« 帰還基準の合意形成 長瀧重信氏の場合 | トップページ | なんとも心もとない防潮壁 浜岡原発ルポ »

「原発立地、浜岡は最悪」と訴える反対住民

(2013.04.09)  南海トラフ巨大地震が来れば、浜岡原発(静岡県御前崎市)で起こると予想されていたことが、東北大震災の福島で先に現実となってしまった。

 Image936 そう語る、浜岡原発と同じ町内の地元、佐倉地区の伊藤実さん(浜岡原発を考える会)宅を先日仲間たちと訪ねた。小さいころから浜岡を見つめ続けてきた生き証人である(写真上= 自宅で、これまでの「考える会」の活動を語る伊藤実さん)。

 ● 豊かさへの模索と翻弄  

 それだけに、このままでは御前崎は、いつか原発震災の被害者ではなく、〝加害者〟になってしまうのではないか。そんな苦衷をのぞかせながら、原発立地に反対し続けてきた「考える会」の活動20年を含めて浜岡原発(計画)50年の闘いを振り返ってくれた。

 伊藤さんの話を一言でまとめれば、

 地域を2分しての「豊かさ」への模索と、時代の波に翻弄された歳月

だったと言えるだろう。その傷跡は、東北大震災後の今も癒えてはいない。

 浜岡原発への道の「裏面史」とも言うべき芦浜原発計画(中部電力、2000年撤退。三重県)と珠洲原発計画(中部電力、2003年撤退。石川県)もまた、実現されなかったとはいえ、

 浜岡原発と同様、模索と翻弄の歴史

だった。だが、しかし、立地が決り、1号機から5号機までの浜岡原発の実現の経緯、あるいは6号機計画そのものも、以下に示すように、

 豊かさと危険の狭間での綱渡りの歴史

だったことが、伊藤さんの話から伝わってきた。1号機から5号機建設の立地やタイミングは、恐ろしいほど最悪だった、つまり、

 「原発立地の浜岡は最悪」

だったと伊藤さんは語ってくれた。ある意味、〝呪われた〟歴史なのだ。

 ● 浜岡の歩みは警鐘の歴史

 浜岡原発(写真中)の1号機が営業運転を開始するのは、1976年。建設が進む2号機に続いて、矢継ぎ早に中部電力が3号機の申し入れを地元にしたのもこの年だった。

 Image916 この年、東大地震研究所の石橋克彦助手が「駿河湾地震説」(のちの東海地震説)を学会などで発表、大きな社会的反響を巻き起こした。だから、地元には大きな不安が走った。

 2号機が運転開始した1978年には、大急ぎで大規模地震対策特別措置法が国会を通過するというあわただしさだった。翌年には米スリーマイル島原発事故ショックが日本全国を襲う(1979年)。静岡県は、原発の安全神話の中で、防災対策の強化という難しい舵取りを迫られた。

 2号機の運転開始から10年、1987年に3号機が動き出すのだが、直前、チェルノブイリ事故(1986年)で、事故の懸念が薄れ始めていた県民に浜岡原発に対する言い知れぬ不安が高まっていく。

  それでも、4号機が1993年に運転を開始する。だが、直後の1995年、予想だにしていなかった阪神大震災が関西を襲う。その惨状に、さすがに原発をかかえる地元ならずとも、一気に原発は危険という認識が浸透していく。

 伊藤さんたちの「考える会」ができたのもこの頃だったという。

 しかし、それでも、景気低迷にあえぐ地元商工会などが、5号機増設の陳情を繰り返した。そして、1990年代後半という日本経済の低迷の中、1997年に5号機について静岡県などから、知事同意という「GO」サインが出る。

 この同じ1997年、地震学の石橋克彦さんは、

 原発震災

という警告の論考を雑誌に発表、反響を呼んだ(月刊誌『科学』(岩波書店)1997年10月号)。震災と同時に原発事故も起こるという複合災害への備えを警告したものだ。

  5号機着工の年。原発震災の場合の被ばくとはどういうものか、具体的に示したのが東海村JCO臨界事故(1999年)の衝撃だった。このとき初めて、日本国民は、原爆同様、平和時の原発、もっと言えば、原発に使うウランの臨界被ばくも恐ろしいという事実をまざまざと見せつけられた。

 そして、2000年代に入ると、日本は本格的な廃炉時代を迎えるのだが、その先頭に立ったのが、浜岡1、2号機の廃炉と引き換えに6号機をセットで増設する計画、いわゆる「リプレース」計画である(2008年12月)。中電は、この時期から上記のように芦浜原発計画からも珠洲原発計画からも手を引き、浜岡原発に集中投資を始めている。

 ● 不安から具体的な心配へ 御前崎沖の駿河湾地震

  だが、リプレース計画発表の直後、御前崎沖を震源とするマグニチュード(M)6.5の地震(2009年8月)が駿河湾で発生。地元、御前崎市を

 「震度6弱」

の県内一番の揺れが襲う。静岡県民としても戦後はじめての大地震を経験する。このとき、浜岡原発5号機の地盤に、設計耐震加速度を超えるという〝異常〟のあることがわかったのは記憶に新しい。

 後に、直下の相良地層にある軟弱な「低速度層」の新たな存在が原因と判明する。これまでのような漠然とした原発不安から、5号機直下の岩盤は大丈夫かという具体的な心配に変わり始める。

