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人はなぜスポーツをするのか

  (2013.08.26)  先日、BS1の世界のドキュメンタリーをみていたら、意表をつくような

 人はなぜスポーツをするのか

というテーマで放送していた。いかにも哲学の国、フランスらしいテーマ設定だ(2012年制作)。このテーマ、わかっているようで、きちんとしたこたえは容易ではない。

 そこには単にビジネスと、片づけられないもっと根源的な何かがある。

 番組のタイトルは

 「PLAY」

となっていた。PLAYという言葉には、

 ルールを持たない遊び、気晴らし、娯楽という意味のほかに

 一定のルールのもとに勝敗を決める

 いわゆるスポーツ

という意味がある。ルールのある体を動かす遊び、すなわち、GAME(ゲーム)である。ここでは、囲碁や将棋、チェスなど身体をほとんど動かさないゲームは除いて考える。

 ドキュメンタリーは、後者のルールのあるスポーツについて、いろいろな競技者に取材して考察していた。

Imgp0377_1  曰く。

  スリル満点を味わいたい

  気力の限界に浸りたい

という単純なものから、

 自分の能力を誇りたい

  有名になりたい

 国のヒーローになりたい

という本音までいろいろ紹介していた。

 ブログ子が、これだなあ、というのが、

 この瞬間のために自分は生きてきたという達成感

というのがあった。自己満足ではない客観的な実感である。

 そうでなければ、たった0.01秒短縮するのにすぎない100メートル競走に、選手があれほどの修練を積むのを理解するのは難しいのではないか。

 冒険家の三浦雄一郎さんがすでに有名人であるにもかかわらず、3度目のエベレストに80歳にして挑戦したのもこの達成感のためであろう。

 オレはまだやれる、誰にも負けない

という自己満足ではない実感を得たいがために登った。それが人生を生きる生きがいになっている。結果として、それがビジネスになっている。

 こうなってくると、

 なぜ人は山に登るのか

というこたえは、マロリーのような、そこに山があるからだ、ではなく、

 そこに達成感があるからだ

ということになる。

 人にこの自己満足ではない達成感を与えるために、実はルールという社会的な取り決めがあるともいえまいか。取り決めをクリアするか、しないかで勝負が決る。

   裏を返せば、これは、

 スポーツにルールがあるのはなぜか

という答えになっているのだ。

 一方、観客にとっては、ストレス解消だろう。

 ただ、男の場合、そんな難しい話ではなく

 単に闘争本能

ということかもしれない。

 これは、スポーツ人には比較的に男性が多いという理由にはなるだろう。

  そんなことを思いながら、番組を見終わろうとしていたとき、ふと感じた。

 人はなぜスポーツをするのか

 それは、人間だからだ

というものだった。ネコもイヌもじゃれることはあっても、スポーツをするようにはみえない。サルですら、遊びや気晴らし、娯楽はするかもしれないが、きっとルールのあるスポーツをしないであろう。少なくともブログ子は聞いたことがない。人間だけなのだ。

 そういう目で国々を眺めると、

 スポーツのない国はない

ような気がする。日本では体育やスポーツは明治時代になってからだといわれたりする。しかし、平安時代には、やはり

 けまり

というスポーツが貴族の間で楽しまれていた。

 ルールのあるスポーツは人類に普遍。そんな気がする。

 人間は

 ルールを守って体を動かす楽しみを知っている

 ホモ・ルーデンス

なのだ。人間は、体を動かすだけの動物ではない。

 そこに達成感が必要なのだ。

 なかなか、考えさせる深みのある番組だった。

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