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「博士の愛した数式」は何を描いたか

(2013.04.23)  先日、BS-TBSで、10年前に書かれた『博士の愛した数式』(小川洋子、新潮社)を原作とする同名映画を放送していた。

 Image966 原作は、ブログ子も出版された当時、読んだ。交通事故で80分しか記憶が持たない数学者を主人公にした物語である(主演は寺尾聰)。それも大の阪神タイガースのファンという設定。数学といっても、小学校で習う素数が中心で、

 数の原子

といわれている数字に着目した物語になっている。素数とタイガースがどう結びつくのか、心配したものだが、さすがは芥川賞作家である。みごとにまとめあげていた。

 日常に潜む素数として、阪神タイガースの背番号が使われていた。

 たとえば、江夏投手の28は、素数である約数の和の合計がちょうどその数字になる完全数といわれている素数。村山投手だった背番号、11は、最小の素数が二つ並ぶ「ことのほか美しい」というように。

 ● 人間らしく生きる幸福論

 原作を読んだときには、数学の美しさ、魅力をテーマにした物語だったと思った。

 しかし、今回、映画を見て、はたと思い当たった。小川さんが描きたかったのは、それもあるが、それはテーマを描く道具に過ぎなかったのではないか。素数や阪神ファンというのは、道具立てなのではないか。

 つまり、小川さんは、

 たとえば、事故や認知症などで記憶が欠落する障害、あるいはハンディがあったとしても、なにか熱中するものがあれば、人間らしく生きることができる

という現代的なテーマを描きたかったのであり、道具立てを使って具体的にそれを文学的に表現した。

 人間の幸福とは何か

を考えてもらう物語だったのだ。一言で言えば幸福論だった。そこに映画をみた人や読者が感動したり、共感したりした。

 こう考えてくると、車椅子の天才宇宙論学者、S.ホーキング博士に世界が感動するのもうなずける。記憶の持たない数学者の生き様は、障害をものともせず、神の領域ともいわれる究極の宇宙論に挑み続けるホーキング博士の姿と、感動の質において変わらない。

 ● 再読で新たな発見

 日本数学会はこの原作に日本数学会出版賞を贈っている。その理由として、森田康夫数学会理事長は

 「数学の魅力を専門家以外にもわかってわかってもらうために」

賞を授与したと語っている(「週刊新潮」2005年4月7日号「TEMPO」タウン)。数学を(テーマとして)取り上げていただいて、どうもありがというというわけだが、ちょっと勘違いの気もする。記事によると、著者の小川さんにしてみれば受賞するなんて意外だったらしい。それはそうだろう。数学というのは、書きたいことを具体化するための道具立てにすぎなかったのだから。

 再読する、あるいは原作を映画で見てみる。そうすると、新たな発見があることを知った。 

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