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2013年3月

心があたたまる「銭湯」 イン 浜松

(2013.03.27)  家庭風呂の味気なさを感じて、たまには郊外の広々としたスーパー銭湯に出かけることがある。

 Image832_3 それもいいが、たまには、ふと

 まちなかの公衆浴場、いわゆる銭湯

に出かけることもある(写真)。入浴料金は、スーパー銭湯の半額くらいの330円(子ども120円)。ちゃんと超音波気泡風呂もある。番台のおばさんに聞いたら、浜松では

 「うちを入れて、もう2軒しかない」

ということだった。うちというのは、浜松市中心街にごく近い(大工町)。もう一軒は、かなり郊外にある。かつて昭和30年代には市内に数10件以上あったらしい。

 お客は、男湯も女湯も、たいていシニアである。女湯のお客が、番台のおばさんに向かって、

 「500円貸してえ」

と声がかかっていた。おばさん、いいよ、ハイという声。心があたたまる庶民のお風呂屋さんなのだ。

 浴室の入り口に

 「入浴心得」という立派な額。

 浴室内では、せんたくなど、不潔な行為はしないでください

とあった。いかにも庶民の湯らしい。体重計も、貫禄のある昭和30年代の骨董品のような重厚なつくり。そばのデジタル体重計がいかにも、貧弱にみえたのは気のせいか。

 男湯でも、

 「背中を流しましょう」

と見ず知らずの高齢者が声をかけてくれる。恐縮至極。が、これまた、心があたたまる。

 そんな銭湯、公衆浴場だが、実は、どの県でも入浴料金(330円)は勝手には設定できない仕組みになっている。どういうことか。

 昭和21年にできた物価統制令(通称、物統令)で、いちいち県などの審議会で決める統制額(上限値)以下で営業することが義務付けられている。こんな、〝へんてこな〟制度に今もって縛られているのは、まちの銭湯だけ。スーパー銭湯などはこの制約に縛られない特殊浴場なのだ。その分、自治体からの保護もない。

 Image833_2 浜松市では、もう値上げ(上限値改訂)はここ8年据え置かれたまま。経営は苦しいらしい。銭湯としては、上限値をもっと思い切って上げてもらって、自由にさせてほしいところだろう。

 でも、庶民の衛生を考えるとやたらに上限値を上げることは、自治体としてはむずかしい。銭湯側にも、制限がある分、やたらに新規の営業許可は出さないという保護の見返りもある、という仕組みだ。

 そんな、こんなで、まちなかの銭湯で一風呂浴び、心あたたまるひと時を楽しめるのも、なんだか、そう長くはないような気がした。

 1970年代、南こうせつと姫が歌ってヒットした「神田川」。「二人で行った横丁の風呂屋」とうたう。若かったあのころは、もう二度と帰ってはこない。

 補遺

 昭和が少しずつ遠くなるようで、さびしいが、ブログ子の行きつけの銭湯の

 営業のご案内

をここに、記録として掲載しておきたい(写真下)。   

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「疑うことから出発」のススメ

(2013.03.26)  ちょくちょく読んでいる「週刊新潮」なのだが、その3月28日号(2013年)の連載コラム「サイエンス宅配便」がいつになく興味深かった。物理学に強い科学作家、竹内薫さんが

 「現実主義」のススメ

というタイトルで、前号(補足)に引き続き、

 浜岡原発訪問記

を論説風につづっている(写真)。中部電力にお願いして、視察に行ったらしい。

   Image81520130328 ところが、科学に強い竹内さんとは思えないほど、記述や結論が情緒的であったのに驚いた。

 それを具体的に知ってもらうために、少し長いが引用する。

 「全長1.6キロ、高さ22メートルの防潮堤は、これ以上の対策は無理、というほど、堅固だ。潜水艦みたいに建屋を密閉する仕組みも立派だ。浜岡原発では、福島の事故のほか、震災時の他の原発の状況も調べあげ、あらゆる対策が施されている。」

と、お願いされた中部電力もおどろくほどのべたぼめ。これには、感謝する前に中電はひょっとしたらあきれてしまったかもしれない。

 ● あまりに情緒的な、あまりに

 これ以上の対策は無理というほど堅固、潜水艦みたいな密閉で立派、あらゆる対策がほどこされている。いずれも、それぞれ根拠が示されていない。しかも情緒的な表現に終始している。だから、どうしてそんなことがいえるのかという読者の聞きたい疑問や納得にはつながらない。

 そもそも無理かどうかなどは、安全の確保問題のこの際まったく関係ない。ましてや立派かどうかなどは論外。どうして「あらゆる」などといえるのか。問題はその対策が有効かどうかの見極めなのだ。

 ジャーナリストではないかもしれないが、科学作家と名乗っているのに、表現を裏付けるきちんとした具体性と客観性がない。具体性が命の訪問記としては失格。また文芸コラムならともかく、客観性を尊ぶ科学コラムとしては、致命的だ。

 ひとことで言えば、圧倒的な現実を前にして、科学ライターとして肝心な、現実を疑うということを忘れてしまった。現実を真理そのものとして信じてしまった。圧倒的な現実が、それ以上に圧倒的な自然界からの脅威に耐えられるかという検証を忘れさせてしまった。コラムに具体性も客観性もないのは、このせいなのだ。

 ブログ子も理系出身だからわかるのだが、宗教が信じることから始まるのに対し、科学は疑うことから始まる。宗教では神を信じる者は救われる。しかし、科学では神、つまり真実とされているものを疑うところから、新しい道が開ける。これに対し、信じる科学者は救われない。

 ● 「臨機応変な現実主義」とは何か

 あまつさえ、「現実主義のススメ」と題されているコラムの結論部分は、いかにも公平・中立をよそおって、こう書いている。

 「エネルギー政策は国の命運を左右する大問題であるので、(個人の抽象的な好き嫌いのレベルという)結論ありきの「思想」で論じるのは危険だ。原発推進であれ、脱原発であれ、原理主義に陥ったら国は終わりである。臨機応変な現実主義で舵を取るしかない。ところで-」

 善意に、これを要すると、竹内さんの言いたいのは、

 現場の実情を自らよく見て、その上でものを言え

ということだろう。その通りだ。

 ただ、自らよく見たがゆえに、竹内さんの言う 

 臨機応変な現実主義

というのが、原理・原則もなく無批判に圧倒的な現実を追認する、つまり信じるという方針を指すなら、それこそ原理主義と同様、

 国は終わり

だ。なぜなら、中立をよそおってはいるが、実は、無批判な体制支持主義と変わらないからだ。これがいかに国を破滅の瀬戸際にまで立たせるか、まざまざと示したのが、今回の原発事故だったことを忘れてはなるまい。

  以上が、主な論点なのだが、竹内さんの名誉のために、少し補足しておきたい。

 こうである-。

 前号(3月21日号)を、念のため紹介すると、

 再稼働の大前提である安全性は、実のところどうなのか、これを確かめたいとして

 「浜岡原発レポート」

というタイトルになっている(写真下)。

 Image820 中身は、上記と大同小異。つまり、具体性も客観性もない。

 一例を挙げると、防潮壁については「ヨーロッパ中世の城壁都市みたいな姿に圧倒された。」「「壮観」というよりほかにない。」と、読むほうが気恥ずかしくなるほど手放しで、その印象を語っている。

 科学作家としての冷静な目がない。冷静どころか、実のところ、安全性はどうなのかということを見極めるために、わざわざ「視察」に行ったはずなのに、すっかり忘れてしまっている。安全性と壮観とは何の関係もない。いわんやヨーロッパ中世の都市と原発の安全性とは、よほどのこじつけでもしない限り、無関係だろう。

 ● 他人事と我が事との違い

 こう言えば、きっと竹内さんから、

 じゃあ、具体性があり、また客観性もあり、提案もある批判精神のある論説かコラムを示してほしい

というかもしれない。

 それは、同じ「週刊新潮」の最新号2013年4月4日号の竹内薫さんという科学作家のコラム

 神奈川県知事に告ぐ!