 この問題については、中電としては、もともと5号機建設は敷地の狭さから当初予定にはなかったという。その無理な立地で、最も海岸寄りに5号機を増設した影響が出たともいえよう。

 ● 6号機リプレース計画直後に「3.11」

 そして、6号機リプレース計画が2010年から本格的に動き出そうとしていたちょうどその矢先、

 Image8961_3 2011年東北「3.11」の原発震災

が発生した。石橋さんや、伊藤さんの言うとおり、

 浜岡で起きることが予想された「原発震災」が、東北で先に起きてしまった

といえるだろう。 

 ● 原子炉は緊急停止に成功するか

 浜岡原発では、着々と防潮壁建設が進む。

 しかし、こうしたこれまでの経緯を聞くにつけて、浜岡の場合、大津波対策もさることながら、そもそも

 南海トラフ巨大地震の発生時、稼動中の原子炉が緊急停止(スクラム)に成功するかどうか

という心配が先にたつ。予想される震源が近いことから、地震感知とほぼ同時に、原発に揺れが襲い、数分大揺れが続いている最中に、施設全体に大津波がやってくる可能性

が浜岡の場合、高い。

 東北大震災では、第一波、それより大きい第二波と波状攻撃的な横の大揺れが3分近く続いた。その後、おおむね揺れが収まるまでに5分もかかった。原子力館の説明によると、制御棒の挿入作動スイッチが入ってから、スクラムが完了するまではわずか数秒だという。しかし、一定以上の揺れの地震を感知してから挿入スイッチが作動するまでにどのくらい時間がかかるかは、残念ながら教えてもらえなかった。

 スクラムに失敗すれば、福島とは違い、炉心で制御できない核暴走が起こるだろう。原子炉の爆発である。これはチェルノブイリ事故の悪夢の再来そのもの、いや、おそらく、それ以上ではないか。燃料棒のある炉心が融け落ちる、メルトダウンどころの騒ぎではないだろう。

 Image898 こうなれば、御前崎市は原発震災の被害者なんかではない。最悪の立地のところに、なぜ次々に、また唯々諾々と建設を受け入れていったのか。夢よ、もう一度とばかり、原発景気に浮かれていると、「加害者」だと言われるかもしれないという危惧はうなづける。

 (写真上= 6号機リプレース計画の場所。左手に遠州灘、奥は5号機。中央に黄色の建機(パワーショベル)があり、一部造成が始まっているのがわかる)

 ● 汚名返上、名誉挽回の時

   今、地元では、車メーカー、スズキが、これまでの態度を一変、御前崎市と距離を置きつつある。在庫を持たない組み立てシステム、ジャストインタイムの下では、原発震災は企業に立ち直りのできないほどの致命傷を与えるとの認識がなされ始めたからである。世界のトヨタも、脱原発の姿勢に軸足を移しはじめているという。

 しかも、南海トラフ巨大地震は、刻々と近づいている。いついつとは予測できないものの、遠くない時期に、ほぼ確実にやってくる。

 だから、地元住民など御前崎市にとって、加害者になるかもしれないという汚名を返上し、今こそ、日本の大動脈を原発震災からからくも守ったという名誉を挽回する時ではないか。巨大地震が起きてから、いくら反省してももはや遅い。

 先にやってきた東北大震災は、これから起こるであろう南海トラフ「浜岡」に、このことを教えてくれている。

 この意味で、6号機計画はもちろん、浜岡原発を決して再稼働させてはならないという確信が深まった南海トラフ「浜岡」への旅だったように思う。

 (写真中=  自宅から1キロもない浜岡原発の方向を指す伊藤さん。御前崎市佐倉)

  ● 補遺 法的な廃炉への道筋づくりが要る 2013.04.12

  規制委員会は、原発再稼働を認めるかどうか、その新しい規制基準案をまとめた。再稼働をめぐって、廃炉あるいは企業の判断で「休炉」にするべきなのか、法的な枠組みづくりが必要ではないか。

 廃炉にするのかどうかの判断は、現状では電力会社の経営判断にゆだねている。これではいたずらに電力会社が、業界への影響をおもんばかって、心ならずも原発にしがみきかねず、脱原発への道の障害になりかねない。

 今、問題になっている活断層問題も含めて、電力会社が受け入れやすい、いわば大義名分を与える廃炉の法的な枠組みづくりが急ぎたい。

 Image950_3 一言で言えば、名誉ある撤退の仕組みづくりである。新規制基準がまとまったのを機会に、経営合理性の上からも、大義名分上からも、電力会社が廃炉を受け入れやすい法的な環境づくりを急ぐ必要があろう。

 ● 参考文献

 なお、浜岡原発に反対する地元住民たちの声をまとめたものについては、

 『浜岡原発の危険!住民の訴え』(著者=小出裕章・伊藤実など11人。一般社団法人アクティオ、2005年発行=2011年5月復刊)

 また、伊藤実さんには、2005年4月(ひと・まち交流館京都)の講演記録

 「原発震災が起きたら日本はどうなる」

 http://www.ihope.jp/shoot.html 

がある。

|

« 帰還基準の合意形成 長瀧重信氏の場合 | トップページ | なんとも心もとない防潮壁 浜岡原発ルポ »

ニュース」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/533942/57133859

この記事へのトラックバック一覧です: 「原発立地、浜岡は最悪」と訴える反対住民:

« 帰還基準の合意形成 長瀧重信氏の場合 | トップページ | なんとも心もとない防潮壁 浜岡原発ルポ »