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何が『キャパの十字架』のオリジナリティか

Imgp0407_4   (2013.08.28)  ブログ子も敬愛するノンフィクション作家、沢木耕太郎さんの最新力作

 『キャパの十字架』(文藝春秋)

を読んだ。 

 R.キャパが撮ったとされるあの有名な

 崩れ落ちる兵士

の写真は、本当にキャパが撮ったのか、撮ったとしても本当に銃で撃たれた瞬間をとらえたものなのか。検証に必要なネガそのものがなぜか失われてしまったが、キャパが無名から一躍世界のスター戦場カメラマンになるきっかけとなった一枚だっただけに、この疑問は重大だ。スペイン内戦を象徴する一枚でもあっただけに、今でもこの謎を再検証することには意義がある。

 70年以上も前のスペインでの内戦の出来事の謎の解明に読者と一緒になって一から考えてみる。結論を急がない。考える楽しみを提供するという意味では成功したノンフィクションだとは、思う。

 このブログでも書いたが、沢木さんの推理ドキュメンターとしても、今春NHK総合テレビで放送された。なかなかよくできている、とブログ子も、放送時は感心した。

 三度もスペインの現地(コルドバ市エスペホ)を訪れるなど、手間と暇のかかった労作だとは思う。

 が、あらためて本になったものを読み終わって、さて、ひるがえって、一連の調査を通じて沢木さんのオリジナリティというのは、何かという点を考えて、少しがっかりした。

 ● 盗作説をおおっぴらに公表

 どういうことか。

 結論的に言うと、

 沢木さんのオリジナリティは

 キャパのクレジットが付けられて発表された「崩れ落ちる兵士」は、ライカカメラで撮られたものではない、つまり、キャパ自身が撮ったものではない可能性が非常に高いことを、カメラフレームという物的な根拠を示して提示してみせたこと

にある。つまり、この作品は現場にいた恋人、ゲルダ・タローがローライフレックスカメラで撮影したものであり、盗作だったということを示した。

 補足すると、問題の写真がライカカメラで撮られたものではないということは、スペインの大学教授がすでに詳細な調査で結論付けていた。ただ、撮ったのは、沢木さんの検証とは違って、キャパ本人だったとしている。盗作ではないというわけだ。

 沢木さんは、この違いを、教授のあいまいな検証を徹底分析した。自らも現地調査しながら、教授が主張するキャパではあり得ないことを、ほかの同時に取られた写真の分析から、多面的に結論付けている。この分析には説得力があった。

 そもそも兵士は撃たれてなんかいない、演習中に撮ったヤラセではないか。以前から、そして根強く写真関係者の間では、ささやかれていた。ただ、キャパへの思い入れが強く、この件について言いそびれていたらしい。

 沢木さんは、この著作でライカでは問題の写真は撮れないという物的な根拠を示して、盗作説を公然と世に問うた。また、演習中に件の兵士が下り坂で転んだところを偶然、ゲルダが撮った可能性が極めて高いと結論付けた。撃たれたように倒れてくれと頼んで、撮ったのもではない。つまりヤラセではないということがわかった。

 これについて、沢木さんは

 「それ(ヤラセではないこと)が分かったことが重要でした」

と語っている(2013年3月10日付東京新聞読書欄「書く人」)。

 滑って転んで「崩れ落ちる兵士」

というわけだ。別にキャパはウソの説明(キャプション)をつけていたわけではない。

 つまり、沢木さんのオリジナリティというのは、これまでいろいろ言われてきたことをカメラフレームという物的な証拠に基づいて、突き詰めてみせたところにある。決して新説を提示したわけではない。

 ただ、沢木さんの推理で腑に落ちないのは、ネガそのものについての追及がまったくない点だ。トリミングされたかもしれないプリントを中心に検証が行なわれている。そもそもこれは、プロフェッショナルな仕事としてはおかしい。

 ネガフィルムが残っていれば、こんな面倒な検証をしなくても、どちらのカメラで撮ったかは、ネガをみれば一目瞭然にわかるからだ。

 ● 肝心の「ネガ」の追跡が欠けている

 そう考えると、ネガがなくなったのは、どうしてかという問題意識がもっとあっていい。あるいは行方不明になったのは、偶然かという問題に行き着くはずだ。

 「ネガ」の謎を追って

という一章がほしかった。文献学でいう「テキスト・クリティーク」がない。

 こうした一章があれば、次のステップで、問題の写真のネガが発見されるかもしれないのだ。

 ところが、沢木さんは、この問題にはまったく言及していない。少なくとも、問題の一枚が写っているパトローネを預けた契約写真雑誌社やその暗室技術師の追跡に一章を設けるべきだったのではないか。

