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勝者の自虐史観「もう一つのアメリカ史」

Image1645_3 (2013.06.18)  NHKが衛星放送BS1でシリーズ放送していた

 オリバー・ストーンが語るもう一つのアメリカ史

が、先日、第10回(テロの時代 ブッシュからオバマへ)で完結した。

 ● 未来志向の史観

 もともとのタイトルは

 The Untold History of the United State

というもので、2012年にアメリカで放送されたものらしい。

 この「The Untold History」というのを、一言で要約して言えば

 (太平洋戦争の)勝者の自虐史観

ということだろう。4月からの一連の番組を見終わって、つくづくそう感じた。勝者の素朴な愛国史観に対し、警鐘を鳴らしている。

 太平洋戦争の敗者、日本の自虐史観=東京裁判史観とは異なり、増長する愛国史観に高転びするぞという未来志向の警告を発している。

 日本の自虐史観は、後ろ向きの自虐史観。戦前の日本は朝鮮半島、中国大陸、東南アジアの国々を侵略し、多くの国民に多大な犠牲を強いた、すまなかったというものとは質的に違う。

 ただ、似ているところもある。ベトナム戦争では日本と同様、アメリカは惨めな敗者となったことである。自らも従軍したこの戦争の体験者、オリバー・ストーンが、この10回シリーズを語ったというのは偶然ではあるまい。

 警告を込めた未来志向の自虐史観は、敗者の中から生まれるのであって、決して勝者のおごりからは生まれないことを示している。

 ● トルーマンとブッシュ・ジュニア

 シリーズでおもしろかったのは、やはり、勝者となった第二次大戦前後の話。

 ながながとは書かないが、ひとことでまとめれば

 ハリー・トルーマンというのは、

 ひょんなことから副大統領に選出され、ひょんなことから大統領にまでさせられてしまった世にもまれな小心小男。

 その小男がこれまた、小心ゆえに

 ひょんなことから日本に原爆投下までをも引き受けさせられた自信過剰男だったというエピソードは皮肉たっぷりでおもしろい。

 言いえて妙で、この酷評は多分に真実だろう。

 Image1508_2 シリーズ最終回に、これと似たような小心小男として、ジョージ・ブッシュ・ジュニアが登場する。9.11の同時多発テロ時の大統領である。

 勝つためには手段を選ばず、ウソの口実で無理やりイラクを戦争に引きずり込んだ。その揚句、イラクにあるはずだった大量破壊兵器は存在しなかった。国連安保理を舞台にしたあまりにも破廉恥な茶番だったことが白日のもとにさらされた。

 ● 欺瞞に満ちたオバマ大統領

 しかし、ブログ子がみるかぎり、欺瞞に満ちた大統領というのは、小心でも小男でもないが、

 バラク・オバマ

の右にでるものはない。

 国内的には透明性の高い社会を、国際的には法と秩序の国際社会をうたう。しかし、ビンラーディン容疑者暗殺にみずから先頭に立ち、ついにはパキスタンの主権を踏みにじる形で暗殺を堂々と実行したその

 超法規的な手段

は、まさにオリバー・ストーンが言うように

 ヒツジの皮をかぶったオオカミ

である。裁判無用、問答無用と、その場で無抵抗の容疑者を射殺。暗殺実行前に練られたシナリオどおりの非道さを押し通した。

 イラク戦争の時には拘束した元サダム・フセイン大統領をその場で射殺したりはしなかった。形ばかりとはいえ、イラク人による裁判を行い、その結果、判決どおり、絞首刑に処せられた。オバマ政権にはそうした配慮すらなかった。問答無用という無法ぶりを大統領自身が演出するなどというのは前代未聞といえよう。