という「サイエンス宅配便」が、典型だろう。世界遺産登録を目指す神奈川県がこんな環境破壊をしていいのかと怒り、公開質問状を公表している内容。

 竹内さん宅のベランダの前の山が、みにくいコンクリートでぶざまに固められてしまったことを怒っている。だから問題にきわめて具体性がある。

 また、提案にも、地面深くまで杭を打ち込んで強度を増す「ノンフレーム工法」にすれば、木を切る必要はなかったと県の「非」を具体的に指摘している。この工法の有効性が科学論文で確かめられているとまで書いて、提案の正当性をそれなりに補強している。

 これなど、費用対効果の議論を別にすれば、さすがは理学博士だけのことはあると強い説得性があった。

 ここには、大仰であいまいな言葉は一つも出てこない。理路整然としている。さすがは科学作家は違うと、うならせる筆致だった。

 なぜ、同じ筆者なのにこうも違ったのか。

 受け入れ難い現実にまず、怒りと疑問を持ったことが大きい。これでいいのかと現実に対して疑うことから出発した。壮観な防潮壁には、感嘆のあまり、疑いをいだくことをつい忘れてしまったのとは対照的だ。

 加えて、取り上げた問題が、浜岡原発のようなしょせん他人事の話とは違い、環境破壊のほうは、竹内さんにとって切実な我が重大事だったからだろう。真剣さが違ったのだ。

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遠州灘の「旬」、ながらみ

Image813_2 (2013.03.25)  JR浜松駅のデハ地下の鮮魚店に

 今が旬 ながらみ

と出ていた(写真)。箱売りで、2100円。少なくなったとはいえ、これだけの量を平台にドンと乗せてあるのを見たのは初めて。大将に聞いてみると、遠州灘の福田(ふくで、と読む)港で水揚げしたらしい。浜松市の隣市、磐田の漁港である。

 このブログでも、4年ほど前に紹介したのだが、今から1500万年ぐらい前に暖かい南の海から移住してきたらしい。この巻貝の貝殻の美しさにはほとほと感心する。芸術的と言っても決して大げさではない。

 そのまま生姜醤油につけて食べるのがおいしい。そう思っている。

 1盛、500円。今晩の晩酌の肴が決った。

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最後発の強みを生かす 自然史系博物館

(2013.03.25) もう50年以上も昔のことだが、まちなかの夏の夕暮れ、物干し竿を空に向けて振り回すと、面白いほどコウモリが棹にぶつかって、落ちてきたという思い出がある。子ども心にも、コウモリは、目のみえない鳥だと思った。そしてこの歳までずっとそう信じてきた。

 ● びっくりの「富士山の生きもの展」

 ところが、先日、ボランティアをしている浜松科学館(浜松市)の

 富士山の生きもの展

のコウモリの標本展示みて、ハッと気づいた(写真上)。

 Image806 コウモリは鳥ではなく、ほ乳類なのだと。富士山には10数種のコウモリがいるそうだが、いずれも鳥のような羽毛に覆われた翼ではなく、皮膚をひろげたような形だった。明きめくらだったのは、ブログ子のほうだった。

 さらに、標本をよくみると、半数近くの種が、富士山一帯では絶滅危惧種か準絶滅危惧種に指定されていた。しかも、残りのものは、「情報不足」という表示。つまり、その生息状況がよくわかっていないらしい。だから、もう絶滅してしまったのかもしれないわけだ。

 そんな思いで、展示をみていたら、さらに驚くべき解説が目に入った。なんと、

 富士山の鳥があぶない

というのだ。富士山一帯には、静岡県の県鳥、青い目の三光鳥など約150種くらいの野鳥が生息していたが、それがこの数10年で急速に種が減っているというのだ。このままいけば、なんと、1種類、それも中国原産の外来種

 ソウシチョウだらけ

になってしまうかもしれないという危機に富士山は今、直面しているらしい。とくに高原地帯の野鳥の減少が激しいという。

 たとえば、東部富士山麓の朝霧高原。静岡県内で唯一といってもいい高原地帯の草原なのだが、かつて、たとえば50年くらい前までは高原性の野鳥の宝庫。なのに、いまでは植林その他で森林化し、たとえば、

 ノビタキ、アカモズ、オオジシギの生息数の減少がとくに顕著

とあったのには、びっくり。

 美しい蝶の標本の数々をみると、これまた生息状況が大きく様変わりしているらしいことも展示で感じられる。

 ● 自然史系博物館の整備、4月から本格化

 しかし、最も驚いたのは、なんといっても、

 どの県にも必ずあると思っていたのに、静岡県だけには県立の自然系博物館がない

という事実である。地域の植物や動物、昆虫を体系化する標本づくりや保存・収蔵を手がけたり、その成果を県民に広く公開したりする県の施設がない。これでは貴重な資料が失われたり、県外に散逸しかねない。

 Image809 幸い、自然史や博物学に関心を持つ関係者たちの20年近い努力が実りつつある。自然系博物館、あるいは、少し絞り込んで自然史系博物館の整備が、静岡県によって、これまでの3年間の準備期間をへて、4月から本格化する。富士山の世界文化遺産登録の盛り上がりを機会に本腰を入れた格好だ。

 本拠地は、高校再編で使われなくなった静岡南高校(静岡市駿河区)。オープンは2014年度中を予定しているという。

 2012年4月5日付静岡新聞「社説」は

 若手学芸員の育成急げ

と主張している。構想の成否は一にも二にも、人材、特に若手の登用にあり、その通りだろう。その若手に、科学館の目的や機能とは一味も、二味も違う、いわば

 最後発という強みを生かした取り組み

を期待したい。

 たとえ一周遅れでも、多くの県民に愛されさえすれば、どの県よりも先頭を走っていると胸を張れる。新しい時代に対応した実物教育の場にしたい。

 (写真下は、生きもの展での「NPO自然史博物館ネットワーク」の呼びかけ掲示「静岡県に自然史博物館を!」)

 ● 補遺

 自然系博物館「必要」 川勝知事が議会答弁(2010年3月9日付静岡新聞)

  自然系博物館 学習の場の拠点に(「しずおか自然史」2010年3月28日付静岡新聞)

  自然史資料活動拠点 静岡南高活用を検討(2011年2月18日付静岡新聞)

  自然史系博物館構想 2013年度、本格的な移転整備に着手(2013年2月7日付静岡新聞)

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拡散する放射能汚染  福島「3.11」ルポ

(2013.03.24) 原発事故から丸2年がたった福島市を取材で3月11日訪れた。デモに参加することが主な目的であったが、事故現場から60キロ以上も離れている福島市中心部の紅葉山公園の放射線モニタリングポストが全国でも、また事故周辺を除いて県内でも高い線量を維持し続けている原因は何なのか。

   ● 福島市、今も事故前の14倍

 それを、科学ジャーナリトとして直接みて、確かめたいという狙いがあった。

  Image7762_5 ポストは、阿武隈川のほとりの偕楽亭(福島城の庭園)跡の林の一角、東屋脇に2基並んでひっそりと立っていた(写真上。背景は阿武隈川)。知事公館の隣りである。

 3月11日午前の1時間平均値は、毎時0.64マイクロシーベルト。

 これは年間に換算すると、年間2.8ミリシーベルト。

 このポストでは事故の起きる前までの最高値は、公式で毎時0.046マイクロシーベルトだったから、これはその14倍にもなる計算である(補遺)。

 結論を先に言えば、これは一応の安全とされる許容量1.0ミリシーベルトと、チェルノブイリ事故から割り出された健康被害が心配とされる5.0ミリシーベルト以上のちょうど中間の値。

 つまり、暫定ではあるが、この境界値の誤差も考えると、このままでは県都の福島市も事故の影響で健康被害の出る恐れがある地域

ということになる(注記)。このことからすると、事故後、政府は年間20ミリシーベルトまでなら、十分に健康被害のリスクを回避できるとした報告書をまとめているが、とんでもないほど甘い基準設定であることは明らかであろう。

