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宇宙の果て、その外側はどうなっているか

(2013.04.11)  人間と生まれたからには、一度は、世の中の雑事から離れて、宇宙の果てはどうなっているのか、果ての外側はどうなっているのか、のぞいてみたいと思ったり、考えたりした人は多いだろう。

 Image8885 洋の東西を問わず、また古代でも、中世でも人々はさまざまな想像力を働かせて、その謎に挑戦し続けてきた歴史がある(注記)。近代科学が誕生した後も、この問題への挑戦は続いた。

 天文学の分野に進んだブログ子も、子どものころから、その不思議に取り付かれていたし、今もその不思議を楽しんでいる。人間、大なり、小なり、このときばかりは哲学者になる。

 そんな折り、ビジュアル科学雑誌「ニュートン」2013年5月号が

 宇宙の果てをめぐる最新宇宙論

という特集を組んでいる。ここでも、やはり、

 宇宙に〝外側〟はあるのか ?

と読者の素朴な関心事に切り込んでいる(写真上)。ついつい、興味も手伝って、買いこんでしまった。今一番科学的な、あるいは理論的な宇宙論研究者として、注目を集めている村山斉東大教授が解説しているからだった。

● まず2次元宇宙を考える

 特集を、写真のように、メモを取りながら、読んで見た。

 要するに、結論を先に言えば、この3次元空間の宇宙の果ては、そもそも存在しないということだ。この現実の3次元宇宙にとどまる限り、外側というものも存在しない。

 それでも現代の最新宇宙論からみて、仮に存在するとしたら、それは、どういうものか。

 それは、1次元を上げて、空間がX、Y、ZとUという4次元空間か、それ以上の空間を持つ宇宙から見ると、この宇宙の空間から時空をこえて移動することに相当する。

 このことは、われわれの宇宙よりも1次元落として、2次元の空間しかない球の表面に暮らす人々を考えれば、わかりやすい(メモの図を参照)。

 2次元空間に暮らす人々も

 (球表面の)宇宙には果てはあるか、その外側はどうなっているか

と不思議に思うだろう。

  しかし、3次元の宇宙に暮らすわれわれからすれば、そんなことはおかしいほど自明であり、

 球表面に果てなどあるわけがない

と笑うだろう。しかも、球面のどこにいても、そこから見て果ては存在しない。

 球面のどこでもいいが、そこから果ての外側に出たければ、1次元高い3次元(メモの図で言うと、球中心から矢印の方向)に飛び出すしかないと、アドバイスできる。

 しかし、2次元の表面にとどまっている限り、そんな外側はどこにもないと、2次元の世界の人間は考えるだろう。

 ● わが3次元宇宙は9次元空間の宇宙に浮かんでいる?

 同じことを、3次元のわれわれの宇宙に適用すれば、

 この3次元の宇宙の外側は、

 4次元(Ⅹ、Y、Z+U)

なのだ。注意すべきは、その外側は、遠い宇宙の果てにあるのではなく、2次元の場合同様、自分の目の前のどの空間にもあるという点だ。それはただ、われわれの目には観測できないだけなのだ。

 Uという軸は、どうなっているのか。

 それは、すべての空間で

 〝小さく丸まっている〟

というのが、現代宇宙論の最新理論、超ひも理論の結論らしい。空間のU軸は、3次元の宇宙では恐ろしく小さく丸まっているので、そんな空間はとてもじゃないが、観測にはかからないというわけだ。

 Image89110ただ、最新の超ひも理論によると、実際は、現実の宇宙の外側は、4次元空間というよりも、どうやら、もっと次元の大きな

 9次元空間

で構成されているらしい。3次元に暮らすわれわれには、残り6つの次元は丸まっていて、どこにいても見えないというわけだ。

 つまり、空間9次元と時間軸を足して

 10次元宇宙の中に、

 われわれの現実の3次元空間宇宙が浮かんでいる。これが現代宇宙論=超ひも理論のイメージらしい。

 先ほどの球面人間の伝でいえば、この9次元の宇宙に暮らす人々にとっては、3次元の宇宙に果てが、どの場所にもないのは、あまりに自明であろう。

 そんなものあるわけがない

と笑っているだろう。

 現代の宇宙論、たとえばビッグバンにしろ、その前に起きたとされる急膨張宇宙(インフレーション宇宙)にしろ、その宇宙初期の過程で

 宇宙は、われわれのこの宇宙だけとは限らず、無数に生まれたであろう

ということを示唆しているというのだから、なおさら驚く。宇宙には、さまざまな空間次元を持つ宇宙があり、そこに住む宇宙人たちもまた、宇宙の果てはどこなのだろうと探し回っている。

