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「テレビの消える日」は来るか 放送60年

Dsc018122 (2013.06.27)  アメリカの経済学者だったと思うが、かつて

 『テレビの消える日』(邦訳=講談社、1993)

という本を書いた人がいた。J・ギルダーという未来技術に明るい人だったらしい。1990年にこの原著が出たときのタイトルは

 Life After Television 

というものだった。テレビ時代の次に来る未来の暮らし、というぐらいの意味だろう。

 ● J・ギルダーの恐るべき予測

 テレビは将来、パソコンに取り込まれてしまうだろう。そして、パソコンと融合した、いわばテレコンピュータとも言うべきテレビは、視聴者と双方向性の機能を持つようになるだろう、と予測した。まだインターネットのなかった時代だったから、その卓見たるや、敬服に値する。

 地上デジタル放送が本格化した今、スマホならぬ、スマートテレビの時代が模索されている。このことを思うと、その予見性は、20年先を見越したものであり、技術革新の速いこの分野であることを考え合わせると、驚異的であるとさえ言える。

 世界に先駆け、今のような方式のテレビの研究が日本の浜松市で始まって今年で90年。日本でテレビ放送がNHKと民放で本格的に始まった1953年からでも、今年で60年がたつ。

 しかし、ブログ子に言わせれば、人間の感覚器管の中で最重要な視覚機能の延長としての

 テレビが消える日は、永遠に来ない

と断言したい。テレビがパソコンに取り込まれてしまうことはない。独自の存在感を持ち続けるであろう。生物学的にみて、今の人間が人間のままである限り。

 Image1702 確かに、テレビは、これからも人間の視覚機能の延長として、パソコンとの融合など、これまでより速いスピードで、より高度に進化していくかもしれない。しかし、それも、人間の進化と無縁に進化することはあり得ない。そこには技術の進歩がこえることのできない生物学的な限界が存在する。

 人間の視覚機能を最大限引き出すことはできる。しかし、人間が備えている機能をこえる技術進歩は、無意味であり、退化であろう。

 その意味で、人間の目の延長としての「テレビの消える日」は、永遠に来ない

と思う。

 ● テレビ発祥の地、浜松

 今年は、「テレビの父」と言われる浜松市安新町出身の高柳健次郎氏が、今のような送像側も受像側も全電子方式のテレビ研究を志した1923年から90年。翌年、1924年には、浜松高等工業学校で、組織としてその創造研究を本格的に開始している。校風は

 自由啓発

だった。

 その「テレビジョン発祥の地」という立派な記念碑が、浜松市立高校隣接地の西部協働センター(浜松市中区広沢1丁目)の道路沿いに建てられている(写真上)。

  そこにかかげられた高柳直筆のレリーフによると

 「全電子方式を採用し、世界に先駆けて撮像管受像管を発明し、大正十五(1926)年十二月二十五日「イ」の字の受像に成功」(注記)

とある。「テレビ完成は昭和十年、(今のような)全電子方式テレビを完成。今日のテレビの基礎技術を確立す」とつづく(写真中=写真をダブルクリツクすると、いずれも拡大)。

 テレビの時代は、まさに昭和とともに始まったといえるだろう。

  Image1699 高柳氏がテレビ開発に心血を注いだ

 浜工専電子研究所

の場所については、上記の協働センター正面玄関脇に、

  浜工専電子研究所跡

という標柱がたっている(写真下)。

 ● テレビは20世紀最大の発明

  こうした歴史を振り返ってみてもわかるが、今のテレビの画面は、当初のブラウン管から液晶などにとって変わられたものの、白黒テレビがカラー放送に移行したものの、その大きさといい、社会的機能といい、ほとんど変化していないことに気づく。

 それでは、逆に考えて、仮に、テレビが消える日が訪れるとしたら、それはどんな状況のときであろうか。それは、人間の目が退化して、なくなる日であろう。

 そのときは、テレビ独自の存在意義はなくなる。パソコンなどのほかのものに取り込まれてしまうだろう。そんな日が100年後、200年後、いや1000年後にすら来るとは、ブログ子にはとても想像できない。

 Image1777 20世紀の重要な技術発明として、コンピューター、原子爆弾などが挙げられることが多い。しかし、ブログ子は、テレビこそ20世紀最大の発明と考えている。人々の消費行動を支配するというほかの発明では考えられない社会的な機能を果たしているからだ。

 さらに、時間スケールを拡げると、人類の大発明、つまり火の発明、印刷術の発明にも匹敵する発明だとも思う。

 ただ、火にしても、印刷にしても、テレビにしても、いずれもあまりにも身近であるだけに、その偉大さに気づきにくいだけのように思う。

 ● テレビ技術発達小史

 参考文献としては、

 http://www.nhk.or.jp/strl/aboutstrl/evolution-of-tv/index.html 

が、簡潔で一般にもわかりやすく、手ごろである。

  注記 

 浜松科学館(浜松市)には、このときの高柳の実験を忠実に再現した展示が常設されている。90年たった今でも、当時の様子を知ることができる。

 その様子が最下段の写真。左側の送像側から、右側のブラウン管型テレビ(通称、イ号テレビ)に、イロハの「イ」が伝送されてきている。

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