  標榜する言葉とは裏腹なその極端な無法ぶりは驚くべきものだ。このようなことは、ブッシュ・ジュニア時代にもなかったのとは、著しい違いであろう。

 国内的には、リーマン・ショックの不当なほどの金持ち救済策が番組では取り上げられていた。これがショック後のアメリカ社会をますます

 超格差社会

にしている。

 テクノロジーへの極端な過信もある。際限ない無人兵器の開発がその例であろう(写真中=米空母からのステルス無人戦闘機の発進テストの光景。2013年5月16日共同通信配信)。この光景は、戦争が人間同士の戦場でのぶつかりあいから、一変、人間とロボットの戦いという非人間的な新しい段階に入ったことを物語っている。

 テクノロジーを駆使し、人間同士の信頼より、勝つためには手段を選ばないというやり方はますます

 テロの時代

を過激なものとしていくであろうと番組は警告していた。

 Image166020130614 テクノロジー過信の究極の現われが、最近暴露されたネット監視という

 米情報機関「国家安全保障局」(NSA)による極秘の情報収集

であろう(写真中=2013年6月14付朝日新聞)。これまでベールにつつまれていた米巨大情報機関の諜報活動が通話記録、通信記録の収集にまでおよんでいたという一大スキャンダルにまで発展している。

 ここには、ビンラーディン暗殺後の今も、テロの恐怖に支配されているアメリカ政府の自縄自縛的な姿がある。

 ● 後ずさりする勇気

 かつて偉大な大統領、F.ルーズベルトは

 「ソ連との軋轢を過小評価したい。こうした衝突は避けることができると信じている」

と述べたという。

 さらに言えば、米ソ冷戦の最中、キューバ危機では、米ソともに土壇場で

 後ずさりする勇気

を示して、人類の危機を乗り切った実例がある。前を向いたまま後ろに下がることは、決して敗北でも、弱腰でもない。前に進むことによって引き起こされる最悪の事態を自ら回避するための冷静な判断の結果であり、理性的な行動の表れである。

  このような高度な判断や理性的な行動は機械やコンピューターには、決して、そして、およそできないことを忘れてはなるまい。なぜなら、そこには人間同士の信頼感があるからだ。人間だけが理解できる論理をこえた冷静な判断があった。

 この意味で、兵器の極端なテクノロジー化には、論理的であるがゆえに意外な、そして取り返しのつかない盲点や落とし穴がある。

 テロの時代にあって、アメリカはテロの脅威を過小評価する勇気がいまこそ要るのではないか。かつての共産主義社会の極端なまでの密告社会がどんな末路をたどったか、今一度、アメリカは二の舞にならぬよう、振り返ってみる必要があろう。

 テロから国民を守るためという目的は手段を決して正当化しない。

 アメリカは今、テロの恐怖の下、不透明で法と秩序のない自滅の道を自ら歩んいるように思えてならない。

 アメリカの真の敵は、異国の地にではなくアメリカ人のなかにいる。アメリカは今、それを忘れている。

 シリーズを見終わって、そう思った。

 注記

 Image1659 自虐史観というのは、素朴な心情に訴える愛国史観同様、いつの時代にも、どこの国にもある。どんな国にも汚辱の歴史が一つや二つはあるからだ。たとえば、お隣り韓国にだってある。

 そんな韓国人による最新刊が書店にも並んでいる(写真下=浜松市内の書店)。

 反日民族主義を国是として国民を洗脳しなければ国が成り立たない韓国の悲しいまでの事情を語る

 『困った隣人 韓国の急所』(井沢元彦/呉善花、祥伝社新書)

や、韓国は先進国かと疑問を投げかけ、日本人が知らない素顔の韓国について語る

 『歪みの国・韓国』(金慶珠、祥伝社新書)

など、枚挙にいとまがない。

 しかし、勝者の自虐史観というのは珍しい。敗者の負け惜しみなどではなく、勝者のおごりを自ら戒めていると考えれば、オリバー・ストーンの放送もわかりやすいかもしれない。

 そういう意味で、ストーンは

 勇気ある「真の愛国者」

かもしれない。

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