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急かされた原爆投下の真実 外交の非情

(2013.08.09)  アンブローズ・ビアスの高名な著『悪魔の辞典』によると、

 Image186620130805 外交とは、祖国のためにうそをつく愛国的な芸

とある。しかし、ブログ子は、愛国的な芸というところを

 愛国的で非情な芸

と言い換えたい。8月5日付「中日」総合面の

 広島原爆 英、投下1カ月前に同意

という記事を読んで、そう確信した。

 ● 二年前のケベック密約で決定

 1カ月前どころか、2年も前の1943年8月に製造担当の米国と、原爆情報を多数持っていた当時の英国とは、(降伏する前の)日本に原爆を投下するこという秘密協定(ケベック協定)を結んでいたという。つまり、同意は、密約の最後の一手続きにすぎない。

 密約が結ばれたのは、日本のミッドウェー海戦大敗北からほぼ1年後であり、日本の敗北がほぼ見通せた時期。この時期を選んで密約が交わされた。

 折りしも、原爆開発の中心となったロスアラモス(秘密)研究所がニューメキシコ州にできたのが1942年。研究所はミッドウェー敗北と軌を一にしてつくられた。所長はかの有名な

 「原爆の父」と言われた天才核物理学者、R.オッペンハイマー

Image1859 である。

 この密約の狙いは、戦後世界の新秩序において米英の主導力の確保であろう。覇権といってもいいかもしれない。

 そのためには、日本が降伏する前に原爆開発を成功させ、その威力を実際に世界に知らしめる必要があった。これが原爆投下の真実だろう。

 ところが、原爆が完成する前、具体的に言えば、実際の降伏の2か月前、すなわち1945年6月ごろには日本は降伏しそうな状況であった。この情報をアメリカはつかんでいたのだ。この時期は開発の最終段階ではあったものの、原爆開発は完成していなかったから、アメリカはあわてた。

 だから、原爆開発の軍の最高責任者、グローブス少将は原爆開発を急かした。

 ● 謎めいた最終開発期限の八月十日

 当時の迫真の様子については、二人の歴史学者の

 『オッペンハイマー』(邦訳=PHP、原著=2005年、ピュリツァー賞受賞)

にリアルに、しかも具体的に書かれている。Image1868

一例を挙げると

 「グローブスの予定表は、トルーマン大統領が七月中旬に、ポツダムで予定しているスターリンおよびチャーチルとの会談に合わせて動いていた。オッペンハイマーは後の保安聴聞会で(次のように)証言した。「ポツダム会談前に爆弾を完成するよう、われわれは想像を絶するプレッシャーを受けて仕事をしていたと思っている。(以下略)」(上巻495ページ)

 歴史的なポツダム会談は、終戦の年の7月17日から8月2日。

  さらに、もう一例。

 「このような長時間労働にだれもが疲れきっていた。グローブスは完全さよりもスピードを要求した。「八月十日近辺という日付が、謎めいた最終期限であった。爆弾を準備する技術的な仕事に携わっていたわれわれにとって、リスクや金や、立派な開発方針を犠牲にしても、絶対に守らなければならない期限であった」」(上巻495ページ= 写真)

  この八月十日というのは、日本が無条件降伏を連合国側に申し入れした日。しかも、当時、スターリンが遅くとも対日参戦すると約束した八月十五日直前の期日。ソ連が地上軍を投入、対日参戦すれば日本は「一巻の終わり」だと当時ほとんどの関係者が考えていた(だから、アメリカはソ連が参戦する前に原爆を投下する必要があった。ソ連参戦は8月9日であり、滑り込みセーフのギリギリの原爆投下だった)。

 ● 降伏前に一刻も早く開発

 この緊迫した情勢から、アメリカが、

 日本が降伏する前に、一刻も早く爆弾を完成させ、ただちに日本に投下しなければならないと焦っていた様子が十分にうかがえる。

 アメリカは、これ以上犠牲を出さないよう、日本との戦争を早く終わらせたいがために原爆を投下したというのが定説化している。

 しかし、実際は、今にも降伏しそうな日本を米英はハラハラしながら、みていた。そして、降伏はもう少し待ってくれ、原爆投下後にしてほしいと祈るような気持ちで、原爆開発を急いでいたのだ。米英の戦後世界の主導権を確保するために。

 ● 投下の狙いは、戦後の米英主導権の確保

 原爆投下は、米英の戦後世界の指導権確保のために利用された。広島、長崎はその犠牲者なのだ。この意味では、

 戦争終結に原爆投下は必要なかった

というオリバー・ストーン氏の主張は正しい。同氏は『もう一つのアメリカ史』の共同著作者の一人。同著でこの主張を述べ、米政府の原爆投下の正当性を最近批判している。最近の広島講演でも同氏は同様の主張を述べている(8月6日付「中日」社会面)。

 ブログ子も、原爆投下の狙いが日本に降伏をうながすものなどではなかったという意味で、この主張に賛成したい。

 そもそも、戦争で降伏するかどうかは、空爆などの航空戦ではなく、地上戦が決定的であるという歴史的な事実がある。原爆投下も例外ではない。湾岸戦争にしろ何にしろ、決着は地上軍の投入なのだ。この軍事常識を見落としてはならない。その意味では、アメリカが終戦の年の秋、大規模な九州南部上陸作戦や関東の房総半島上陸作戦を計画していたのは、うなづける。

 同氏はそれ以上明確に述べていないが、

 原爆投下は、米英の戦後の世界戦略を主導するために必要だった

のだ。

 あからさまに言えば、アメリカにとっての関心事は、原爆開発が完成するまでは、日本が白旗を上げて早々と降伏してもらっては困るということだけだった。その意味でアメリカの本音は、6月時点では時間稼ぎとして、対日戦争はもう少し長引かせたかったであろう。

 連合国側と陸続きのドイツと違って、日本が島国であり、世界から隔絶していた。また人種的な偏見も手伝って、投下に対する人道的な抵抗感はほとんどなかったであろう。

 外交とは、かくも愛国的で、またかくも残酷、非情なのだ。では、なぜ、このように外交は非情なのだろう。簡単である。外交とは、外交官にとって、所詮、他人事だからだ。痛みなど感じない。 

 被爆国、日本は、この厳然たる現実を忘れてはなるまい。核兵器は絶対悪であるとのんきに言っているだけでは、核のない世界はいつまでたっても実現はしない。

 補遺

 Image1858_2 原爆開発に関する優れた本に、もう一冊、科学ジャーナリストの手になる浩瀚な

 『原子爆弾の誕生』(R.ローズ、原著=1986年。邦訳=紀伊国屋書店、1995年)

がある。著者は執筆に当たって長崎や広島にも取材、これまたピュリツァー賞をこの著作で受賞している。中身としては、国際政治の観点よりも、主として科学的な観点に主眼が置かれている。

 ● 補遺 

 Imgp0147_2 原爆無縁死没者がいまだに広島、長崎合わせて900人以上いる。右の写真は、遺族を探す掲示(浜松市のアクトシティ。2013年8月)。それらの人々も今、遺族がわからなくても原爆供養塔(広島・平和記念公園内)などに静かに眠っている。 

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