 さて、真中のグラフは、このポストについて、一か月前から3.11までの数値の変化を示したものだが、いっこうに下がる傾向がみられない

 なぜなのか。当日、福島県庁の県災害対策本部のモニタリングチームを取材した。

 Image7971 県担当者によると、紅葉山公園の樹木に降下した放射能が減らないためではないかと話してくれた。放射能が減るというよりも拡散しているのだ。つまり、除染しても、また事故の起きた東から吹いてくる風で、放射能が林にまた降り積もるというわけだ。非常に深刻な事態なのに、福島県民はもう慣れっこになっているのか、平然としていたのには、正直かえって驚いた。

 当日、持参した簡易放射線測定器で市内を測定しながら回ったが、どの地点でもおおむね安定値としては

 毎時0.30マイクロシーベルト前後

だった。これでも、許容限度はこえている。

 おしなべて、福島県の「中通り」と言われる中央部地域はまわりよりも線量が高い。ここは風の吹き溜まりなのだ。

 これに対し、原発の事故現場から20キロ圏内の浪江町はどうか。文部科学省の公式集計によると、

 3月5日現在で平均で毎時8.3マイクロシーベルト(μSv、年間換算で36ミリシーベルト)

と依然として高い線量である(注記2)。これでは、仮設住宅の避難住民の帰還の目処は立つまい。

 復興には、除染がいかに優先的な課題かがわかる。

 ● 安全基準づくりが課題

 効果がうたがわしいずさんな除染計画の見直しとともに、そもそも帰還しても安全といえる

  Image772311_3 安全基準を早く決める

ことが喫緊の課題だろう。

 安全神話の下、放射性物質の取り扱いについて、これまで先送りにしてきた環境省の責任は重い。

 (写真下は、2013年3月11日午前の県災害対策本部の様子、県自治会館)

 注記

 このことは、もし仮に南海トラフ「浜岡」で福島原発と同規模の事故が起きれば、50キロ圏内の県都、静岡市も、政令市の浜松市も、市民の健康に影響が出る恐れがあることを意味する。伊豆半島の南部も、つまり西伊豆町、松崎町の沿岸部も、福島市同様、60キロ圏であることも忘れてはならないだろう。

 それどころか、今回と同規模の地震が南海トラフで起きた場合、震源域に近い分、浜岡原発の事故規模はより過酷であり、今回をかなり上回る惨事の可能性が高い。こう考えると、浜松市に暮らすブログ子にとっては、福島市の今の状況は、あすはわが身として受け止めた次第。

  注記2

  この浪江町の数値は、事故から27年たったチェルノブイリ石棺付近の今の値

 毎時約7μSv (年間換算で約28mSv)

をこえている。このくらい強い線量だと、ロシアでも長時間の作業はかなり危険とみなされている。3、4年この線量を浴び続けると、医学的にみて、がんなどの健康障害が明らかに出るとされる100mSvをこえるからだ。

 ● 補遺 静岡市の放射線データ

 同じ2013年3月11日の静岡市は

 平均で毎時0.029マイクロシーベルト(事故前の最大値は毎時0.077マイクロシーベルト)。

 これは、年間に換算すると年0.13ミリシーベルトと、許容の1.0ミリシーベルトに比べ、一桁低い値。事故前の最高値よりも低い。

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白、黒はっきりしないのは「シロ」か      診療所報告会 「3.11」福島ルポ

(2013.03.25)  一般の人々からの寄付金で設立された

 「ふくしま共同診療所」(福島市)

が開院して3か月。先日、その運営状況について、福島市で報告会が開かれ、ブログ子も参加した(写真)。

 写真でもわかるが、会場は入りきれないほどの盛況だった。

 強く印象に残ったのは医師同士の間でも、闘いが始まっているということだった。

 Image759 つまり、福島県が福島医大に委託して震災時18歳以下だった子どもたちを対象に現在行なっている甲状腺「異常」検査。検査そのもののあり方や、いわゆる超音波エコー検査結果の評価をめぐって意見が対立している。見つかった〝異常〟が原発事故の影響かどうか、その因果関係について

 白、黒が医学的にはっきりしない場合、それは「シロ」=因果関係はないと言えるか

という問題に要約できる。

 ● 判定のあり方に不満と不安感

 福島県の甲状腺検査判定基準によると、異常の指標として、結節(しこり)やのう胞(液体が入った小さな袋状のもの)の大きさを採用。深刻な順に、

 C、B、A2、A1(異常なし)

の四段階で判定される。C、B判定については、異常があるとして「要再検査」=精密検査となる。問題はA2判定というグレーをどう扱うかという点で受診者との間でトラブルが相次いでいる。

 診療所の松江寛人医師によると、スクリーニング検査のA2判定とは、異常はあるが、それが、しこり=5ミリ以下、または、のう胞=20ミリ以下と比較的に軽い場合に相当。この場合は、追加的な精密検査の必要はないと診断される。

 つまり、受診者にすれば、A2判定は、見つかった異常が事故の影響によるものかもしれないと具体的な不安をもっているのに、異常なしのA1判定となんら変わらないことになる。

 ここに受診者側が検査のあり方に不満や不信感をいだく原因がある。検査が家族の不安にこたえていない。きつい言い方をすれば無視している。

 このことは、診療所を訪れた人の約8割が、漠然と来院したのではなく、具体的に甲状腺がんを心配した親子であったことからもわかる。

 こうしたA2判定の子どもは福島県の場合、現在までのところ検査した子どもの約4割で見つかっている(注記)。だから、検査のあり方に対する県民の不信感、不安感は福島県では大きな社会問題になっている。

 ● 普通のスクリーニング検査とは異なる

 事故を受けての検査の判定の問題点は、

 通常の、たとえば胃がん検診のようなスクリーニング検診と同じ考え方

で行なわれていることだ。通常のスクリーニング検査の場合には、特段の原因がないことを前提に行なわれる。これに対して、今回のような検査は、スクリーニング段階ですでに原発事故の影響という、甲状腺がんを引き起こす具体的な要因が存在する。

 だとするならば、異常があった場合、それは事故と何らかのつながりがあるのではないかという、予防的な疑念をもつのが科学的にも医学的にも正しい。それを再検査は必要なしと切り捨てるのでは、何のための検査なのかと疑われても仕方がないだろう。通常のがん検診とは状況は違うのであり、誤りだ。

 具体的な要因が目の前にあるのに、その要因に結びつくかもしれないすべての異常をこの際、検査するという姿勢がない。ここに問題がある。

 白、黒はっきりしない場合、それはグレーであり、シロではない。ましてや、原発事故という特定の影響が疑われている場合は、それは黒、つまり、因果関係があるとの前提で、慎重に精密検査をするのが、検査のあり方であろう。このことが受診者の信頼を得る道なのだ。

 ● 判定基準にも問題が浮上

 診療所の検査では、1ミリ以下ののう胞が広範囲に無数に存在する症例が多く見つかっている。このような症例はこれまで報告の例がないという。甲状腺の広い範囲に放射能の影響を受けた可能性が浮かび上がっている。

 こうなると、判定基準そのものがスクリーニングとしてすら適切かどうか疑わしくなってくる。

 さらに言えば、事故の影響は、甲状腺がんだけではないことも、チェルノブイリ事故以来、国際的な知見からわかり始めている。循環器その他についても検査、診療していく必要があろう。

 ● 医師の良心とは

 Dsc012242 さらに、ひるがえって問題なのは、甲状腺がんの信頼できる疫学的な大規模検査が国際的にも国内的にもいまだ存在しないという点だ。

 甲状腺罹患率100万人に1人という数字が、あたかも信頼できるかのように一人歩きしている。あくまで、効率の良い検査態勢を構築する場合の一応の目安にすぎない。

 この不確かな数字に寄りかかって、福島県民の甲状腺罹患率が高いとか、少ないとかという議論はその信頼性を慎重に考慮すべきだ。

 慎重な態度とは、

 「疫学的には因果関係があるとも、ないともいえない場合、現段階では断定しない」

という態度であろう。これでは物足りないというのなら、どの程度断定が確かなのか、いわゆる「有意水準」の%を同時に明示すべきだ。

 サンプル数が少ない、つまり30以下の小数サンプルの場合は、大サンプル数のケースとは違って、さらに統計的な扱いに慎重さが必要だ。科学的に断定できないことは断定しないという慎重さがほしい。

