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立花隆さん、そんな話って大丈夫 ?

(2013.08.06)  視野の広さ、反権力、常識にとらわれない行動力。でも、ちょっと傲慢。しかし、同じジャーナリストとして、ブログ子は、やはり

 立花隆さんを尊敬に値する

と、いつも、敬愛していた。人を見下したような傲慢さは確かにあるが、それは自信の表れなのだ。実力のある証拠。むしろ、それは肩で風切るジャーナリストの勲章。多くのジャーナリストなら、たいていはそう思ってきたと思う。

 ● 月刊誌「麻酔とボーイング787」批判

 だが、しかし、月刊誌「文藝春秋」の最新8月号の冒頭論説

 Image185282013_3 麻酔とボーイング787

というのには、正直、びっくりした(写真)

 歯の治療に出かけた立花さんなのだが、

 「麻酔は効くかどうかが大事で、なぜ効くか、理由はとりあえずわからなくてよいことだ」

と断定調。事実、わからないことも多いらしい。自らの体験なので自信たっぷりである。そのプラグマティズム(理屈より実践行動)を賞賛し、

 現代社会はすべてプラグマティズムで動いている

と一般化して語る。

 理系出身のブログ子は、そんなばかなことはないとは思うが、それはそれで、まあ、いいだろう(補足。自然科学系のノーベル賞は、理屈より実践行動というだけでは受賞できない。受賞にはとことん突き詰めた合理的な理屈が必ず要る)

 問題なのは、その後の、例のボーイング787のバッテリートラブルも、麻酔の場合と同じなのだという強引な論理展開。これには、おもわず、

 立花さん、そんな与太話って、大丈夫?

と、そのあまりに乱暴な論理にあきれてしまった。

 ● 同日に論じられるか

 この結論を導くにあたって、わざわざ大会社の航空技術部長のところに出かけて、たっぷり話を聞いた。いかにも、ジャーナリストらしい。ながながと、安全対策に万全を期しているというインタビュー内容が書かれている。

 そして、次のように結論付けている。

 「聞けば聞くほど、そこまでやるのかと思うほどの手が打たれており、これはプラグマティズムの極致のような対策だと思った」

と、手放しのべたぼめ。

 「あとは実績で安心感を取り戻すほかあるまい」

と語っている(補遺)。

 この論法の誤りは、麻酔トラブルがせいぜい一人の老人(失礼)の死につながる程度なのに対し、航空機の場合、前途有為な数百人の命に直結しているという点だ。根本原因を解明するのが運行再開の先決なのだ。

 麻酔トラブルと航空機事故とは同日に論じられない

のだ。歯の麻酔トラブルと巨大技術の組織事故とは技術的な面に限っても根本的に違う。

 それなのに同列に論じている。しかも、何の断り、注釈もない。これでは、読者に誤解を与える。失礼な話だが、駆け出し記者のずさんな不完全原稿とかわらないといわれても仕方あるまい。

 さらに言えば、根本原因の追究という理屈よりも実践行動というこのプラグマティズム論法でいけば、福島原発事故など起きないことになってしまう。それでいいのか。

 むしろ、このような乱暴なプラグマティズム論法が巨大技術事故を起こしてきたといえまいか。

 それと、第二の誤りは、第三者の取材がない点。航空機トラブルを起こしている当の会社の技術部長にいくら取材しても、会社の不利益につながる事実は出てこない。万全です、という解説しか出てこないのは当たり前。

 なのに、立花さんは、トラブルは危険と批判する第三者には、記事を見る限り、取材していないようだ。これまた、おかしい。何が課題なのか、せめて視野の広い視点ぐらい示せなかったか、残念だ。

 同じ文系で、ノンフィクション作家でジャーナリストの柳田邦男さんも航空機事故には詳しい。柳田さんは今も事故に対する真摯な態度や謙虚さを失っていない。二人の間には、科学・技術に対する基本姿勢に大きな違いがあることを、この評論であらためて知ったように思う。

 ● 往年の鋭さはどこへ

 いずれも、往年の立花さんなら、きちんと詰めていたはずだ。田中角栄金権体質を白日の下に暴き出すなど、あの立花さんのジャーナリストとしての真価はそこにあった。それが、今はどうもない。いくら片手間に書いたとしても、あんまりではないか。

 というよりも、行動と知の巨人のこんな論説を読まされて、さびしい気持ちにさせられた。科学的な考え方、素養に欠けるところがあるというよりは、年のせいで知らず知らずのうちに、あるいはおごりが高じているような気もする。ブログ子の思い過ごしなら、うれしい。

 最後に一言。往年の立花よ、もう一度。

 それにしても、やっぱり、年は取り-、いや、愚痴はよそう。

  ● 補遺 複雑な巨大技術ではプラグマティズムは危険

 これほどにバッテリーの発火を抑え込んだりしたら、かえって危険という発想がないのは不思議だ。これまでは、バッテリーが発火することで、大惨事を事前に食い止めていたのかもしれない。いわば、バッテリーは配電盤のブレイカーの役目を果たしていた。絶対発火禁止措置は、ブレイカーを取り外したようなものなのだ。何が起きるのか。根本的な原因がわからないのだから、巨大技術では、プラグマティズムの発想はむしろ危険なのだ。

 はっきり言えば、プラグマティズムというのは、対処療法であり、根治療法ではない。めくら運転なのだ。一医師の医療と、組織がかかわる巨大技術のトラブルとを混同してはなるまい。

 ● フォトギャラリー

   ( 写真下= 最近の佐鳴湖の風景 8月4日午後 )

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コメント

立花さんも、年とったな〜って、思いました。

投稿: ぷうさん | 2013年8月31日 (土) 10時32分

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