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平成デモクラシー 政治主導とは何か

(2013.07.22)  参院選が「ねじれ」解消の結果となったことを受けて、あらためて、この20年、ことあるごとに叫ばれてきた

 Image1738 政治主導とは何か

について、考えてみたい。

 そう思っていたら、政治学者の佐々木毅東大名誉教授が、講談社の情報誌『本』2013年6月号で

 「平成デモクラシー」を問う

という寄稿をしていたのが、興味深かった(写真)。東大での最終講義の内容のポイントがまとめられている。

 平成デモクラシーとは目新しい用語だが、明治藩閥政治から政党内閣制への移行や普通選挙の実施など自由主義の風潮が高まった大正デモクラシーとの対比で、名づけられたものであろう。

 ● 政治家主導との違い

 この中で、佐々木さんは、平成デモクラシーを特徴付ける言葉の一つは、政治主導であると語っている。そして、

 政治主導とは、政党主導のことである

とズバリ喝破している。これを政治家主導と解するのは混同であり、誤解だという。

 「つまり、政治主導と政治家主導は同じどころか、時には相矛盾する現実を意味する」

と説く。

 「逆にいえば、政治主導は政治家に対する組織的な統制力なしにはあり得ないのであって、政治家たちがそれぞれ勝手なことをいうこととは両立しない」

と論じている。政党内で議論を徹底して煮詰める組織的な努力は、日本はほかの先進国に比べてきわめて不十分だという。見事な分析である。

 だから、民主党は瓦解した、党内ガバナンスがなかった

というわけだ。こうなると、衆参が「ねじれ」ていたから、決められなかったのではないということになる。ねじれていなくても、政治家主導では決められない政治に早晩陥ることになったろう(注記)。

 ● トップの指導力は、政治主導の代替

 この四半世紀、リーダーは

 指導力を発揮せよ

と社説などで叫ばれ続けてきた。しかし、これは、未成熟な、あるいは組織的な弱体を補う政党主導の代替なのだ。

 佐々木さんは、こうした分析から

 平成デモクラシーはなお暫く真摯な自己改革を必要としている

と結んでいる。

 ● 政治改革の実現、なお道遠し、

 政治家と政党関係の未熟さについて、佐々木さんは

 ほとんど当時(明治後期の政治家、中江兆民時代)のまま今も残り続けている

と東大最終講義で示唆したと書いている。

 それはなぜなのかについては、佐々木さんは何も書いていない。ブログ子に言わせれば、その原因は、徹底的な議論を避けたがる日本人の

 物言えば唇寒し秋の風

の風潮だろう。松尾芭蕉の警句らしい。代わって、

 阿吽の呼吸

を良しとする〝美風〟である。

 ● 「男は黙ってサッポロビール」の国

 西欧では、政治に限らず、スピーチは重要なコミュニケーションの手段である。論理的にユーモアを交えて話す訓練を学校でも習う。日本にはない修辞学である。スピーチがうまいことは政治家の必須条件。スピーチライターというビジネスまである。

 よく考えれば、そんなことは当たり前で、そもそもデモクラシーというのは、言葉、もっと言えば演説やスピーチで成り立っている。

 それなのに、これに対し、日本では明治まで「演説」という言葉はなかった。ながながと演説することは「口舌の徒」としていやしむ風潮すらあったことは注目しなければならない。

 一言で、言えば

 男は黙ってサッポロビール

をよしとするのが日本なのだ。

 これでは、とても日本はデモクラシーの国とはいえない。民主主義という言葉やその仕組みを明治期に輸入した国のひ弱さと言えるだろう。要するに根付いていないのだ。

 こうなると、佐々木さんならずとも、政党主導という党内熟議が求められる平成デモクラシーの政治改革はなお道遠しといえそうだ。

 ひょっとすると、この解決は政治改革では無理なのかもしれない。日本文化の深層にかかわる大変にむずかしい課題、というか壁のような気がした。とすれば、なおなお道遠しだ。

 佐々木さんの話を読んで、そう感じた。

 ● 補遺 日本を「取り戻す」とは 平成政治の見方

 佐々木さんの最近の論考には、もう一つ

 日本を「取り戻す」とは

という評論がある(2013年7月14日付中日新聞「言論」欄「視座」)。このところの自民党の選挙公約のキャッチコピーについて書かれている。

 この論考では、日本の政治は過去志向が根強く、未来志向には弱いという点で際立っている

と分析している。

 取り戻すという言葉には、過去の何を取り戻すのかという問いかけが否応なくつきまとうと佐々木さん。

 既得権益を守る従来型の利益誘導と決別して、「新しい日本を創り上げていく」という今回の自民参院選公約においてどこまで未来志向を貫けるか、と今後の政治の「視座」を提示している。

 自民党が既得権益などの過去志向に埋没するようでは、アベノミクスは足元から崩壊するであろうと予言している。

 なるほどと感心もし、大勝後の自民党政治をみる視点として重要な見方であろうとも思った。

 以上、佐々木さんの二つの論考を読んで、平成政治の見方が少し変わってきた。一読をすすめたい。

 ● 注記

 民主党の政治が、政治家主導であったことは、元首相だった鳩山由紀夫氏のたびかさなる反党行為騒ぎが示している。

 最近でも、この参院選で、民主党が政党として党公認を取り消したのに、菅直人元首相が取り消された候補者を応援している。このような反党行為が象徴しているように、政党の体をなしていないことは明らかであろう。

 官僚主導から政治主導を叫んている民主党だが、その実態は政治家個人主導だった。これでは政党としてガバナンスがなかったと批判されても仕方あるまい。しかも、その個人主導も、田中角栄元首相のような指導力はなかったのだから、政権崩壊は当然の帰結だろう。

 民主党政権は、自民党に敗れたのではない。政治主導をはきちがえたから、敗れたのだ。

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