 甲状腺異常については、地域特性があることが知られている。だから、原発の影響がすくない他県と比べて、福島県の罹患率うんぬんという論法は、参考にはなっても決め手ではないことも注意すべきだ。事故前の信頼できる福島県の罹患率がわかっていない以上、

 もしかしたら因果関係があるかもしれない

という受診者の利益につながる慎重さが今の段階では要る。

 繰り返すが、要するに、今必要なのは、疑わしきは、不安をあおらないために軽々にシロと断を下すことではなく、あくまでグレーである。受診者の安全という利益を考える側に立つ

という謙虚さと慎重さだろう。安易な断定は、科学的ではないばかりか、かえって今後に禍根を残すという弊害を生むことを見落とすべきではない。

 ● チェルノブイリの教訓生かす

 実は、このことは、事故から27年もたった「チェルノブイリ」の教訓でもある。この謙虚さと慎重さに欠けていたことが、ウクライナや隣国、ベラルーシの数十万人にも上る人々を、放射線障害の有無をめぐって今も不安をかきたて、苦しめている。

 Image819 写真下は、チェルノブイリ事故に関して、甲状腺がんだけでなく、子どもに慢性疾患のある割合が年々増え続けている様子を示したデータ(ウクライナ政府報告「未来のための安全」(2011)より)。一方、健康な子どもたちの割合は逆に減り続けている。ただ事ではないことがわかる。

 科学者としての良心とは何か。予防原則とは何か。これらをめぐって、医師同士の間で具体的な闘いがはや始まっている。このことを、報告会は目の当たりにさせてくれた。

 (写真中は、診療所の診察室の様子)

  ● 注記 A1/A2判定で判定医師の違いによる地域差

 2013年3月30日付朝日新聞(写真最下段)によると、

 比較検査を実施した環境省が、その後、福島県外の子どもの甲状腺検査でのう胞やしこりのある割合について、検査した県により4割ないし7割と開きがあったと発表した。

 Image8661 つまり、A1かA2かの判定をする段階で、判定する医師の基準が県ごとに統一されていなかったり、技量の差異だったりすることによる統計的な偏りであることがわかった。つまり、系統的な誤差がある。

 地域差は系統誤差によって見かけ上生じたものであり、子どもの体の医学的な実態を反映したものではないことなる。

 このことから、環境省のこれまでの全国検査だけでは、福島県内の子どもの甲状腺〝異常〟の割合約4割という数字が他県に比べて多いのか、少ないのかという疫学的な判断は、系統誤差を補正しない限り、できないことになる。

 もっとはっきり言えば

 福島の子どもの検査結果は、原発事故によるものとは言えない、あるいは考えにくい、などとは軽々に結論付けられない

ことになる。

 慎重を期して、ひょっとしたら事故との因果関係があるかもしれないとの立場から、A2判定の子どもたちの精密検査を今後行なうべきではないか。

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疑わしきは予防する 共同診療所訪問記     「3.11」福島ルポ

(2013.03.23)  先日、福島市に開院して3か月の「ふくしま共同診療所」を訪問した(写真上=診療所の外観。福島市内)。原発事故で放射線被ばくに健康不安を持つ県民に対し、甲状腺などのがんの相談に応じたり、甲状腺検査あるいは治療をする施設。まだ仮設の段階で、いずれ、本格的な診療所を開設する準備を今も続けているらしい。

 Image761それでも内科と放射線科が設けられており、院長は、国立がんセンター病院に38年間勤務し、放射線診断部医長もつとめた松江寛人医師。その後、がん総合相談センターを開設するなど放射線診断と治療のベテランである。

 ● 広島市の診療所がモデル

 この診療所の大きな特徴は、全国からの募金で開院されたことである。いわば募金診療所なのである。

 その意味で全国でも珍しい診療所ではあるが、参考にしたモデルがある。原爆被ばく2世らが独自に開設した

 高陽第一診療所(広島市)

だという。この診療所をはじめ全国7つのクリニックが放射線専門医師を派遣するなど協力している。

 これまでのところ来院の9割は親に連れられた子どもたち。超音波のエコー検査で甲状腺に異常はないのかどうか診断し、相談に応じているのが日常業務となっている。

 そのため、診療所には2つの診察室とレントゲン室が設けられている(写真下=診察室の様子。右手のベッドで超音波甲状腺エコー検査や触診をする)

 ● 大きい「セカンドオピニオン」の役割

 このような募金診療所が設けられた意義について、ブログ子は福島市を訪れて初めて気づいた。

 Dsc012242_2 というのは、福島県が県民健康管理調査の一環として現在行なっている子ども(対象は震災時18歳以下)の甲状腺「異常」検査が、検査結果の評価をめぐって必ずしも受診者から信頼されていないという現状を知ったからだ。受診者と医療機関との間でさまざまなトラブルが相次いでいる。

 検査自体は、県から委託された福島県立医科大学が全体を担当しているのだが、この事態を考えると、診療所は、いわば、患者側にたって専門的なアドバイスをする

 セカンドオピニオン(第二の専門医の意見・見立て)

の役割を担っている。ここに募金診療所の真骨頂があろう。

 もちろん、このほか、心ならずも県外に避難できない家族の健康不安に親身になって相談に乗りたいということも、ほかの医療機関にはないこの診療所の重要な存在意義だろう。

 ● 疑わしきは「問題なし」?

 この3か月の診療の具体的な様子については、別項で話す。が、要するに

 検査で、シロかクロかはっきりしない場合、多くの場合そうなのだが、とかく「シロ」、つまり問題なしとしている点。

 疑わしきは、問題なし

としている点だ。

 しかし、これは科学的ではない。シロかクロかはっきりしないということは、グレーであり、シロではない。さらに慎重に2次の精密検査、あるいは経過を見極めるというのが、つまり、

 疑わしきは、受診する県民の利益に

というのが医師のとるべき態度だろう。ましてや、甲状腺「異常」については疫学的に信頼できる大規模調査が国内にも国際的にもないに等しいのだから慎重を期すべきだ。つまり、ひょとしたら、検査結果の〝異常〟は原発事故と因果関係があるかもしれない。そんな謙虚さが検査機関には求められる。

 謙虚さどころか、再検査を「過剰診療」として制限しようというのでは

 医師の倫理にもとる

行為といわれても仕方あるまい。はっきり言えば、ためにする言動だろう。

 ● 疑わしきは予防する原則を

 共同診療所を訪れて、医師たちの思いが、最も真摯に現れている場所を見つけた。来院者向けの小さな本箱である。

 その中に

 『予防原則』(合同出版、大竹千代子/東賢一著。2005年)

という、人と環境の保護のための基本理念と考え方をまとめた専門書が置いてあった。地球温暖化の防止原則としても知られているが、医療面でも欧州で広く受け入れられている

 疑わしきは予防する

という原則が詳細に説かれていた。名著であり、また診療所の医師たちが何を目指そうとしているのかがうかがえる著作だと思う。

 もう一つは、ブログ子も愛読している

 『人間と環境への低レベル放射能の脅威』(グロイブ/スターングラス。肥田舜太郎/竹野内真理訳、あけび書房。2011年)

があった。チェルノブイリ事故が起こるかなり前から一部科学者には知られていた低線量被ばくの恐ろしさ、細胞破壊のメカニズムなどを紹介したものだ。そのペトカウ効果など、内部被ばくの脅威のメカニズムを一般にもわかりやすく、しかも医学的にも詳細に解説されている。

