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隕石をめぐる「ポスドク」連続殺人事件

Image1724 (2013.07.07)  高名なミステリー作家、横溝正史風に言えば、この小説のテーマは

 「ポスドク」連続殺人事件

ということになろうか。

 ポスドクというのは博士研究員(任期付)のことだが、「この小説」というのは、新進作家、伊与原新氏の最新刊

 『ルカの方舟』(講談社、2013年7月)

のことである。

 ● 『ルカの方舟』の著者

  伊与原氏は、3年前に別の作品で、横溝正史ミステリー大賞を受賞し、今、まだ40歳になったばかり。経歴が神戸大理学部を卒業後、東京大学理学部大学院博士課程修了と聞いて、ブログ子は、ピンときた。

 ご本人も、東大でポスドクか、それに近い競争の厳しい研究環境に10年前後置かれていたのであろうと推察できた。

 それも、作品内容のかなり高度な地球科学的な最新知見を駆使していることからみて、専門分野は

 地球科学、それも地質学関連

だったのではないか、とも想像できた。付け焼刃ではこんなすきのない作品はつくれない。

 著者自身が、おそらくモデルであろう、うだつの上がらないポスドクが、隕石の分析をめぐってふたつの殺人事件を引き起こすというのがストーリー。

 二つもの殺人事件を引き起こしてまで、なぜ任期付きのポスドクが証拠ねつ造やデータ改ざん、論文盗用をするのかというところが、読み手側としては興味がわくだろう。着眼点はすばらしい。

 その社会的な背景には、耐え難いほどの競争があるという厳しい現実がある。それを隕石の分析という先端的な地球科学分野で具体的に、そしてミステリー風に描いてみせたのだ。

 ● 「地球外生命」証拠ねつ造ミステリー

 このストーリーを重視して、小説の題名を決めるとしたら、

 「地球外生命」証拠ねつ造ミステリー

ということになろうか。

 火星などの地球外生命という宇宙のロマンと、若手研究者の研究環境という現実の厳しさとのコントラスト。

 これが、これまでにはない新しさであり、「売り」だろう。著者自らの体験を土台にしているだけにリアリティがある。

 テーマのこの着眼点や地球外生命の仮説の着想では元研究者らしく見事である。

 しかし、なのに、小説としての完成度は、まだまだ低い

と言わさせるを得ない。それは、理系作家として、人間が描けていないというだけではない。

 ● 惜しまれる舞台設定のずさんさ

 宇宙のロマンのほうは見事なのに、また、若手研究者の環境の描写も説得力があるのに、対照的に、全体の舞台設定があまりにずさんなのだ。

 ジャーナリズムの現場を少しは知っているブログ子としては、これは見過ごすわけにはいかない。がっかりだ。大きくこの小説を毀損している。

 具体的に指摘したい。

 論文ねつ造スキャンダルなのに、それをかぎつけてきた科学雑誌記者が件の大学の論文ねつ造調査委員会に加わる。しかも、なんと大学と協力して真相を突き止めるというストーリーになっているのだ。

 そんなばかな大学は日本広しといえどもあるはずがない。隠そうとする大学をあばくストーリー展開が普通だ。これでは、せっかくの科学雑誌記者はまるでバカということになってしまう。事実、ピエロ的なバカを演じていた。

 あるいは、それどころか、殺人事件を捜査する捜査員も委員会に加わるという設定なのだ。こんなことはそれこそ

 1000%あり得ない

と断言できる。それほどあり得ない舞台設定である。

 ましてや、ねつ造の予備調査に加わった刑事が大学の委員会などで大学関係者の逮捕状をとる予定だと事前に捜査情報を委員会で漏らす。そんな堂々たる情報漏えいは、それ自体が刑事事件であり、読んでいてあ然とした。

 逮捕された研究者の供述内容がことこまかに刑事から大学や加わった雑誌記者に同時進行風に伝えるというのも、非常識。こっけいですらあった。

 これらは、ジャーナリズムについて著者が無知であることをさらけ出したことになる。官憲とアカデミズムの緊張関係がまったくない。警察がみだりに大学に出入りすることすらはばかられるのに、「癒着」している筋立てになっている。

