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生命とは何か ワトソン論文から60年

Image16812 (2013.06.24)  生物学に革命をもたらしたワトソン論文が1953年、世界的な科学誌「Nature」に掲載されてから、今年でちょうど60年(写真上= 同論文とワトソン著『二重らせん』(1968)も)。

 そのせいか、日本の科学雑誌「ニュートン」が最新の7月号で

 生命とは何か

という総力特集を組んでいる。生きているとは、どういうことか、死んでいる場合に比べてどこが違うのか、という問題に光をあてている。

  60年たった今も、その明解な解答には程遠い。

 ●分子、細胞、個体レベル

 ワトソンらの論文は、遺伝情報を担うDNAの構造決定という分子、すなわちミクロレベルでの確固たる出発点を提示してみせた。生物の設計図にあたる細胞内の染色体(ゲノム)の正体は、このDNAであり、遺伝情報はここに書き込まれていることがわかった。

 これに対し、マクロレベルでは、生命とは、一般に

 植物にしろ、動物にしろ、動くこと

 外界からエネルギーを取り込んでいたり、要らないものを外界に排出していること

 自らを複製し、子孫を残すことができること

の3要素が不可欠であるといわれている。死んでいれば、動くこともないし、えさをとることもない。また子どもを産むこともない。

 このミクロレベルとマクロレベルの間がどういうふうにつながっているのか。これを解明する60年だったといえよう。

 Image1678 問題なのは、DNAというのは遺伝情報が書き込まれた物質に過ぎないという点だ。そこから生命のもとであるたんぱく質をどのようにつくりだしているのか、ということがわからなければ

 生命とは何か

はわからない。だから、ミクロとマクロを具体的につなぐには、DNAからたんぱく質を生み出す場、

 細胞の存在

とセットでDNAを考える必要がある。 

 だから、このつなぎの場として、生命とは何かにとって

 細胞からなりたっていること

という第4の要素が必要だろう。アメーバのような原始的な生きものであれ、何であれ、細胞でできていない生命というのは考えられない。それはちょうどDNAを持っていない生命が考えられないように。

 生物は死ぬと、いつかはそのすべての細胞は分解する。

 これで、分子レベル、細胞レベル、そして細胞同士がくっついている個体レベルと出そろった。

 ● シュレーディンガー『生命とは何か』

 それでは、このそれぞれの階層を貫いている物理学的な原理は何か。物理学的な、というのは、この宇宙全体にいろいろな生物がいるとしても、地球生物だけでなく、すべてに共通する原理という意味だ。

 Image1683 これを深く考察したのが、オーストリアの世界的な物理学者、シュレーディンガーである。その講演(1944年)の内容は

 『生命とは何か』(岩波新書、1951年。写真中)

におさめられている。この講演録は、上記のワトソン博士など多くの生物学者に多大な影響を与えたらしい。

 ● 「負エントロピー」を食べて生きている

 その核心は、

 生物体は「負エントロピー」を食べて生きている

というものだった(写真中=『生命とは何か』より)。

 さすがは、熱力学の大家であり、生命というものの核心を喝破した。

 閉鎖系では自然にほおって置けば、熱力学の第二法則により、必ずエントロピーは増大していく。そして最後は熱平衡に達して死に至る。これは生き物でも、あるいは宇宙の進化でも同じ。

 しかし、生物は、計算してみると常にエントロピーを減少させている。ということは、増大する一方のエントロピーを排出し、代わりにそれ以上の「負エントロピー」を取り込んで増大を打ち消すメカニズムが存在する系、それが生命に他ならない。

 つまり、生命というのは、物理学的には、開放系であり、代謝系である

と見抜いたのである。これがミクロ、細胞、マクロをつなぐ原理なのだ。

 言い換えれば、

 生物とは、単なる神が創った機械などではあり得ない

ということになる。エントロピー増大という秩序の崩壊に抗し、つねにそれを食い止めようとしているシステムなのだ。

 ● 人生に生きる価値はない ?

  以上は、生物学的な、あるいは物理学的な話なのだが、ブログ子の結論を言えば、

 Photo 生命とは何かということは、地球外生物が発見されたときに大きく前進するだろう

ということである。発見された地球外生物は、果たして細胞をもっているか、どうかが一つの鍵であろう。

 それでは、哲学的には、生命とは、人生とは何か。

 これについては、

 『人生に生きる価値はない』(中島義道、新潮文庫、2011年)

という少し、というか大分ひねくれた本がある。いろいろな意味合いに取れるややこしいタイトルであるが、言わんとするところは、

 「人生に(誰にでもあてはまるような、そして永遠にあてはまるような)生きる価値(なんか)はない」

というぐらいの意味に、ブログ子はとった。著者自身、いろいろな意味合いをつけている。いかにも「明るいニヒリズム」哲学者らしい。

 わかりやすく言えば、短い人生、「明るいニヒリズム」で行こう。人は人、オレはオレ、あまのじゃくもまた良しというところであろうか。他愛もない話といえば、話である。

 もとにもどると、だからこそ、それぞれにあった生きる意味をみつけることができる。それが「生きているとは何か」ということだろう。

 ● なぜ生物に心の宿る必要があったか

 それにしても、ブログ子は思う。

 なぜ生物に「心」が宿る必要があったのか

という問題である。物質やエネルギーには、自己決定権という意味の心はないのに。 

 生きているとは何か。それは自己決定権という心が備わっていることであり、ここが死んでいる状態とは、決定的に、そして根本的に異なる。

 人生も、もちろん、そうだろう。

 このことは、細胞から成り立っていようが、いまいが、きっとどこかにいる地球外生命も納得してくれるように思う。

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