あれこれと較正のために換算する必要がない。一つの縞のなかで起きた出来事が二つの独立したものさしで、しかも絶対年代でわかる。年縞のほうは年単位の精度。こうなると、炭素法の誤差までわかるのだから、驚きだ。

 たとえば、気候変動などの因果関係がどうなっているのか、これまであいまいだったものが正確に確定する可能性が出てくる。二酸化炭素が増えたから、温暖化が進んだのか、それとも、逆で何らかの原因で温度が上がったから、海水などから二酸化炭素があふれ出てきたのか。数万年のタイムスケールで判明するだろう。

 それに限らず、この縞模様は国際的に利用可能なものであり、今後、考古資料や化石の年代測定が革命的に精度が上がる。その結果、精度が上がったというだけでなく、原因と結果という因果関係の見直しにまで発展する可能性がある。

 これが、水月湖年縞の本当のすごさ

であろう。

 さらに言えば、一筋の縞模様の二つの独立した絶対年代という情報が含まれている2点セットが、決定的にすごい点だ。

 ロゼッタ・ストーンは異なる独立した言語の3点セットが、神聖文字の解読に大いに役立った。そして、そこからエジプト学は画期的な進展を遂げた。

 水月湖の年縞は年代測定法の2点セットであり、ブログ子が、

 世界の年代測定学の〝ロゼッタ・ストーン〟

と言いたい所以である。

 ● 成果を競う国際学術会議も

 すごさを、別の一言で言えば、定説に対するさまざまな研究分野の

 謎解きの世界的な始まり

ともいえる。

 地質学的、考古学的な年代測定の世界標準ものさし

となるようだが、当然のような気がする。しかし、

 単なるものさしの世界標準

と矮小化してはなるまい。もっとダイナミックな研究の始まり、発火点となるだろう(補遺参照)。

 そんな成果を思うにつけ、数年後には、水月湖のあたりで、年縞調査20年を集約する

 年縞に関する国際学術会議

を開催する企画があってもいい。きっと分野横断的な水月湖学が出来上がるだろう。そこから、これまでの定説を根底からくつがえす、アッと世界を驚かす成果もでてくる。

 旅はしてみるものだ。とりわけ、ふるさとへの旅は。

  ● 注記 

 この旅行のあと、ふとしたことから、

 『氷に刻まれた地球11万年の記憶 温暖化は氷河期を招く』(R.アレイ。ソニーマガジンズ、2004年)

という米科学賞(ファイ・ベータ・カッパ)を獲得した本を読んでみた。グリーンランドでの長さ2マイルに及ぶ氷柱を掘り出し、そこに刻まれた氷の〝年輪〟を分析した解説書である。

 結論は、地球の未来は温暖化ではなく、異常気象ということだった。

 この本を読んで、

 三方五湖は

 日本のグリーンランドである

ということだった。

  ● 補遺

 Imgp0487_1 博物館ではないが、博物館を訪れた日の地元紙、福井新聞朝刊(9月1日付)に

 マヤ文明の解析に水月湖年縞活用

という講演記事が出ていた。マヤ文明の特徴である公共祭祀建築の年代がこれまでの定説より大幅にずれていたことがわかったという。文明の位置づけが変わる大きな発見らしい。今後、これと似たようなさまざまな研究成果が続々と発表されるだろう。