 ● 水俣病の二の舞、許すな

 実は、この疑わしきは予防するという原則を、疑わしいだけではダメだとして、1960年代、国も熊本県も、そして医師の多くも守らなかったといういまわしい歴史がある。水俣病の悲劇である。

 このことが、高度経済成長時代の蔭で、20万人にも上るとされる水俣病被害を出すことになった。この痛恨事を私たちは忘れてはなるまい。そして、その二の舞を福島原発事故で再び繰り返してはなるまい。

 そんなことを誓った診療所訪問だったように思う。

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「浜岡」では原子炉緊急停止は成功するか

(2013.03.20)  これらの番組をみて、ブログ子は

 南海トラフ「浜岡」は巨大地震発生時、果たして原子炉緊急停止(スクラム)に成功するだろうか

という恐怖心を持った。稼働中なら、まず失敗するだろう。地震探知から5秒程度で、どんなに長くても10秒ぐらいで原発に破壊的な揺れが襲う。数分後には巨大津波が押し寄せる。稼動中に地震が発生すれば、多分、原子炉内の核暴走と炉の崩壊で日本は破滅するであろう。

 東北大震災のような震源地から海岸まで100キロ以上もはなれていたにもかかわらず、原発は大惨事になった。震源真上の南海トラフ「浜岡」では何が起きても不思議ではない。

 震災直後、菅直人元首相が浜岡原発の停止を中部電力に強く要請したのは当然であり、法的な根拠うんぬんはともかくとして、むしろ英断だったといえる。

 ● NHKの2つの番組から

 これらの番組というのは、先日、NHKで放送された

 「メルトダウン 原子炉〝冷却〟の死角」と

 「何が書かれなかったか 政府事故調査」

である。

 Yjb 前者は、事故を起こした福島原発の1号機について、ICと呼ばれる非常用冷却復水装置が、電源がなくても自動的に動くはずなのに、なぜ冷却に失敗したのかという問題を検証したもの。機能していないことに気づかず、1号機は、最も早く燃料棒が融け始めるメルトダウンを引き起こし、ついに3月12日午後、水素爆発にまで至った(写真= 水素爆発の福島第一原発建屋。NHK)

 全電源喪失に加えて、ICの構造上の問題、機能していることを、〝ブタの鼻〟といわれるIC水蒸気吐き出し口の「モヤモヤ」の目視で確認する訓練を誰一人経験していなかったことなどが、その後の対応を遅らせたことが指摘されていた。

 機能しているかどうか確かめるために必要なIC水位計自体の信頼性も問題視されていた。

 後者は、非公開の政府事故調では、直接の事故原因を突き止めるという目的の中で何が書かれなかったのかについて、失敗学で知られる委員長だった畑村洋太郎氏など元政府事故調委員が私的な立場で自らを再検証したもの。

 書かれなかったことの第一は、原子炉の水位計の「誤表示」問題。なぜ誤った表示をしたのか。その理由を探る再現実験はなされなかった。失敗したら何が起きるのかという再現実験の必要性は認めても、その具体的な実験方法がわからず、あるいは構築できず、時間切れで報告書には書かれなかったらしい(畑村委員長は詳細な仮説まで提示したのに)。

 ● 原発事故原因の全容は未解明

 これを要するに、事故はなぜ起きたのかを突き止めるのが事故調の目的なのに、事故原因を特定する再現実験すら書かれなかったのだ。これでは事故原因の全体像は描けない。

 失敗の原因を特定し、それを再現する実験すら、委員長が提起したのに、できなかったというのでは、話にならない。これは一水位計だけの問題ではないはずだ。

 これでは、南海トラフ「浜岡」は、巨大な地震発生時、スクラムに失敗し、核暴走するのではないかという恐怖心を払拭することは到底できまい。

 元委員たちも不安そうに番組で語っていたが、

 報告書は、事故原因の特定には程遠い。事故原因の全容はどうだったのか。このままでは、政府事故調以外の事故調の報告書もふくめて、その原因解明の決定版がないままになる

というのが、番組の結論だった。

 書かれなかったことの第二は、事実上の実権を握っている中央省庁の課長の実名は出さないという官僚システムのあり方の問題。事故原因の解明という目的とは直接関係ないとして、事務局が報告書で取り上げることはなかったらしい。

 この問題は、事故原因の背景ではあるが、確かに直接の原因ではないだろう。しかし、こうしたことからもわかるが、委員自ら膨大な量の報告書を書かない限り、真の原因解明にはつながらない。

 ● 試される規制委の責務と覚悟 

 このような体たらくでは、浜岡原発を再稼働させることには到底納得できない。福島原発のメルトダウンの原因の特定ができていないのだから、当然といえる。

 政府事故調の目的を引き継いだ原子力規制委員会は、官僚に丸込められることなく、フォローアップをすべきだ。そしてなによりも事故原因の一つひとつの特定と、それらをつなぎ合わせた整合性のある原因の全容について解明し、実質的に仕切る必要があろう。

 それができないというのならば、廃炉しかない。そんな覚悟が規制委の委員には必要だ。

  原子炉設計技師でもあった大前研一氏には、福島原発事故を各号機ごとに時系列にそって詳細に検証した

 『再稼働 最後の条件』(小学館)

という報告書がある。この場合の条件とは、全電源喪失の阻止と冷却源の確保の2点である。しかし、浜岡原発のことを考えると、最後の条件の前提となる

 再稼働の安全審査入りの

 最初の条件とは、福島原発の事故原因の特定と、特定した要因の間の因果関係を明確にする全容の解明

である。これなくして、再稼働はない。規制委はこのことを明確に打ち出してもらいたい。この全容解明なしに、本当の意味の安全審査などはできないはずだ。この最初の条件は、東電の刑事責任を問う裁判でも争うべきだろう。

 これが二つの番組を見た率直な感想であり、怒りでもあった。

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ドイツ映画「みえない雲」を観て

(2013.03.19)  先日、小さな学習会で

 ドイツ映画「みえない雲」(2006年公開)

という映画を観る機会があった。ドイツでの架空の原発放射能漏れ事故をテーマにしていた。チェルノブイリ事故直後に想を得たドイツ人作家、G・パウゼバングが発表した小説『DIE WOLKE(雲)』が原作( 写真 )。

 51tmq4c0bl__aa160_ 上映会には、原発事故で福島県浪江町から浜松市に避難している女性も観に来ていた。このこともあり、上映後の互いの意見交換はいかにも真剣だった。件の女性は、福島原発事故では原子炉建屋の水素爆発の音まで直に聞いている。それによると、おおむねよくできた、つまり真に迫る映画であるとのことだった。

 ただ、福島事故も含めて日本の場合との違いも浮き彫りになった。

 まず、映画の(西)ドイツでは原発事故や放射能漏れを知らせる警報が街中に鳴り響く。しかし、これに対し、日本では、具体的には福島原発事故では、まったく公的な避難警報はなかった。それぞれの判断で、あるいは口コミで知って、それぞれの方向に逃げ出した。行政無線がほとんど役に立たなかった。

 第二は、映画では「地下室避難」が盛んに呼びかけられていたが、日本に地下室はほとんどないといっていい。パニック的な避難が起こった場合、ある意味では、自宅の地下室は放射能除けには有効かもしれない。日本では地下室がない分、パニックに陥らない避難訓練について十分徹底しておく必要があろう。

 パニックが起きるのは放射能や放射線がみえないからであり、その分、余計に恐怖心が増幅される。その意味で、これからは原発周辺住民は簡易線量計を身近においておく、あるいは使いこなすことが必要な気がする。

 第三。映画では、車避難がやはり主な避難手段となっていたことだ。通行止めや交通の大渋滞で大混乱が起きていた。

 日本でも、地震、津波避難ではこれまでは徒歩避難が原則だったが、やはり車社会という現実においては車での避難を前提に避難計画を立てざるを得ない。その場合、混乱の中、自転車避難や徒歩避難の人々が危険に去らされる。つまり、災害弱者対策を真剣に考えているかという問題である。映画でも、自転車で避難した子どもが急いで避難する車にはね飛ばされるという悲劇を描いていた。