 これがないのは、画竜点睛を欠くというべきか、竜頭蛇尾といえないか。

 紙焼きだけで、結論を得ようというのは、ややこしいトリミングの問題などがあり、いかにもプロフェショナルな検証とはいいがたい。ノンフィクションライターらしい

 現物に迫るという姿勢

が欠けているようにも思う。全体として並々ではない努力は敬服に値するが、肝心のネガに対する執着がないのはどういうわけか。印画紙プリントという印刷媒体だけでは限界がある。

 ● 映画「メキシカン・スーツケース」

 折りしも、スペイン内戦をキャパたちが撮った膨大なネガの入った

 「メキシカン・スーツケース」

が、2007年、偶然から、内戦とかかわりの深かったメキシコで発見された。最近、このネガを分析した写真集「メキシカン・スーツケース」という浩瀚な書籍も出た。沢木さんもこのあたりから、本格的な検証をはじめたのだろう。

 確かに沢木さんも本書で、何箇所かで、このスーツケースに触れてはいるが、「崩れ落ちる兵士」につながる有力な手がかりがなかったせいか、突き詰めた分析はしていない。

 残念に思っていたら、なんと、

 写真家が戦場でどう動いたかがわかる秀作として

 映画「メキシカン・スーツケース」(トリーシャ・ジフ監督)

がドキュメンタリーとして今公開が始まっているという。キャパとスペイン内戦の真実というサブタイトルもついている。

 「週刊朝日」最新号(2013年9月6日号)にその映画批評がでている(内戦事情に詳しい伊高浩昭元共同通信記者)。

 フィクション性がなく、ドキュメンタリーとしてリアリズムがあるという批評を聞き手に語っている。撮った写真を次々にみせることで、カメラマンが戦場でどう動いたかが動的に見えてくる、これがすばらしいという。

 伊高さんは「ネガがスリルに富んだ歴史を経て最後にふさわしい人のところにたどり着いた幸運を思う」と映画を激賞している。

 こうなると、「崩れ落ちる兵士」のネガも今後見つかるかもしれないという期待が高まる。

 一度見てみたい映画である。

 浜松に暮らすブログ子の近くでは

 名古屋シネマテーク(名古屋市千種区)

で、来月9月29日土曜日に公開されるらしい(ふるさと金沢では、なつかしい名画館「シネモンド」)。

 沢木さんの推理ドキュメントには、労作であることは認めるが、オリジナリティはあまりない。いろいろと欠陥もある。

 しかし、この夏、一番の読み応えのある、そして読ませる著作であったと感謝している。

 なにしろ、写真は真実を写すとは限らない。また、そこから、フォトジャーナリストとは何かということも考えさせられた。ましてや、いかようにもでっち上げることのできるデジタル時代のフォトジャーナリズムへの警告も含まれていたのだから。

 ● 太く、短く、「華」のあるタフな40年

 それにしても、うらやましいキャパの人生だ。盗作者だと名指しされても、その指摘者からでさえ愛される。

 太く、短く、そして「華」のあるタフな40年

だったからだろう。人生、長く生きることだけがいいとは限らない好例だろう。キャパが長生きしていれば、その栄光は泥にまみれたであろうに。

 戦場カメラマンは、戦場にてその生涯を閉じる。 

  凡庸なブログ子にとって、そんな死に際といい、あこがれる人生ではある。

 ● 補遺 沢木氏、司馬遼太郎賞  - 2013月12月8日記

 沢木氏は、この著作で司馬遼太郎賞を受賞した。徹底した調査および分析、そして、その結果をもってキャパを単なる剽窃者あるいは盗作者に仕立てることなく、キャパの心の中にまで立ち入って共感できるヒューマンな作品に仕上げたのが評価されたのだろう。オリジナリティのほどはともかく、この点については正当な評価だと思う。

 Imgp2075 この賞選考委員に柳田邦男氏がいたことが幸いした。柳田氏が、このところ潤いのある2.5人称のジャーナリズムの必要性を訴えていることと、今回の受賞とは無縁ではないだろう。

 ブログ子もまた、切り捨てご免というような乾いた、そして冷たい他人事ではない、いわばわが事として共感を伝えるジャーナリズムにも心掛けたいと思う。

 この件、記事としては、たとえば11月29日付毎日新聞朝刊「ひと」欄 = 写真下。  

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