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泣いて馬謖を斬る その真相とは

(2013.06.24)  もう50年近く前の話だが、高校時代の漢文の授業で

 泣いて馬謖(ばしょく)を斬る

というのを習った。高校2年のときであったように思う。意味は、

 私情においては忍びないが、組織の規律を保つために、やむを得ず取り立てたり、愛していた人たちの過ちを厳しくとがめ、処断する

という三国志の故事として名高い。後代の小説「三国志演義」もその解釈において大同小異。

 蜀の諸葛孔明は、魏との乾坤一擲の戦いに、小さい頃からの知り合いであり、また武将でもある馬謖を大抜擢。しかし戦ったものの、孔明の指示には忠実ではないこともあり、魏軍に大敗してしまった。

 痛手は大きく、孔明はやむなく馬謖の責任を追及し、斬ったという史実に基づくらしい。

 実は、習ったときから、この解釈にしっくり来なかった。が、さりとて反論もできないまま、今日に至った。

 指示はあったにしても、戦いは臨機応変が大事である。抜擢が裏目に出て大敗したからといって、任せた以上、孔明にこそ結果責任=任命責任がある。これを認めるのが将師の将師たる節操ではあるまいか。結果をみて、あれこれいうのは卑怯ではないか、という思いだった。

 それというのも、軍律うんぬんがさほどに問題なら、仮に大勝しても、馬謖を処刑したであろうか。そうではあるまい。将師のご都合主義のほうが軍律を最も乱すもとであると考えたい、

 早い話、蜀の王、劉備に自分がとがめられるの恐れて、孔明は先手を打ってあわてて馬謖を斬ったのではないか。

 これが、ブログ子の見方である。

 ● 作家、宮城谷昌光の新解釈

 ところが、この10数年、月刊誌「文藝春秋」に「三国志」を毎月休むことなく連載していた作家、宮城谷昌光さんが、馬謖の故事について

 ただちに斬ったのは孔明の自己保身

との新解釈を語っており、わが意を得た思いだった。

 連載145回にわたる大長編である。それが、この7月号で完結したのを記念したインタビュー「「三国志」歴史に何を学ぶのか」の中で披瀝している。

 正史「三国志」にできるだけ忠実に従い、小説「三国志」を執筆した。その結果、孔明の本質は、現実的な内政家であると喝破する。その上で、この新解釈を打ち出している。単なる思い付きではないところに、解釈の重みを感じる。

 Image1693宮城谷さんはいう。

 認めた異能の人物の汚名をすずぐ機会を与えてこそ、国家の利益になる。殺してしまっては元も子もない。将師が敗戦の責任を部下になすりつけたと言われても仕方がない

と、はなはだ手厳しく語っていた。

 その通りだと思う。

 斬ってしまっては一罰百戒にはならない。死人に口なしだ。心ならずも、泣いて、というのは、あとからつけた格好づけといえる。

 自己保身のほうが、よほど諸葛孔明の人間性に深みが出てくる。自己保身から馬謖を斬るか、余人をもって代えがたい逸材にカムバックのチャンスを与えるかという悩みに悩む選択の深みである。理想主義者ではない悩みともいえよえう。

 そこに、史実としての人間、諸葛孔明があろう。

 孔明は神のごとき智謀の人というのは虚構であり、幻想だ。それはまた、都合のいい後知恵でもあろう。後代の小説、三国志演義に引きずられすぎるのは禁物だ。

 諸葛孔明の名望は、全体的に実体とはかなり乖離しているような気がする。乖離がはなはだしいと、話がこっけいになる。

 このインタビューを立ち読みして、50年来の胸のつかえがとれた。このブログの隠しテーマ、

 常識を疑え

の典型例がまた一つ増えた。

 あの世の諸葛孔明も、きっとこの新解釈に、微笑み、うなづいていることだろう。

   (写真は、かつてブログ子が愛読した『秘本三国志』(陳瞬臣、文藝春秋、1977)。最終巻の第6巻に描かれている馬謖の故事部分)

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