 避難途中、放射能の降雨対策も、内部被ばくを未然に防止するという意味で重要だ。

 第四。せっかくなんとか避難できたとしても、脱毛などの急性症状の避難者は、被ばく差別を周りから受けるという問題を、映画は巧みに描いていた。差別との闘いが始まるのだ。この点の対策はほとんどないのが今の日本の現状なのではないか。

 第五。映画全体をみて思うのは、被ばく者の

 こころのケア

が極めて大事であるという印象を持ったこと。心身症やうつ病対策である。被ばく避難というのはとてもひとりでは乗り切れないほどの衝撃体験である。助け合いがなければ、せっかく生き残っても自殺などの悲劇が起こる。映画ではこの点も踏まえて映像化していたのが印象的だった。

 ただ、現実に、映画のような支えあいがうまく機能するかどうか、不安が残った。精神的に一人一人が強くなることも、日ごろの自助として大事であることも悟った。

 第六。映画では描かれていなかったが、こうした悲劇を乗越えたとしても、原発被災の場合、長期にわたる内部被ばくの不安との闘いが待っている。いわゆる半減期30年の放射性セシウム137問題である。不安はがんだけに限らないことも、ウクライナ政府のチェルノブイリ報告書(2011年)などによって最近わかってきている。いまもチェルノブイリの子どもたちはこれらにおびえている。

 いろいろ考えさせられる上映会だった。

  ● 補遺 脱原発を加速するドイツ最近事情

 ドイツは現在、4電力会社が17基の原発を稼働させている。ドイツ政府は2002年にすべての原発を2022年までに廃炉にすると電力会社と合意している。その後、2010年には国内電力事情に配慮して、10年程度の猶予期間(モラトリアム)を設け、廃炉期限を延長していた。

 その後、福島原発事故で、この猶予期間が取りやめとなった。つまりメルケル政権は脱原発(原発依存度ゼロ)に向け、当初予定通り2022年までにすべてを廃炉にする決定をしている。

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誓いと鎮魂のデモに参加して          「3.11」福島ルポ

(2013.03.18)  先日3月11日、福島市で行なわれた原発再稼働に反対する脱原発「3.11」福島行動に参加した。主催者によると1350人もの人や団体が参加した。

 Image80320130318_2 ブログ子がどんな思いで参加し、デモ行進で何をどう感じたか。週刊の機関紙「前進」の投稿欄に投稿した。それが、早速、3月18日付に掲載されている(写真上= 同紙「団結ひろば」)。

 ここに、見出しとともにその全文を再掲載しておきたい。「3.11」の原点は福島であることを忘れてほしくないからだ。

 ● 福島「吾妻連峰」仰いで

 浜岡原発をかかえる静岡県から、先の「3.11反原発福島行動」のデモに参加した。

 参加に先立ち、当日雪の朝、福島市内の県庁に隣接する紅葉山公園を訪れた。

 浪江町など原発事故周辺を除けば、ここは放射能が全国でも、また福島県内と比べても高線量であることで知られている。そのことを設置されている放射線モニタリングポストで確かめたかったからだ。

 毎時0.63マイクロシーベルト(事故前の最大値0.046マイクロシーベルト)。年間に換算すると約2.7ミリシーベルトとやはり高い。これが公式記録だが、この数か月、いっこうに下がる気配がないのに驚いた。持参した簡易計測器の安定値では、3.9ミリシーベルトにもなった。安全とされる許容限度の年間1.0ミリシーベルトをかなり超えている。

 こういう厳しい現実は、東京ではなく、やはり福島にあってこそ実感できる。科学ジャーナリストとしてそう思う。

 その後、福島県庁前を通り、デモ行進したが、行進の内、外と交互に入れ替わりながらJR福島駅まで1時間ほど脱原発を叫んだ。内にあっては、日本一危険な南海トラフ「浜岡原発」を1日も早く廃炉にしようと誓った。

 そして、行進の外にあっては「夢と希望 ふんばっぺ福島」という高々と掲げられた街角のメッセージに共感を覚えた。ここには県民の決意のほどがうかがえる。

 市内を静かに見下ろす雪の吾妻連峰の山々も同じ気持ちだろう。

 連峰にかかる夕日を眺めながらの、決意と鎮魂の現地デモとなった。雪山春遠からじ、である。

 公平・中立をよそおうメディアや一部科学者たちとの闘いの始まりという意味で、私にとって新たなる未来への旅立ちでもあったように思う。

 ● 忘れまい「3.11」の原点は福島

 投書にも書いたが、福島の地に立ってこそ、「3.11」とは何かが肌で感じられるし、みえてくる。それは決して東京ではわからない。その原点を風化させてはなるまい。

 Dsc01274 なのに、なぜか、全国紙はもちろん、地元2紙にもデモの様子についてほとんど記事らしいものはない。まるでデモそのものがなかったかのようである(写真下= 福島市内を行進するデモの様子。3月11日午後)。

 丸2年がたった「3.11」については、「週刊金曜日」(2013年3月15日号)でも、

 東北復興の壁

という特集を組んで、いち早く全国の抗議集会やデモの様子を伝えている。

 原発ゼロへ大行動

という記事がそれである。確かに3月9日の明治公園集会、3月10日の日比谷野外音楽堂や国会周辺抗議集会、さらには3月11日の東電本社前アクションについては、詳しくその様子が紹介されている。

 しかし、肝心の現地福島でのデモ(3月11日)については、一言も言及がない。東京のほうがなにかとアピール性があることはわかるが、これでは本末転倒といわれても仕方あるまい。早くも福島風化が始まっている。

 ● 地元2紙にも問題

 地元紙の福島民報や福島民友は、ともに被災者や原発事故の風化を懸念する論説や記事を掲載している。

 とすれば、風化させないために、そして「3.11」の原点を見誤らせないためにも、福島から声を上げていくことが大事であろう。共感を巻き起こそうとしている動きに対しては、無視するのではなく、党派によらず柔軟に対応しようという視野の広さが地元紙に求められているのではないか。わかりやすく言えば、県民目線を大切にするということだろう。

 深刻な風化問題は、党派性とか、イデオロギーうんぬんとは、およそ関係がない。メディアの姿勢も問われた「3.11」だったと思う。

 ● 補遺 福島行動2013全記録 2013.07.05

 この福島行動については、

 新自由主義と対決すると銘打った総合雑誌「序局」第4号(2013年5月発行)

にその記録をまとめた詳細な特集がある。このなかには、

 ふくしま共同診療所 開設3カ月

というのもあり、所長の松江寛人さんの報告会発言(3月10日、福島市内)のほぼ全部が収録されている。

 たとえば、A2判定で「精密検査は必要ない」という乱暴な県の検査態勢がまかり通っている現状について、なぜ精密検査が必要ないのか(国立がんセンターで長年にわたり放射能検査にたずさわってきた専門医としてとうてい)理解できないと告発している。 

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現地で地元紙を読む 「3.11」福島ルポ

(2013.03.17)  20年以上、新聞界に身をおいたブログ子の持論は、地方は世論の本(もと)なり、というものである。ここでの世論とは大言壮語の類などではなく、ごく身近で、しかも切実な声という意味だ。

 ● 深刻な風評被害と風化問題

 そんな声を聞きたいということもあり、先日、原発事故から丸2年がたった福島市を取材で訪れた。

 地元紙の福島民友は、3月11日付で

 明日へ向かい着実に一歩を

という社説をかかげている(写真上=3月11日付福島民友)。見出しだけを見ると、どうということのない論説なのだが、中身が深刻な問題を取り上げていた。

 Image800311 被災者の生活再建と除染が今、最大かつ最優先の課題だとした上で、

 風評被害が根強く残る一方で、震災と原発事故の風化との闘いが始まっている

と指摘。だから正確で詳しい情報発信に努めなければならないと県民に訴えている。同時に政府に対して

 住民帰還の目安となる放射線量について

 信頼できる(安全)基準を一日も早く設定すべきだ

と注文を突きつけている。この設定は、福島県も強く国に要請している。ブログ子は、県庁の県災害対策本部への取材で、事故から2年もたつのに、この基準づくりはどうなっているのかという怒りに近い反応が返ってきはばかりだったので、もっともな意見だと痛感した。