 ● 補遺2  2014年8月27日記

 「日経サイエンス」2014年10月号の「国内ウォッチ」コーナーに、日経新聞福井支局長による

 年縞掘削の最前線を訪ねる

という記事が掲載されている。中川毅教授が日本に帰国し、立命館大学古気候学研究センター長にこの4月に就任、研究を加速させているというニュース。

 2006年に続いて、このほど水月湖で87メートルの年縞の掘削に成功した。年にして、18万年分の情報である。

 これには福井県が学術観光として成功した福井県立恐竜博物館(勝山市)の第二弾、有体にいえば

 二匹目のドジョウ

としてこの年縞に目をつけ、今年度から予算措置を講じた成果らしい。

 「考古学の世界標準時」づくりとしての水月湖学が本格的に動き出したといえそうだ。具体的には、マヤ文明の解明に大きく役立ってもいるらしい。

 注目したいのは、この掘削には西部試錐工業(せいぶしすい。長崎県時津町)という ベンチャー企業がかかわっていることだ。

 いずれ、水月湖学では年縞をテーマにした国際会議が開かれるだろう。たとえば、世界湖沼会議が若狭湾あたりで開催される日も、そう遠くないのではないか(国際放射性炭素学会がすでに2012年、この水月湖年縞を考古学における世界標準時とすると決議しているが、このものさしを活用した、幅広い考古学的な成果そのものの、つまり水月湖学の成果を論議する国際会議が待たれる)。

 なお、中川センター長の最近の年縞講演としては、2014年8月に地元で開かれた講演会がある。

 概要は、ここです。 

  ( 写真下は博物館の正面エントランスの様子<縄文後期の大杉株(埋没林>と、ユニークな外観。近くには縄文草創期と前期を代表する有名な鳥浜貝塚もある )

Imgp0561  Imgp0505_1

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空間は幻想 か 宇宙の数学「超弦理論」

Imgp0559 (2013.09.04)   気象庁によると、

 今夏の猛暑は異常気象

らしい。こんな猛暑では、こむつかしいサイエンス本なんか、読む気も起こらない。それではと、思い切って、読んでもわからないだろうという本をわざわざ買ってきて、読んでみた。少しは涼しくなるかもしれないという逆療法というヤツである。

 それが、

 理論物理学者の大栗博司さんの最新刊、

 『超弦理論入門』(講談社ブルーバックス)。

 いくら理系の、しかも宇宙大好きのブログ子でも、一般書とはいえ、こんな難解な本は、とうてい理解はできまい。クーラーをかけたまま、昼寝だろうと思って読み始めた。ところが、驚いたことに、一気に読んでしまった。おもしろい。二回も読み返してしまった。

 内容を簡単に言えば、9次元空間のなかの弦の幾何学なである。素粒子は部分を持たない「点」などではなく、一次元の「弦」であるというところから説き起こしている。 

 重力のホログラフィーという考え方も出てくる。Imgp0552

 二次元に三次元立体を復元するレーザー干渉技術のホログラムというのであれば、ブログ子がボランティアをしている浜松科学館にもあり、超弦理論が少しは身近に感じられた(写真下= 浜松科学館「ホログラム」展示コーナー。レーザー光の干渉を使って、ものから光の強弱以外に、位置情報も正確に取り込む。その結果、もとの三次元のタイプライターが立体的に二次元面に浮かび上がっている)

 その考え方の行き着いたところが、温度が分子運動の反映であり、実態を持たない〝幻想〟であるように

 空間も幻想である

というのだから、一般相対論のかのアインシュタインも、そんなばかなと驚くことだろう。

 ● 時間も二次的で、幻想か

 さらに言えば、

 空間とは、弦の運動、つまり、弦の振動の結果にすぎない

という。弦とは、具体的には何か、それは謎らしい。素粒子を「点」というなら、そんなことも気にならないが、ひものような「弦」となると、そのことが少し気になる。

 それは、まあ、さておき、空間が幻想だとすると、なんと最後のほうで、

 もはや時間というのも幻想かもしれない

という論理を展開する。時間というのは、なにか、もっと根源的なものから二次的に立ち現れてくるのかもしれないというのだ。根源的なものとは、何か、40年の歴史を持つ超弦理論研究の今後の挑戦らしい。

 そこから、どんな宇宙像が生まれてくるのだろう

ということを考えていたら、ついついしまいまで読んでしまった。

 時間や空間の考察に限らず、全体としても唖然とするような内容である。それらが、単なる哲学のような言葉の遊びなどではなく、数学的に厳密につじつまが合っているというのだから、不思議だ。

