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「わが街の湖」という意識 佐鳴湖交流会 

(2012.03.05)  天下の出世城と言われている家康ゆかりの浜松城から、わずか5、6キロ西のところに、佐鳴湖という小さな湖がある。南北約2キロ、東西約600メートル。一周してもわずか、6キロ程度。しかし、西の浜名湖ともつながっていて、海水と川の水が入り混じる歴とした汽水湖である。

 ● 浜松城と佐鳴湖

 家康のころではないかもしれないが、浜松城に今も残る野面積みの石垣の多くは、この湖の東岸に船で運ばれ、そこから城まで輸送されたらしい。このように浜松と佐鳴湖とは、当時から密接な関係があった。それどころか、家康は湖を戦略的な物流拠点として、もっと言えば城の存亡がかかる拠点として軍事上重視したのだろう。

 Image731_2 ブログ子は、この湖の東岸のほとりの高台に暮らしている。そのせいで、ときどき、石を運び込んだ当時の船着場あたりを散歩する。東岸からは西岸を歩いている人が見えたりもする。

 わが街の湖

という実感がわいてくる。西岸を南北に一直線に植えられた美しいメタセコイヤの林立。それは、四季それぞれに、風景画家、東山魁夷の

 青の世界

を思い出させてくれる。

 ● 佐鳴湖問題は都市問題

 先日、ともすると汚れがちなこの湖の未来をどう育んでいくのかを考えようという

 佐鳴湖交流会

に出かけた( 佐鳴湖地域協議会+静岡大学アメニティ佐鳴湖プロジェクト 写真上 )。

 湖や流れ込む河川の水質浄化に取り組む行政関係者、生き物や生態系を大切にしたいと願う市民団体、住民の憩いの場として気持ちよく活用を図りたい周辺自治会関係者、子どもたちの環境教育に一役果たしたいという地元漁業関係者、そして、北岸が近い地元、静岡大学工学部の研究者などか日ごろの活動報告、研究報告があった。それらを受けて、総合的な討論も行なわれた。

 報告の中には、家康どころか、今から数千年前の縄文人もシジミ採りなどで湖を千年にわたって生活の場にしていたということも、紹介されていた。縄文人にとってコミュニティというか、集落というか、集団生活を長期にわたって維持するには佐鳴湖は貴重な存在だったのだろう。史跡となっている湖近くにある蜆塚(しじみづか、貝塚)はその証拠である。

 総合討論を通じて感じたのは、発言者が一様に湖の将来について危機感を持っていること、あるいは参加者も何がしかの問題意識を持っているということだった。膨張する都市化と、水質浄化を図りながら生き物が持続して生息できる環境づくりとをどう調和させていくのか。一筋縄ではいかない都市近郊の湖に共通する悩みが浮き彫りにされていた。

 裏を返せば、これは、かなりレベルの高い環境問題だと気づいた。つまり、都市という人間が多く暮らす社会と、その都市に近接した湖という自然との関係はどうあるべきかという問題を突きつけているのだ。

 しかも、佐鳴湖は、その先端部分に位置する。どういうことか。以下に述べる。

 ● 限界湖の佐鳴湖、自然残る注目の北岸

 大自然に囲まれた過疎地ではこういう問題は生じない。また、逆に巨大都市ではもはや湖うんぬんよりも人間優先はやむを得ない。

 Image719 浜松市のようなほどよく大きく、しかも膨張しながら成長する都市と、ほどよく小さい湖との共存は可能か、という命題にぶつかる。

 浜松市中心部の面積と湖の広さが拮抗しているので、自然が残る佐鳴湖と都市化する浜松市との将来の共存性が可能とみるか、無理と判断するか、それは分水嶺的というか、クリティカルになってきている。

 さらに海の生き物も川の生き物も共存している貴重な汽水湖であるから、余計に問題が鋭角的に浮き彫りになる。

 もし仮に、佐鳴湖が一桁面積が小さく、たとえば不忍池(東京・上野公園)くらいだと、周辺は都市化が急速に進むだろう。不忍池は水量は佐鳴湖の20分の一以下と、もはや自然豊かな湖ではなく、都市に付属した大きな池となる。人の努力ではもはや湖の将来はどうにもならない。湖周辺は都市に飲み込まれて、都市化あるのみなのだ。

 過疎が進みすぎると、人の手ではもはや食い止めることが難しいという意味の「限界集落」という言い方がある。この伝でいくと、実は、

 佐鳴湖は限界湖に近い

のかもしれない。湖周辺が都市化するか、それともなんとか自然を残せるかという分かれ目、その限界にある湖に近いのが佐鳴湖という意味だ。

 わかりやすく言えば、佐鳴湖は、今、東京・上野の不忍池のように、浜松市の都市の発展に飲み込まれてしまうのか、どうか、その境目に立つ。ここで、わが街の湖として、ふんばれるかどうかが、佐鳴湖の将来を決める。

 突っ込んで言えば、まだ、自然の湖岸が残っている北岸のあり方が、湖の将来を決めるといっても過言ではあるまい。そういう意味で、佐鳴湖問題は都市問題なのだ。

 これが、ほかの湖にはない佐鳴湖問題の大きな特徴だと思う。都市に飲み込まれた佐鳴〝池〟にするのかどうかが、周辺住民や周辺自治体に問われているのだ。

 ● 多様なアプローチこそ未来を育む

 佐鳴池にしてはなるまいが、その場合、何か単一な視点というものでは、おそらく湖の未来を育む解決策にはつながらないだろう。

 都市からの視点、自然保護からの視点、生き物からの視点、自然と人間の物理的接触点としての水辺や湖棚(こほう)からの視点、さらには工学的・理学的な観点と、多様なアプローチを結集して問題解決にあたることが求められている。

 いわば、都市の知恵、日本人の知恵

とも言うべきものが、今、求められているのだろう。

 いまから、30年前に発行された小冊子の自然観察ガイドブック「佐鳴湖」(静岡県自然保護課、執筆=自然観察指導員、高橋和彦。1982年発行)によると、急速な都市化が始まっていたとはいえ、湖岸にはまだ多様な自然と生き物が残っていたことがわかる。

 その合言葉は、自然はわれらを(保護してくれる)、われらは自然を(保護する)。この合言葉こそ、限界湖としての今の佐鳴湖にとって必要なときはないとさえ思える。

 ● 若者を引き付ける情報発信力が課題

 さらに、突っ込んだ言い方をすれば、限界湖としての佐鳴湖問題は、これまであまり問題にはならなかった境界領域の問題なのだ。それだけに、新しい発想、とりわけ先入観の少ない若い人材の参加が必要であり、それが交流会の将来をも左右するといえるのではないか。

  それを具体的に言うとすれば、討論でも出たが、

 若者を引き付ける情報発信力

が今後の課題のような気がする。

 縄文人が千年以上にわたって食べ続けたが、今は準絶滅危惧種にまでなってしまったヤマトシジミ。そのシジミ汁(佐鳴湖産の実験養殖)を会場で試食した交流会の帰り道、そう気づいた( 写真下 )。

  補遺

 佐鳴湖については、

 静岡県戦略課題研究

 「快適空間「佐鳴湖」の創造」研究報告

 静岡県産業部 平成20年3月

という分厚い報告書がまとめられている。

 また、親しみやすいカラーパンフレットとしては、

 佐鳴湖よいと湖マップ

というものが、佐鳴湖ネットワーク会議により作成、無料で頒布されている(平成21年8月発行)

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