 Image802311 社説のない福島民報も、3月10日付特集で、農林漁業再生を取り上げ、海の復興を信じると大きくうたい、

 風評払拭へ全力

と訴えている。

 3月11日付「論説」(鈴木久)では、風化問題を取り上げ、被災地の責務と題して

 あの日の記憶を記録に

と県民一人ひとりに呼びかけている(写真中=3月11日付福島民報)。

  地元2紙がともに、放射能問題はもとよりだが、そこから発生する風評被害への不安、時の経過とともに忘れられてゆく風化への懸念を論じている。このこと自体、いかにこれらの問題が切実で、身近であるかを如実に示している。

 両紙ともに放射能の詳しい県内マップも紙面で詳細に提供していたのは、論を待たない(写真下=3月12日付福島民報)。この2年で、放射能はどの程度減ったのかという県民の知りたいところを上下の地図で一目で比較できるようになっている。自分のところはどうか、という県民の関心事をすくい上げている。

 これらのところに思いを致すことが政治の仕事ではないのか。現地に立ってつくづく痛感した。

 ● 全国紙の「社説」のひどさに腹が立つ

 これに対し、全国紙はどうであろうか。こうだ。

 Image79920130312_2 3月11日付毎日新聞社説は、「原発と社会」と題して

 事故が再出発の起点だ

と書いている。あまつさえ、翌日の3月12日付社説は「危機と国家」と題して

 民主主義力が試される

という仰々しい大型社説を掲げている。大言壮語もきわまったというべきだろう。被災者そっちのけであり、読む気もしない論説である。

 では、朝日新聞はどうかというと、似たり寄ったりで、3月11日付社説は「原発、福島、日本」と題して、

 もう一度、共有しよう

 翌日の12日付社説は

 スモールビジネスを力に

と訴えている。補助金などに頼らず、長続きのする事業を起こし、地域の中でお金を回そうと被災地に呼びかけている。無責任とまでは言わないが、こんな社説を読まされる県民はどんな思いを抱くであろうか。風評に一喜一憂している被災地の気持ちがわかっているのかと言いたくなる。

 静岡県から来て福島市内のホテルでこれらの全国紙社説を読んだが、書くこともあろうにと、さすがにブログ子も腹が立った。

 現地に立ち、取材する。そして、肌で感じて地元紙を読む。その上であれこれ論ずる。このことの意味や重要さをあらためて知った「3.11」だった。

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「わが街の湖」という意識 佐鳴湖交流会 

(2012.03.05)  天下の出世城と言われている家康ゆかりの浜松城から、わずか5、6キロ西のところに、佐鳴湖という小さな湖がある。南北約2キロ、東西約600メートル。一周してもわずか、6キロ程度。しかし、西の浜名湖ともつながっていて、海水と川の水が入り混じる歴とした汽水湖である。

 ● 浜松城と佐鳴湖

 家康のころではないかもしれないが、浜松城に今も残る野面積みの石垣の多くは、この湖の東岸に船で運ばれ、そこから城まで輸送されたらしい。このように浜松と佐鳴湖とは、当時から密接な関係があった。それどころか、家康は湖を戦略的な物流拠点として、もっと言えば城の存亡がかかる拠点として軍事上重視したのだろう。

 Image731_2 ブログ子は、この湖の東岸のほとりの高台に暮らしている。そのせいで、ときどき、石を運び込んだ当時の船着場あたりを散歩する。東岸からは西岸を歩いている人が見えたりもする。

 わが街の湖

という実感がわいてくる。西岸を南北に一直線に植えられた美しいメタセコイヤの林立。それは、四季それぞれに、風景画家、東山魁夷の

 青の世界

を思い出させてくれる。

 ● 佐鳴湖問題は都市問題

 先日、ともすると汚れがちなこの湖の未来をどう育んでいくのかを考えようという

 佐鳴湖交流会

に出かけた( 佐鳴湖地域協議会+静岡大学アメニティ佐鳴湖プロジェクト 写真上 )。

 湖や流れ込む河川の水質浄化に取り組む行政関係者、生き物や生態系を大切にしたいと願う市民団体、住民の憩いの場として気持ちよく活用を図りたい周辺自治会関係者、子どもたちの環境教育に一役果たしたいという地元漁業関係者、そして、北岸が近い地元、静岡大学工学部の研究者などか日ごろの活動報告、研究報告があった。それらを受けて、総合的な討論も行なわれた。

 報告の中には、家康どころか、今から数千年前の縄文人もシジミ採りなどで湖を千年にわたって生活の場にしていたということも、紹介されていた。縄文人にとってコミュニティというか、集落というか、集団生活を長期にわたって維持するには佐鳴湖は貴重な存在だったのだろう。史跡となっている湖近くにある蜆塚(しじみづか、貝塚)はその証拠である。

 総合討論を通じて感じたのは、発言者が一様に湖の将来について危機感を持っていること、あるいは参加者も何がしかの問題意識を持っているということだった。膨張する都市化と、水質浄化を図りながら生き物が持続して生息できる環境づくりとをどう調和させていくのか。一筋縄ではいかない都市近郊の湖に共通する悩みが浮き彫りにされていた。

 裏を返せば、これは、かなりレベルの高い環境問題だと気づいた。つまり、都市という人間が多く暮らす社会と、その都市に近接した湖という自然との関係はどうあるべきかという問題を突きつけているのだ。

 しかも、佐鳴湖は、その先端部分に位置する。どういうことか。以下に述べる。

 ● 限界湖の佐鳴湖、自然残る注目の北岸

 大自然に囲まれた過疎地ではこういう問題は生じない。また、逆に巨大都市ではもはや湖うんぬんよりも人間優先はやむを得ない。

 Image719 浜松市のようなほどよく大きく、しかも膨張しながら成長する都市と、ほどよく小さい湖との共存は可能か、という命題にぶつかる。

 浜松市中心部の面積と湖の広さが拮抗しているので、自然が残る佐鳴湖と都市化する浜松市との将来の共存性が可能とみるか、無理と判断するか、それは分水嶺的というか、クリティカルになってきている。

 さらに海の生き物も川の生き物も共存している貴重な汽水湖であるから、余計に問題が鋭角的に浮き彫りになる。

 もし仮に、佐鳴湖が一桁面積が小さく、たとえば不忍池(東京・上野公園)くらいだと、周辺は都市化が急速に進むだろう。不忍池は水量は佐鳴湖の20分の一以下と、もはや自然豊かな湖ではなく、都市に付属した大きな池となる。人の努力ではもはや湖の将来はどうにもならない。湖周辺は都市に飲み込まれて、都市化あるのみなのだ。

 過疎が進みすぎると、人の手ではもはや食い止めることが難しいという意味の「限界集落」という言い方がある。この伝でいくと、実は、

 佐鳴湖は限界湖に近い

のかもしれない。湖周辺が都市化するか、それともなんとか自然を残せるかという分かれ目、その限界にある湖に近いのが佐鳴湖という意味だ。

 わかりやすく言えば、佐鳴湖は、今、東京・上野の不忍池のように、浜松市の都市の発展に飲み込まれてしまうのか、どうか、その境目に立つ。ここで、わが街の湖として、ふんばれるかどうかが、佐鳴湖の将来を決める。