 現代物理学の最先端理論、超弦理論は

 21世紀の「宇宙の数学」

というのも、手前味噌のような気もした半面、一方でなんだか、そうかと納得してしまった。

 最先端の理論物理学は小説よりも、哲学なんかよりも、ずっとずっと奇であるというような気分にさせられた。

 というわけで、先に紹介した沢木耕太郎さんの『キャパの十字架』と並んで、この本は、ブログ子にとって今

 夏の出合いの一冊

となった。

 これほどのスケールの話となると、異常気象うんぬんなんか、小さい、小さいという涼しい気分になる。

 良書の効用だろう。

  補遺 超弦理論の現在位置について

 この本をちょっとほめすぎたので、少し覚めた意見も述べてみたい。

 というのは、この本では超弦理論の数学的なおもしろさを強調するあまり、超弦理論のどこに問題があるのか、現在位置について正直に書かれていないような気がする。

 理論に一本筋を通す、つまり演繹に有用な物理学的な仮説がない、ということだろう。いろいろな事実を個々にうまく証明できる、あるいは導出できるというだけでは、一本筋が通っておらず、統一理論への道はまだまだではないか。

 どういうことか。

 天文学的なたとえで言えば、ニュートンは自ら構築した微積分学で主著『自然哲学の数学的原理』(1687年)で万有引力の理論を定式化した。これが、今で言えば、相対論と量子論の統一理論に当たる。

 この理論に至るまでには、ニュートンは万有引力は

 距離の逆2乗に比例する

という仮定をした。このインスピレーションをどこから得たかはわからないが、ともかくこうすると、それまでに発見されていた観測データからの

 惑星運動に関するケプラーの3法則

が、すべてこの仮定だけで説明できる。このことをニュートンは微積分法を使って証明して見せた。

 そんなたとえで言えば、

 超弦理論の現在位置というのは、ケプラーの3法則の段階に相当するような気がする(注記)

 まだ、核心の逆2乗の法則の設定にまで到達していない。

 それは、時間とは何か、空間とは何かという以前の、言い換えれば数学以前の物理学者のインスピレーションが求められている段階なのではないか。

 リンゴが落ちるのを見て、月が地球を回るのと同じ原理がリンゴにも働いているということをニュートンが喝破した。超弦理論物理学者にも、これまでにない新しい物理概念を生み出すインスピレーションが要る。

 新しい物理の発見から、それにふさわしい微積分法という数学を構築し、主著をまとめるまでに、ニュートンは約20年を費やしている。

  補足的な注記

 Image1892 ケプラーは処女作『新天文学』(1609年)で、惑星の楕円軌道の法則(第一法則)と面積速度一定の法則(第二法則)を正しく提示。さらに、主著『宇宙の調和』(1619年、写真)で、惑星の公転周期の2乗と太陽からの平均距離の3乗は比例することを観測データから正しく割り出している。

 この主著では、

 音階と和音を奏でながら5つの惑星が楕円軌道を描く美しい「宇宙の音楽」

について、音符を多数用いて詳しく語られている。

 これは、弦が奏でる9次元宇宙の音楽ともいえる超弦理論に似ていなくもない。

 なお、この超弦理論入門より、もう少し広い視野から、つまり全体を俯瞰できるよう論じた入門書に

 『量子宇宙への3つの道』(リー・スモーリン、草思社、サイエンス・マスターズ17)

がある(原著=2000年、日本語訳=2002年)。

 この本の最後のまとめによると、著者は

 M理論は真

と信じている。ただし、M理論のような単一の統一理論はあるが、宇宙は多数の異なる物理的な相(側面)であらわれうると予測している。それぞれの相では、なんと物理法則は異なっている。われわれの宇宙はその一つに過ぎないというのだ。

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