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原発事故、大きすぎて起訴できない

(2013.08.12)  原発事故、全員不起訴へ、という朝日新聞の1面トップ記事(8月9日付)を読んで、ブログ子は、つくづく

 大きすぎて起訴できないのではないか

という感想を持った。Image185720130809

 刑法の業務上過失致傷罪を問うためには、事故の予見性と回避性があったかどうかが焦点であるとは、以前にもこのブログで、いちいち詳しく論じた。

 しかし、記事によると、そのいずれもなかったと検察は判断しているようだ。かろうじて、原発事故と傷害の因果関係はないとは言えないとしているに過ぎない。それでも、そもそも放射線の傷害があるのかどうかも、今の時点では裏付けられないとしている。

 これだけ大きな事故を引き起こしていながら、東電があまりに大きな組織であるために、そこで働く社長や会長など幹部、あるいは当時の首相などの個人の責任は問えないというのならば、検察の威信は地に落ちるであろう。

 最初から立件の意志がなかったと思われても仕方あるまい。このままでは、安全神話を振りまいておけば、業務上当然払うべき注意義務は問われないことになってしまう。ここに問題があるのに。

  今こそ、市民感覚のある検察審査会の出番であろう。不起訴不当、起訴相当の判断をするときではないか。

 ● 静岡新聞社説 捜査は尽くされたのか

 この不起訴処分について、地元紙の静岡新聞の9月14日付に

 捜査は尽くされたのか

という社説を掲げている。事故当時の菅直人首相に対しては、本人が拒んだため直接、事情聴取をしていない。責任を否定する文書を受け取っただけというのでは、捜査が尽くされたとは言えない。

 少なくとも、事故の現場検証ができるまで処分を保留する選択肢もあったのではないかと社説は述べているが、うなづける。

 さらに社説は「予見可能性は厳格に問うべきだが、検察の判断は甘すぎないか」と捜査のあり方に疑問を投げかけている。

 こうした社会的に大きな影響のある事件では、公判のなかで、新たな事実や証言を発掘していこうという姿勢が検察には求められる。はじめから立件は困難と判断し、見極めが甘く、逃げ腰の姿勢では、予断を生み国民からの支持は得られまい。

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