 このほかにも、現実にはあり得ない設定が散見される。ミスではないものの、いわゆるご都合主義で事がトントンと運ぶ場面も多い。これなど、いくらミステリーだからといって、現実無視であり、あまりにひどい。興ざめである。基本的な原因として、著者の筆力不足がある。

 宇宙のロマンの精緻な着想と、現実の殺人事件捜査の舞台設定でのずさんさとの間には、極端な落差がある。これが作品を大きく毀損している。

 Image1727 ● 二兎を追った結果か

 筆力もさることながら、こうなったより根本的な原因は何なのだろうと考えた。そして、気づいた。

 宇宙のロマンと、ポスドクの厳しい現実

とを、どっちつかずに小説化したことだと気づいた。よく言えば、欲張った。詰めすぎた。しかし、はっきり言えば、いわゆる

 二兎を追った結果

ではなかったか。体験により著者のよく知っている若手研究者の厳しい現実のほうに重きを置いたほうがよかったと思う。そうすれば、この小説のインパクトは大きくなっただろう。

 二兎を追ったために、筋があちこちに飛び、ミステリーとしての論理一貫性がなくなってしまった。これには、著者自身もこまった、というか、もてあましたであろうと想像する。

 もっとはっきり言えば、二兎を追ったために、あり得る話なのに、あり得ないという印象を読者に与えてしまうのではないかとブログ子は危惧する。

 これは作家として若さが出たというべきかもしれない。かかわった二人の編集者のアドバイスがどういうものであったか、少し気になるところだ。

 ● 「砂の斜塔」に絞る

 批判ばかりしているのはなんだから、競争の激しいポスドクに重きを置いて、タイトルを付けるとすれば、どうなるか。少し古いが、松本清張風に書けば

 砂の斜塔

というのはどうだろうか。

 大学はもはや若い人材を育てる「白い巨塔」ですらない。砂のように崩れつつある大学という意味だ。

 この10年で、小説に描かれたような行き場のなくなった若手のポスドクは、文部科学省調査では、推計だが2万人にも膨れ上がっている。

 独創的で、革新的な成果は、若手研究者によって担われている場合がほとんど。その若手の研究意欲がこの10年で大きくゆがんできていることは、否定できない事実である。

 出身地の大阪弁を効果的に取り入れているなど、伊与原氏には才能のあることはわかった。次回作に期待したい。

 読み終えて、そう感じた。

 ● 補遺  数学小説『SF 知識鉱脈』

 Image1726 伊与原氏の作品より、さらに高度な物理学的な専門知識を駆使したSFには、あまり知られてはいないが、

 数学小説『SF 知識鉱脈』(笹原雪彦、日刊工業新聞社、1979年)

がある。1970年代のエネルギー危機を背景にした小説。着想として

 エネルギーと情報の等価性

というアイデアをSF化している。著者は京大理学部出身で、ここでは大手新聞社の科学部記者が登場する。

 高度に専門知識を駆使するSFの元祖としては、東北大薬学部大学院出身の瀬名秀明氏の出世作

 『パラサイト・イヴ』(1995年)

はあまりにも有名。ミトコンドリアの反乱をホラー化した。ホラーとはいえ、木村資生氏の世界的な業績、分子進化の中立説が紹介されているのにはびっくりしたものだ。

 それに比べると、ずいぶんとレベルは下がるが、恥ずかしながらブログ子にも

 法医学ミステリー『先生、事件ですよ !!』(関西新聞社編、恒友出版、1986年)

がある。こちらは、SFではなく、現実に起きた事件を大阪医科大学法医学教室に取材したノンフィクションである。

 なお、ポスドクの研究環境については、告発の書といってもいい

 『高学歴ワーキングプア 「フリーター生産工場」としての大学院』(水月昭道、光文社新書、2007年)

や、最近では、科学・技術政策ウォッチャーで、自らも医学系ポスドクだった若手による

 『博士漂流時代 「余った博士」はどうなるか?』(榎木英介、ディスカヴァー・トゥエンティワン、2010年)

がある。いずれの著者もポスドク体験者であり、ポスドクの深刻な実情がひしひしと伝わってくる。

 科学・技術大国日本とはいうものの、その現場やその将来がいかに希望の持てない寒々としたものであるかが、両作品からは伝わってくる。

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