 突っ込んで言えば、まだ、自然の湖岸が残っている北岸のあり方が、湖の将来を決めるといっても過言ではあるまい。そういう意味で、佐鳴湖問題は都市問題なのだ。

 これが、ほかの湖にはない佐鳴湖問題の大きな特徴だと思う。都市に飲み込まれた佐鳴〝池〟にするのかどうかが、周辺住民や周辺自治体に問われているのだ。

 ● 多様なアプローチこそ未来を育む

 佐鳴池にしてはなるまいが、その場合、何か単一な視点というものでは、おそらく湖の未来を育む解決策にはつながらないだろう。

 都市からの視点、自然保護からの視点、生き物からの視点、自然と人間の物理的接触点としての水辺や湖棚(こほう)からの視点、さらには工学的・理学的な観点と、多様なアプローチを結集して問題解決にあたることが求められている。

 いわば、都市の知恵、日本人の知恵

とも言うべきものが、今、求められているのだろう。

 いまから、30年前に発行された小冊子の自然観察ガイドブック「佐鳴湖」(静岡県自然保護課、執筆=自然観察指導員、高橋和彦。1982年発行)によると、急速な都市化が始まっていたとはいえ、湖岸にはまだ多様な自然と生き物が残っていたことがわかる。

 その合言葉は、自然はわれらを(保護してくれる)、われらは自然を(保護する)。この合言葉こそ、限界湖としての今の佐鳴湖にとって必要なときはないとさえ思える。

 ● 若者を引き付ける情報発信力が課題

 さらに、突っ込んだ言い方をすれば、限界湖としての佐鳴湖問題は、これまであまり問題にはならなかった境界領域の問題なのだ。それだけに、新しい発想、とりわけ先入観の少ない若い人材の参加が必要であり、それが交流会の将来をも左右するといえるのではないか。

  それを具体的に言うとすれば、討論でも出たが、

 若者を引き付ける情報発信力

が今後の課題のような気がする。

 縄文人が千年以上にわたって食べ続けたが、今は準絶滅危惧種にまでなってしまったヤマトシジミ。そのシジミ汁(佐鳴湖産の実験養殖)を会場で試食した交流会の帰り道、そう気づいた( 写真下 )。

  補遺

 佐鳴湖については、

 静岡県戦略課題研究

 「快適空間「佐鳴湖」の創造」研究報告

 静岡県産業部 平成20年3月

という分厚い報告書がまとめられている。

 また、親しみやすいカラーパンフレットとしては、

 佐鳴湖よいと湖マップ

というものが、佐鳴湖ネットワーク会議により作成、無料で頒布されている(平成21年8月発行)

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暗たんたる「除染」  欺瞞の根本原因

(2013.03.01)   原発事故で、いまや「除染」という言葉は、一般になじみになった。その対策のもととなる

 放射性物質汚染対策特別措置法

が国会で成立して、1年半がたつ。本格的な除汚はまだまだだが、やはり起きたかという思いの手抜き除染がはやくも明るみになっている。

 だが、そんな些細なことよりも、同じ除染で見逃すことのできない深刻な問題が福島県内では起きている。そんな現地ルポが『文藝春秋』2013年3月号の

 「福島除染作業の虚と実」

という記事である( 写真上 )。著者はジャーナリストの青沼陽一郎氏。

 ● 福島除染作業の虚と実

Image708  国直轄(環境省)で行なっている原発周辺自治体、福島県田村市では、除染の作業手順や場所の選定が限定的で、ほとんど除染の効果は上がっていないという実態を紹介している。だから、やっても、今のままではまた元の木阿弥になるというリポート。このことは当の作業員自身、肌でよくわかっているという。

 もう一つ、除染には欺瞞があると青沼氏は言う。特措法の目標である。

 国直轄地域も、自治体実施区域も、ともに当面の目的は、2年で

 自然界の線量を含めて、特措法が成立した2011年8月の線量を半減する

というもの。だが、これは欺瞞であると指摘する。なぜなら、なんら除染作業をしなくても、2年がたてば、環境放射能の主な成分である放射性セシウム134の半減期2年がすぎるからだ。何もしなくても自然界の物理法則で、線量は半減する計算なのだ。

 道理であり、うなずける。

 まだ、ある。特措法の長期的な目標は、高い当面の線量を半減するだけでなく、

 もともとあった自然界の線量を除いた、いわば事故による追加的な線量を年間1mSv以下

にするというもの。だが、これまたちぐはぐなことが県内で起きていると青沼氏は指摘する。

 というのは、盛んに除染作業が行なわれている、たとえば、20キロ圏内の田村市では、今でも現地測定で年1mSv以下と目標値に近い。一方、まだ本格的な除染が行なわれていない福島市では

 今も常時、年間換算で3mSvぐらい

と高い。ブログ子も調べてみたが、確かに文科省が常時公表している県別放射線モニタリングポストの値は

 福島県=福島市紅葉公園   毎時0.82μSv ( 年間算で約3.6mSv )

となっている(写真下=2013年2月20日付毎日新聞朝刊「大気中の環境放射線量(単位は毎時μSv)」の表)。

 Image7092 他県に比べて一桁高いのは当然としても、県内でも、福島市は、事故周辺地域に比べてかなり高い。しかし、福島市の除染は進んでいない。進んでいるのは、主として線量が低い、しかも最終的な目標がすでに達成されてしまっている周辺地域なのである。

 このドタバタの根本的な原因は何なのか。これを次に論じてみたい。

 ● 考えたくないものは考えないツケ 内部被ばくに向き合う時

  この特措法は、現行の

 廃棄物処理法

が放射性物質に汚染された廃棄物は対象外となっていたことから、いわば泥縄式に急遽、つくられた法律なのである。これまでどの省庁もこの問題を所管してこなかったのだから、環境省にかぎらず戸惑いやドタバタがあっても、ある意味、当然なのだ。 

 日本は、「黒い雨」の原爆被ばく国なのに、そして、「死の灰」のビギニ水爆被ばく国なのに、そして、自らも東海村臨界事故(1999年)でウラン核むき出しの広島原爆と同様の連鎖反応(中性子線という粒子放射線被ばく)を引き起こした国なのに、これまで放射性汚染物質には目をふさいできた。そのツケが、福島原発事故でいっきょに払わされたというのが実態なのだ。

 今また、環境放射能の過小評価をやらかしている。つまり、

 「今、ただちには健康に影響はない」

という形で、放射能アレルギーを抑えようとしている。内部被ばく、つまり、粒子放射線被ばくを過小評価し、つまり、目をつぶっている。被爆国であるからこそ、そのアレルギーを取り除くために、正しい科学的な知識と政策に真正面から取り組む必要がある。

 なのに、いままであまりにも、このことを避け続けてきた。それが泥縄式の今回の特措法になった。

 青沼氏の現地ルポから浮かび上がる暗たんたる除染状況。そのつたなさの根本的な原因が、そして泥縄式の特措法の原因が、原発推進のなかで、

 (内部被ばくの恐ろしさという)考えたくないものは考えない

という風潮にあったことを忘れてはなるまい。

 ● 住民は除染の欺瞞性を知っている

 青沼氏の現地ルポを読んで、悲しいのは、住民が、今のような除染方法ではその効果がないだろうということを知っていることだ。そして、たとえ、除染が完了したと言われても、住民のほとんどは

 ふるさとには帰還しない

と決めている。1年前に帰還OKとなり、除染もほぼ完了した福島県広野町はただちに町役場を、いわき市から元の広野に戻した。

 が、1年たった今も避難住民の9割はふるさとに戻ろうとはしていない(2013年2月28日付毎日新聞)。3月1日付朝日新聞の被災地首長アンケート調査では、帰還住民の目標は6割から7割。おそらく希望的な数値であり、現実ははるかに厳しいだろう。

 これには生活インフラが戻っていないこともあるのだろうが、それだけではないと思う。

 仮設住宅という避難生活の不便さ以上に、政治に対する根強い不安や不信、あるいはあきらめがあることを見逃すまい。

  なおざりな除染からみえてくるのは、またしても危機に対して、見て見ぬふりをし、真正面から取り組むことを避けている姿である。それは私たち自身の過去から引き継いできた悲しい姿であり、あきらめでもあろう。

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