 そんな姿を、いずれの宇宙にもそんなものはないことを知っている「神」は、楽しげにご覧になっているのだろう。

 ● 宇宙の数は10の500乗個もある

 解説に当たった村山博士は、

 10の500乗、つまり、1の次に500個のゼロをつけた途方もない数の宇宙がある

かもしれないと特集インタビューで語っているのには驚いた。ゼロを12個つなげると1兆個だから、この数字がいかに大きいかがわかる。

 これでは、「神」は、いちいち人間などにかまっていられない。

 それぞれの宇宙では、わが宇宙とはまったく異なる物理法則が支配すると考えるのが、自然であろう。

 万能の「神」だといっても、そんなにあれば、混乱しないか。他人事ながらブログ子などは心配になる。

 仏教の世界には

 三千大世界

という壮大な宇宙観があるが、村山博士の解説を読んだ後では、これとて、

 ごくごくごくごく、そのまたごくごくごく小さな箱庭的世界観

に過ぎないとさとった。

 そう悟らせてくれたという意味では、人間は偉大な存在であるような気がしてきた。

 Image949 宇宙に果てはあるか。その外側はどうなっているか。考えてみれば、小さいころからの素朴な疑問にも、実は、以上のような深遠な意味があったのだ。

 たまには、こうした気宇壮大な話もいいのではないか。世間のこせこせした悩みなど、たいしたことではない。

 ごくごくごくごく、さらに、ごくごくごく些細なことにすぎない

という気分になる。

 これこそが現代宇宙論の現代的な意義だろう。科学の力、あるいは効用ともいえよう。

  ● 注記 中世のキリスト教的宇宙観

 たとえば、中世のキリスト教的な宇宙観には、最下段のイラストが比較的によく知られている。

 このイラストでもわかるが、宇宙の果ての外側はどうなっているのかということが不思議がられていたことがわかる。神は、外側で歯車を回し、この宇宙を回転させていたのだ ! コペルニクス以前の天動説を皮肉ったものであろう。イラストの出典は、『日本大百科全書』(小学館)。

 Journeycosmicspacetime_01_by_karl_t これを現代風にもじったのが、その下のカラーのイラスト写真(SPACE.com、Karl Tate 2013)。

  20世紀前半までの宇宙論には、現代宇宙論のように、この宇宙の外側は次数の一つ高いかそれ以上の異次元宇宙であるという発想はなかった。宇宙は唯一、この宇宙しかないという発想が根強かったことが原因であろう。

  ● 読書案内

 『物理学と神』(池内了。集英社新書。2002年)。

 なかなかの名著。人間がつくった「物理学」と、「神」のつくった自然界の謎。

 物理学の目的は、この神の居場所をこの宇宙からなくすことらしい。果たしてそんなことができるのかどうか。

 物理学が専門だったブログ子の考えでは、神というのは、物理学が行き詰まったときに目の前に現れる

 希望

なのだが。たとえば、アインシュタインの

 神はサイコロ遊びをしない

というように。だから、物理学は神と共存できると考えている。

 同じく、池内氏は、現在、集英社の読書情報誌「青春と読書」に

 宇宙論と神

を連載している。2013年4月号では

 神に頼らない 古代ギリシャの宇宙観

を論じている。

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コメント

宇宙は、ひとつの原理で稼働するとすれば。人間の思う、宇宙の果ての外側は今の宇宙という、ひとつのものの外側にあるだろうし、人間を作る細胞のひとつが思う、宇宙の果ての外側は、ひとつのものという人間の体の外側なのだと思います。人間の外側に真空があるのなら、宇宙の果ての外側は、あるのだと思います。
化学には無縁の素人宇宙論ですが、気が向いたら読んでみてください。

投稿: トンタマパール | 2014年6月10日 (火) 14時02分

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